深明寺商店街の事件簿〈四兄弟編〉第2話後編 井上真偽

深明寺商店街の事件簿 第2話後編


 福太は焦った。実は良太はその事件について、警察にも話していない「とある秘密」を抱えている。それで神山にどういう態度をとっていいかわからず、フリーズしてしまったようだ。

 慌てて良太の肩を掴み、自分のほうへ引き寄せる。

「すみません。人見知りなんです、こいつ」

「そうかい? まわりの噂じゃ、子犬みたいに人懐っこいって聞いたけどね」

「おばちゃんの前じゃ、虎だって『借りてきた猫』みたいになっちまうよ」

 ヒヒヒ、と藤崎が小学生みたいな笑い声を立てる。

 神山は藤崎をひと睨みしてから、少し不思議そうに良太を見つめ、急にぐっと顔を近づけてきた。

「──アタシが怖いかい、坊や?」

 ごくり、と福太は唾を飲み込む。良太は真っ青な顔で福太の服にしがみつき、ブルブルと首を横に振った。お前それ、完全に怖がっているやつの態度だぞ──と福太は内心突っ込みつつ、ここはしらを切りとおすしかないと、ひたすらとぼけ顔を貫く。

 神山はしばらく良太の顔を覗き込んだあと、ふっと表情を緩め、静かに身を引いた。

「悪いね。怖がらせちまって。坊。お詫びにこの子に、アタシの奢りで甘いものでもやっといてくれよ。何かあるだろ、この店にも。そういう子供が喜びそうなもの」

 神山が厨房に声をかけ、立ち上がる。ついで店主を手招きで呼び寄せ、バッグから大きな茶封筒を出して手渡した。

「ちょっとこれについて、話したかったんだけどね。先客がいんなら仕方ない、出直すよ。坊。空いた時間にでも、こいつに目を通しといてくれ。またあとで電話するから」

 神山が出口に向かう。戸を開け、暖簾をくぐろうとしたところでふと足を止め、福太たちを振り返った。

「あ、そうそう──そういやあんたら、中学校で起きた事件のこと、調べてるんだって? リサイクル作品がどうのこうの、っていう」

 ドキリとした。福太は思わず狼狽しつつ、

「な……なんで、そのことを?」

「世間は狭いからね」神山はニヤリと笑って、「まあ、この前の償いに、一つ忠告しとくと──楽器屋のことは、水に流してやんな。あんたらの母親も、今さら昔のことを蒸し返されたくもないだろうさ」

 えっ? と学太が声を上げた。「それってどういう──」問いかける前に、暖簾が揺れ、戸が閉まる。香水の匂いが薄まり、良太がホッとしたように福太から体を放した。福太は唖然としつつ、同じく戸惑い顔の学太や元太と視線を交える。

「ガキ向けのデザートか。考えたこともなかったな……」

 藤崎がぶつぶつ呟きながら、業務用冷蔵庫を開ける。ゴソゴソあさり、「ほらよ」といかにもコンビニで売っていそうなプリンを出してきた。明らかに自分用だ。

「良太ちんよう。まあ、そんな怖がってくれるなよ。ああ見えておばちゃん、優しいところもあるんだからさ」

「例えば?」

 学太がピリピリした口調で訊き返す。

「例えば? 例えば──そりゃもちろん、あれだよ。ほら、あの、その、うーん、そうだなあ……」

 藤崎はしばらく思い悩んだあと、閃き顔でポンと手を叩き、

「思い出したぜ。『聖天しょうでん様の慈悲』だ」

「しょうでんさまの……じひ?」

「おうよ。おばちゃん、ああ見えて信心深いだろ? だから、悪いことをしたやつがいても、すぐには警察に突き出さねえんだよ。『仏の顔は三度、聖天様はちょいと厳しいから、二度までだ』っつって。

 店の品物くすねた、万引き犯とかな。つい一年くらい前にも、店のアクセを盗んだ女子中学生をとっつかまえたんだけどよ。そいつ、商店街でも有名な万引き常習犯だったらしくて、おばちゃん長々と説教してたけど、結局警察沙汰にはしなかったしよ」

「え?」と福太たちは驚く。学太が裏返った声で、「それって、深明寺中学しみちゆうの女子?」

「たぶんな」藤崎は指で輪を作って両目に当て、「こーんな丸眼鏡をした、デコの広い女子中学生でよォ。いかにも真面目な委員長タイプって感じで、とてもそんなヤンチャするやつには見えなかったけど。親が教育関係者とかで厳しいみたいで、そのストレスでやっちまったみてえだな。

