アンケート





  第95回 平山瑞穂さん
  本が好きな人が楽しめる要素を
  ふんだんに盛り込んでいますので、
  活字の醍醐味を味わっていただけたら嬉しいです。






言葉のプロである小説家が、自身の執筆中の作品にも似た“もうひとつの世界”に迷い込む『ルドヴィカがいる』を上梓した平山瑞穂さん。
文教堂書店浜松町店大浪由華子さんと三省堂書店営業本部内田剛さんが、新感覚ミステリの執筆秘話を訊きました。


もう一人の自分がいるパラレルワールド


大浪……最新刊『ルドヴィカがいる』は、言葉のプロが主人公なだけあって、ひとつひとつの表現に深みがあり、ほかの小説を読む時よりも作品に浸りながら読みました。映像ならば、音楽を流すなどいろいろな演出ができますが、言葉だけで作り込まれたこの世界観に入っていくのが面白かったです。

平山……まさに一行も読み飛ばしてほしくないという、主人公・伊豆浜亮平の想いを汲んでくださって嬉しいです。僕がもともと言語好きということもあって、それを生かした「文字でしか表現できない話を書いてほしい」というご依頼をいただき、執筆したのがこの作品です。

内田……小説を読む時に、次の展開を自分の中である程度パターンを用意しながら読み進めていきますが、この作品はまったく先が予想できなくて、物語に引きずり込まれました。

平山……いかに読むペースを落とさずに、言語ネタや知識が頭に入ってくるように書くか実は苦労したところです。平明に、明確に、なおかつ興もそがないように描くことが、この作品では必要でした。
僕はプロットをがっちりと固めてから執筆をするタイプなのですが、今回、この作品では意図的に緩めのストーリーラインだけ決めて、あとは書いている時のノリに任せて好き放題に書きました。ストーリーは最初に考えていたとおりにほぼ進んでいますが、語り手の伊豆浜がとても饒舌な人なので、彼の考えの揺らぎが、先の読めない感じに余計繋がったんじゃないかなと思います。

大浪……伊豆浜は小説家としての本心などを赤裸々に語っていますが、ご自身との距離の取り方などはどうされていましたか?

平山……そこはけっこう悩みどころでしたね。書いている時点での僕と伊豆浜は年齢がまったく同じですし、同性であることなど共通点がとても多い。主人公に自分自身をそのまま出してしまうのは芸がないので、自分とは違う部分をわざと設けて、どうずらしていくか常に意識していました。

内田……読んでいると、平山さんご自身の本音なのかなあとつい思ってしまいました(笑)。

平山……正直なところ、本音もかなり書いています(笑)。ただ嘘もたくさんついているんです。伊豆浜の思うこと全部が僕の考えではないですし、そこは作者の特権でうまくブレンド具合を調節しています。
ただもし僕が結婚もしないでこの年まできたら、きっとこんな暮らしぶりなんだろうなあというのが伊豆浜なんです。その姿を書いたという意味で、もう一人の自分がいるパラレルワールドですね。





物語の核心に常に手を伸ばしている状態


内田……プルーフ本で読ませていただきましたが、単行本を拝見してみると、森に「ルドヴィカ」というなにか謎めいたものが潜んでいるような感じがして、物語ととても合っています。

平山……装丁は担当編集の方にお任せしていますが、非常にいい写真を選んでいただきました。
この作品には軽井沢の森林が出てきますが、中高生くらいの頃に、近くの雑木林をあてもなくさまよい歩く習慣がありました。軽井沢に取材をしようかと思っていましたが、当時の記憶を掘り起こして書いていたのが逆に、作品で幻想的な雰囲気を出せてよかったんじゃないかと思っています。

内田……この「ルドヴィカ」という言葉は、意味がわからなくてもどこか惹かれるものがある語感ですね。

平山……作中で伊豆浜の頭の中に降りてきた言葉として出てきますが、僕にも実際まったくそのとおりのことがあったんですよ。起きる直前くらいの浅い眠りの時に見た夢の中で、突然「ルドヴィカ」という音が頭の中に浮かんだんです。目が覚めてから、ずっとそのことを考えていました。

大浪……夢の中で誰かが喋っていたということでもなくて?

