『蜘蛛となめくじと狸』(宮沢賢治)――強欲の罪|SM小説家美咲凌介の名著・名作ねじれ読み<第15回>

大好評連載の第15回目。SM小説家の美咲凌介が、名だたる名著を独自の視点でねじれ読み! 今回は宮沢賢治の処女作『蜘蛛となめくじと狸』に注目。一見すると、わかりやすい勧善懲悪の物語ですが、果たして本当にそうなのか? 美咲凌介が深く掘り下げます!

宮沢賢治の処女作

宮沢賢治は、割と好きな作家である。思い出に残る作品も多い。あれもいい、これもいいと挙げていったらきりがないが、「では最も印象に残っている作品は?」と問われたら、『蜘蛛となめくじと狸』と答えたい。なぜか。何度読んでも、この作品はわたしの胸に、妙に謎めいたわだかまりを残すからである。

ちなみに、このサイト(P+D MAGAZINE)の記事「【特集】宮澤賢治」によれば、この『蜘蛛となめくじと狸』は、賢治の処女作だとのこと。初めて書いた作品が、一読者に数十年にもわたって忘れられない印象を残したのであるから、やはり並外れた才能なのだろう。

 蜘蛛と、銀色のなめくじとそれから顔を洗ったことのない狸とはみんな立派な選手でした。
 けれども一体何の選手だったのか私はよく知りません。
(「青空文庫」から引用。ただし、特殊な読み以外のルビは省略。以下、引用部分は同様。)

こんな一節から『蜘蛛となめくじと狸』は始まる。このあと、蜘蛛、なめくじ、狸の「伝記」が順に語られるわけだが、ざっと要約すると、それは次のような次第である。

蜘蛛は、小さな巣を張って蚊を餌食にしたのをとっかかりに、次々に獲物を捕らえ、「女の蜘蛛」と結婚して子宝にも恵まれる。その後、ますます働いてあちこちに網を張り、たくさんの獲物をつかまえるものの、最後にはそれが腐敗し、親子ともども腐り果てて雨に流されてしまう。

なめくじは、「立派なおうち」に住んで、「林の中では一番親切」だと評判であったが、援助を求めてやってくる者を、だまくらかしては食ってしまう。かたつむり。そして、とかげ。そうして「途方もなく大きく」なったなめくじだが、最後には雨蛙にだまされて、逆に食われてしまった。

悪徳似非宗教家の狸も、頼ってくる信者を次々にだまして食ってしまう。最初にウサギ、次にオオカミ。やがて「からだの中に泥や水がたまって、無暗にふくれる病気」にかかる。そして、最終的にはやはり、蜘蛛やなめくじと同様に死んでしまうのである。

「うう、こわいこわい。おれは地獄行きのマラソンをやったのだ。うう、切ない。」といいながらとうとう焦げて死んでしまいました。

 なるほどそうしてみると三人とも地獄行きのマラソン競争をしていたのです。

こうして、この短い物語は終わりを告げる。一見、これはわかりやすい、いわゆる勧善懲悪物の、他愛ないお話、ということになる。

が、大学生のころ、初めてこの物語を読んだとき、わたしにはどうにも納得のいかない点があった。今でもやっぱり、すっきりとは呑み込めない感じがする。なめくじと狸は、わかります。うん。どっちも、明らかに相手をだましているからねえ。これはわかる。

なめくじの悪辣さ

ちなみに、このなめくじと狸――それぞれ善人ぶっているくせに実は悪辣、というイメージを、宮沢賢治はきわめてうまく表現している。せっかくだから少し紹介したい。まずは、なめくじから。困窮して訪ねてきたかたつむりが、「すこしばかりお前さんのためてあるふきのつゆを呉れませんか」と頼むと、なめくじは――

「あげますともあげますとも。さあ、おあがりなさい。」
「ああありがとうございます。助かります。」と云いながらかたつむりはふきのつゆをどくどくのみました。
「もっとおあがりなさい。あなたと私とは云わば兄弟。ハッハハ。さあ、さあ、も少しおあがりなさい。」となめくじが云いました。
「そんならも少しいただきます。ああありがとうございます。」と云いながらかたつむりはも少しのみました。
「かたつむりさん。気分がよくなったら一つ相撲をとりましょうか。ハッハハ。久しぶりです。」となめくじが云いました。

と、こんな具合に、見かけは陽気で親切。「ハッハハ」という笑い声は、このあと何度も繰り返され、それが読者にだんだんと耳障りに響いて、なめくじの悪辣さを感じ取らせるよう、うまく工夫されている。なめくじは結局、相撲でかたつむりを投げ殺してしまうわけだが、以下はその部分。

「もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげましょう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまいました。そこで銀色のなめくじはかたつむりをペロリと喰べてしまいました。

で、このなめくじはいったい何を表しているのか。わたしが勝手に解釈させていただくと、これはいわゆる村の実力者――一見親切で面倒見もよく、頼りがいがありそうに見えるが、実のところは村人の財産をかすめ取ったり、村の事業に便乗して自分の懐を肥やしたりする輩――といったところでしょうな。

『論語』に「郷原は徳の賊なり(村の善人というものは、徳の敵対者である)」という言葉がある。この「郷原」という言葉もいろいろと解釈されているが、わたしはこれも、この「なめくじ」のようなものではないか、と疑っている。村で善人と慕われる実力者の正体は、実は村人を食い物にする「なめくじ」なのだ、というわけ。――で、今、「村」と書いたが、こうした人物は村に限らず、人の集まりがあれば、どこにでも一人はいるような存在ではなかろうか。気をつけねばいかんですな。

もっとも、この「なめくじ」の解釈も「郷原」の解釈も、今わたしが自分の思うところを書き散らかしているだけなので、あまり信用なさらないように。この稿は、所詮「ねじれ読み」なのです。

これまた悪辣な狸

次は、狸。こちらは、さらにわかりやすい。要するに、似非宗教家である。このインチキ坊主が、ありがたい言葉でウサギをだまくらかすところを見てみよう。

「狸さま。こうひもじくては全く仕方ございません。もう死ぬだけでございます。」
 狸がきもののえりを掻き合せて云いました。
「そうじゃ。みんな往生じゃ。山猫大明神さまのおぼしめしどおりじゃ。な。なまねこ。なまねこ。」
 兎も一緒に念猫をとなえはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」
 狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり、なまねこ。なまねこ。」と云いながら兎の耳をかじりました。兎はびっくりして叫びました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいじゃありませんか。」
 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり。なまねこ。」と云いながら、とうとう兎の両方の耳をたべてしまいました。
 兎もそうきいていると、たいへんうれしくてボロボロ涙をこぼして云いました。
「なまねこ、なまねこ。ああありがたい、山猫さま。私のような悪いものでも助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ。なまねこ。」
 狸もそら涙をボロボロこぼして
「なまねこ、なまねこ、私のようなあさましいものでも助かりますなら手でも足でもさしあげまする。ああありがたい山猫さま。みんなおぼしめしのまま。」と云いながら兎の手をむにゃむにゃ食べました。

こうして、狸はウサギを食いつくしてしまうわけ。このあと同じ要領で、オオカミも食ってしまう。
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ところで、引用文中「念猫」というのは、言うまでもなく「念仏」のパロディだろう。先祖代々の浄土真宗の信者、つまり、念仏宗の一派の信者であるわたしとしてはカチンと来てしまうが、まあ歴史上、浄土真宗のお坊さんは数限りなくいたし、その中には信者を食い物にした悪人もいたであろう。そういう輩を批判しているのであって、浄土真宗自体への悪口ではないと解釈し、ここは矛を収めることにします。

――というわけで、なめくじと狸については、さほど大きな疑問はない。全く罪深い奴らである。「地獄行きのマラソン」をしていたと評されても仕方あるまい。

蜘蛛に罪はあるか?

問題は、蜘蛛である。蜘蛛にはいったい、どんな罪があったのか。少し子細にその伝記を追ってみよう。それはこんな風に始まる。

 蜘蛛は森の入口の楢の木に、どこからかある晩、ふっと風に飛ばされて来てひっかかりました。蜘蛛はひもじいのを我慢して、早速お月様の光をさいわいに、網をかけはじめました。
 あんまりひもじくておなかの中にはもう糸がない位でした。けれども蜘蛛は
「うんとこせうんとこせ」と云いながら、一生けん命糸をたぐり出して、それはそれは小さな二銭銅貨位の網をかけました。

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蜘蛛が網をかける。これは、蜘蛛なんだから、まあ当然と言えば当然。罪とは言えまい。「うんとこせうんとこせ」という掛け声には、働き者の愛嬌すら感じられる。

この網に次々と獲物がかかり、蜘蛛は次第に肥え太っていくのだが、これも持って生まれた習性であるから、致し方のないところ。ただし、網にかかった獲物たちに対して、蜘蛛は容赦がない。たとえば、最初に蚊がかかったとき。

 蚊は「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」と哀れな声で泣きましたが、蜘蛛は物も云わずに頭から羽からあしまで、みんな食ってしまいました。

