漂白

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◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第175回
7 昼の休憩の後、公判が再開された。証言台に向いて座ったのは高齢の女性だった。世良が尋問に立つ。「お名前を述べてください」「芝垣悦子(しばがきえつこ)です」「年齢は?」「七十四歳です」「職業を教えてください」「三年前に主人が亡くなるまでは主婦でした。今も仕事はしておりませんので、無職ということになりますかしら」黒いワン
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第174回
「増山さんと浅見さんの間の接点について、あなたはつい先ほど検察官にこう説明しました──『被告人が住んでいた家とファミリーセブン綾瀬店は近距離に位置しています。二階にある被告人の部屋の窓からファミリーセブン綾瀬店の入り口が見える距離です。被告人はこの窓からコンビニ店を見張り、被害者を物色していたのではないかと判断されたの
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第173回
 再主尋問での朝比奈の証言は後知恵によるこじつけだ。反対尋問で志鶴が突いた弱点を世良と協働して糊塗(こと)した。強引で見え透いているが、裁判員がそう判断するとは限らない。警察官が法廷で噓をつくはずがないという先入観があればなおのこと。「弁護人、再反対尋問は?」能城が訊ねた。「します」志鶴は立ち上がり、法壇の斜め前に進ん
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第172回
「──捜査報告書についてお訊ねします」再主尋問に立ったのは世良だった。「捜査報告書を作成するタイミングというのはいつなのか、教えてください」主尋問同様、再主尋問の受け答えも志鶴はノートパソコンで速記した。「必ずしも決まっていません」意図を読み取ろうとするかのように世良の顔を見て、朝比奈は慎重に答える。「それはつまり──
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第171回
 公判前整理手続で証拠調べ請求をして裁判官に排除された証拠を法廷で取り調べることはできない。法廷で取り調べられる証拠は基本的に、公判前整理手続で証拠調べを請求して裁判官が認めたものだ。それ以外の証拠を示すことはできないと考える弁護士も少なくない。が、一定の条件を満たせばそうでない証拠も法廷に提示できると刑事訴訟規則に規
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第170回
「関連性はあります。刑事訴訟規則199条の6──"証人の供述の証明力を争うために必要な事項の尋問は、証人の観察、記憶又は表現の正確性等証言の信用性に関する事項及び証人の利害関係、偏見、予断等証人の信用性に関する事項について行う"。今の質問は証人の証言の信用性に関する事項です」能城は左右の裁判官と小声で話し合った。「異議
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第169回
 二人目の証人は警視庁捜査一課に所属する朝比奈(あさひな)という女性刑事だった。三十代半ばくらいだろうか、顎のラインまでの髪の毛を七三に分け、がっしりした肉体をグレーのパンツスーツが覆っている。盛り上がった頰(ほお)の血色がよい。蟇目が初めて主尋問に立った。朝比奈は、死体となって発見される前夜の九月十四日、つまり殺害さ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第168回
「ここに映し出された内容について、裁判員の皆さんにもわかりやすく説明してもらうことはできますか?」「できると思います──」染谷はそれが増山のブラウザの履歴であることを説明した。「ここに『女子中学生 レイプ』という文字があります。これは何でしょうか?」「それは検索文字列です。パソコンを使っていた人がキーボードで打ち込んだ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第167回
 志鶴は立ち上がった。「反対尋問の必要はありません」「五人の証人が取調べられてきたが、弁護人は一人も反対尋問していない。反対尋問しないなら、最初から書証の取調べを認めていれば、貴重な時間を割いてくださっている裁判員の皆さんに余計な負担をかけることもなかったのではないか?」獲得できるものがなければ反対尋問はするべきではな
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第166回
5 志鶴は弁護人席へ戻った。「いい陳述だった」そう聞こえて顔を向けると田口と目が合った。田口がまた前を向く。本当にそう言ったのか確証が持てなくなる。裁判員が検察官の冒頭陳述で抱いた強烈な有罪心証を弁護人の冒頭陳述だけで覆すのは不可能だろう。それでも打つべき布石はすべて打った。
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第165回
 増山が志鶴に語った供述と警察で作成された書面等から、増山の事情聴取や取調べを担当した刑事たちを特定した。灰原は増山が「ノッポ」と認識していた刑事だ。柳井に命じられ、助言を受けながら灰原は増山の一人称で綿貫を尾行し刃物で殺害し遺体を遺棄したという事実とかけ離れた、増山が言ってもいない内容の供述調書を作文する。
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第164回
「警察官/検察官が噓をつくなんてあり得ない」?「警察官/検察官の立場だからこそ、法廷で噓をつく理由がある」?「さて、綿貫さんのご遺体が発見されたあと、警察はどうしていたでしょうか? まず現場で発見された吸い殻からDNAを採取し、鑑定しました。ご遺体には浅見さんのときと同様、真犯人が自身の痕跡を消すため漂白剤が撒かれてい
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第163回
「当時事件についての報道をご覧になっていた方は、おかしいとは思わなかったでしょうか? 犯人がお二人のご遺体に漂白剤を撒(ま)いたのは、自分のDNAを破壊して警察がDNA鑑定をできなくするのが狙いだと考えられます。にもかかわらず、綿貫さんのご遺体のすぐそばに、警察が容易にDNAを鑑定できる吸い殻が──それも一本ならまだし
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第162回
 リモコンを操作して、プレゼンテーションソフトのスライドの一枚目を画面に呼び出し、傍聴席向けのディスプレイで確認した。大きな太文字でこう書かれている。真犯人は、街にいる 「この事件には増山さんではない真犯人が存在します。その人物は男性で、増山さんに自らが犯した犯罪の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せ、
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第161回
 志鶴が助言し、練習したとおりの回答だ。傍聴席のマスコミに動きがあった。メモを走らせている。「していないというのは、どの罪状について? まず第一の事件の殺人、これについて否認するのかね」公判期日の冒頭手続での被告人陳述で被告人に詳しく罪状の認否を迫ることは本来認められない。もし能城がそうしたら答えなくていい──増山には
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第160回
 廷吏が傍聴人に向かって口を開く。「この裁判では最初の二分間、報道機関によるカメラ撮影が行われます。映りたくない方は、席を立って一度退出してください」何人かが席に物を置いて退室し、傍聴席の後ろのカメラマンたちが撮影を始めた。裁判官たちは微動だにしない。志鶴は今一度デスク周りのセッティングを確認した。スーツの上着のポケッ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第159回
3 五月二十三日。増山淳彦の第一回公判期日。志鶴は父親の「頑張れよ」、妹の杏(あん)からの「応援してるよ、しづちゃん」という励ましを受けて家を出た。志鶴が増山の弁護を引き受けたことに納得していない母親は無言だった。公判前整理手続で力を貸してくれた三浦俊也(みうらしゅんや)は昨日電話で『いよいよだな。川村が全力を出し切る
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第158回
 病院を出た志鶴は秋葉原にある事務所へ出勤した。都築が入院した話を聞くと、田口司(つかさ)は眉をひそめた。「大丈夫か?」まるで他人事だ。「私が何とかします」二十期以上先輩の指導係をにらみつける。田口は眼鏡のレンズの奥で目を細めた。意外だったようだ。「手伝ってほしいことがあります」志鶴はプリントアウトしたコピー用紙をかざ