佐藤 優「危機の読書」〈第3回〉私はいかに危機を乗り越えたか

佐藤 優「危機の読書」〈第3回〉私はいかに危機を乗り越えたか

『なぜ私は生きているか』(ヨゼフ・ルクル・ フロマートカ/著)  前編


危機の読書
危機を、そこに巻き込まれている人間の内面的な 観点から切り離すことはできないのだ。 ―『後期資本主義における正統化の問題』より

 新型コロナウイルス(COVID-19)による感染症の拡大で、危機という言葉を日常的に耳にするようになった。もっとも日本語の危機には、英語でいうリスク(risk)とクライシス(crisis)の両概念が含まれている。リスクとは、予見可能な不利益な出来事を指す。リスクに対する対応は可能だ。危機管理マニュアルに記されている方策は、リスクとしての危機を前提にしている。

 これに対してクライシスは、遥かに深刻な事態を指す。

〈危機とは、ギリシア語の「分離」を意味することば krinein に由来しており、元来、回復と死の分岐点になるような、病状の突然の決定的な変化を示唆する医学用語として用いられてきた。そうした語源から、危機とは通常、ある状態の安定に否定的に影響を与えるような不測の緊急事態の発生、もしくはある事象の決定的または重大な段階を示す分水嶺とみることができる。したがって、そうした危機は、人間個人に始まって家族、企業、地方の自治体、一国の政府、そして国家間関係といったすべての領域次元において生じ、さらにその危機の内容も、人間個人の肉体的、精神的な面から、国家の政治経済や社会の体制危機、大規模な自然災害、放射能漏れなどの重大事故、大量殺傷型テロなどの重大事件など多岐にわたっている〉(『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、ジャパンナレッジ版)。

 クライシス(重篤な状態)になった患者が峠を越えられないと死んでしまう。従って、クライシス対策ならば生き残るために何をしてもいいことになる。

 コロナ禍がリスクの閾値を超えた危機であることは間違いない。ただし、数年後にはワクチンが普及するか、大多数の人々が自然免疫を獲得し、コロナ禍は終息することはほぼ確実だ。人類の大多数は生き残る。日本国家も日本人も生き残る。とすれば、新型コロナウイルスは、感染症という観点だけから見ればわれわれの生き死にに関わるクライシスではない。

 しかし、コロナ禍が引き起こした経済や人々の心理に与える影響を総合的に判断した場合、現在起きている事態はクライシスとしての危機だと言える。この点に関するドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスの説明が興味深い。

〈危機の概念は、学問的な議論に入る以前に医療での用語法でおなじみである。そのさい、われわれが思い浮かべるのは、病気の進行過程において、生体・有機体の自然治癒力が快復するのに十分あるかどうかが決まる局面である。病気という危機的な経過は、なにか客体的・客観的なものであるように見える。たとえば、感染症は生体への外部からの作用によってひき起こされ、その生体がそうであるべき状態、すなわち健康という正常な状態から逸脱しているかどうかを観察することができ、経験的な数値を用いてそれを測定することができる。そこでは患者の意識はいかなる役割も果たしていないことになる。患者がどのように感じているのか、病気をどのように体験しているのかは、せいぜいのところ、患者自身はほとんど影響をおよぼすことができないことをうかがわせる出来事の徴候にすぎない。そうはいっても、医療の現場で生きるか死ぬかという段におよんで、それがたんに外部から観察される客体的・客観的な経過の問題でしかなく、患者の主体性・主観性はこの経過にまったく巻き込まれていないとしたら、われわれはそのようなものを危機とはいわないだろう。危機を、そこに巻き込まれている人間の内面的な観点から切り離すことはできないのだ。患者が病気の客体性にたいして無力感を覚えるのは、ただ、みずからの力を完全に掌握した主体である可能性を一時的に奪われ、受動的であるように強いられた主体になっているからにほかならない〉(ユルゲン・ハーバーマス[山田正行/金慧訳]『後期資本主義における正統化の問題』岩波文庫、2018年、11~12頁)

 新型コロナウイルスに引き寄せて言うならば、感染者数や死者数などの客観的指標よりも、それをわれわれが主観的にどのように受け止め、行動するかが重要になる。ハーバーマスの言葉を用いれば、「危機を、そこに巻き込まれている人間の内面的な観点から切り離すことはできない」ということになる。危機とは、人間の外部で起きる出来事と内面的な受け止めとの総合によってとらえられる概念なのだ。

焼け焦げた人の臭い

 筆者は過去3回の危機に直面した。いずれも歴史的事件に関係している。

 第一が1991年8月に起きたソ連共産党守旧派によるクーデター事件だ。クーデター派は3日しか権力を掌握できなかった。しかし、その後、ソ連は解体過程に入る。筆者は日本の外交官として、この過程を目撃することになった。共産党の一党独裁体制下、強大な軍事力と秘密警察の監視網を張り巡らせた帝国もあっけなく自壊してしまった。