次は、かげろう。このかげろうは、郷里に住む娘に哀切な遺言を残す。ちょっと長くなるが、この遺言の部分から引用しておくことにしましょう。

「あわれやむすめちちおやが、
 旅ではてたと聞いたなら、
 ちさいあの手に白手甲(しろてこう)、
 いとし巡礼(じゅんれ)の雨とかぜ。
 もうしご冥加(みょうが)ご報謝と、
 かどなみなみに立つとても、
 非道の蜘蛛の網ざしき、
 さわるまいぞや。よるまいぞ。」
「小しゃくなことを。」と蜘蛛はただ一息に、かげろうを食い殺してしまいました。そしてしばらくそらを向いて、腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて
「小しゃくなことを言うまいぞ。」とふざけたように歌いながら又糸をはきました。

――という具合で、蜘蛛は自分の獲物に対しては、全く同情を見せない。この点が罪なのだろうか。しかし――しかしですよ。誰が自分の食い物に、いちいち同情するだろうか。わが身にあてはめてみれば、すぐわかる。肉を食うたびに「牛さん、ごめんなさい」「豚さん、ごめんなさい」と、涙を流す人はいない。いや、もちろん、動物を食する残酷さを嫌って、菜食主義者になる人はいるだろう。だが、突き詰めればそれは程度の問題にすぎない。菜食主義の人たちも、植物は食うわけである。そして植物もまた生き物だ。菜食主義者だって、食事の度に「ほうれん草さん、ごめんなさい」「アスパラガスさん、ごめんなさい」と涙を流すわけではなかろう。

だから、ここまでは、蜘蛛はさほど大きな罪は犯してはいない、ということになる。もちろん仏教的見地から言えば――そして宮沢賢治は間違いなく仏教者であったが――生きること自体が罪なのかもしれない。しかし、その見地からすると、生き物は皆、例外なく罪深いのであって、蜘蛛だけが特別に「地獄行きのマラソン」の走者だったとは言えない。

蜘蛛は愛すべき働き者?

もう少し、先を見てみよう。どうなるか。蜘蛛が葉のかげに隠れていると、どこからか、いい声で歌う歌声が聞こえてくる。見ると、「きれいな女の蜘蛛」がいたので、蜘蛛は「糸を一本すうっとさげて」やる。

 女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二人は夫婦になりました。網には毎日沢山食べるものがかかりましたのでおかみさんの蜘蛛は、それを沢山たべてみんな子供にしてしまいました。そこで子供が沢山生まれました。ところがその子供らはあんまり小さくてまるですきとおる位です。
 子供らは網の上ですべったり、相撲をとったり、ぶらんこをやったり、それはそれはにぎやかです。

読みようによっては一庶民の微笑ましい奮闘記と、とれないこともない。実際、このあたりの表現には、生きる者へ向けた賢治の慈愛のようなものすら(わたしには)感じられる。なめくじや狸の描写には見られない好意的な表現だ。自己の生活向上のため努力する、この蜘蛛の生き方が「地獄行き」なのだとしたら、高度経済成長期の日本のサラリーマンなどは、ほぼ例外なく地獄行きということになるだろう。そうなのか? そうなのかもしれないが……。

 二百疋の子供は百九十八疋まで蟻に連れて行かれたり、行衛不明になったり、赤痢にかかったりして死んでしまいました。
 けれども子供らは、どれもあんまりお互いに似ていましたので、親ぐもはすぐ忘れてしまいました。

この、死んだ子どもに頓着しないところが、罪なのだろうか――と、初めて読んだ大学時代にちらりと思ったことは、今でも憶えている。だが、二匹の親から生まれた子が二匹生き残る、というのは、生物学的にはバランスがとれているということであり、生物学に関心のあった宮沢賢治がそれを知らぬはずもあるまい。したがって、子が二匹生き残ったらそれでよし、死んだ子のことをむやみに悲しんでも仕方ないというのは、蜘蛛にしては当然の態度ではあるまいか。

蜘蛛の破滅

この間、なめくじと狸から、からかわれたり嘲られたりした蜘蛛は、負けず嫌いを発揮して、ますます勤勉に働く。そして、それが破滅の引き金を引いてしまうのである。

 それからは蜘蛛は、もう一生けん命であちこちに十も網をかけたり、夜も見はりをしたりしました。ところが困ったことは腐敗したのです。食物がずんずんたまって、腐敗したのです。そして蜘蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人(よったり)は足のさきからだんだん腐れてべとべとになり、ある日とうとう雨に流れてしまいました。
 それは蜘蛛暦三千八百年の五月の事です。

「強欲」は果たして罪か?

