子どもが書いたような作文にするのが難しい
きらら……小説を書かれたきっかけを教えてください。
伊藤……大学5年生までずっと映画の脚本を書いていました。そろそろ本気で就職活動をしなくてはならなくなり、脚本から小説に転向し、400枚ほどの小説を文藝賞に応募したところ、すぐに小説家デビューが決まりました。いまでも小説より脚本を書くほうが楽しいですが、こういうことには向き不向きがあるものなんですよね。
佐々木……児童書の『ミカ!』は、大阪の枚方が舞台になっていますが、このあたりを舞台にした小説は有栖川有栖さんの作品でしか読んだことがなく、たいへん珍しいですね。
伊藤……僕自身が関西の出身で、枚方に住んでいた時期が長かったんです。思い入れの強い場所ですし、この小説の舞台に選びました。
佐伯……『ミカ!』に出てくる不思議な生き物・オトトイは、どこから発想されたんですか?
伊藤……小学生のころ、焼却炉の脇に落ちていたダンボールにカビがもっこり生えていて、毎日水をあげてみんなで飼っていたという話を編集者に聞いて、「それだ!」と(笑)。そういうものを育てたくなるのは子どもならではの感覚ですよね。
佐伯……『ミカ!』の続編『ミカ×ミカ!』に出てくる、主人公のユウスケにしかわからない言葉を話すインコ・シアワセも可愛らしい生き物でした。
佐々木……オトトイもシアワセもそうですが、「ミカ」シリーズには幸せの象徴のようなものがたくさん出てきますね。
伊藤……小学生を主人公にした作品だったので、幸せや悲しさという概念を、具体的に象徴するものを出そうと考えました。「ミカ!」シリーズは初めて書いた児童書だったので、本当に手探り状態だったんです。担当編集者とも何度も打ち合わせをして、小学6年生時代の思い出を細かく挙げていき、ある程度エピソードが出尽くしたあたりから書いていきました。バスを待ちきれずに次の停留所まで歩くとか、ジャンプして廊下の踊り場に手形をつけるとか、そういう日常風景もたくさん絞り出しましたよ。
佐々木……児童書に出てくる子どもたちは、実際よりも大人っぽいことが多いのですが、伊藤さんが描く子どもは、とてもリアリティがあります。男の子のバカな一面が面白くて、自分の子どもと照らし合わせながら読みました。
伊藤……わざと子どもが書いたような作文にするのが難しくて……。やっぱりうまく書こうとしてしまうんです。子どもを子どもらしく書くことと、子どもが読みやすいように書くこと。作家なんだから、この両方のバランスをうまくとらなくちゃと常に気をつけていましたね。とは言うものの、だんだん自分が小学生に戻って作文を書いているような気分になってきて、ついつい暴走しがちでした。楽しいんですね、書いていて(笑)。正直、発表するまでどういう反応が返ってくるのかわからなかったです。
「結婚」というものを突き詰めて考えていた
佐伯……『指輪をはめたい』は、記憶をなくした主人公が3人の女性の誰と結婚するはずだったのか悩む話で、まず設定が面白かったです。
佐々木……私はぜんぜん主人公を理解できなかったです(笑)。女性は何人か男友達がいても、きちっとした順位があって、誰と結婚するべきなのか悩む状況にならない気がするんですよね。
佐伯……伊藤さんがこの作品を書かれたのは30歳を過ぎたころですが、ご自身の20代を振り返っているようにも感じられました。
伊藤……ちょうど書いていたころは、僕自身が「結婚」というものを突き詰めて考えようとしていた時期でした。書いてみてわかったことは、結婚は足し算ではできないということ。「この人のここが良くて悪くて、総合20点」というわけではなくて、僕の性格も踏まえ掛け合わせてみて、お互いが好きかどうかなんですよね。
佐々木……いいときは、たとえ総合10点しかなくても一緒にいられるものですよね。私もどうして夫と結婚したのか、振り返ってみたりしました。
伊藤……蕎麦をすする音がいやだからって駄目になるカップルもいますしね。
佐伯……この作品は映画化が決まってるんですね。とても映像向きの作品だと思います。
伊藤……脚本を書いていたせいか、つい映画のことになるとわくわくしてしまう自分もいますが(笑)、やっぱりそれはそれ、僕の本業は小説ということであまり詳しくはタッチしないようにしてます。映画化に限らず、コミック化など僕の原作を使用される場合も、作品にほとんど口を挟みません。やっぱり、プロのことはプロにお任せですよ。そのほうが、いいものができあがる。
マルチーズの剥製のエピソードは実話
佐々木……『ぎぶそん』は私の店では一年中店頭に置いています。中高生の子どもたちが買っていってくれると嬉しいですね。この作品も大阪が舞台なんですか?
