深明寺商店街の事件簿〈四兄弟編〉第2話後編 井上真偽

深明寺商店街の事件簿 第2話後編


 学太の反論に、井戸木生真子は少し考え込むような顔をした。

「全然接点がない……ってことは、ないと思うけど」

「え、なんで?」

「確かに詩緒のほうは、井手先輩のことは知らないと思う。でも先輩は、少なくとも詩緒のお母さんのことは知っている……はず」

「どうして?」

「前に、準備室にあった詩緒の作品を見て、先輩言ってたから。『さすがあそこの店は、ゴミを偽装するのが上手いなあ』って」

「ゴミを偽装?」

 井戸木生真子の話によると、井手走華の母親は昔、地元の音楽系専門学校で事務員をやっていて、その関係で長谷川の楽器店にもよく訪れていたそうだ。どうやらそのときに、長谷川の母親に粗悪品を掴まされたらしい。それで井手の母親はそのときのことを根に持っていて、今でも「騙された」と愚痴っているという。

「それって楽器の話?」

「わからないけど、たぶん。ただ先輩、笑い話みたいな感じで言うから、そのときは私も、あ、これも何かの冗談かなって思って。先輩、たまによくわからない冗談を言うから。

 でもとにかく、先輩と詩緒のお母さん同士は顔見知りで、そのことを先輩が知っていたことは確か。だからまったく接点がないっていうのは、嘘だと思う」

 再び福太たちは目配せする。それってつまり──自分たちの母親以外にも、長谷川にカモにされた被害者がいるってことか?

「そういえば」と、初めて元太が口をはさんだ。「井角さんから、井戸木さんはアクセを集めるのが趣味だって聞いたけれど。井手さんにも、プレゼントしたとか」

 すると井戸木生真子の手から、つるりとペットボトルが滑り落ちた。

 元太の顔を凝視する。それから自分の空っぽの手を見て、「あ、あ」と慌てながら草むらに落ちたペットボトルを拾い上げた。

「べ、別に、井手先輩だけってわけじゃ……! いつも、お世話になってるから、あげただけで……! ほかの子にも、あげてましたし……!」

 ──なんだ? この慌てよう。

「そのときは、その、たまたまアクセにはまってた、ってだけで……。うちの親、厳しくて、そういうの買ってもらえなかったから……。ただ、その年は、お祖父ちゃんにお年玉をいっぱいもらって、その反動っていうか……」

 ごくごくと、残った水を飲み干す。ぐいと口元を袖で拭き、空のペットボトルをメッシュのゴミ入れに放り込んだ。ベンチに置いたカバンを掴み、学太に向き直って言う。

「もういい? 木暮くん。私、そろそろ行かなきゃ。もうすぐ塾始まるし」

「え? あ、う、うん……」

 井戸木生真子はぺこりと一礼すると、そのまま公園を走り去っていった。福太たちはその後ろ姿を、やや唖然と見守る。

6 

「つまり……どういうことなんだ?」

 ラーメンをすすりながら、元太が訊く。

「井手先輩にも、一応壊す動機はあったってこと。具体的には、昔母親が騙されたことへの意趣返し……かな」

 湯気で眼鏡を曇らせながら、学太が答える。

「でもよ」と福太はメンマを箸でつまみつつ、「彼女、弟とは仲がいいって言ってたぜ。ってことは、裏を返せば、親とは仲が悪いってことだろう? それなのに、わざわざ母親のためにそんなことをするか?」

「なら、母親に命令されたとかじゃないかな。親に折檻される、とも言ってたし」

「ほかの二人はどうなんだ? 動機はないのか?」と、元太。

「井角さんは……まあ、長谷川さんの自分への態度が気に入らない、っていうのはあると思うけど。井戸木さんは、長谷川さんが井角さんのことを気にしている余裕なんてない、って言っていたけど、それは井角さんにしてみれば、無視されているも同然だし。

