『おぎん』(芥川龍之介)――わたしの偏愛的「芥川龍之介」論|SM小説家美咲凌介の名著・名作ねじれ読み<第13回>

大好評連載の第13回目。SM小説家の美咲凌介が、名だたる名著を独自の視点でねじれ読み! 今回は芥川龍之介の『おぎん』に注目。「泣ける話すなわち名作に非ず」と考えていた筆者でしたが……。偏愛的芥川論を語ります!

泣ける話すなわち名作に非ず

齢をとると涙もろくなる――という法則が、どこまで普遍性を持っているのか――この手のあらゆる法則めいたものの通例で相当に怪しいものだとは思うのだが、それでもわたし自身に関して言えば、この法則は当たっているようである。たしかに、五十歳をすぎてから、異様に涙もろくなった。下手をすると、ネットであちこち検索している途中、「亡くなった飼い主を待ち続ける犬」などといったタイトルをチラリと見ただけで、もう涙ぐんだりしている。そして、そんな自分を少し恥じている。

というのは、文学作品に関して言えば、わたしは昔から「泣ける作品すなわち名作」という考えに、きわめて懐疑的であったからだ。だから、「あんたはたくさん小説を読んでいるんでしょう? 何か一つ泣ける小説を教えてくださいよ」などとせがまれたりすると、いつも少しばかり嫌な気分になったものである。もっと正確には、そんな頼みごとをする相手に対して微かな軽蔑を感じていた、と言ったほうがいいかもしれない。

悲劇に酔い、気持ちよく泣く――というのは、たしかに心の健康上よいことにはちがいない。だから、そんな作品もあっていいだろう。しかし、「泣ける作品だから名作か」と問われたら、「そうとは限らないでしょう」と答えたい。

もちろん、文句なく名作であり、なおかつ気持ちよく泣ける小説はたしかにある。たとえばゲーテの『ファウスト第一部』、たとえばユーゴーの『レ・ミゼラブル』、また、たとえば伊藤左千夫の『野菊の墓』。だが、同じくらい泣ける小説でも駄作はある。たとえば――と、ここまで書いて、具体例を出すのは、やめることにした。その小説の作者や愛読者に憎まれてもつまらない。

自分の作品を読んで泣いたバカ

ともあれ、わたしはいわゆる「泣ける小説」を、あまり積極的に読みたいとは思わない。これは当然と言えば当然という気がする。もしもわたしが、悲劇的かつ涙であふれるような作品を好む人間だったら、自分で小説を書こうと思い立ったとき、「悲恋」だとか「親子の情」だとか、あるいは「苦闘する偉人」だとか、まあそういった題材へと向かったことだろう。ところが、実際にはSM小説なんぞを書き始めてしまったというのだから、そもそも資質的に「泣ける小説」には向いていないわけである。SM小説というものは、たとえ悲劇的なストーリーや場面があったとしても、それは性的な刺激を高めるための仕掛けであって、読む人を気持ちよく泣かせるようにはそもそも作られていないものなのだ。

ただし、結果的にどんなものができあがってしまうか、という問題は、作者の意図とはまた別である。というのはですね、実は先日、ほぼ二十年ぶりに自分の書いたSM小説を読み直して、自分で泣いてしまったのですよ。(ああ恥ずかしい。)

それは『美少女とM奴隷女教師』というタイトルの作品で、わたしの書いた二つ目のSM小説(ただし、活字になったものとしてはこれが最初の作品)である。この小説の中でS役の美少女が、M役のこれまた美しい女教師に向かって、自分がなぜその女教師をこんなにも辱め、痛めつけるのか、その理由を切々と語る部分があるのだが、そのくだりを読んでいると、あーら不思議、わたしの両眼に涙がとめどなくあふれ出してきたではありませんか。

これは、人間、齢をとると涙もろくなる、ということの一例なのか、それとも、「泣ける小説」であっても駄作はある、ということの一例なのか、はたまたこの作品がSM小説として見事に失敗していた、ということの一例なのか。おそらくは、その全部であるのだろうが、とにかく自分でも驚いたことでした。いや、まったく。

(もしSM小説の駄作を読むのも厭わないという奇特な方がいらっしゃるのならば、この『美少女とM奴隷女教師』という本、電子書籍としてはまだ買えるようですので、どうか御一読下さいませ。)

芥川が好きでした

さて、そんなことがあったにしても、ともかく齢をとる前のわたしは、「泣ける小説」に対してかなり冷淡なほうであった。おそらく、その理由の一端は、わたしの読書歴にあるようだ。思い返すと、わたしがむやみに小説を読み始めたのは高校二年生のころで、そのとき、近代日本文学には芥川龍之介から入っていったように記憶している。

