映画と密接な関係にある『きょうのできごと』
高坂……僕が初めて読んだ柴崎さんの作品は、デビュー作の『きょうのできごと』でした。文芸作品をよく映画化されている行定勲監督の作品が好きで、映画の『きょうのできごと』から柴崎さんの小説を知りました。
柴崎……そういう方はとても多いですね。映画化を機に、この作品を知っていただけて光栄です。私は賞をとってデビューしたわけではないので、初版の部数も少なかった。どうして行定監督が読んでくださったのか今でも不思議なくらいです。
高坂……行定監督は原作にはないオリジナルストーリーを自分の作品に入れることが多いようですが、『きょうのできごと』は原作と映画の雰囲気がとてもよく似ています。原作者としては映画をご覧になって、いかがでしたか?
柴崎…….とても面白く拝見しました。映画と原作が全然違うものになっても構わないと思っていたので、映画化のお話をいただいたときに「好きなように撮っていただいて結構です」とお伝えしましたが、台詞以外の部分でも、私の小説にある場面がほとんど映画に生かされていてうれしかったです。
内田……『きょうのできごと』はとても凝ったつくりの短篇集ですね。引越し祝いの飲み会帰りの話、飲み会の最中の話、飲み会の前の話……と短篇ごとに時間軸をずらし、語り手も替わっていきます。書き始めた時点で、この構成は決まっていたんですか?
柴崎……書き始めたときには、最初の短篇「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」しか考えていなかったんです。担当編集者の方に「後部座席にいる真紀ちゃんはどうして寝ているのか気になる」と言われて「じゃ、考えます」ってほかの4篇を書きました(笑)。
内田……同じ場面が描かれていても視点が変わると違って見える。自分たちが実際に生きている世界もそうだなあと感じました。読み進むとさまざまな視点から登場人物たちのことが描かれていて、相手の「向こう側」が見えるのがいいですね。
柴崎……同じ場所にいても相手の事情って全然わからないんですよね。「本当はこうなのになあ」と私が思っていることすら、相手には伝わらない。そこを書けたら面白いと思いました。
高坂…….映画を観てからまた原作を読み返すと、初読のときには気づかなかった新たな発見もありましたね。
柴崎……私も行定監督の映画を観てから小説世界に戻ってきたときに、新しい想像が膨らんできた部分があります。映画を観たことで発展して生まれた物語が、文庫に収録されている「『きょうのできごと』のつづきのできごと」です。この小説は映画と密接な関係にある作品です。
大阪弁で書いてみたら、すごく楽しく書けた
内田……『フルタイムライフ』ではOL生活がとてもリアルに描かれています。僕も事務の仕事が多い人事部にいたことがある
柴崎……初めていただいた連載のオファーに応えて『フルタイムライフ』を書きました。自分の中にあるものでいま書けるものを考えたときに、以前OLをしていた経験を生かして会社を舞台にした事務職小説を思いつきました。OLという一見地味でので、とても共感できました
。珍しくない仕事でも、外の世界から入ってきた人から見ると、面白いことが多いんですよね。ラジオ体操をする会社があったり、朝礼して社歌を歌う会社があったり、当事者たちには普通のことでも、傍から見るととても新鮮だったりします。コピーをとったりお茶を入れたりすることですら、外部の人には面白いという視点で、この事務職小説を書きました。
高坂……わりと淡々と描かれていますが、物語の最初のほうで主人公が振られるシーンもあり、恋愛の要素も入っていますよね。OLのころの柴崎さん自身もほかの会社の男性に憧れたりしましたか?
