深明寺商店街の事件簿〈四兄弟編〉第2話後編 井上真偽

深明寺商店街の事件簿 第2話後編


(あらすじ)深明寺近くに住む木暮福太。兄の元太は料理人、弟の学太は生意気な中学生、末っ子の良太は甘えん坊の小学生だ。ある日、学太の学校でコンクールに出品予定の楽器が壊された。事件には福太たちの亡き母親も絡んでいるようで……?


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「私、長谷川はせがわさんとあまり面識ないんですよね」

 そう言って、ブルーのトレーニングウェアを着た女子が苦笑いをする。

 翌日の早朝、河川敷のランニングコース。

 話しているのは、例の書道部員の容疑者の一人、三年の井手いで走華そうかだ。やや大人びた、中性的な顔立ちのショートカットで、すらりと背も高いので颯爽としたトレーニングウェアが似合っている。書道部というより陸上部のエースといった趣がある。

 彼女が早朝のランニングを日課にしているというので、福太たちはその通学前の時間帯を利用し、ヒアリングの約束を取り付けたのだった。ちなみにまだ出勤前ということで、今回は珍しく元太もいる。また良太も自分も行くと駄々をこねたので仕方なくつれてきたが、案の定早起きしすぎたようで、今は元太の背中で眠っている。

「学年は違うし、部活の後輩でもないし、全然接点がなくて……。だから今回のことも、誰が何のためにしたのか、まるでわからないっていうか」

「長谷川詩緒しおさんが、誰かから恨みを買っていた、ってことは?」

「どうなのかな。学年が違うから、よくわかりません」

井戸木生真子いどききまこさんは、長谷川さんの親友だって聞いたけど……」

「みたいですね。校内でよく一緒にいるところは、見かけます。仲は普通によさそうですよ」

 福太の問いに、井手走華はサバサバした口調で答える。見た目通り、さっぱりとした性格のようだ。男友達と話しているような感覚で、福太としては話しやすい。

「なら、井角いすみあいみさんは? 彼女も、長谷川さんと仲良かった?」

「あの子は……」井手走華は少し口ごもり、「仲は……どうなんだろう。昔は悪くなかった、って聞いたけど。何かをきっかけに、ちょっと関係がこじれたらしくって。なんだっけな……。あ、そうだ。アクセサリー」

「アクセサリー?」

 良太を背負っていた元太が、低い声で反応する。

「あ、はい」

 彼女の声が、若干上ずる。

「あの子、アクセ作りの趣味もあって。それで、長谷川さんの持ってるアクセを借りようとして、断られたとかなんとか……。詳しくは知らないですけど」

「もしかして」福太はスマホで例の演奏動画を見せる。「そのアクセサリーって、この長谷川さんが作品に使ってたやつ?」

 井手走華は動画を見て、首をひねった。

「さあ……わかりません。もともと私、アクセとかあまり興味ないんで。っていうか、家でそんなものつけたら普通に折檻されるし。色気づくなって」

「折檻?」

「うちの親、躾に厳しいんで」

 彼女は軽く笑って肩をすくめると、

木暮こぐれのところは、いいよね。男同士、家族みんな仲良さそうで。私も弟とは仲いいんだけどさ」

「いや、まあ……」

 学太が困ったような顔をする。井手走華はフフッと笑うと、上半身を捻り、軽くその場で足踏みを始めた。

「とにかく……アクセのことなら、あいみに直接聞いてください。たぶんあの子、あとから走ってくると思うんで」

「え? 井角さんと毎朝一緒に走ってるんですか、先輩?」学太が訊く。

「ううん。っていうか──」

 井手走華はウォーミングアップを終えると、走り出す体勢を取りつつ、ちらりと苦笑を見せた。

「あの子、私のストーカーだから」

  

「え? 私が、走華先輩のストーカー?」

 井手走華の予言通り、まもなくピンクのトレーニングウェアを着て現れた「あいみ」──井角あいみは、福太たちからそれまでの事情を聞き、一瞬動きを止めた。

 が、すぐに相好を崩して、おかしそうにくすくすと笑う。

「やだな。真に受けないでください。それは、先輩の冗談です。走華先輩、ああ見えてふざけ好きだから。確かに先輩、格好良くて好きですけど。それはただ、普通に憧れの先輩っていうか……」