 井戸木さんはよくわからないけど……ただ、井角さんが最後に言ったセリフが、少し気になるな」

「『私の口からはなんとも』ってやつか?」

「うん……。言われてみれば、あの二人、対等な友達というよりは、井戸木さんのほうが長谷川さんにすごい気を遣っている感じに見えるんだよね。アイドルとそれを崇拝するファン、というか」

「けど、井戸木生真子さんって、井手走華先輩のファンなんじゃねえの?」

「うーん、どうなんだろう。確かに部活のときは、いつも先輩のそばにいるけど……」

 珍しく歯切れが悪い。賢い弟も、女子の複雑な心理はお手上げのようだ。

「その井戸木生真子さんって子だが……俺がアクセサリーについて質問したとき、少し態度が怪しくなかったか?」

 元太の言葉に、ああ、と福太も井戸木生真子の慌てぶりを思い出した。確かにあの反応は、あからさまに変だ。

 学太は少し困った顔で元太を見てから、ふうとため息をつく。

「あれは、元太が悪いよ。いや、元太は何も悪くないんだけど……」

「どういう意味だ?」

「あれが、訊かれたことへの反応なのか、それとも元太みたいなイケメンに声をかけられた女子一般の反応なのか、僕には判断つかないってこと。井手先輩も井角さんも、元太が質問したときは似たような反応返してたじゃん。それが井戸木さんはたまたまオーバーだっただけかもしれないから、僕も解釈に困っちゃって……」

 なるほど、そういう問題もあるのか。むしろ元太がいたほうが、女子の好感度が上がって話しやすくなるとまで思っていたが──そう単純な話でもないらしい。

「なんだなんだ。ゲンの野郎、また女を泣かせたのか?」

 カウンター越しに、ねじり鉢巻きの店主がにやけ顔を突き出す。深明寺商店街の新参ラーメン店「ラーメン藤崎」の店主、藤崎勝雄。隣にある老舗乾物店のせがれで、元太の高校のときの部活の先輩でもある。

 藤崎の太い腕がぬっと伸び、福太たちの前に小鉢が置かれた。「これも、新作のつまみ」そう言い残し、またいそいそと厨房に引き返していく。

 客足が伸びないためか、店主は新メニューの開発に熱心らしく、今回も商店街を帰る途中で待ち構えていた店主に掴まり、懇願されて味見に付き合わされているという状況だ(ちなみにあれから友人宅にいた良太も迎えに行ったので、今は一緒にいる)。

 学太が小鉢から半透明のものを箸でつまみ上げ、首を傾げる。

「なんだろう、これ……塩クラゲ? どうせならラーメンの具にすればいいのに」

「話を戻すけどよ」福太は味の薄い塩クラゲの総菜をくにくに噛みつつ、「正直、壊す動機とかは別にどうでもよくねえ? 俺たちが探してるのは『壊した犯人』じゃなくて、『盗んだ犯人』なんだし」

「まあね。でも壊す理由は、そのまま盗む理由にもなるから。井手先輩なら、仕返しに長谷川家の娘が大切にしている飾りを盗んだ。井角さんなら、当てつけみたいな飾りに腹が立って盗んだ。親友の井戸木さんは……まだちょっとよくわからないけど、もし彼女が長谷川さんの狂信的なファンみたいな感じだったとすれば、長谷川さんの持ち物が欲しかった、とか」

 やはり味が足りないのか、学太は塩クラゲの小鉢に醤油と酢を少し掛けまわして、

「ただ……今のところ、僕の関心は、犯人より告発者が誰か、ってことにあるけど」

「告発者って、あの『井』のメッセージを残したやつか? どうして?」

「墨だよ」

「墨?」

「あの壊された作品には、墨汁がぶちまけられてただろ。それで飾りがはまってた窪みの部分を確認してみたけど、そこの墨はふちから少し垂れたところで固まって、窪みの底まで垂れていなかったんだ。