平山……ええ、音だけ聴こえてきたんです。人の名前のようだけれど、特に有名な人がいるわけでもない。しばらく調べていたら、ショパンの姉がルドヴィカという名前だとわかりました。

大浪……伊豆浜が「鍵盤王子」と呼ばれ人気の天才ピアニスト・荻須晶と出会うこの物語に、「ルドヴィカ」という言葉はぴったり当てはまりますね。

平山……ちょうどこの作品の構想を練っていた頃の出来事なんですが、まさにぴったりな名称だったので、音楽で突出した才能がある荻須晶の少し不自由な言葉の隙間を、言葉のプロである伊豆浜が埋めていく様子を絡ませたら、面白みが出るんじゃないかなと思いました。

内田……もともとそういった知識があって引き出された言葉ではなく、降ってきた言葉でこんな物語が出来上がるなんてなにか運命的なものを感じますね。

平山……そうですね。自分でもこんな形で物語の骨格を決めていくことは珍しいです。

大浪……晶がピアノを弾くシーンでは、読んでいてまさに音楽が溢れているように感じました。平山さんは執筆中に音楽を聴かれることはありますか?

平山……作品に合わせたBGMを聴かれる作家の方もいらっしゃるようですが、僕は、絶対にできないです。音楽に気を取られちゃうか、原稿に没頭し始めるとまったく音楽が聴こえなくなっちゃうかして、意味がないんです(笑)。常に無音の中で集中して書いています。そうすると逆に頭の中に音が溢れてくるというか、主人公たちの声音が感じられるんですよ。

大浪……晶が楽譜というのは「神のお告げ」みたいなものだと言っていますが、一方で伊豆浜は主体的に小説を書いているのではなくて、書かされていると感じていました。異なる分野で活躍する二人が、同じような感覚を持っているのが印象的でした。

平山……これは僕自身の正直な気持ちですね。書くべきものがあらかじめどこかに存在している気がするんです。それをなるべく忠実に表現しようとするんだけど、いま一歩のところで核心に届いていないんじゃないかというもどかしさをいつも感じています。

内田……言葉に拘って書かれたこの作品でも、そう感じられるのですか?

平山……この作品もそうです。ただ実際に書き切ってしまうと、そこで目的を失う気がします。常に手を伸ばしている状態だから、作品を次々と生み出せるんだと思います。





デビュー前に書いた実在する作品


内田……伊豆浜は荻須晶に誘われて彼の軽井沢の別荘へ行くことになります。あまり気乗りのしない彼は、ガールフレンドの白石もえを連れていくことにしますが、自由奔放な感じがする彼女はとても魅力的な女の子でした。

平山……ありがとうございます。もえは今まで書いたことがないタイプの女子キャラでした。一度、「当てにならないけど、意外と頼りになる」といった女の子を書いてみたかったんです。僕が重要なキャラクターとして書く女の子は、大人しくて知的で、ちょっと風変わりなタイプが多いんですが、もえは俗っぽい感じのノリのいい女の子で、自分でも書いていて新鮮でした。

大浪……別荘に暮らす、水という名の晶の姉は支離滅裂な言葉を話します。日本語のようなのですが、意味が取りづらい。言語のプロである伊豆浜に、晶は姉の言葉の解読を依頼します。この設定はどこからきたのでしょうか?