思えばわたしは、本当に芥川が好きだった。芥川の小説(当時わたしは、角川文庫で集めていました)を一冊買ってくる。皆さんご存知のように、芥川龍之介の作品はほとんどが短編であるから、その一冊の文庫本には、たいてい十数作品、あるいはそれ以上の数の作品が載っている。それを一作、一作と読み進めていくのが、どれほど嬉しく、楽しかったか。そして、読み進めるにしたがって、残っている作品の数が少なくなっていくのが、どれほど惜しく、かつ恨めしかったか。

残りが二、三作品になったときの「ああ、もうすぐ全部読み終わってしまう」という、その気持ちが、どんなに切なかったか。そして、とうとう角川文庫で出ている作品を全て買い揃え、読み終えてしまったとき、芥川龍之介が既に死んでいて、もはや新作を書いてはくれないという当たり前の事実が、どんなに悔しく、悲しく思われたか。今こうして思い返してみても、実に幸福な読書体験でありました。

芥川龍之介の作風

さて、その芥川龍之介の作風はと言えば、これも皆さんご存じの通り、少しばかり皮肉っぽく、少しばかり理屈っぽく、物事を正面から見るというよりも、斜めから眺めてみたり、裏側から透かしてみたり――極論すると、どことなく冷笑的なところのある作風とでも言えようか。つまり、彼は、(少なくともわたしの目から見る限り)「全米が泣いた」式のヒューマン・ドラマなんてものは意地でも書かない、そんな小説家だった。

たとえば、芸術家の宿業を描いた悲劇的結末を持つ作品――としてよく知られている『地獄変』。あの作品にしても、読後うすら寒いような気持ち、陰鬱な気持ちになる読者はいても、「悲しみのあまり涙が止まらなかった」という読者は、おそらくほとんどいないだろう。したがって、読書体験の最初に芥川にはまったわたしもまた、気持ちよく「泣ける」物語よりも、なんだかちょっとひねたような作品を愛するようになっていったのだろう。

唯一の「泣ける」小説、それは『おぎん』

ところが、何にでも例外はあるもので、そんな芥川の作品の中で唯一、わたしが初めて読んだときに泣き、読み返したときに泣き、そのあらすじを友人に話して聞かせたときにも泣いてしまった、という珍しい作品がある。いわゆるキリシタン物の一つ、『おぎん』である。

ただし、全ての人がこの作品を「泣ける小説」と見なすかどうか、いささか疑問でもある。この作品を読んでからずっと、機会のあるごとに、わたしはいろいろな友人・知人に「読め読め」と勧めてきたのだが、「泣いた!」という人もいれば、「どうにもピンと来なかった!」という人もいて、なるほど人というものはわからぬものだという感を深くするばかりなのである。

昔、運のいい奴と悪い奴、男というものはその二通りしかいない、というような歌詞の歌謡曲があったと記憶しているが、わたしに言わせてもらえれば、『おぎん』を読んで泣く奴と泣かない奴、人というものは、この二通りしかいない、ということになる。そして、もちろん『おぎん』を読んで泣く人のほうが、わたしの同類というか同胞というか、まあ、わたしに近い人ということになるのだろう。ただし、ではその人が、わたしにとってつきあいやすい人間かどうかとなると、これはまた話は別。世に近親憎悪なるものがあって、まことに人間関係というものは難しい。
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『おぎん』ってどんな話?

さて、その『おぎん』というのは、いったいどんな小説なのか。まだ読んだことのない人のために、簡単にあらすじを紹介したい。

元和か寛永か、とにかく遠い昔の、キリシタンが迫害を受けていた時代、浦上の山里村におぎんという名の童女がいた。大阪から浦上へ流浪してきた実の両親が亡くなったため、おぎんは隠れキリシタンの孫七、おすみ夫婦の養女となり、自身も洗礼を受け、キリスト教徒として信仰深い日々を送っていた。ところが、ある年のクリスマスの夜、三人は役人に捕らえられてしまう。そして、牢に入れられ、キリスト教の信仰を捨てるよう迫られた。が、三人はどんな拷問にも屈しない。ついに役人は、おぎんたち一家を揃って磔にかけ、焼き殺すことにした。いよいよ火がかけられるという直前、役人は「教えを捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度考えてみろ」と棄教を迫った。すると、意外なことに、おぎんが突然「わたしはおん教えを捨てることにいたしました」と言い出したのである。驚く養父母に、おぎんは何と語ったか。(以下、引用部分中、「いんへるの」は「地獄」、「はらいそ」は「天国」の意。「ぜすす様」は「キリスト」、「まりあ様」は「聖母マリア」、「えわ」は「イヴ」。)