 冗談かよ、と福太はつい脱力した。こちらが女慣れしていないとみて、からかわれたのだろうか。まあ実際、女子の気持ちには疎いが。

 学太がやや腑に落ちない顔で、首をひねる。

「でも井角さん、早朝ランニングするほど運動好きだっけ?」

「これは、書道パフォーマンスのため」

 井角あいみはにこやかに笑って、

「踊りながら字を書くのって、意外と体力使うから。私って体力ないから、走華先輩が毎朝走ってるって聞いて、そうだ、私も真似しようと思って」

「書道パフォーマンス?」

 福太が訊き返すと、学太は「ん?」という顔をする。

「福太のときはなかった? 秋の文化祭で、書道部がやるやつだよ。カーテンみたいに大きな書道用紙に、音楽に合わせて踊りながら字を書くやつ。正月番組とかでよく見る。井角さんは、その振り付けチームのリーダー」

 そういややってたな、そんなやつ。福太は懐かしく中学時代を思い出す。──といってもまだ、数年も経っていないが。

「福太兄ちゃん、福太兄ちゃん」すると待っている間に目を覚ました良太が、井角の頭を見て、福太にひそひそ耳打ちしてきた。「あの髪、祖母ちゃんちの犬みたい」

 井角あいみの、頭の高い位置で二つ結びにした、犬の耳のような髪型を言っているらしい。まさに「角」だ。本人も自覚しているのか、ピンクのウェアの胸元には、牛や羊など角付きの動物を模したアクセサリーが付けられている。

 話が聞こえたのか、彼女はニコッと笑うと、「パピヨンだよー」と言って自分の頭を良太に向かって闘牛のように突き出した。良太が逃げながらキャッキャとはしゃぐ。──そういや父親の実家で飼ってる犬が、そんな犬種だっけ。

「……でも、そんな努力も、無駄になるかも」

 明るく良太をあやしていた井角あいみが、ふと表情を曇らせる。

「無駄? どうして?」

「私、書道部を辞めるかもしれないので。今回のことで、私がいると部全体のイメージが悪くなっちゃうし。書道部のみんなも、前より私の言うことを聞いてくれなくなった気がするし」

「今、一番犯人だって疑われてるのが、井角さんなんだよ」

 学太が補足する。井角あいみはしゃがんで良太のパンチを手で受けながら、少し悔しそうに、

「違うって言っても、誰も信じてくれなくて。でも、それはそうですよね。あんなメッセージが残ってたら。みんな私を疑うにきまってるし。先輩にはそんなことする理由もないし、みんなは私と詩緒が、仲悪いって思ってるから」

 詩緒? ──ああ、「長谷川詩緒」か。

「悪いんですか? 仲」

「私のほうは、別に……。ただ、詩緒のほうは、どう思っているか」

 井角あいみは大ぶりなため息をついて、

「あの子が何を考えているのか、私にはよくわからなくって。っていうか、あまり私に関心がないのかも。この前会ったときなんか、名前忘れられてたし。そういうのがちょっと、私も頭にきて、少し冷たく当たったことはあります。それでみんなに、『仲悪い』って思われてるみたいで……」

「そういえば、アクセサリーが原因で喧嘩した、って聞いたけど」

 元太が口をはさんだ。井角あいみは「あっ、はい」と一オクターブ高い声で返事すると、慌てるように立ち上がって髪を指でいじり出す。

「喧嘩ってほどじゃないですけど……。私、アクセ作りの趣味があって」胸元のアクセサリーを見せる。「あと母親が音楽関係の学校に勤めてたので、昔はよく母親と詩緒の店に行ってたんです。それで詩緒と少し仲良くなって、部屋に遊びに行ったとき、よくできた手作りのアクセサリーを見つけて。私、その作り方を知りたかったから、詳しく聞こうとしたんだけど、詩緒は笑ってごまかすだけで、どうしても教えてくれなかったんです。だから私、なんか嫌な気分になっちゃって。そこからちょっと、関係が気まずくなったっていうか」

