アンケート






 第2回 絲山秋子 さん
  物語は自分の頭の中のイースト菌を膨らませるように

 先月号から始まったこのコーナー、第2回のゲストは『袋小路の男』が本屋大賞にもノミネートされ、ますます評判を集めている作家・絲山秋子さん。  
 絲山さんにぜひお会いしたいと要望のあった有隣堂ルミネ横浜店磯野真一郎さんとブックガーデンディラ上野店石岡華織さんが、創作秘話をじっくり聞きました。




女性より男性のほうを真剣に書いてしまう


磯野........僕が文芸書担当になったころ、東京・蒲田でよく売れている本があると聞いて、いま思えばそれが『イッツ・オンリー・トーク』でした。蒲田にあるうちの店に絲山さんがじきじきにご来店されたそうですね。

絲山........ええ、当時表紙を描いてくださったイラストレーターさんも蒲田に住んでいたので、「この本を作った者です」とふたりで恐る恐る伺ったら、とても快く受け入れてくださいました。

石岡........『イッツ・オンリー・トーク』は登場人物が44歳というのが驚きで、いい意味で裏切られました。

絲山........自分でもワープロに44歳と打ち込んでから、大丈夫なのかと思って(笑)。前半を読み直したら、ほとんど手直しせずにすみました。書いた人間もびっくりしているので、読者の方にも意外に思っていただけたはずです。

磯野........絲山さんの作品は女性の作家さんだと意識せずに読め、男の僕でも響いてくるところがあり、すんなりと入っていけます。絲山さんが書く男性を、またその男性を通した女性を、僕は読みたいと毎回思っています。

絲山........私は女だから、男の人のことをよく知りたいし、なにか発見があれば、より男性のほうを真剣に書いてしまうのかもしれません。逆に女性を書くときは、自分と似通った部分がないか、限定してはいないか、とても気にしますね。



30年の関係だと恋≠ニ言い切るのは難しい


石岡........私は『海の仙人』が好きです。作中のかりんさんのように好きな仕事をして、帰ってくる場所があって、最後まで看取ってくれる人がいるのはいいですね。

絲山........かりんはキャラクターの色合いが淡いので、触れてくださる方が少ないのです。自分の書いた小説の中では河野が一番好きで、こんな人が海辺で待っていてくれたら幸せだろうなと思いながら書きました。

石岡........ “ファンタジー”という設定はどこから生まれたんですか?

絲山........それがわからないんですよ(笑)。“ファンタジー”という名前は後から決めました。「よく河野はファンタジーを受け入れるな」という感じで書いていました。

磯野........「自分ももしかしてファンタジーが見えるかも」と思って読む人もいるだろうし、逆に、「ファンタジーって何だよ」と思ってる人もいるでしょうね。

絲山........ “ファンタジー”が信用できないと思う人は、読んでておもしろくないかも。ちょっと飛び道具ですよね(笑)。

磯野........僕は河野くんに共感できなくて、男の人はもっと活動的であってほしい。ひとりの男としてみたら、『袋小路の男』の小田切くんのほうがいいです。

絲山........『袋小路の男』は、実はもっと長い小説でしたが、一回全部伏せて、白紙の状態で一から書き始めたら、原稿用紙50枚くらいの作品になりました。余計なものは全部漉されましたね。「あなた」という二人称を採用して小説が生きて動き始めた感触があります。

石岡........肉体関係がないまま静かな情熱がずっと続いていくのが印象的でした。

絲山........時間をかけて人間の関係をみると、ひとつの単語の枠におさまらなくなる。ひと夏の恋だったら、短く恋≠ニいう言葉に括れるけど、30年の関係を恋≠ニ言うのは難しいですよね。

磯野........「本当の恋愛や結婚って何なのかな」と考えましたね。主人公と小田切くんがバーのカウンターを挟んで会話するシーンが一番印象に残っています。

絲山........あのシーンは、ある一定の距離に対して、諦めではなくてある種の満足感を抱くということですよね。ふたりが街を歩くと、普通のカップルよりはきっと離れすぎていて寂しくなると思う。けれども、カウンターを挟んでしまえば、その寂しさがなくなって、その時間だけ満足していられる。主人公にそのぐらいしてあげてもいいんじゃないかと(笑)。