 つまりあの飾りは、墨汁のかかった直後でも完全に乾いた後でもなく、半乾きの状態のときに盗られたってこと。実験してみたけど、あの墨汁ならこの季節だとだいたい二十分から三十分くらいで半乾きになって、一時間も経てば完全に乾く。『井』のメッセージにも墨に串を動かした痕跡が残っていたから、書かれたのはやっぱり半乾きのときで、両者の時間帯はかぶる。僕たちは、だいたい三十分おきくらいに一人ずつ準備室に出入りしてたから、たぶん同一人物の仕業だ」

「えっと……要するに、どういうことだ?」

「告発者イコール、母さんの飾りを盗んだ犯人ってこと」

 ──メッセージを書き残したやつが、飾りを盗んだ犯人? いったいどういうつながりだ?

 学太がスマホを取り出す。その動画には、ベランダ側から撮ったらしき書道部の練習風景が映っていた。天井から吊るした大きなカーテンのような画仙紙をバックに、学太たちが書道パフォーマンスに熱を入れている。ただし美術室内にある美術準備室の出入り口、ベランダ側と廊下側の二つのドアは、画面から見切れていて見えない。

「……これは、メイキング映像用に撮ってあった動画。出入りはこれで確認したんだ。といっても準備室の出入り口は二つとも見えないから、あくまで画面から見切れているかどうか、だけど。

 ちなみに見切れた順番は、長谷川さんの最終チェック後、まず井戸木さん、次に僕、井手先輩、井角さん。時間はだいたい三十分おきで、一人一回ずつ、十分間前後。これと墨の乾き具合を考えれば、壊した犯人と告発者の関係は──」

「おいおい、墨だぁ? 別にイカ墨なんざ入ってねえぜ?」店主がガハハと豪快に笑いつつ、新たな小鉢を手にやってきた。それをカウンターに置いた後、急に不安そうな顔になって身を乗り出し、元太に小声で訊く。「──そんなに生臭かったか? 今度の新作」

 元太はやや困り顔でラーメンを見る。

「いや……十分、旨いっすよ」

「ほんとかよォ。おめえは昔っから、変に俺に気を遣うからなあ。じゃあ──おい、ガクちゃん。天才坊主の感想はどうよ? おめえはそういうの、気にしねえタイプだろ」

 学太がふうとため息をつく。適当にお茶を濁すよりはっきり言ってしまったほうが話は早いと判断したのか、おもむろに眼鏡を直し、腰を据えて店主に向き直る。

「それじゃあ……元太の代わりに、正直に言っていいですか?」

「お、おう。どんとこい」

「まず、このあっさりめのスープには、太麺より細麺が合うと思います。あとこのスープ、乾物を使ってるのが売りなんですよね。メニューにもそう書いてあるし」

「おうよ」藤崎は胸を張る。「いろいろ入ってるぜ。鰹に鯖節、スルメに干しエビ、ホタテの干し貝柱……。うちは、まじりっけなしの本物の乾物を使ってるってのが、売りだからよ」

「それはいいんですが……。なんていうか、全体的に味がごちゃごちゃしていて。スープに輪郭がない、っていうか。もう少し素材を絞ったほうがいいんじゃないでしょうか。特にその貝柱、入れる意味あります? ほかの素材に負けて、まったく存在を感じないんですが……」

「意味か……」

 藤崎は遠い目をする。

「考えたこともなかったな。俺ゃあ、理屈より感性で突き進むタイプでよ……」

 そこは考えてほしいところだ。ほかにも学太があれこれと語るダメ出しを、藤崎は背を丸めて神妙な顔つきで拝聴していた。クマのような巨体が、今はウサギのようにいじましく見える。

