『空中庭園』からそれまでと違ったものを書くように

加藤……角田さんの作品をずっと愛読していますが、2002年に単行本が出た『空中庭園』あたりから角田さんの作風が変わったように感じていました。
角田……自分のなかで分けて考えてはいなかったのですが、それまでの小説はいわゆる純文学系の雑誌でしてきた仕事だったんです。でもそれらの雑誌からの依頼が減って、このままだと仕事がなくなるかもしれないと思っていたころ、いままで縁のなかった小説誌から執筆依頼がありました。「これを機になにか違ったものを発表しなくては」と、『空中庭園』を書き始める前にはどういう小説にしていくか担当編集者さんと入念な打合せをしました。
有馬……だらしない感じの父親が文句を言われながらも子どもたちと一緒に遊ぶ姿の描写を読んで、これは理想的な家族だと思いました。少しの間でも理想的な家族になれる「一瞬の完璧さ」という言葉はとても印象に残りました。
加藤……私は自分の家族のことを考えながら読みました。優れた家族小説には「いままで普通だと思っていた自分の家族がそうではなかったのかもしれない」と思わせる力があります。
上村…….物語は短篇連作の形でそれぞれの家族の視点で話が進んでいきますが、どうして家族小説を書かれようと思われたんですか?
角田……連載の1回目は締め切りを間違えていて、なにも考えていないのに連載が始まってしまうかもしれないという窮地に陥って(笑)。そこで締め切りに間に合わせるために、98年くらいに「小説新潮」に載せていた小説を元にして書き直しました。その後は家族をひとりずつ語り手にしていけば、とりあえず連作の形での連載になると思ったんです。
直木賞を頂いたあとも心境の変化はなかった
加藤……『対岸の彼女』は私自身一番思い入れがある作品です。これほど好きになれる作品には、私の人生でこれから出合えないかもしれないと思いますし、印象的な台詞やシーンを空で言えるほど読み込んでいます。ちょうどこの本が刊行されたころ、「負け犬」本が流行っていて、初版のオビのコピーも「負け犬」を匂わす内容のものでした。でも読んでみると全然違った印象で、オビの裏にあった「信じられる女友達がほしいのは、大人になってから」という意味の角田さんの言葉のほうがしっくりきましたね。
有馬……専業主婦である小夜子の現在と、独身社長・葵の高校時代が交互に語られています。ちょうど盛り上がってきたあたりで、次のパートに入れ替わるように書かれていて、作品の構図自体も楽しめました。どうしてこのような形をとられたのですか?
角田……それまで長篇小説を書いたことがなく、30代だけの部分で書いていくと、200枚程の話で終わってしまうと思ったんです(笑)。高校時代のパートを入れることで、引き伸ばし作戦に出ましたね。
上村……時系列をずらして立場の違う二人の女性を書いたことが、逆に効いていますよね。角田さんの作品が好きな女友達たちは、どちらかに肩入れして読んだり、また両方に共感したりしていました。私自身も結婚したほうが幸せなのか、しないほうがよいのか、この
作品を読んでよく考えましたね。清掃会社の掃除のシーンがとてもリアルに描かれていますが、取材などはされたんですか?
角田……実際に掃除の業者を頼んでどういった作業をするのかは取材をしました。私は知らないことが多いので、ひとつのことを書くにしても、本や資料を読んでいろいろと調べます。
上村……書店員としてはついつい売ることも考えて作品を見てしまうのですが、『対岸の彼女』が直木賞を受賞されたことで、これまでより多くの方に角田さんの作品を読んでいただけると思うととても嬉しかったです。受賞後、ご自身でなにか変わられた部分はありますか?
角田……直木賞を頂いたあとも自分の心境などに変化はなかったですね。忙しくはなりましたが、前も違う意味で忙しかったので。
毎日読んでもらえるよう意識した新聞連載
有馬……私はミステリ小説が好きだったので、『八日目の蝉』を手にとったときは、これが最後まで読めるかどうか不安でした。でも最初からぐいぐい作品世界に引き込まれ、最後まで楽しく読めましたし、ラストには独特な余韻がありますね。
角田……もっと突き抜けたものが好きな読者の方には、このラストはすっきりしないと言われてしまうんですが、自分のなかではこの形が嘘くさくないぎりぎりのラインです。
加藤……タイトルの「八日目の蝉」には死骸のイメージがありました。でも作品を読むと違ったメッセージがあることに気がつきました。いまは店頭のPOPに「このタイトルの意味がわかったら、角田光代を好きにならずにはいられなくなる」と書いています。このタイトルはいつ決められたんですか?
角田……まず最初に話ありきで、連載の場合はやはり最初にタイトルがないとダメなので、話の輪郭を決めた時点でタイトルをつけていきます。
上村……刊行の時期が吉田修一さんの『悪人』と同じころ、実際にあった事件を題材にした逃亡劇ということで、どちらの作品も話題になりました。不倫相手の子を誘拐するという設定はどこで思いつかれたんですか?
角田……OLが不倫相手の部屋に火をつける事件がありましたね。その事件を書こうという思いはなかったのですが、ただ赤ちゃんを殺さなければよかったのにと思ったんです。ストーリーで不倫相手の赤ちゃんと一緒に逃げるというのは、最初から決めていました。
上村……子どもが戻ってきたときの、実の母親の容子がリアルでしたね。そういう経験がないにも拘わらず、自分の子どもでも簡単には受け入れられないだろうなあと共感できました。この作品は新聞に連載されていたんですよね?