 この経験から危機の克服に失敗すると、日本国家も簡単に崩壊してしまうという認識を筆者は持つようになった。このときから筆者は日本国家の生き残りを真剣に考えるようになり、北方領土交渉に文字通り命懸けで取り組んだ。 この過剰な危機意識のために筆者の立ち居振る舞いは普通の外務官僚から徐々にずれていった。そして、北方領土絡みの鈴木宗男事件に連座して、東京地方検察庁特別捜査部によって逮捕されることになった。

 第二が1993年10月のモスクワ騒擾事件だ。91年8月のクーデターに命懸けで抵抗し、勝利したのがロシアのエリツィン大統領らのグループだった。この人たちの間で些細な権力闘争が起きた。それが非和解的な対立に発展し、エリツィン大統領派と最高会議(国会)派(ルツコイ副大統領、ハズブラートフ最高会議議長)がモスクワで武力衝突を起こした。大使館の前でも銃撃戦が起きた。

 翌日にエリツィン大統領が秘密警察の特殊部隊と正規軍を投入し、力で最高会議派を鎮圧した。戦車で最高会議ビルに大砲を撃ち込み、火災が発生した。あのときの焼け焦げた人の臭いが、筆者の脳裏に焼き付いている。ふとした危機にあの臭いが甦ってくる。

 エリツィンの決断があと1日遅れていれば、モスクワは内乱状態になり、外国人もそれに巻き込まれた。筆者が命を失う可能性が最も高かったのがあのときだったと思っている。

 第三が、前二つの出来事と較べるとスケールは遥かに小さいが、2002年5月に鈴木宗男事件に連座して東京地検特捜部に逮捕され、512日間、東京拘置所の独房に勾留されたときのことだ。この経験については『国家の罠──外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)に詳しく記したのでこの場でその内容を繰り返すことはしない。

 筆者がこの3回の危機に直面したとき、行動の規範とした1冊の本がある。チェコのプロテスタント神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889~1969年)の自伝『なぜ私は生きているか』だ。日本ではあまり知られていないこの神学者を筆者は同志社大学神学部2回生の夏に知った。1980年のことだ。

 あれから40年も筆者はこの神学者の引力圏から離れることができない。フロマートカ神学と出会わなければ、筆者が外交官になることもなかった。また、人生の3度の危機を乗り越えることもできなかったと思う。  

 作家になってからも情勢を分析し、判断する際に筆者はフロマートカの方法を基準にしている。この神学者の思考の追体験することによって時代の危機を察知する力がつく。フロマートカには他の人には見えない事柄をつかむ特異な能力がある。

誤解され続けた神学者

 この神学者の歩みについて、簡潔に年譜の形で記しておく。

1889年6月8日 オーストリア帝国モラヴィア辺境伯領(現在のチェコ共和国)ホドスラビッツエ村で地主の家庭の長男に生まれる。

1907─12年 ギムナジウムとウィーン、バーゼル、ハイデルベルグ、アバディーンのプロテスタント神学部(神学校)で学ぶ。

1912─18年 フセチーンとプラハのルター派教会副牧師として勤務。

1918─22年 ショーノフのチェコ兄弟団福音教会(ルター派と改革派の合同教会)牧師として勤務。

1920─39年 プラハのフス・プロテスタント神学大学(後にコメンスキー・プロテスタン卜神学大学と改称、現カレル大学プロテスタント神学部)の組織神学担当教授。

1939─47年 反ナチス・ドイツの立場を鮮明にしたために亡命を余儀なくされる。ジュネーブ、パリを経て、米国のプリンストン大学神学部客員教授。

1947年 チェコスロバキアに帰国し、コメンスキー・プロテスタント神学大学教授に復職。

1950─66年 コメンスキー・プロテスタント神学大学学長。

1958─69年 キリスト者平和会議議長。

1968年8月 ソ連軍を中心とするワルシャワ条約5カ国軍のチェコスロバキア侵攻に抗議する在チェコスロバキア・ソ連大使宛て公開書簡を発表。

1969年12月26日 プラハ市内の病院で死去。ホドスラビッツェ村に葬られる。

 フロマートカは誤解され続けた神学者だった。戦前のチェコスロバキア共和国でプロテスタント教徒は社会のエリート層を形成していた。反マルクス主義的傾向が強い教会の中で、フロマートカは、1936年にスペイン市民戦争が勃発すると、反ファシズムという立場で、キリスト教徒は社会民主主義者、共産主義者と連帯すべきと主張した。

 フロマートカには、ファシズムとナチズムの脅威が、スペインに続いてチェコスロバキアを襲うことが見えていたのだ。戦後は、共産党が権力を掌握したチェコスロバキアに帰国し、体制と協調体勢を取ったので、西側からは「赤い神学者」と非難された。「プラハの春」ではソ連に抵抗したため、反体制派と見なされるようになった。

(2020年6月28日記) 
佐藤 優(さとう・まさる)

1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ソ連日本国大使館でソ連崩壊を目撃。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『十五の夏』など。  

〈「STORY BOX」2020年8月号掲載〉