「オレ、すごくウマかった!」

 すると良太が、プハーとどんぶりから顔を上げて勢いよく手を挙げた。藤崎は救世主を見たという顔で、

「おお、そうか! ガキには俺の味、わかるか。ファミリー向けのほうがあってるかもな。ちなみに何が一番旨かった、坊主?」

「ナルト!」

 そいつは市販品だ、良太。

 がっくりと肩を落とす店主にやや罪悪感を覚えていると、そこでふと、隣の元太が妙に静かなことに気付いた。レンゲで掬ったスープをじっと見つめて、何やら考え込んでいる。

「本物の乾物、か……」ぼそりと呟き、「なあ、福太」

「なに、兄貴?」

「あの飾り、やっぱり本物だったってことはないか?」

 ん? と福太はラーメンをすする手を止める。

「いやだから、それは最初にありえねえって──」

「なるほどね」

 すると店主をすっかりやり込めて沈黙させた学太が、訊きつけて口をはさんだ。

「よく考えると、それもなくはないね。もし、井戸木さんが言ってたように、娘の長谷川さんが、母親のしたことを何も知らないのであれば」

「うん? どういうことだよ?」

「母さんのケースと逆だよ。娘の長谷川さんは、家にあった本物の飾りを偽物と思い込んで、作品に使ってしまったんだ。あとから長谷川さんの母親がそのことに気付いても、言い出すことはできない。だってうちから弁償金を受け取っている以上、家に本物があるはずがないんだし」

 そうか、と福太もハッとする。仮に長谷川詩緒の母親が福太たちの母親を嵌めて、娘がそのことを知らなかったとする。もし詩緒が家にある本物の飾りを見つけても、母親はそれはあくまで「作り物のレジンの飾り」と説明するしかない。それに母親が飾りについての話題を避けていたのだとすれば、娘が井角あいみに詳しく話せなかったことも説明がつく。

「あの写真や動画じゃ、そこまで判別できないしね。と、すると──どうなる? 犯人が本物と気付いて盗んだのだとすると、やはり動機は金銭目的? だとすると──」

「だとすると?」

「……マイカ先生の犯人説も、再浮上する?」

 まさか、と福太が口を開きかけた、そのとき。

 ガラリと、店の戸が開いた。

「へい、らっしゃ──お。おばちゃん」

 奥でいじいじと寸胴のスープをいじっていた藤崎が、急に愛嬌のある声を出した。

 魚介系のスープが香る店内に、ぷうんと香水の匂いが混じる。新たに入ってきた客を見て、福太はあっと声を上げかけた。端正だがやや年齢を感じさせる顔立ちに、昭和のホステスのような派手で若作りの格好。

 神山園子。

 例の宝石店、「ジュエリー神山」のオーナー店主だ。

 神山は福太たちに気付くと、「おや……」と足を止めた。そして口の端を上げ、奥にいる店主に酒焼けした声を掛ける。

「坊。店の休日に知り合い呼んで、新作メニューの研究かい? 精が出るねエ」

「やだなあ、おばちゃん。店はやってるって。ちゃんと表見てよ。営業中の札、掛かってるっしょ?」

「あら、そうかい。風でひっくり返ってるだけかと思ったよ」

 神山はそう揶揄うように言って、カウンターの端に座ると、こちらに軽く会釈してきた。無視するわけにもいかず、福太たちも挨拶を返す。

「……どうも」

「この前は、いらない口出しをして悪かったね」神山は妙に猫撫で声で、「あそこの店主は知り合いなもんで、こっちもつい肩入れしちまって──疑って悪かったよ、坊や。アンタは正直もんだ」

 そう言って、一番近くにいた良太の頭を撫でた。彼女が言うのは、つい先日起きた事件のことだ。良太はその事件の目撃者だったのだが、神山に信憑性を疑われ、証言を取り下げろだのなんだのと、ひと悶着あったのだ(のちに公になった「真相」を訊いて、福太たちも大変驚いたのだが)。

「……どうかしたかい、坊や?」

 ふと、神山の手が止まった。見ると、良太が置物のたぬきのように固まっている。

 ──まずい。


井上真偽(いのうえ・まぎ)
神奈川県出身。東京大学卒業。二〇一四年『恋と禁忌の述語論理』でメフィスト賞を受賞しデビュー。一八年『探偵が早すぎる』がドラマ化され話題に。著書に『その可能性はすでに考えた』、『ベーシックインカム』、『ムシカ 鎮虫譜』などがある。

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