深明寺商店街の事件簿〈四兄弟編〉第3話前編 井上真
(あらすじ)深明寺近くに住む、木暮四兄弟。長男の元太はイケメン料理人、次男の福太はごく普通の高校生、三男の学太は生意気な中学生、末っ子の良太は甘えん坊の小学生だ。中学校で起きた器物損壊事件を、明晰な推理で解決した学太。今度は怪しげな脅迫状を見つけてしまい……?
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。
「遁げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押そうとしましたが、どうです、戸はもう一分も動きませんでした。
奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、
「いや、わざわざご苦労です。
大へん結構にできました。
さあさあおなかにおはいりください。」
注文の多い料理店
原作:宮沢賢治
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「人間って、罪深いよな」
川に向かって釣竿を振りながら、圭人が言った。
「何だよ、急に」
食いつきが悪い疑似餌のワームを別のものにつけかえつつ、福太は訊き返す。
「だってよ。別に食うわけでもないのに、魚を騙して釣り上げるんだぜ? しかも使う餌まで偽物ときてやがる。こんなの二重の詐欺じゃん」
「お前、全然騙せてねえじゃん」
空のクーラーボックスを覗き込み、福太は言う。圭人はへへっと笑うと、慣れた手つきでルアーをしゅっと川の真ん中まで投げ込んだ。投げ方だけは一丁前だ。
川面がミラーボールのように煌めく、夏の天ツ瀬川。高校も夏休みに入った福太は、剣道部の仲間二人とともに、川に釣りに来ていた。川はつい最近、台風で氾濫したばかりで、いつもより水量が多い。福太としては海釣りに行きたかったのだが、増水後の川は大物が釣れるというほか二人の主張に押されて、泣く泣く付き合っている。
「だったら、食べるために釣ればいいんじゃないの?」
二人目の仲間、小太りの卓郎が、ふわあとあくびをしながら言った。卓郎は福太たちのように投げ釣りはせず、一人川岸の流木の集まるポイントに向かって、生餌でウキ釣りをしている。──あんな隅っこでなにを狙ってるんだ? フナ?
圭人が流木近くにルアーを投げ込み、言い返した。
「バスは食べられねえだろ」
「食べられるよ。ちゃんと下処理すれば、臭みも気にならないって」
「へえ……だったら、福太の兄貴に料理してもらおっかな」
「釣れたらな」
福太は釘を刺す。福太の兄・元太は、プロの料理人だ。たまに元太が作った弁当を持っていくと、仲間内でおかずのぶんどり合戦が起こる。
「福太の兄ちゃんと言えばさ」
卓郎が竿を小刻みに上下させながら、言った。
「『ウール・ド・ボヌール』ってあるじゃん。福太の兄ちゃんが働いている店。あそこって最近、経営方針が変わった?」
「え? 知らねえけど、何で?」
ウール・ド・ボヌールは、元太が勤めるフレンチレストランだ。若者も気軽に入れるカジュアルさと本場顔負けの味の良さが売りで、地元で知らない人はいない。
「いやさ。うちの母ちゃん、料理下手だろ。それは本当に旨い料理を知らないからだって父ちゃんが言って、奮発して家族で行ったんだよ。そしたら──」
「料理が不味かった?」
「いや。料理は評判通り旨かったんだけど、店員の態度が良くなくてさ」
「店員が? 嘘だろ。兄貴の店、接客にもかなり力入れてるはずだぜ」
「うん。僕もそう聞いてたから、ちょっとびっくりしちゃって。接客態度がどうのってより、そもそも日本語がよく通じない外国人スタッフが多くってさ。だから母ちゃん、すっかり腹を立てちゃって。『やっぱり料理は味より愛情よね』って、逆に開き直られちゃったよ」
「ふうん……」
福太は首を傾げた。確かあの店って、採用基準がかなり厳しかったはずだけどな。人手不足か?