 俺はたまたまその場に居合わせただけで、詳しくは知らねえけど。でもそいつ、またあとで楽器店のところでもやったみてえで、聖天様に会わす顔がないね、っておばちゃん、苦笑いしてたなあ。まあそっちも結局、警察には突き出さなかったみてえだけど」

 そこで藤崎は「あっ」と叫んで後頭部をペシリと叩き、

「いけねえ。このこと、誰にも話すなっておばちゃんに釘刺されてたんだ。お前ら、この話、内緒な」

 福太たちは、顔を見合わせた。

7

 福太たちは帰宅後、リビングで夜を徹して話し込んだ。

 良太を寝かしつけたあと、学太がお得意のノートで人間関係などを簡潔な図にまとめた(下記)。それをもとに、ああでもない、こうでもない、と議論を続け、気付けば空も白み始めた明け方の五時ごろである。

【人間関係】

人物図

 

【準備室に入った順番】

 長谷川詩緒&井戸木生真子 → 井戸木生真子 → 木暮学太 → 井手走華 → 井角あいみ

 

「とにかく」目の下に隈を作りながら、学太が言う。「水に流せってことは、神山さんは知ってたってことだよ。長谷川さんが、僕らの母さんに何をしたのか。もしあの紛失事件に何も裏がないのなら、水に流すのは長谷川さんのほうで、僕たちじゃないし。母さんが冤罪で金を騙し取られたのは、ほぼ確定だ」

「だとすると……どういうことになるんだ?」何杯目かの眠気覚ましのコーヒーを飲みつつ、元太が訊き返す。

「だとすると、あの飾りはやっぱり本物だったってこと」

「長谷川詩緒が、家にあった本物をレジンの偽物と思い込んで、使っちまったってことか?」必死に睡魔をこらえて、福太も話についていく。

「うん。もしそうなら、長谷川さんの母親は焦ったろうね。高価な宝石を持ち出されただけじゃなくて、なんといっても昔の犯罪の証拠が晒されてしまうんだもの。当時のことをどれだけの人が覚えているかわからないけど、もしあれが本物の宝石だとバレたら、何か疑問を感じる人が出てこないとも限らない。現に僕たちだって、こうして気付いたわけだし。だから母親は、あの作品がコンクールに出品される前に、何としてでも回収したかったんだ」

「でも、母親が直々に中学校に忍び込むわけにはいかねえだろ」

「うん。だからそこで、井戸木さんだよ」

「井戸木さん?」

「藤崎さんの話じゃ、井戸木さんは『エンジェル楽器』でも万引きを働いたはず。それでも警察沙汰にはなっていないってことは、長谷川さんの母親は事件を内々に処理したんだろうね。逆に言えば、長谷川さんの母親は井戸木さんの秘密を握っていることになる。だったら──」

「それをダシに、その子を意のままに動かせる、というわけか」元太がコーヒーの液面を見つめつつ、呟く。

「そう。だから井戸木さん、長谷川さんに対して従順なんだよ。母親に弱みを握られているわけだからね。

 まとめると、僕の推理はこんな感じ。まず、すべての黒幕は長谷川さんの母親。彼女は娘の作品に本物の飾りが使われていることに気付いて、娘に内緒で井戸木さんにその回収を命令する。弱みを握られている井戸木さんは断ることができず、友達を裏切ることに心を痛めながら、言われた通り飾りを盗む。

 タイミングが出展直前になったのは、やっぱり迷いがあったから。作品を壊したのはもちろん、真の目的を誤魔化すためだ。飾りだけ盗んだら、不思議に思われちゃうからね。木を隠すなら森の中、ってね」

「だがそれなら、あの『井』のメッセージは?」

「彼女の自作自演、だろうね。墨の乾き具合から、もし彼女の犯行に気付いて告発したとすれば次に入った僕だけど、僕はあんなメッセージ残してないし。『井』だけで止めたのは、準備室に入ったのは彼女が一番目で、あとから誰が入ってくるかわからなかったからじゃないかな。『井』と書けば井手先輩と井角さん、どちらかが入ってくれれば済むし、自分から入ってくれないときには誘導もしやすいしね。もちろん彼女自身も犯人候補に入るけど、ほかの二人に比べたら親友の井戸木さんが疑われるリスクは低いし。今も実際、井角さんがほぼ犯人扱いだしね」

 そうなの……だろうか。福太は眠気と戦う頭で考える。長谷川詩緒の母親がそこまで腹黒いとは思いたくないが、井手走華の母親にも粗悪品を売ったことがあったというし、井戸木生真子が楽器店で万引きを働いたというのもまた事実だ。井戸木生真子のあのオーバーリアクションは、元太に対する反応ではなかったことは確かだろう。

