◇長編小説◇白石一文「道」連載第24回
9 二〇二一年十一月一日月曜日。揺れに先に気づいたのは渚だった。「あなた、地震」という声で功一郎は目を開けた。最初は目が回っているような感じだった。意識が鮮明になるにつれてゆらゆらと部屋全体が揺れているのが分かった。急いで半身を起こす。渚はすでにベッドを降り、立ち上がっていた。さらに大きな揺れが来たのは、渚の姿を見上げ
◇長編小説◇白石一文「道」連載第23回
7 二〇二〇年六月二十六日金曜日。この日、フジノミヤ食品の定時株主総会がオンライン形式で開催され、三月期決算が承認されると共に保坂(ほさか)明輝(あきてる)専務の代表取締役社長就任、堀米(ほりごめ)正治(まさはる)社長の代表取締役会長就任をはじめとする「役員人事案」も無事に株主たちからの承認を得たのだった。功一郎(こう
◇長編小説◇白石一文「道」連載第22回
4 「武漢市 謎の肺炎 海鮮卸売市場」で検索をかけ始めて十日目。十二月三十一日の午後十時過ぎ、ついにその記事を発見した。〈中国・武漢で原因不明の肺炎 海鮮市場の店主ら多数発症〉配信は午後九時四十二分。いまから二十分ほど前で、購読している朝日新聞デジタルの記事だった。〈中国湖北省武漢市で原因不明のウイルス性肺炎の発症が相
◇長編小説◇白石一文「道」連載第21回
第五部 1 二〇二一年二月十二日金曜日。前日が「建国記念の日」で休診だったこともあり、休み明けの病院は患者たちで混み合っていた。慈恵(じけい)医大柏(かしわ)病院の各科外来はB棟の一階と二階に分かれているが、精神神経科は内科や小児科などと同じく二階にある。内科の広い待合ロビーは患者たちでごった返している。ずらりと並んだ
◇長編小説◇白石一文「道」連載第20回
5 霧戸ツムギの失踪が明らかになったのは、彼女が消えて一週間が過ぎた八月十四日水曜日のことだった。世間はまだお盆休み期間中だったが、そんなところへ超人気アイドル失踪のニュースが飛び込んできて、昼間のワイドショーのみならず各メディアはこぞってこの驚くべき事件を大々的に報じ始めたのだった。第一報は霧戸の所属事務所による記者
◇長編小説◇白石一文「道」連載第19回
4 二〇一九年八月七日水曜日。日付が変わった深夜零時過ぎ。ベッドサイドテーブルにいつも置いているスマートフォンが鳴った。ちょうど寝床に入ったところで眠ってはいなかった。隣の渚(なぎさ)は、たまに起きる偏頭痛で、ロキソニンを飲んで早めに就寝していた。なので音量は絞っていたのだが、急いで身体を起こしてスマホを手に取る。
◇長編小説◇白石一文「道」連載第18回
3 標連に会ったことは渚には言わなかった。あの日、「新富寿司」で久美子の告白を聞いて、渚のことをますます信じられなくなったというのもある。だが、それ以前に、標の誘いに乗った時点で、このことは当分秘密にしておこうと決めたのだった。標に対してもしっかりと口止めを行った。「妻は、表向きは美雨の自主性を尊重しているような態
◇長編小説◇白石一文「道」連載第17回
2 朝刊一面では、昨日の板門店での米朝首脳による電撃会談の記事が大見出しで報じられている。二〇一九年六月三十日のこの会談は結果的には何の成果にも繋がらず、それどころか来年の米大統領選挙で二期目を目指したトランプ大統領は民主党のバイデン候補に敗北を喫する──という〝事実〟を功一郎はすでに知っている。二〇二一年二月二十四日
◇長編小説◇白石一文「道」連載第16回
第四部 1 二〇一九年六月十七日月曜日。出社してほどなくの午前九時過ぎ、受付から連絡が入った。「本部長、おはようございます。お約束ではないそうですが、山本(やまもと)さんという方が本部長をお訪ねになっております」「山本さん?」「はい。『去年の九月に本部長に助けていただいた金髪の女の子』と伝えて貰えれば分かるとおっしゃっ