リアリティのあるもにするのは読者に対する誠意


石岡........絲山さんの小説には実際に車を運転する人でないとわからない描写が多いですね。

磯野........地名がたくさん出てきて、そこにピンとくる人もいますし、作品に近づける何かがいつもあります。

絲山........なにかひとつのキーワードで、まざまざと絵が浮かび、作品との距離がグッと縮まる瞬間が、本を読んでいて楽しいですよね。音楽や車などのアイテムでひとりでも多くの人に身近に感じていただけるよう、邪魔にならない程度にそういうことをやっていきたいです。

磯野........読者を近づける方法のひとつとしてやっているなんてありがたいです。

絲山........逆に作家が見過ごした小さなウソで、もう読めなくなってしまうことがある。そういうミスをしないように、できる限り取材や検証をして調べてリアリティのあるものにするのは、読者に対する誠意だと思っています。



いろいろなことと闘っている人に薦めてほしい


石岡........最新作『逃亡くそたわけ』は若い子が主人公ですが、30代の読者でもわかる、自分でも抑えられない衝動が描かれていました。最終地まで行ってもその衝動がおさまるわけではないだろうけど、ひと区切りつく感じがよかったです。

絲山........この話は問題が解決していません。でも解決しなくても、心がちょっと広がればそれは大きな前進ですし、そこで物語は終わってもいいのではと思いました。

石岡........あの主人公の何年後かを読んでみたいです。

絲山........「21歳で、躁鬱病の女の子で、博多にすごく誇りを持っている」という設定を決めてから書いたんです。ところが、書き上げてみると、23歳から3年半博多にいたころの自分に少し似ていて、いつの間にか自分が移ってしまっていたような不思議な感じがあります。

磯野........ふたりの状況は悲惨なのに、読み終わって楽しかった。病気だけど強い。こういう関係は日常にもあって、苦しいことをお互いやり遂げたからいい関係になれることがあるので、共感できる部分が多いですね。

絲山........病気のことをきちんと話すのは、物語のかなり後半ですよね。ふたり一緒にあの苦しい山道を越えて、初めて友達の関係が深まって、きちんと病気の話をする。

石岡........20代前半特有のどこに向けていいのかわからない閉塞感があって、かわいそうだなとも。

絲山........病気の怖さもある程度自分の経験を生かして書きました。病気だけではなくいろんなことと闘っている人が世の中にたくさんいるので、そういう人に薦めていただけたらすごくうれしいです。この小説は初めに逃げる≠りきで、私に書ける逃げる≠ニいったら、精神病院から逃げるしかないと思いつきました。あと、小野正嗣さんのエッセイに『馬鹿はなぜ二人連れなのか』というすばらしいタイトルのものがあって。「馬鹿の二人連れが精神病院から逃げる」でイケると思いました。舞台は九州と決めていたので、1週間に80枚のペースで書きあげました。

石岡........絲山さんは東京の出身なのに、地方出身者の気持ちがわかってらっしゃって、地元も好きだけど東京にも憧れるというジレンマがよく描かれていました。

絲山........私も、大学を卒業して一度東京を出てしまったので、その瞬間から本当の東京人ではなくなってしまったんです。どの土地でも、なるべく現地の感性を理解して同じように怒ったり笑ったりできるようになりたくて。でもそういうことを一生懸命やればやるほど、帰省したときの違和感が大きくなっていく。だから、なごやんが名古屋に対して思ってることと似たようなことを、私は東京に対して思ってるのかもしれないです。

磯野........主人公はバリバリの博多弁で、終始一貫したしゃべり方だからこそ、それが残って引っかかるんですよね。九州人の人の良さや価値観が出ているように思いますね。

絲山........本当の博多の女の子の話し方はもうちょっとマイルドだと思いますが、あそこまでデフォルメして書かないと、読者の心にまでは通じないものがあると思います。

磯野........逆になごやんはその博多弁を全くしゃべりませんね。人がしゃべる言葉は一番わかりやすいので、読者はおもしろいんじゃないかって。

絲山........方言をしゃべらないということがだんだん堆積して違和感につながっていくからこそ、最後でフッと落ちるわけです(笑)。そこを面白がってもらえたら、それが一番の褒め言葉です。



毎朝起きると書店さんのウェブ巡りを


石岡........次回作のテーマはすでにありますか?