「だが……」元太が慎重に考える顔で言う。「それなら別に盗まなくても、偽物とすり替えればいいんじゃないのか?」

「偽物の飾りは、手元になかったのかも。神山さんが買い上げたままで」

「井手走華や井角あいみって子が盗んだってことは、本当にないのか? それにもし飾りが本物なら、マイカ先生も──」

「井手先輩や井角さんは、盗む理由が弱いね。腹いせが目的なら、作品を壊すだけで十分だし。それに自分が犯人だとわかってしまう証拠を、わざわざ持っていくとも思えない。あとさっき説明した通り、告発者と盗んだ人はたぶん同一人物だから。マイカ先生には盗むチャンスはあっても告発はできないから、やっぱり容疑者候補から外れる」

 福太は学太の話を吟味する。確かに井手走華や井角あいみなら、作品を壊す、あるいは壊れているのを発見した時点で、長谷川詩緒への腹いせはある程度済んだはずだ。また井手走華は「ゴミを偽装するのがうまい」と言ってたし、井角あいみは飾りを「自分への当てつけ」として見ているから、彼女らが本物の宝石だと気付いている可能性も低い。所詮作り物だと思い込んでいるものを、そこまでして盗みたいだろうか。

 目の肥えたマイカ先生なら、あるいは本物と気付くかもしれない。しかし業者と一緒に入った彼女には作品を壊すこともメッセージを残すことも難しいし、もし墨汁がかけられたのが部活中のことなら、マイカ先生が飾りを取ったときには墨は乾いていて、違う痕跡を残していたはずだ。

 ただ……。

「なんだか、納得いかないって顔だね、福太」

 気難しい顔で腕を組む福太を見て、学太が言った。

「気になるなら、言ってよ。福太の勘は、まあまあ当たるから」

「いや……」福太は耳の後ろを掻きつつ、「それだと、お前が最初に言ってた『なぜカタカナを漢字にしたのか』っていうのが、解決しねえと思ってさ。どうして井戸木生真子さんは、一度カタカナで書いた名前を、もう一度書き直す必要があったんだ? それにあの折れた竹串は?」

 学太は少し黙り込む。

「それは……やっぱり『井』のほうが、串で書きやすいと思ったからとか……。カタカナだと、ちょっと形が崩れれば、読み間違いされちゃうかもしれないし。竹串は単に、不注意で折っちゃったんだろ。まあどっちにしろ、些細なことだよ、それらは」

 ──福ちゃんは、私に似て勘が鋭いから。

 ふと、母親の言葉が脳裏に蘇る。

 ──何かおかしいと思ったら、どんな小さなことでもその感覚を大事にしてね。元ちゃんは完ぺき主義だし、学ちゃんはたぶん頭が良すぎて考えすぎちゃうタイプだから。そのみんなのバランスをとるのが、福ちゃん。

 元太がコーヒーを飲み干し、カチャリ、とカップを置いた。

「もし、学太の言う通りだったとしたら──俺たちは、どうすればいいんだ?」

 学太はまたしばらく押し黙ってから、ふうと息を吐きだす。

「どうにも、できない」

 眼鏡を外し、自分の気持ちをなだめるように布で拭き始める。

「だって、飾りが盗まれたってことは、肝心の証拠を隠蔽されちゃった、ってことだから。こっちがいくら糾弾しようと、あっちがしらばっくれれば、それで終わり。神山さんが『水に流せ』っていったのは、つまりそういうことだよ。僕たちが今さら蒸し返してもどうにもならないから、もう忘れろって意味。僕たちがこのことでいくら腹を立てても、母さんが草葉の陰で悲しむだけだ、って」

 学太が立ち上がる。絵本の並んだ棚の前まで行き、中から一冊を抜き出す。──〈幸福の王子〉。

「母さんは僕に、いろんなことを学べって言い遺したけど」学太は絵本をめくりながら、「学べば学ぶほど、世の中が嫌になるね。この〈幸福の王子〉、子供のころは単純に『王子は立派だなあ』くらいの感想しかなかったけど、今ははっきり皮肉だってわかる。この話は、『ただのお人好しは周囲の人間に感謝もされず、食い物にされるだけ』というこの世の真理を、痛烈に皮肉ってるんだよ。なんたって、『サロメ』を書いたオスカー・ワイルド原作だもの」

 母親の怜は、子供たちが生まれるたびに祝福の「誕生カード」を作った。そこには生んだときの気持ちや今後の想い、名前に込めた意味などが書かれていて、学太の学は当然、学びの学だ。もっとも母親自身が勉強嫌いだったので、どうもその「学ぶ」はいろいろ人生経験を積めといった意味合いだったらしいが──そんな親心に反し、当人はしっかりと勉強好きな秀才に育っている。