伊藤……複雑なテーマに触れていますので、広い意味での関西にしています。平成しか知らない子どもたちにどうやって昭和を伝えようか、いろいろと考えました。音楽だって、小説内に登場する「ガンズ・アンド・ローゼズ」より、今流行っている他のバンドにしたほうがいいのかもしれない。でも最後は、やっぱりこれしかない! という思いで書き進めました。自分が好きじゃないことを書いてたって面白くないし、子供たちには見抜かれてしまうでしょう?
佐々木……この作品を読んだ5人に1人は「ガンズ」のCDを買いに行くと思いますよ。タイトルの「ぎぶそん」は、主人公のガクではなく、団地に住んでいるかけるの愛用ギターの名前なんですよね。
伊藤……「ぎぶそん」は語感がよくて、最初からこの作品で使おうと思っていました。中学生にはなかなか手の届かないブランドですが、やっぱり僕も憧れだったですからね。
佐伯……生まれた環境が違う中学生を描いた小説は、私が子どものころにはあまりなかったです。いまでいう格差社会ではないですが、ある意味現実を描いた『ぎぶそん』のような小説に中高生が早くから触れるのはいいことです。
伊藤……僕も、現実にそういう問題があるってことを中学生くらいのころに知って衝撃を受けました。世の中は、きれいごとばかりではないんですよね。でも、きれいじゃないからって目を背けてばかりじゃいけないとも思う。少なくとも、小説がそこを避けちゃいけないなあって。
佐々木……マルチーズの剥製が出てきますが、自分の想像を超えていて驚きました。これは実際にあったことですか?
伊藤……本当にあったことです。近所のクリーニング屋で見たんですよ。ずっと番犬だと思っていたんですが、実は剥製だった。それもまた飼い主の愛の形なのかもしれませんが、僕には愛犬を剥製にするのは無理ですね(笑)。でも、自分とは絶対的にわかりあえないだろうなって感覚の人も、観察しているとまた愛おしいんですよ。
佐伯……『ぎぶそん』はコミック化もされて、さらに手に取るお客様が増えてきて嬉しいです。
伊藤……ゴツボ×リュウジさんに絵を描いていただけたので、助かりました。ドラマCDなんかも出して頂いたし、本当に嬉しいですよ。映像化の話もありますが、ガンズの曲は許可が取れないだろうし、いろいろとハードルが高そうですね……。でも、どんどん広がっていって欲しいです。やっぱり僕は口を挟まないので(笑)。
J文学が苦手でYAに移行していった
佐々木……芥川賞を受賞された「八月の路上に捨てる」は、テーマも絞られていてわかりやすいですし、男女問わず受け入れられる作品ですね。
伊藤……純文学からデビューしましたが、ずっと書き下ろしの単行本ばかり出していて、短篇を書かずにいました。10年の節目にあたり、短篇作品に集中しようと思ったんです。「ボギー、愛してるか?」で二度目の芥川賞落選を経験したあとは、目に見えないプレッシャーも感じるようになり、気が散って仕方がなかったので、なるべく早く受賞したかったですね。ずっとノミネートされ続けている作家の方たちは、クオリティの高い小説を書き続ける精神力と筆力を維持しているわけですから、本当に偉いよなあと、そのとき痛切に感じました。
佐伯……このところ芥川賞を受賞した作品は大半が読者を選ぶものが多かったのですが、伊藤さんの受賞作はとても読みやすかったです。
伊藤……僕がデビューした90年代にはJ文学が流行っていて、若い作家がエッジを利かせた作品を多く発表していました。でも僕はそういうものが苦手で、ヤングアダルトやエンターテインメント作品に移行していったタイプなんです。僕が思い描く純文学とは、余計なものやキザなものを削り取り、本当に純粋なものだけを残した作品のことです。素っ裸で勝負するもの。そこのところを突き詰めた結果が「八月の路上に捨てる」だったので、これで純文学の賞を受賞できてよかったです。
佐伯……その前に芥川賞を逃したときも『ぎぶそん』で坪田譲治文学賞を受賞されたり、2006年は全体的にみると評価は高かったですね。
伊藤……ちょうど芥川賞に落ちて不貞寝をしていたときに、坪田賞受賞の連絡が入ったんですよ。あれはちょっと救われましたね(笑)。
佐々木……併録されている「貝からみる風景」も面白かったです。どうでもいいようなことを恋人や夫と話すときって、本当に楽しいんですよね。
伊藤……受賞作とバランスを取れるように書きました。「貝からみる風景」の夫婦は、突き詰めてお互いのことを考えたりはしません。「こんなこともあるよね」と受け流したほうがうまくいくこともある、というひとつの幸せな形です。お互いのことを一番よく知っているのは、突き詰めて話し合った結果、離婚を選んだ「八月の路上に捨てる」の夫婦のほうなんです。
書き下ろしでも作品を発表したい
佐々木……最新作『フラミンゴの家』はいまの時点で伊藤さんの最高傑作だと思います。エンターテインメントと純文学がうまく混じり合っていて、読後感も温かくてよかったです。
伊藤……そう言って頂けると助かります。ヤングアダルトと純文学、エンターテインメントを全部ひとつに融合した作品をそろそろ書こうと思ってたんです。
佐々木……大阪から離れた田舎が舞台ですが、具体的にモデル場所はありますか?