「お前の母親、家族に旨いものを食わそうって愛情はないんかな」圭人が捻くれた感想を言ってから、卓郎に向かって顎をしゃくる。「ところでお前の竿、さっきから引いてね?」
「えっ? あっ──やば」
卓郎が慌てて竿を引き上げる。直後に「うおお」と歓声が上がった。釣り針に、茶色い枯葉のようなものが引っかかっている。
「なにそれ。ゴミ?」
「テナガエビ。こいつ、素揚げにすると旨いんだ。これなら母ちゃんも料理できる」
卓郎はガッツポーズで答えた。サバイバルみたいな食生活してんな、こいつ──福太は友人の食事情に同情しつつも、まあ、毎食用意してもらえるだけありがたいけどな、と、若干羨みの気持ちを抱く。福太は四兄弟で、母親を早くに亡くし、父親も海外に単身赴任中だ。家事は兄弟で分担するしかない。
ちなみに、今日の食事当番は自分。さて、夕飯は何にするか──そんなことを考えつつ、適当に竿を振ったのがよくなかったのだろう。釣り針が明後日の方向に飛び、川岸の茂みに引っかかった。
福太はちぇっと舌打ちする。これだから、川釣りは嫌いだ。
「とれるか?」
「大丈夫」
圭人に答えて、茂みに向かう。そこでおや、と足を止めた。よく見ると、針が引っかかっているのは草木ではない。川岸に転がっているクーラーボックスだ。
「何だ、それ?」
ついてきた圭人が、肩越しに覗き込んだ。
「さあ」
「誰かの忘れ物か? 釣り用にしちゃ、ちょっと大きいな」
「そういえば、この近くって食肉卸会社の倉庫があったよね」卓郎もあとからやってきて言う。「そこの備品じゃない? この前の川の氾濫で、流れてきたとか」
「食肉卸会社の倉庫のクーラーボックス? ってことは、中身は肉か?」
「でも、この暑さじゃさすがに腐ってるよね……」
腐ってなきゃ食べる気かよ。内心突っ込みを入れつつ、福太は蓋を開ける。そこでおっと呟いた。
圭人が食い気味に訊いてくる。
「何だった? やっぱり肉か?」
「肉──というか、肉関係──」
「本当? 僕にも見せてよ。レトルトや缶詰なら、ワンチャン食べられるってことも──」
「食うか?」
福太の手が、クーラーボックスの中に伸びる。
そこから拾って見せたのは、焼き鳥の特集本だった。
「福太兄ちゃん。オレ、もうニク食べない」
家に帰ると、末っ子の良太がそう宣言してきた。
泣いたのか、目の周りが赤い。何だ、腹の調子でも悪いのか? 福太が心配になって訊くと、良太はぶるぶる首を振り、ダッと自分の部屋に逃げ込んでしまう。
「アイツ、単純だなあ」
入れ替わりに、小柄で色白の眼鏡男子がリビングに入ってきた。三男の学太──地元の深明寺中学に通う、見た目通り小賢しくて小生意気な中学二年生だ。
「急にどうしたんだ? 良太のヤツ」
「授業の影響みたい。今日、小学校で『食育』の時間があって、それまでクラスで世話してた鶏をみんなで捌いて食べたんだってさ。それでショックを受けたんだろ」
それは切ない。良太は動物好きで、餌やり当番の日にはキャベツのクズを嬉しそうに持って行っていたことを福太は思い出した。代わりの動物でも飼ってやりたいところだが、ペット不可のマンションではそれもできない。
「そうか……けど困ったな。今日の晩飯、焼き鳥の予定だったんだが」
「焼き鳥? もしかして串真佐さんの?」
「いや」福太は持っていた雑誌を見せる。「手作り。これ、焼き鳥を特集した本でさ。ムック本っての? 店の紹介のほかにも旨そうなレシピが載ってたから、作ってみようと思って」
「へえ。ちょっと見せてよ」
学太が意外にも興味を示して、本を奪い取る。
「日本ヤキトリ愛好会……? 聞いたことのない出版社だな。深明寺商店街の店も一軒、紹介されてるね。やっぱり串真佐さんか。お、編集部が選ぶランキング二位じゃん。彼女、喜ぶな」
深明寺商店街とは、福太たちのマンションの近所にある商店街である。そこの「串真佐」という焼き鳥店は地元でも人気で、福太もよく利用する。ちなみに少し前、学太の通う深明寺中学で起きた事件をきっかけに、そこの三姉妹の三女と学太は仲良くなった。
「──あれ? なにこれ。落丁本?」
パラパラと本をめくっていた学太が、途中のページを見せてきた。ところどころ、虫食いみたいな四角い穴がある。
「知らね。前の持ち主が切り抜いたんじゃね」
「前の持ち主って……借りたの? このムック本」
「いや、拾った。河原で」
「河原で?」
学太が顔をしかめ、嫌そうに本を遠ざけた。
「もしかしてこれ、天ツ瀬川の河原に落ちてたの? 汚いな。そんなもの拾ってくるなよ」
「いや、クーラーボックスに入ってたし──それに値段見ろよ。買ったら千円くらいするぜ、これ」
「だからって、本そのものを持ってくる必要はないだろ。レシピのところだけ、写真を撮ってくればよかったじゃん」
その手があったか。福太は友人の真似をして、へへっと笑って誤魔化す。
「……まな板には置かないでよ」
学太はバイキンに触れるような手つきで本をつまんで返すと、早速洗面所に向かっていった。へいへい、と福太は肩をすくめ、粛々と台所へ向かう。
井上真偽(いのうえ・まぎ)
神奈川県出身。東京大学卒業。二〇一四年『恋と禁忌の述語論理』