角田……初めての新聞連載でした。とにかく毎日読んでほしかったので、次はどうなるんだろうと読者に思ってもらえるよう意識して書きました。
加藤……私の周りの男性は、『対岸の彼女』は男にはわからない世界だと受け入れがたかったようですが、『八日目の蝉』はとてもよいと言っていました。
角田……確かに女子校の感じは、男性にはわからないでしょうし、嫌悪感すら持つ人がいるかもしれません。女性に向けた作品ばかりを書いているわけではないのですが、30代以上の人を書くなら、男性よりも女性のほうが面白いです。
携帯電話と妊娠問題はとても似ている
加藤……『ロック母』は装丁のつくりも内容も、とてもハードボイルドな本ですね。川端康成賞を受賞した「ロック母」を含めた角田さんの足跡がわかる短篇集になっています。でも読後感のあまりよくない作品も多いですね。
角田……私は読後感の悪い小説を書くほうが得意なんです(笑)。読むのもそういう小説が好きですが、自分の書きやすいところに頼っていてはいけないと思っています。
上村……妊娠経験がある女性を描かれることが多いように思いますが、角田さんとしては「妊娠」というのはどういう位置づけですか?
角田……自分が20代のときは周りにフリーターの人が多かったので、フリーターの話を書いていました。30代に入るとみんな結婚しだして、30代後半になると子どもを産む派と産まない派にはっきり分かれました。自分の年齢では「産む産まない問題」に直面していない30代女性を書くのは不自然なんです。私のなかでは、携帯電話と妊娠は似ていて、いま携帯電話を持っていない主人公を書くとしたら、携帯を持たない理由を書かなくてはいけない。それと同じように、「子どもを産む産まない問題」を考えていない30代後半の女性を書くならば、それを考えない理由に触れないと嘘っぽくなってしまいます。
有馬……いままで短篇小説をあまり読んだことがなかったのですが、短編でもストーリーを身近に感じられたり、短時間で感情移入できるんだなあと角田さんの『ロック母』で気づかせてもらいました。
加藤……私はズルしてあとがきから読んでしまったのですが、「モーツァルトのように全体像が見えている状態で小説を書く天才」だと思っていた角田さんが、実は苦悩しながら小説を書かれていたと知って、素直に驚きました。
上村……あとがきではデビュー作「ゆうべの神様」についても触れられていますね。角田さんはあまり気に入っていらっしゃらないようですが、私はこの短篇も好きです。角田さんの短篇小説はどれもロックな感じがしますし、本当にお上手です。
角田……デビューした当時から短編がとても好きで、「10年後には短篇小説と随筆を書くのがうまくなっていたい」と思っていました。短篇小説への思い入れが強いぶん、それらを多く発表しているような気もします。
上村……『ロック母』には喧嘩をするシーンがありますが、角田さん、喧嘩は強いんですか?(笑)
角田……私、喧嘩はしません。でもすごく怒ったときは手紙を書きます。激情に任せて手紙を書くと論点がずれてしまうので、相手のどこがどういけないと思うのかきちんと怒りが伝わるように、50回くらい推敲して書くんです(笑)。
加藤……角田さんが送った手紙を集めて、怒りの怨恨書簡集が出版できますね(笑)。
角田……私は喋るのが苦手なので、その場で言えないことが多いんです。ブラックな内容の日記も書いていますよ。暇つぶしのときもなにかを書いていますし、書くことは全然苦ではないです。
いまは明るい読後感のものが求められる時
上村……最新刊の『福袋』は、中身がわからないものを人から渡されるというお話で、書店ではお客様から荷物を預かることがよくあるせいか、これは怖いなあと思いながら読みました。たまに荷物を置いたまま戻ってこない方もいて、そういうときも中身は見ないようにしています。
加藤……私は箱おばさんや謎のビデオなど実際に日常で起こったら、面白いだろうなあと思いました。『福袋』は短篇集ですが、これは連作ではないんですね。
角田……「文藝」という雑誌で「角田光代特集をやるから一作お願いします」と言われて最初のものを書いたのですが、そうしたら次も書いてくださいと(笑)。連作という形は取らずに、「得体の知れないものを人から貰う」というテーマで短篇をいくつか書きました。
有馬……主人公たちが中身を想像する様子に自分を重ねて読みました。角田さんの作品はどれも想像力が掻き立てられ、登場人物たちと一緒に読むほうもわくわくできます。『福袋』は希望がもてる読後感のものが多いですね。
角田……いまは明るい読後感のものが好まれる時代ですよね。これは景気と関係があると思っていて、まだバブルの名残があった93、94年くらいまでは、暗い内容の小説が普通でした。不景気になればなるほど、編集者の方も市場も明るい作品を必要としているように思います。
上村……角田さんは日本一締め切りが多い作家さんというイメージがありますが、いま月に何本くらい連載を抱えていらっしゃいますか?
角田……連載を増やしすぎると、打合せの約束を間違えたり、日常生活に支障が出てくるので、エッセイや小説を含め月に28本までと決めています。最近ようやく長篇小説がひとつ終わりました。仕事場でしか執筆をしないようにしていると、生活にメリハリがついて健やかですね。仕事場を離れたところでなにか気になる部分を思い出しても、次の日にしようって思えます。
きらら……今後のご予定を教えてください。
角田……9月中旬に『三月の招待状』という小説を刊行予です。たくさん本を出すのはやめたいんですよ。毎月のように新刊が出ると、書き飛ばしてるイメージになってしまうので、年に2〜3冊が理想ですが、どうしても出版社の言うことを聞いてしまって(笑)。書店に2冊並べていただいてるのも悪くて……、なるべく本を出さないようにしますので、これからもよろしくお願いします(笑)。
(構成/松田美穂)
角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。90年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年路傍の石文学賞、03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞。06年『ロック母』の表題作で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞を受賞。著書多数。
|
|