「そのアクセって、もしかしてあの作品に付いていた?」

「はい」元太の問いに、井角あいみはしおらしく目を伏せつつ、「最初作品を見たときは私も、『え?』って思いました。私への当てつけかな、って。まあ詩緒のことだから、単に忘れてるだけかもしれないと思って、流したけど」

 福太たちは互いに目配せする。ようやく少し、母親のアクセサリーにつながる情報が出てきた。

「ところで……」福太はいよいよ本命の質問を切り出す。「事件のあと、そのアクセの飾りがなくなってるんだ。井角さん、心当たりねえかな?」

「え? なくなった?」井角あいみはきょとんとした顔で、「詩緒が、持ち帰ったんじゃ?」

「ううん」と学太。「マイカ先生が発見したときには、もうなかったって。証拠の写真もあります」

「そうなんだ……。マイカ先生が勝手に持っていくはずないし……。誰が持って行ったんだろう……」

 指先まで伸ばしたジャージの袖を口に当て、小首を傾げる。ややあざとっぽいが、それが素の反応なのか白々しくとぼけているだけなのかは、悲しいかな男子校生活の長い福太には判別つかない。

「アクセといえば……」

 そこで井角あいみがふと思い出したように、

「そういえば、キッコもアクセ好きですよ」

「キッコって、長谷川さんの親友の?」

「はい。井戸木生真子。キッコの家、親が教育関係者で厳しいんですけど、それに反発してるのか、学校で禁止されているアクセをよくこっそりつけてきてて。最近は落ち着いたけど、一年のときなんかは毎日違うアクセサリーを持ってきてました。走華先輩にもプレゼントしてたみたいです」

「井手走華さんに?」

「はい。先輩、女子に人気ありますから……」彼女はふふっと微笑み、「もしかしたら、キッコは本気で好きなのかも。学校でもずっと付きまとってるし」

「あれ? でも彼女って、長谷川さんと仲いいんじゃ……」

「はい。だから私も、忠告したんです。そんなに先輩にべったりだと、詩緒がやきもち焼くよ、って。あくまで冗談っぽく、ですけど。そしたらキッコ、真剣に困った顔をしたので、私も、あっこれ、たぶん本気だな、って──」

 福太は返事に困った。その焼きもちは友情……それとも、それ以上の何かなのだろうか。街では友達らしい女子二人組が恋人みたいに腕を組む姿をたまに見かけるし、女子の距離感はよくわからない。

「でも、キッコもちょっと可哀そうなんですよね」井角あいみは同情の顔つきで、「詩緒、ああ見えて、結構束縛が強いみたいで。キッコも詩緒の前では、すごい気を遣ってる感じだし。詩緒がお姫様で、キッコはそのお付き、みたいな」

「……その子と長谷川さんって、本当に親友なの?」

 福太が訊くと、井角あいみは困ったように目を逸らして半笑いし、ジャージの袖で口元を隠した。

「それは、私の口からは、なんとも」

 

「えっと──井戸木いとぎ生真子さん、だよね?」

「イドキ、です」語尾が消え入るような声で、訂正が入る。

「あ、ごめん。あまり聞かない苗字だから」

「あっ、い、いえ。だ、大丈夫です。友達にもよく間違えられるし。というかみんなあだ名で呼ぶから、苗字をちゃんと覚えててくれるのは、部活の人くらいだし……」

 所変わって、駅前の自然公園のベンチ。時間は夕方だ。今日は書道部の休みの日なので、井戸木が塾に行く前の時間を利用して、話を聞かせてもらっている。

 井戸木生真子はまさに名前の通り、生真面目そうな丸眼鏡をかけた、小柄な女子だった。あまり洒落っ気はなく、髪はおかっぱに近い黒髪、さらには前髪をピン止めして広いおでこを出している。制服のスカートも野暮ったいまでの長さで、まず校則を破るようなタイプには見えない。