◇長編小説◇白石一文「道」連載第15回
5 午後八時を回ったところで、堀米が保坂に電話した。我孫子工場に関するあらましを伝え、途中で手の中のスマホを対座する功一郎の方へと差し向けてくる。結局、功一郎が保坂に詳しい説明を行った。「すべて了解。いまから長谷川さんに連絡して明朝一番で本社に来て貰うことにするよ。橋本君の名前は出さないからご心配なく。結果は、聴取が終
◇長編小説◇白石一文「道」連載第14回
4 広い芝生に人の姿はまばらだった。ここ「利根川(とねがわ)ゆうゆう公園」に来るのは八ヵ月ぶりくらいだろうか。〝前の世界〟にいた頃は我孫子(あびこ)工場から車で十分ほどのこの場所へよく足を延ばしたものだ。コロナが蔓延するまでは夜勤中心のシフトだったから、仕事から戻ってきた碧(みどり)とバトンタッチをして、夕方に松葉町の
◇長編小説◇白石一文「道」連載第13回
3 功一郎が渋谷道玄坂のピザレストラン「ベリッシマ」に行ったのは、碧とコレド室町で会って九日後の一月十八日金曜日のことだった。その日は午前七時前に出社し、誰もいない職場で、昨夜借りてきた「恋は雨上がりのように」のDVDをデスクのPCで視聴した。二時間足らずの映画だったので、部員が出てくる頃には観終わっていた。主人公の
◇長編小説◇白石一文「道」連載第12回
2 帰宅したのは午後九時半過ぎだった。渚には早見たちと一杯やってくるとラインしておいたので、別段不審がられることもなかった。酔い覚ましの濃い緑茶を淹れて貰う。ダイニングテーブルで熱いお茶をすすりながら、キッチンで煮物をこしらえている渚に声を掛けた。「美雨は?」玄関に靴はなかったし、彼女の部屋の前を通っても人の気配は感
◇長編小説◇白石一文「道」連載第11回
第三部 1 年末年始、美雨(みう)はずっとアルバイトだった。新しい勤務先は渋谷のコーヒーショップで24時間営業・年中無休らしい。大晦日も帰宅したのは明け方で、三人で新年の食卓を囲んだのは昼過ぎのことだった。例年通り、お屠蘇(とそ)を飲んで、渚(なぎさ)が腕によりをかけて作ったおせちを食べる。会話は弾まなかったが、それで
◇長編小説◇白石一文「道」連載第10回
5 「確かに、おにいさんがおっしゃる通り、自分の力を試すのなら年齢的にもいまが最後のチャンスかもしれないですね」酒はワインから焼酎に変わっていた。時刻は午後八時を回ったところだ。カウンターにゲタが置かれたので、これから二代目自慢の絶品の寿司が握られてくる。「でも、美雨ちゃんのためにそうするっていうのは私も、姉の言うとお
◇長編小説◇白石一文「道」連載第9回
4 二〇一八年十二月二十八日金曜日。例年、フジノミヤ食品の仕事納めは官庁のそれに準じている。今年も出社は今日で最後だった。仕事始めは一月四日金曜日。これも官庁の御用始めと同じだ。正月休みは正味六日間。ただ、大半の社員は四日を有給にして九日間の長い休暇を作っていた。あの年の年末年始がどんなふうだったか、功一郎にはほとんど
◇長編小説◇白石一文「道」連載第8回
3 起こされたのは深夜だった。「ねえ、功一郎さん、起きて」肩を揺さぶられて目を開けるとパジャマ姿の渚がベッドの脇に立っていた。いつの間にか部屋の明かりが灯っている。「美雨の様子がおかしいの」一瞬で意識がクリアになる。身体を起こし、サイドテーブルの上に置かれた目覚まし時計の針を読む。午前二時十五分。日付は変わり、すでに土
◇長編小説◇白石一文「道」連載第7回
2 六時過ぎに起き出し、ベッドから降りて軽い体操を行っていると看護師が検温にやってくる。熱は平熱、血圧も異常なし。身体を動かしながら、どこかしら身軽な感じがして、最初は爽快な気分のせいだろうと思っていたが、血圧が普段よりずいぶんと低いのを知り、気分のためではなく本当に身体が軽くなったからだと気づいたのだった。確かに、