 ページが最後まで来たところで、本が手から滑り、床に落ちた。学太がそれを眺めるばかりで拾おうとしないので、福太は代わりに拾って棚に差し戻す。

「ねえ、福太」学太がぼそりと言った。「警察に突き出すより、もっと効果的な仕返しって、なんだと思う?」

 福太はぎょっとして弟を振り返る。

「何を考えてるんだ、お前?」

「……さあね」

 学太は硬い声で答えて、まだ夜が明けきらない窓の外を向く。

「僕も、よくわからない。ただ一つ言えるのは、現実では他人の幸福ばかりを願う〈幸福の王子〉なんてのは、まずおとぎ話の中だけの存在で──いるのは嫉妬の王子や、復讐の王子ばかりだ、ってこと」

 

 ──なんだか危なっかしいな、あいつ。

 高校の昼休み、剣道部の道場でコンビニ弁当を食べながら、福太は一人考える。

 あれはやはり、何か報復するつもりだろうか。学太は下手に頭がいい分、本気になればいくらでも悪事を働けそうで厄介だ。元太も普段は冷静で頼れる兄貴だが、母親が絡むとやや感情的になるので、はたして学太のストッパー役になってくれるかどうかは怪しい。むしろあの様子だと、話に加担する側な気がする。

 ──俺、どうすりゃいいんだよ、お袋。

 弁当を食べ終え、折った割り箸と容器をポリ袋に突っ込みながら、福太はため息をつく。それから傍らに置いていたノートを手に取って、胡坐の姿勢でかがみこんだ。自分の頭では情報を整理しきれないので、学太を真似してノートにまとめてみたのだ。

 といっても、紙面には名前やキーワードが矢印で雑に結ばれているだけで、学太のそれと比べたら月とスッポンだが。それでも何か学太の推理を覆すヒントはないかと、福太は目を皿にしてノートを見つめる。自分の「勘の良さ」とやらを信じるなら、やはりカタカナの件と、折れた竹串が気にかかるが──。

 しかめ面でノートと対峙していると、同じく弁当を食べ終えた圭人が、ひょいと前からノートを覗き込んだ。

「なんだそれ。兄貴の新作メニューのメモか?」

「これのどこが、料理の名前に見えるんだよ」

「だってここ、幸福な玉子たまごって──」

「玉子じゃなくて、王子おうじ。童話の〈幸福の王子〉」

 どういうボケだ。面倒なので適当にあしらっていると、圭人は暇を持て余しているのか、福太を割り箸でつついたりノートを頭で隠したりと、小学生のようなちょっかいを出してくる。非常にうっとうしい。

 ふと圭人が悪戯の手を止め、神妙な顔をした。

「もしかして……童話ってことは、母親絡みか?」

「……まあな」

 そうか、と圭人は呟き、急に大人しくなった。圭人とは小学校からの腐れ縁なので、もちろん福太の母親が絵本作家だったことも、早逝したことも知っている。

「〈幸福の王子〉っていや……」圭人が隣に膝を抱えて座り、昔を懐かしむように、「なんか、無理やりやらされたよな。俺たちも、そういう劇の手伝い」

「そうだっけ?」

「だよ。お前の母親に、子役が足りないからって強制的に参加させられてさ。俺たち二人で、腹をすかしたガキの役。で、ツバメ役の子が、出番直前になって恥ずかしがって、舞台袖のカーテンに隠れちまって。それで俺たちだけでなんとか場をつなげって、無茶振りされてさ」

 記憶力すげえな、こいつ。だが話を聞くうちに、福太もだんだん当時の記憶が蘇ってきた。確かツバメ役の子は、例の長谷川の娘だ。あの当時は福太も、長谷川の母親のことを普通に「自分の母親と仲のいい人」としか思っていなかった。まさかその相手と、こんなトラブルを抱えることになるとは──。


井上真偽(いのうえ・まぎ)
神奈川県出身。東京大学卒業。二〇一四年『恋と禁忌の述語論理』でメフィスト賞を受賞しデビュー。一八年『探偵が早すぎる』がドラマ化され話題に。著書に『その可能性はすでに考えた』、『ベーシックインカム』、『ムシカ 鎮虫譜』などがある。

【2022年「中国」を知るための1冊】金谷 治 訳注『新訂 孫子』/永遠の古典『孫子』からの警告
高樹のぶ子おすすめ4選――清澄な言葉で綴られた美学の世界を読む