 福太が事件について聞き始めると、井戸木生真子は蚊の鳴くような声でたどたどしく応じた。前の二人とは違い、やや緊張しているようだ。こちらが年上で、男性だからだろうか。ちなみに元太は今日のシフトは昼のみということで、同席している。良太は友達のところに遊びに行っているので、より圧迫感が強いのかもしれない。

「じゃあ、井戸木さんも、犯人に心当たりはないんだ?」

「は、はい」

「あの『井』のメッセージについては? 井戸木さんは、どう思う?」

「あ、えっと……わかりません……」

「今、井角あいみさんが一番疑われてるんだってね。もし、彼女が長谷川さんを恨んでいるとしたら、どんな理由があると思う?」

「え、え? 理由、ですか……? なんだろう……。詩緒が、可愛いから……?」

 やりにくい。緊張で喉が渇くのか、会話の合間にしきりにペットボトルの水を飲む井戸木生真子を見て、福太は三人で来たのは失敗だったかなと思う。別に嘘はついてなさそうだが、委縮するあまり、冷静な受け答えができないようだ。彼女への聞き込みは学太一人に任せるべきだったかもしれない。

 学太に視線を送ると、察して代わりに話し始めた。

「ちょっと話が逸れるけど……井戸木さん、知ってた? 事件のあと、あの作品に付いてた飾りがなくなったって」

 井戸木生真子は一度水をグビリと飲み、

「……飾りって、あのレジンの飾り?」

「そう」

「嘘。あれ、なくなったの? 詩緒が持ち帰ったんじゃなくて?」

「うん。マイカ先生が発見したときには、もうなかったみたい」

「そうなんだ……。そのこと、詩緒は?」

「わからない。長谷川さん、あれから学校来てないから」

 ふうん、と井戸木生真子が呟き、そこで初めて気づいたように眼鏡のずれを直した。話し相手が学太に代わり、少し落ち着きを取り戻したらしい。

「そうか……。そのことを知ったら詩緒、もっと落ち込むと思う。理由は知らないけど、詩緒、あの飾りをすごく大事にしてたみたいだから。詩緒の家、今はそれでなくても大変だし。少子化で楽器は売れないし、前のお父さんが作った借金はあるし、ほかにもいろいろ」

「前のお父さん?」

「うん。木暮くんは知らない? 詩緒の二人目のお父さん」

「二人目?」

「結婚はしてないから、正式な父親じゃないけど。詩緒がまだ小学生のころの話で、お母さんがお店の常連さんに口説かれてしばらく一緒に暮らしたけど、すぐ別れたって。

 どうもその人、DVやモラハラがひどかったみたいで。だから詩緒、お母さんが別れてくれたときは、すごく嬉しかったって。ただその人、お店の名義で借金までしてたみたいで。それが別れたあとに発覚して、今も苦しんでるみたい」

 福太たちは目を合わせる。長谷川家の母娘は思った以上に苦労人らしい。その境遇に同情すると同時に、芽生える疑惑が一つ──その当時、長谷川家はかなり金銭的に困窮していたはずだ。

「だから今、詩緒は家のことで頭がいっぱいで」井戸木は急に勢いづいたように、「井角さんが詩緒のこといろいろ言ってるけど、そもそも詩緒に、井角さんのことなんて気にしている余裕なんてないんです。今回のことだって、詩緒にはどれだけショックだったか……。詩緒、これが少しでもお店の宣伝になればって、すごい張り切ってたし。最後のチェックのときも、一本どうしても音が外れてるって何度も調整してたんです。結局直せなかったみたいだけど。

 だから私、今回の事件の犯人のことは、本当に許せなくて。必ず見つけて、詩緒に対して謝らせなくちゃ。それがあいみだろうと──井手先輩だろうと」

「でも……井角さんはともかく、井手先輩に壊す理由はなくない? 長谷川さんとは、全然接点ないんだし」


井上真偽(いのうえ・まぎ)
神奈川県出身。東京大学卒業。二〇一四年『恋と禁忌の述語論理』でメフィスト賞を受賞しデビュー。一八年『探偵が早すぎる』がドラマ化され話題に。著書に『その可能性はすでに考えた』、『ベーシックインカム』、『ムシカ 鎮虫譜』などがある。

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