柴崎……そういうのはなかったですね。「あったらいいなあ」とは思っていました(笑)。自分が小説に書くぶんには、片思いや失恋の状況のほうが好きなんです。
内田……男女で一緒に友達の家に泊まっても、恋愛関係に発展しないという、異性でも友達でいられる関係を柴崎さんは描かれることが多いですね。
高坂……恋愛に淡白というか、スマートでおしゃれな雰囲気を持つ男性が柴崎さんの作品には多いですよね。「こういう男性になれたらいいな」と同性としても憧れますね。
柴崎……私は小説で個人個人の関係のあり方を書きたいと思っています。ふだんから男女差を比較的感じないほうなので、「恋愛」「友情」というカテゴリーではなく、いろんな関係があると思って。
内田……柴崎さんの関西弁は、関東に住む僕たちが読んでも読みにくさを感じません。物語のなかから、自然と湧き出てきていますね。
柴崎……そのままの関西弁で書くとやはり読みにくいので、注釈を入れず読める範囲で大阪弁を使っています。デビュー前に登場人物の台詞を標準語で書いたことがありますが、どうしてもしっくりとこない言葉があったんです。
高坂……その言葉って具体的にはなんですか?
柴崎……女の子が「そうやろ」と答える台詞でした。関東出身の大学の友達に聞いてみても、なにか釈然としなくて。「そうだよ」も「そうでしょう」もなにかニュアンスが違う。「そうやろ」しかしっくりくる言葉が自分の中になかったんです。そこで一度大阪弁で書 いてみたら、すごく楽しく書けたので、「こりゃ、いいな」と思いましたね(笑)。
場所だけでなく日付も決まらないと書けない
内田……私は柴崎さんの作品のなかでは『その街の今は』と『また会う日まで』がとりわけ好きです。この二作品はとくに「大阪」でなくてはならない、または「東京」でなくてはならない「場所」の必然性が強く感じられ、柴崎さんの小説をあらためて「すごい」と確信した二作品です。
柴崎……ありがとうございます。『その街の今は』と『また会う日まで』は刊行順と執筆順が逆で、先に『また会う日まで』を書き上げました。この二作品はほぼ同時期に考えていましたが、『また会う日まで』は「それまで書いてきたものの集大成になる作品にしよう」と書いた小説、『その街の今は』は『また会う日まで』までで達成できたことをつぎ込んで大阪の街そのものを書こうと思った作品です。
高坂……『また会う日まで』の冒頭、表参道の地下鉄をあがっていくシーンがいいですね。読んでいて、実際の映像が見えてくるようです。
内田……あまり東京の人同士でも話題にのぼらないような珍しい地名も出てきますし、柴崎さんの「場所」の選び方がとても新鮮ですね。
柴崎……『きょうのできごと』から一貫して、実在の「場所」にこだわっています。その場所の持っている、その場所にしかない「何か」を書くのがひとつのテーマです。『また会う日まで』では余所者として時々来る「東京」という街を書こうと思いました。
高坂……大阪を舞台にした『その街の今は』とさきほどの『フルタイムライフ』はどこかで物語が繋がっていて、同じ人物が行きかっているような雰囲気があります。小説のストーリーに出てはこなくても、なぜか同じ空間で生活をしているように感じるんですよね。
柴崎……私のなかでは『その街の今は』と『フルタイムライフ』は同じ空間にありますよ(笑)。「このお店はここ」と同じ地図上で描けるくらい。『フルタイムライフ』に出てくる人が、『その街の今は』に出てきても全然差し支えはありません。
内田……東京の街を実際に描かれてみて、違和感なく書けましたか?
柴崎……「場所」を書くのが好きですし、東京のなかでも自分が行ってみて心に残った場所を書いています。馴染みのある大阪を書くのと同じように楽しいですね。
高坂……東京でいま気になる街や、今後舞台にしたい街はありますか?
柴崎……ずいぶん知っている場所も増えてきましたので、また東京を舞台に書いてみたいですね。どこかおすすめの場所はありませんか?
高坂……僕は横浜出身なので、横浜を舞台に書いてもらえると嬉しいですね(笑)。やはり書かれるときはその場所を取材されるんですか?