絲山........やりかけている小説がふたつあって、いまは少し停滞気味ですね。逆にこういうときは別の、第三の小説が生まれる可能性があります。書きあぐねているうちに、思ってもみなかったものが出てくるということはあり得るかな。

磯野.........並行してふたつの作品を考えるんですか? ピッピッピッて切り替えるんですか?

絲山........いつも頭の中に押さえておいて、思い浮かぶことがあったら、ワープロを開くか、メモ帳に書きつけるか。パンを発酵させるように、自分の頭の中のイースト菌を膨らませる期間を持ったほうが、物語も膨らむのかなと最近考えています。ガツガツ書いてできる作品と、『海の仙人』のように2年半かけてゆっくりやらないとできない作品があるので。

石岡........小説を書くときって、映像が思い浮かぶのですか? 言葉や文章が思い浮かぶのですか?

絲山........作品によって違います。文章はあまり浮かばなくて、例えば『イッツ・オンリー・トーク』がそうですが、地の文も全部声で浮かびました。ただ『海の仙人』は映像から入りました。そこから文字でなく、声に頼っていって進展していきました。

磯野........書店員をやってると、毎日本のことだけしか考えてないんですよ。絲山さんのように一度にふたつもアイデアが浮かんで、ちょっと休みたいなと思うと、ほかのアイデアも出てくる。それを世の中に出せるのは、羨ましいですね。

絲山........何も出てこないときは、一日中釣り糸を落としているだけのようで、つらいものです。でも、私も毎朝起きるとやってることは、書店さんのウェブ巡りですよ(笑)。

石岡........実際に、街中の書店にも頻繁に行かれますか?

絲山........最近は書店に伺って、なるべくいろんなお店で買うようにしています。書棚を見るようになって楽しいと思うようになりました。忙しいからこそ行きたい本屋さんがあったり、ちょっと時間ができたから行きたい本屋さんがあります。



読者に近い書店員さんはとても大事です


絲山........「from BOOK SHOPS」は1カ月単位のいまが見える気がして、毎号楽しみにしています。

磯野.........前回から始まったこの企画ですが、いち書店員が作家さんと話ができることは、いままでそう多くはなかったのでとても嬉しいです。

絲山........本当にありがたい場ですよね。読者に近い書店員さんはとても大事ですし、私にとって初めての対談のお相手が、書店員さんというのは墓まで持っていけるぐらい光栄なことです。

磯野........作家さんから直にパワーをもらえることはそんなにないので、書店員としてもありがたいことだと思います。売り場に戻ってお客様に伝えようって気持ちになります。

石岡........会いたいと思う作家さんはたくさんいますが、そういう機会がないので、お会いできてうれしかったです。

絲山........本が出てもたくさんの書店に伺えるわけではないので、私も本当にうれしいです。まだお目にかかってない書店員の方には、念を送っています(笑)。     

(構成/松田美穂)



絲山秋子(いとやま・あきこ)
 1966年東京生まれ。早稲田大学卒業。「イッツ・オンリー・トーク」で第96回文學界新人賞を受賞。同作は第129回芥川賞候補となる。「袋小路の男」で第30回川端康成文学賞を受賞。「海の仙人」「勤労感謝の日」がそれぞれ第130回、第131回芥川賞候補となる。著書に『イッツ・オンリー・トーク』『海の仙人』『袋小路の男』、最新刊は『逃亡くそたわけ』