伊藤……奈良県と三重県の県境がモデルです。近鉄線のとある駅前に、実際、大きな鳥のオブジェがあるんですが、中学生のころにそれを目にして、鮮烈に覚えていました。そのオブジェにフラミンゴのイメージを重ねて、タイトルを「フラミンゴの家」にしました。
佐伯……疎遠になっていても一緒に住み始めるとひとつの色に染まっていく家族の様子がよかったです。
伊藤……人間って本来そういうものですよね。性格が合わなくたって、近所同士、親類同士、付き合っていくしかない。都会ならそういうことを斬り捨てて生きていくこともできるんでしょうけど。
佐々木……作品中に登場する高井戸さんは存在感がありますね。身近にいたら「なんでこんなにバカなんだろう」とイライラしますが、小説で読むと微笑ましく感じます。
伊藤……高井戸は書いていて面白いキャラクターでしたね。やっぱり今も地元に帰ると、ああいう友人ってのがいますよ。
きらら……普段、書店には行かれますか?
伊藤……めちゃくちゃ行きますよ。資料探しが目的のこともありますが、自分の趣味で本を探しに行くことのほうが多いですね。全然自分の作品に生かされないだろうなと知りつつ、好きな作家たちの小説をまとめて買うときが一番楽しい。本をでかい紙袋に入れてもらい、ひいひい言いながら家に帰るときなんか、もう至福です。
きらら……今後のご予定を教えてください。
伊藤……文芸誌や雑誌での連載も続きますが、そろそろ書き下ろしの単行本も発表したいです。あれはこう、何て言うか「本づくり」の原点みたいなものですから。読者の方には関係のないことですが、書き下ろしの作業をしているときって、手作り感が強くなって楽しいんですよね。
佐々木……読者としては、『フラミンゴの家』に続くような、純文学とエンターテインメントが融合した、さらに奥深い作品を読みたいです。
佐伯……多彩な作風で読者を楽しませてくれますが、伊藤さんが一番書きたいものは、どんな小説なのでしょうか?
伊藤……そのときどきで興味が変わりますからね、やっぱり今後もいろんなジャンルをまたいでいきたい。若いころ、「前作を壊してね」とはっぱをかけてくる豪腕編集者たちに囲まれて育ったせいなのか、常に新しいものにチャレンジしていきたいですよ。それじゃあ読者の方は、僕のどの作品を読んだらいいのか迷ってしまうかもしれませんが、そこはぜひ書店員さんに水先案内人になっていただくとして(笑)。どうぞよろしくお願いします。
(構成/松田美穂)
伊藤たかみ(いとう・たかみ)
1971年兵庫県生まれ。95年早稲田大学政経学部在学中に、『助手席にて、グルグル・ダンスを踊って』で第32回文藝賞を受賞して作家デビュー。2000年『ミカ!』(理論社)で第49回小学館児童出版文化賞、06年『ぎぶそん』(ポプラ社)で第21回坪田譲治文学賞を受賞し、同年『八月の路上に捨てる』で第135回芥川賞を受賞する。他の著作は『ドライブイン蒲生』など多数。
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