髙村 薫さん『我らが少女A』

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未解決事件の集合記憶
著者近影(写真)
髙村薫さん近影
イントロ

 直木賞受賞作『マークスの山』から始まる〈刑事・合田雄一郎シリーズ〉の第六作『我らが少女A』が刊行された。第一作発表時から四半世紀の時間が流れ五七歳になった合田が直面するのは、約一二年前に発生した未解決殺人事件だ。
 作者自身が「ミステリーではない」と証言する本作は、どのように構想され、何を指標に書き進められていったのか。


 二〇一七年早春、警察上級幹部を育成する研修施設・警察大学校で、合田雄一郎は教授を務めている。勤務地の最寄り駅である西武多摩川線多磨駅前は、武蔵野と呼ばれる自然豊かでのどかな風景が広がる土地だ。しかし、一二年前のクリスマスの朝、駅前に広がる野川公園内で元美術教師の老女が殺され遺棄された。のちに未解決事件リスト入りした通称「野川事件」を担当していたのは、かつて警視庁捜査一課に所属していた、合田だ。シリーズ第六作『我らが少女A』はこの事件を巡り、一二年前の過去と現在が交錯していく。

 着想の始まりは、五七歳という合田の年齢だったという。

「私自身が生きている同時代の空気を描くシリーズでありたい、という思いは最初の頃からありました。その結果、合田は巻を追うごとに歳を取っていく形になったわけなんですが、五〇代後半ともなれば以前のように現場に出て走り回る年齢ではないんですよね。じゃあどんな立場にするのがいいだろうかと考えていた時に、知人から警察大学校について話を聞く機会がありました。そこで二年ほど教えて、本庁に戻って管理官になるというのが警察官にとってのエリートコースの一つだそうです。合田はこれまでいろんな事件を解決へと導いてきましたから、そのコースに乗るのは違和感がないなと思いました」

 実は、警察大学校の校舎は二〇〇一年に中野から府中市へと引っ越していたのだが、「私の母校であるICU(国際基督教大学)の真裏が、野川公園です。その先に、調布飛行場。あの近辺には土地勘があったんですよ」。物語の舞台となる土地を決めることは、作家にとって何より重要なことだ。

「舞台をA市やB街、C地方にするという書き方は、私にはできないんです。名前があって実在する、固有の匂いや風景を伴った土地のうえに、人間を立たせる。そうすることで、それぞれの人間の顔が見えてきて、小説が動き出すんです」

 警察大学校の教授が、現在進行形の凶悪事件を捜査するのは現実的ではないだろう。そう判断した結果辿り着いた「未解決事件の再捜査」という題材も、武蔵野の土地だからこそリアリティを持って描くことができたのだ。

「現地へ久しぶりに足を運んだんですが、私が大学に通っていた頃と、あまり変わっていないなと感じました。時計の針が止まっているような、不思議な感触がこの土地にはある。未解決事件というのはどの土地でも起こり得るものですが、変化していく時代の中で、だんだん埋もれて風化して忘れられてゆくものです。それに加えて、都心のように時々刻々と風景が変わり人々の流動性も高い土地であったならば、何かの拍子に事件を振り返るとなった時、たぶん記憶を蘇らせることすら難しい。時計の針が止まっている武蔵野を舞台にするのであれば、土地や人々の中に、事件の記憶は比較的鮮明に残っているんじゃないかと思えたんです」

一〇〇〇字で完結する三五五個の物語を紡ぐ

 もちろん、住人たちは常に過去に囚われているわけではない。一二年前の未解決事件が現在に浮上するきっかけは、池袋で発生した風俗嬢殺害事件だ。この土地の出身である上田朱美は、彼女を殺めた犯人であり恋人でもあった男に生前、「野川事件」への関与をほのめかしていた。合田は当時一五歳だった朱美──少女Aを、参考人の一人として取り調べていたことを思い出す。一二年前の事件の関係者たちもまた、当時の状況を想起すると共に、長らく音信不通だった朱美についての記憶を蘇らせる。その様子を、多視点群像形式で描き出していく。

「合田を含めたいろいろな人間が朱美について語り、その断片がいくつも折り重なったところに、彼女のおぼろげな人物像が見えてくる。かと言って、それが正しいかどうかは分からないんですけどね」

 なぜなら朱美は全五三六ページからなる物語の序盤、わずか二六ページ目で死んでしまうからだ。朱美本人が事件当日の行動や、自身の内面を「告白」することは絶対に叶わない。