 

「わたしはおん教えを捨てました。その訣はふと向こうに見える、天蓋のような松の梢に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃるご両親は、天主の教えもご存知なし、きっと今ごろはいんへるのに、お堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいその門にはいったのでは、どうしても申し訣がありません。わたしはやはり地獄の底へ、ご両親の跡を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす様やまりあ様のお側へお出でなすってくださいまし。その代りおん教えを捨てた上は、わたしも生きてはおられません。……」

この言葉を聞いた養母おすみは、はらはらと涙を流す。孫七がそれを叱りつける。

 

「お前も悪魔に見入られたのか? 天主のおん教えを捨てたければ、かってにお前だけ捨てるがいい。おれは一人でも焼け死んで見せるぞ」
 「いえ、わたしもお供をいたします。けれどもそれは――それは」
 おすみは涙を呑みこんでから、半ば叫ぶように言葉を投げた。
 「けれどもそれははらいそへ参りたいからではございません。ただあなたの――、あなたのお供をいたすのでございます」
 孫七は長い間黙っていた、しかしその顔は蒼ざめたり、また血の色を漲らせたりした。と同時に汗の玉も、つぶつぶ顔にたまり出した。孫七は今心の眼に、彼の霊魂(アニマ)を奪い合う天使と悪魔とを見ているのである。もしその時足もとのおぎんが泣き伏した顔を挙げずにいたら――いや、もうおぎんは顔を挙げた。しかも涙に溢れた眼には、不思議な光を宿しながら、じっと彼を見守っている。この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心である。
 「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様もお母様も、――みんな悪魔にさらわれましょう」
 孫七はとうとう堕落した。

というわけで、三人共にキリストの教えを捨てることになったわけだが、わたしは今、この引用個所をキーボードで入力しながら、また不覚にも涙ぐんでしまった。皆さんはいかがでしたか?

信仰するがゆえに棄教する?

ところで、非常に芥川らしいと思うのは、このおぎんの棄教には、一つの逆説が隠れている、ということである。というよりも、むしろ露わになっている、というべきか。ふつう、宗教上の棄教というのは、信仰している教義なり伝説なり、それらをもはや信じなくなることをいう。たとえば、天主を信じている者は天国(はらいそ)へ迎えられ、不信心な者は地獄(いんへるの)へ堕ちるといった物語を、もはや信じなくなるということ、それが一般にいうところの棄教というものである。

ところが、おぎんはそれらの物語を全て信じている。そして、信じているが故に、ありがたい天主の教えを知らずに地獄に堕ちた両親を追って、自分も地獄へ行くために棄教するのである。

つまりこれは、「信仰が深い故の棄教」である。まことに芥川好みの逆説と言えるのではないだろうか。

そして、芥川の他の多くの作品の場合には、気持ちよく泣くことを妨げるこの逆説が、この『おぎん』においてだけは、わたしに大量の涙を流させる。それも、何度読んでも涙を流させる――というのは、芥川の文筆家としての、たいへんな技量のなせる業というほかはない。

考えてみていただきたい。いたいけな童女が最期まで信仰を守り、ついに幼い命を刑場に散らしてしまった。そういう「かわいそうな話」が涙を誘うというのなら、よくわかる。しかし、この『おぎん』では、まるっきり逆になっている。おぎんは棄教し、しかも(少なくともこの場では)生きながらえてしまう。そのうえ、養父母にまで信仰を捨てさせてしまったのである。ふつう、そんなストーリーだと、どうにもモヤモヤした居心地の悪い結末になりそうなところ、どうしたらこんなに切なく、哀しく、美しい物語に書き上げられるのか。

その謎を解く鍵は、もちろん「いんへるのへ参りましょう」、「みんな悪魔にさらわれましょう」という、おぎんの言葉にある。これを芥川は「あらゆる人間の心」から出た言葉だとしているが、さて、はたしてそうか。これは、特別に美しい人間の心からしか出てこない言葉ではないか、と汚れた心の持ち主であるわたしなんぞは、疑わざるを得ない。
Blurred light at night

『おぎん』とSM

高校時代に読んだこの『おぎん』という短編は、その後のわたしの文学観――というのは大げさだから、物語についての好み、とでも言い直そうか――に、かなり強い影響を与えたと思う。少なくとも、わたしのSM小説についての考え方、感じ方には多大の影響を与えたにちがいない。