自分の食い扶持以上のものを稼ぎ出す。おそらく、蜘蛛に罪があったとすれば――あるいは蜘蛛の罪の中で最も大きなものはと言えば――それは、この一点にかかってくる何かだろう。すなわち、キリスト教七つの大罪の一つに数えられる「強欲の罪」である。

この蜘蛛も、自分たち夫婦と二匹の子どもの食い扶持を稼ぐだけで満足していれば、地獄には行かずに済んだ。それを、欲をかいて食いつくせないほどの獲物を貯め込んだために、報いを受けたのである。身の程を超えた強欲は、結局は身を亡ぼす元になるものだ。

――と、このようにまとめてしまえば、わかりきったような話になる。しかし、本当にそうか? 強欲は、本当に罪なのか?

「欲張りはだめじゃん!」と多くの人は、おっしゃるかもしれない。だが、ちょっと考えてみてほしい。欲張りはいけない、という同じ口で、われわれは世間のお金持ちに対して、ずいぶんと称賛の言葉を贈っているではないか。「自分の食い扶持以上のものを稼ぎ出すこと」が本当に大罪であるならば、経済界のリーダーだとか、業界の雄だとか言われているあの人たちは、みんなそろって「地獄行きのマラソン」の上位ランナーということになるが、それでいいのか。

金銭というものは、蜘蛛の獲物とちがって腐ることはない。だから大丈夫。いえいえ、そんな話ではないでしょう。食物が腐敗するというのは喩えであって、賢治の言わんとするところは、要するに大金持ちというのは、例外なく人間が腐り果てている、ということなのだから。

まあ、たしかに宮沢賢治から見ると、そうなのかもしれない。実際、賢治は大金持ちどころか、ちょっとした小金持ちになることすら頑なに拒否する、まさに清貧の鏡のような人生を歩んだ人でした。

ハーレム志向の罪

もっとも、世のお金持ちのことはどうでもいいと言えば、どうでもいいことである。わたしには、あまり関係のないことだから。ここ五年ほどのわたしはと言えば、毎日毎日パソコンに向かって、(主に名前の出ない)原稿を書いて命をつないでいる――それでようやく自分一人の食い扶持を稼いでいる(他にいくつか掛け持ちの仕事あり)という――まあ、今流行のワーキングプアって奴? それでありますから、金銭的な意味での「強欲の罪」からは逃れられている、というわけ。

だが、問題は、わたしのSM的志向のほうである。わたしが強欲の罪に関わりがあるとすれば、こちらのほうだろう。わたしのこれまで書いてきたSM小説のほとんどは――そして、今書き直しているものも――ぶっちゃけた言い方をすれば「ハーレム型」なんですね。つまり、M役の人物が一人では物足りない。もう一人、また一人と、獲物を増やしていかなければ気が済まない、というタイプなのであります。これは、『蜘蛛となめくじと狸』に出てきた蜘蛛と、非常に似ているのではあるまいか。

単にSM小説を書く、ということであれば、S役が一人、M役が一人という設定でも書けるわけである。だが、わたしはこれまで、そうした小説をほとんど書いたことがない。(一冊だけ、萩原礼という名義で書いた『獣愛の絆 未亡人兄嫁と少年』というのがあるが、これは例外。)このことは、わたしの中に「強欲の罪」が巣食っていることの、紛れもない証なのではないか、という気がするのである。

とすればですよ、つい今書いた、金銭的な「強欲の罪」から逃れられているという宣言も、はなはだこころもとないことになってくる。たしかに現実には、強制的に逃れられてはいる。けれども、本性という点では相当に危うい。もし何かの拍子に運に恵まれて(いや、むしろ祟られて?)、大金を得ることのできるような立場になったとしたら? わたしは、ずいぶんとみっともない強欲ぶりをさらけ出してしまうのではないか。

美咲凌介、阿弥陀様に感謝する

だから、おそらくわたしは、大金を稼ぐことのできない自分の能力のなさ、運気の巡り合わせに、感謝しなければならないのだろう。創作物の世界は別にしても、少なくとも現実の世界では、強欲の罪――すなわち過剰な所有の罪から逃れられているのだから。だが、誰に? やはり浄土真宗の一信者としては、阿弥陀様に感謝を捧げるべきか。

阿弥陀様。わたしを、稼ぎすぎない程度の境遇に置いてくださって、ありがとうございます。ありがたや、ありがたや、なまねこ、なまねこ。おっと、間違えた。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。

プロフィール

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/06/23)

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