平山……これは実体験から着想を得ています。病気で脳を冒された知人が、病の進行とともに喋る内容が不自然になっていきました。ある日、僕がお見舞いに行くと「キコウがいいね」とにっこりと笑うんです。その時は意味を捉えきれずになんて応えたらいいのかわからなかったのですが、帰りの電車の中で「具合が良そうだね」という意味だったと気づいて……。僕が糖尿病だと知っていた彼は、いつも僕の体調を気遣ってくれていたんです。それと同じ意味だったんだなと気づいたら、とても切なかったですね。

きらら……晶の別荘で執事をしているカサギが、実は晶の父親と恋仲だったという意外な事実がよかったです。水が登場してシリアスな雰囲気にシフトしていくなか、ふっと気持ちが和みました。

平山……当初の設定にはなかったんですが、書いている途中でそのほうが面白いなと思い付きました(笑)。ひとつ理由があるとすれば、小説に登場する謎めいた脇役にも、その人の背景となるものを覗かせたいんです。カサギについても過去を一つくらい見せたほうが、物語に奥行きが出てくるんですよね。

内田……水の言葉の真相を探るうちに、伊豆浜が書いている小説にも変化が表れていきます。彼の現実世界と小説が混じり合っていく様子に、ある種の緊張感が増していきますね。

平山……この伊豆浜が作中で書いている「さなぎの宿」という小説は、僕がデビュー前に書いた実在する作品です。ある新人賞の一次選考を通過した小説で、いつかこれを焼き直した作品を書きたいと思っていました。
当時は良いものを書いたと思っていましたが、プロとして経験を積んでから読み返すと、粗が目立つというか、まだ発表できる水準に達していなかったんです。でも素材としては捨てがたいものがたくさんあったので、この『ルドヴィカがいる』にリミックスしました。

大浪……作中に盛り込むにあたって「さなぎの宿」は手直しされましたか?

平山……ラストの方のプロット以外、抜粋部分のほとんどは手付かずのまま使っています。

大浪……現実と小説が近づいてしまい、伊豆浜は「さなぎの宿」の最後まで執筆できませんでした。やはり小説家の方は、常にぎりぎりの精神状態の中で作品を書かれているのでしょうか?

平山……僕は自分でコントロールしているので、実際にそうなったことは一度もないですね。どういう書き方をするにせよ、作者自身と小説との間に一定の距離を設けておかないと、たぶんどこかで行き詰まってしまう。私小説でもそうでしょう。いかに嘘を混ぜるか、それが作家の腕の見せ所でもあります。





新連載は明治時代の横浜を舞台にした歴史小説


大浪……水の言葉の秘密は、ネタばれになってしまうので、ここでは語れませんが、ある昆虫がキーになっています。ほかにも作中の随所に昆虫に関する蘊蓄も入っていて、虫に抵抗がない私にはそこも読み応えがありました。

平山……僕は昆虫を触ったりするのは得意ではないんですが、昆虫という存在が好きなんです。ほかの生物にない特徴を持っていたり、生態に惹かれるものがあります。その要素をこの作品の秘密に絡めました。

内田……平山さんのほとんどの作品を拝読していますが、平山さんは引き出しが多いので、いろいろな世界を見せていただき、新作が待ち遠しいです。

平山……なんでこんなに作風が変わってしまうんでしょうね。自分でも半分悩みなんですよ(笑)。『ルドヴィカがいる』は、本が好きな人でしたら、楽しめる要素がふんだんに盛り込まれていますので、活字の醍醐味を味わっていただけたら嬉しいです。

きらら……次号の「きらら」からは、新連載もご執筆いただけますね。

平山……はい。明治時代の横浜を主な舞台にした、僕としては初の歴史小説です。当時、海外で名声が高く「入れ墨のエンペラー」とまで呼ばれていた実在した彫り師が主人公です。『ルドヴィカがいる』の幻想風味はほぼゼロで、史実に基づきながら大胆にフィクションを混ぜようと思っています。

  






(構成/清水志保)



平山瑞穂(ひらやま・みずほ)
1968年、東京都生まれ。2004年『ラス・マンチャス通信』で第16回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。著書に『忘れないと誓ったぼくがいた』『シュガーな俺』『株式会社ハピネス計画』『プロトコル』『マザー』『偽憶』、近著に『出ヤマト記』『僕の心の埋まらない空洞』などがある。