といっても、別に、わたしは芥川龍之介のせいでSM小説家になったのだ、などと主張したいわけではない。そんなことを言い出すと、芥川にとっては冤罪ということになるだろうし、世の多くの芥川ファンからお叱りの言葉を頂戴することになるだろう。

そうではない。わたしはたぶん、『おぎん』を読まなくてもSM小説を書いていただろう。ただ、どんなSM小説を書くか、どんなSM小説を好んで読むか、という点で、『おぎん』はわたしにとって、決定的な意味を持つ作品だったと言える。

もう何度か書いたことだが、SM小説と一口に言っても、いろいろなものがある。たとえば、牢獄物といったタイプもある。牢獄の獄卒がS役で、こいつがもう実に悪辣な人間。そして、冤罪か何かでその牢獄につながれた人物が哀れなM役になる。そんな類いのものがあるが、これは(囚われの美女というモチーフを好むにもかかわらず)わたしがやや苦手とするタイプである。もちろん、手元にあれば読むだろうし、読んだらそれなりにおもしろいと思う――かもしれない。けれども、わたしの理想のタイプではない。

あるいはまた、悲惨な処遇を受けた人物が復讐者となって、かつての敵を嬲り尽くす――といったタイプのSM小説も考えられるだろう。(というより、きっと実際に書かれているだろう。)当然、復讐者がS、復讐される側がMということになる。いわば『モンテ・クリスト伯』型とでも言おうか。(そう言えば、『モンテ・クリスト伯』の終盤部は、非常にSM的風味に富んでいると思う。)『モンテ・クリスト伯』は十分におもしろい物語だったと記憶しているが、しかし、SMという視点から論じる限り、これもわたしの好みではない。

今、述べたような二つのタイプの場合、SMのSもMも、「いんへるのへ参りましょう」、という言葉を発する余地がないように思われる。だが、わたしの理想のSMでは、だれかが「いんへるのへ参りましょう」という言葉を――もちろんそのままの形ではなく、その精神を受け継いでということだが――発しなければならない。その言葉を発するのはSでもMでも、それはどちらでもかまわないが、いったん発せられたならば、SとMはそろって「いんへるの」へ堕ちる覚悟を決めなければならない。

「いんへるのへ参りましょう」、「みんな悪魔にさらわれましょう」――そうした言葉によって、もつれていた糸が突然すっきりとほどけるように、SM関係が定まる。はなはだ持って回った言い方で申し訳ないが、そんな物語が、わたしの書きたい(書いたとは言っていない)SM小説なのである。

だが、わたしは今、SMの話をしているのだろうか。それとも、もはやSMを超えて、人と人との愛について話しているのだろうか。ということは、「あらゆる人間の心」と書いた芥川は、やっぱり正しかったのだろうか。

芥川が愛おしい

最後に余談を一つ。

高校生のわたしにとって、芥川龍之介は手の届かない、偉大な先達だった。つまりは、自分よりもずっと年上の、大人びた人であった。だが、ずいぶん齢をとった今、その作品を読み直すと――たとえば、この稿を書くために『おぎん』を読み直すと、芥川の文章の若々しさに驚く。

『おぎん』の末尾には、次のような一節が添えられている。

 

この話はわが国に多かった捧教人の受難のうちでも、最も恥ずべき躓きとして、後代に伝えられた物語である。なんでも彼らが三人ながら、おん教えを捨てるとなった時には、天主のなんたるかをわきまえない見物の老若男女さえも、ことごとく彼らを憎んだという。これはせっかくの火炙りも何も、見そこなった遺恨だったかもしれない。さらにまた伝うるところによれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜じゅう刑場に飛んでいたという。これもそう無性に喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者ははなはだ懐疑的である。

五十代も半ばを過ぎたわたしなどの目からは、これは全くの蛇足のように見える。機知というよりも、稚気というべきではあるまいか。だが、芥川は、読者を涙にくれさせたまま終わるのが、少し気恥ずかしかったのかもしれない。いわば照れくささのような感じがあって、こんな言わずもがなの一節を付け加えたとも考えられる。とすれば、それもやはり若さゆえ、ということか。高校時代、老成した大人に見えていた芥川は、今のわたしの目には、なんだかいとけなさを残した若者に見える。

芥川龍之介は、三十五歳で死んだ。あまりにも若い。あまりにも愛おしい。

プロフィール

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/04/28)

今日のメシ本 昼ごはん
明治から現在までを見通す『大正知識人の思想風景 「自我」と「社会」の発見とそのゆくえ』