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超短編!大どんでん返しSpecial

第7話
竹本健治
「訪ねてきた女」


 吾平という者、大の酒好きで、その日も寄合の酒宴に与り、したたかに呑んで、ようやく帰途についたのはとっぷりと日も暮れた頃だった。

 家は遠い村はずれ。うねうねと続く道は草ぼうぼう。どんよりと濁った雲に月も隠されて、そんななかを提灯片手に危なっかしい足取りで歩いていく。そして首の欠けたお地蔵さんの横を通り過ぎたしばらく先。何か大きな軟らかいものを踏んづけた感触に、思わずひゃあと声をあげかけた。

 だが、顰めっ面で五、六歩もよろめき歩くと、もうすっかりそんなことも忘れてしまって、再び上機嫌の鼻唄まじり。そしてそのまま家に戻ると、すぐに寝床にもぐりこんだ。

 どれほど時がたった頃だろうか。ほとほとと戸を叩く音に眠りを醒まされ、こんな夜中にどこのどいつだと眼をこすりこすり戸をあけると、そこに立っていたのは夜目にも色の白さが浮き立つ若い女。夜分に申し訳ありませんが、もしやこちらに同じ年頃の男が訪ねてきませんでしたかと尋ねる。いいや、そんな男は知らねえなと答えると、女はがっくり気落ちした様子で、そのままその場にクナクナと頽れそうになった。吾平は慌ててその体を支え、大丈夫かね、とにかくしばらく休んでいきなせえと、女を座敷の端に座らせた。

 女が言うには、夫が日暮れ前、ちょっと水を汲んでくると出かけたまま、いっこうに戻ってこない。とうとうひと時も過ぎて、居ても立ってもいられず捜しに出た。いつも水を汲んでいる川辺には人の気配もなく、夫の名を呼んでも驚いたように騒ぐフクロウの鳴き声ばかり。そうなるともう後ろから火をかけられたような想いで、道やら藪やら見境なく踏みまろび、さんざん迷いに迷った末にこの家を見つけて、藁にも縋る気持ちでお訪ねしたのです、と。

 そばで見れば見るほど美しい女だった。透けるように蒼白い肌に流れる黒髪がほつれかかり、俯けた眼もとだけがほんのりと紅く、滲むように染まっている。その紅色に吾平は胸の奥をぎゅっと捕まえられたような気がした。

 ひとしきり語ったあと、女は急にああいけないと首を振り、こうしてはいられません、捜しに行かなければと遽しく出ていく構え。吾平は慌てて、そりゃ無茶だ、こんな夜中に無闇にあちこち捜しまわったって、うまく見つかるどころか、崖やら淵やらに足を滑らすのがオチだ。もしかしたらあんたの夫は無事で家に戻っているかも知れないのに、そんなことになっちまったら目もあてられねえ。かと言って、今は自分の家にも戻れないほどすっかり迷っちまってるんだから、ここは朝になるまで待ったほうがいいと、懸命に宥めすかした。

 女も次第に気が鎮まった様子で、おとなしく腰を戻し、吾平もほっとしながら囲炉裏の残り火で明かりを灯そうとしたが、しばらく項垂れていた女がふと小首を傾げるので、どうしたのかと尋ねると、か細い声で、なぜだかあんたからあの人の匂いがする、と。そんなわけはねえ。いいえ、うっすらとですが確かにと、女は吾平の体に鼻を近づけた。

 はじめはくすぐったい想いでいたが、女がくんくんと鼻をすり寄せてくる様子が尋常でなく、吾平はだんだん気味悪くなった。ほら、やっぱりあんたから匂ってくる。かすかに血の匂いまで。あんた、いったいあの人をどうしたんだえ。言いながら縋りついてくる女に押し倒され、そのままのしかかってこられて、吾平は肝が縮みあがった。

 女の顔が眼の前に押しかぶさる。大きく突き出してぐりぐりと動く目玉。横にパックリと裂けた口。あれだけ白かった肌は、今は緑と茶色を扱き混ぜたようで、いちめんヌラヌラと気味悪く濡れ光っている。蛙だ! 蛙の化物だ! 思いきりわーっと叫んだところで眼が覚めるともう朝で、鳥がチュンチュクとやかましく囀っていた。

 体じゅうびっしょりかいた汗を拭い拭い、そうか、そういうことだったのか。これは気の毒なことをした。手厚く葬ってやらにゃあ。そう思うとすぐさま家をとび出し、昨夜の帰り道を逆戻りに辿っていった。そうして首の欠けたお地蔵さんの手前でいっそう眼を凝らして捜しまわったところ、ひときわ丈高く繁った草叢の陰で、無惨に踏みつぶされた大きな茄子が見つかった。


竹本健治(たけもと・けんじ)
一九五四年生まれ。七七年、大学在学中に雑誌「幻影城」で『匣の中の失楽』を連載し、作家デビュー。二〇一七年『涙香迷宮』で第一七回本格ミステリ大賞を受賞。二一年、カルト的人気作『闇に用いる力学』の続編が刊行され話題に。

〈「STORY BOX」2021年10月号掲載〉

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