「朱美を生かしておくと、いわゆる犯人探しになってしまいます。彼女が犯人なのか否かというところに、読者の興味が集中してしまう。それは避けたかったんですよね。死んでしまった以上は、本当に犯人なのか、ましてやどんな動機で事件を起こしたのか、誰も知りようがありません。ミステリーとしては大事なピースが欠けている、もっと言うとこの作品はミステリーではないということを、なるべく早い段階で読者に提示しておきたかったんです」

髙村薫さん


 あえて「ミステリー的」な書き方を回避した理由は、連載形式にあった。本作はもともと、一回約一〇〇〇字、丸一年三五五回にわたる新聞連載だったのだ。

「もしも書き下ろし長編であれば、物語全体の設計図を練り上げて、例えば〝序盤のあのエピソードが伏線だったんだ〟と驚いてもらえるような書き方をしたんだと思います。でも、新聞連載である以上は、読者さんがあらすじや伏線などをさほど気にせずとも、とにかく目の前の一話を楽しんでもらえるものにしたかった。新聞連載はイラストレーターさんの手による挿絵が毎回付きますから、送った原稿をやっぱり書き直したいですとは言えない、後戻りできないという切羽詰まった状況も大きかったと思います。つまり形式が、内容を決めたんですよね。結果的に全体の話の流れは自分の中で把握しつつ、一〇〇〇字で完結する三五五個の物語を一つ一つ、積み上げていく書き方になりました」

 あくまで物語の中心にあるのは、一二年前の未解決事件だ。しかし、本作においてその「謎」は、読者を物語に惹きつけるための吸引力であり、遠く離れた登場人物たちを繋ぎ合わせる磁力にすぎない。西武多摩川線多磨駅の駅員である小野雄太、一二年前に殺された栂野節子の孫娘で主婦の佐倉真弓、真弓のストーカーだという疑いを当時かけられていたADHD(注意欠如多動性障害)の浅井忍……。作者が本作において描き出そうと腐心したのは、少女A──朱美に関する記憶の断片を紡ぐ、十数名に及ぶ事件関係者たちの人生そのものなのだ。

「この小説に出てくる登場人物たちはみな、市井の人間です。彼らのごく普通の日常が、特別なものであると感じられるようになるというのが、小説の力だと私は思っています。その際に、書き手の側の心構えとして言えることは、書こうとしている人物の些細な言動を大事にするということですね。例えば、その人物が電車に座っていたり、部屋でテレビを見ているといった本当になんてことない仕草を、〝どうでもいいことだよね〟と筆を滑らせるのではなくて、きちんと想像して描写する。それを繰り返すことで、他の誰でもない、その人の人物像が立ち上がってくるんです」

人々は立ち止まらずに幸福を求めて前に進む

 ここまで「個人」にこだわった背景には、時代の流れとともに、重ねてきた人生からの影響もあった。

「昔は、大きなことばっかり見ていたんです。『レディ・ジョーカー』(一九九五年〜一九九七年に執筆された〈合田シリーズ〉第三作)なんて特にそうで、物語の中で〝バブルの頃に日本が稼いできたお金はどこにいったんだ?〟と追及したり、作品を通して時代を描きたいと思っていた。若気の至りです(笑)。歳を取るとともに、大きな社会問題だとか社会正義を扱うよりも、この社会で生きている個人の、それぞれの人生を見つめたくなったんですよ」

 その視線が、これまでにない読後感を導くこととなったのだ。本作は合田シリーズにおいて初めて、読み終えると温かな気持ちになる。

「一二年前の未解決事件の集合記憶が蘇ることによって、年月を経て疎遠だった人と人が繋がったり、わだかまっていた関係がほぐれたり、自分の人生を振り返る機会を得ることになる。そうすることで、登場人物たちの人生がそれぞれのやり方で、一歩進むんです。過去にどんなにひどいことが起こったとしても、今が本当にひどい世の中になってしまったなと感じていたとしても、それでも人々は立ち止まらずに、幸福を求めて前に進もうとしている。同時代を生きる、そんな〝我ら〟の姿を描きたかったんです」
 


我らが少女A

毎日新聞出版 本体1800円+税

池袋で女性が殺された。逮捕された男によると、殺された女性は、過去の未解決事件に関連するものを所持していたという。一二年前、元中学美術教師が殺害された事件の担当刑事だった合田の脳裏には、ある少女が浮かび上がる──。


 

著者名(読みがな付き)
髙村 薫(たかむら・かおる)
著者プロフィール

1953年大阪府生まれ。90年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞し、デビュー。93年『マークスの山』で直木賞、同年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞長編部門、98年『レディ・ジョーカー』で毎日出版文化賞、2010年『太陽を曳く馬』で読売文学賞、17年『土の記』で野間文芸賞を受賞。その他の著書に『新リア王』『冷血』など多数。

〈「STORY BOX」2019年10月号掲載〉