柴崎……自分が普通に生活しているなかで印象に残っている場所を出発点としているので、取材はしません。趣味で写真を撮っているんですが、写真を見て書くと情報が一面化して逆にうまく書けない。思い出して書くほうが後から気づくことも多くて、もしわからないことがあればもう一度現地に行って覚えて帰ってきます。私は「場所」にもこだわりますが、「日付」も決まらないと書けないんです。作品には書かれていなくても、その出来事が何月何日なのか決めたカレンダーをつくっています。
高坂……そういえば『きょうのできごと』では日付と時間もきっちりと決まっていましたね。
柴崎……徹夜で飲み会をするのなら次の日は休日じゃないとおかしいですよね。曜日によってもその日起こる出来事が変わってくる。季節によっては着る服装も変わりますし、行事も違いますから。
自分の本を買っている現場に遭遇して……
高坂……『その街の今は』『また会う日まで』以後の作品は柴崎さんにとってどういう位置づけになるのでしょうか?
柴崎……この二作品を自分の第1期の境目だと思っています。そのころ、高橋源一郎さんと対談をさせていただいた際に、「人間は7年で細胞が入れ替わるから、7年ごとにスランプがくる。本当に何も書けないんだよ。スランプは楽しんだらいい」と言われたんです。ちょうどそのころデビューして7年ほど経っていて、自分でも今の書き方でできることはある程度やったという気持ちがあったんですよね。タイミングよく高橋さんからそのお話を伺って、その後は新しいものにチャレンジしようと思って執筆しています。
高坂……最新刊の『星のしるし』では突然登場人物のカツオが消えてしまいますが、いったいどこへ行ってしまったのか気になりました。
柴崎……どこへ行っちゃったんでしょうね。それは私にもわかりません(笑)。果絵さんがカツオのことをわからないのと同じくらい、私もカツオのことがわからない。置き手紙に書いていたことが本当かどうかもわかりません。カツオは書いていて楽しいキャラクター だったので、またほかの作品でもカツオが出てきて、「ここにいたのか!?」っていうことはあるかもしれないです。
内田……果絵はいま「アラサー」と言われている20代後半の女性で、この年代特有の悩みを抱えていますね。
柴崎……30歳を過ぎると楽しいのに、28、29歳の女の子がどうしてあんなに「いやだなあ」と思っているのか不思議です。自分もそうでしたが(笑)。自分の道が定まらない一方で、同じだと思っていた友人たちがいろいろな道へと分かれていく。「自分はこれでいいのかな」と思ったりするのはいつの年代でもありますが、20代後半は一番顕著にその悩みが現れる時期だと思います。逆に男性は20代後半の時期はどう思われるんでしょうか?
高坂……僕は結構ブルーでしたね(笑)。奥田民生さんが「早く30歳になりたい」とインタビューで仰っていて、「ほんとかよっ!?」と思っていました。仕事の責任も増え大変になってくるイメージが漠然とありました。逆に30歳を超えてからのほうがいろいろなことが楽しくなりましたね。
柴崎……子どものころは「年を取るほど自由になる」という意味がわかりませんでしたが、いまはとても実感しています。次は「年を取ることが楽しい」という方向で小説を書いていきたいですね。それになぜか長生きしている作家の方の小説が私は好きなんです(笑)。年を追うごとに独特の世界をステップアップしていて面白いですよね。
高坂……ふだん書店に行かれることはありますか?
柴崎……どの本を読もうかなあと書店の書棚を見るのが好きなので、書店にはよく行きます。自分の新刊が出たときに「誰か買わないかな」と売り場を見に行ったりしたこともあります。ちょうど自分の本を買っている現場に遭遇したことがあって、そのお客様を追いかけて「今買われた本の作者です」とお礼を伝えたこともあります(笑)。
高坂……それは柴崎さんにとってもお客様にとっても素晴らしい経験ですね。僕のお店では柴崎さんの作品をたくさん積んで展開しています(店頭の写真を見せる)。
柴崎……大プッシュ、ありがとうございます。書店員さんには作品を読んでいただき、積極的に店頭で紹介していただいて、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。これからもよろしくお願いします。
(構成/松田美穂)
柴崎友香(しばさき・ともか)
1973年大阪府生まれ。2000年『きょうのできごと』で作家デビュー。07年『その街の今は』で第23回織田作之助賞大賞、第57回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。その他の著書に『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』『青空感傷ツアー』『ショートカット』『主題歌』などがある。
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