アンケート






  第46回 津原泰水さん
  好きな作家の小説が書店に並んでいたほうが元気になれるかもしれない。
   そう思ってからは、作家を一生の仕事にしようと決めました。




 少女小説家としてデビューし、当時の女子中高生から熱い支持を得た津原泰水さん。このたび新刊『たまさか人形堂物語』の発売にあわせ、ブックカフェ「アラビク」(大阪)で行われた人形展「人形がたり」。人形展会期中の「アラビク」をお借りして、「きらら」書店員さんインタビューが始まって以来初の、公開インタビューを敢行した。妖艶な人形に囲まれ幻想的な雰囲気のなか、「アラビク」の森内憲さんとギャラリーのみなさんが、津原さんの作品の魅力を紐解いた。






手塚治虫さんの・スター・システム・のように


森内……『蘆屋家の崩壊』はホラー小説からSFテイストのものまで多種多様なジャンルの短篇が収録された小説集ですね。それぞれの短篇で違った雰囲気があり、どれも楽しく拝読しました。

津原……この『蘆屋家の崩壊』を刊行したころは、「短篇、冬の時代」といわれていたほど短篇集が売れない時期で、僕のような駆け出しの作家が短篇集を出すのは異例のことでした。ですから「長篇一冊分のアイディアを短篇ごとに投入しないと、一生、短篇集にまとめるチャンスはない」と思って書いていました。アイディアを吐き出してしまえば、また新しく思いつくもんです。依頼があれば何度でも『蘆屋家』を書きますが、いまはちょっとめんどうくさいかな(笑)。意図的にテイストを散らしたわけではないものの、捨て珠のような作品がないと感じていただけたなら、著者として嬉しいです。

森内……収録されている短篇はさまざまな文芸誌で発表されていますが、媒体が異なっても同じ主人公で書かれていたんですね。

津原……当時、短篇の依頼があると、なにかと語り手の名前を「猿渡」にしていました。いつかどこかで一冊にまとまるといいなあ、という思惑は最初からありました。

森内……主人公の「猿渡」のほかに、色白の怪奇小説家で「伯爵」と呼ばれる男も出てきますが、これもいずれ一冊の本になることを想定されて登場させたキャラクターですか?

津原……手塚治虫さんの作品の・スター・システム・のように、「伯爵」や「斐坂」もなにかと登場しますが、同一人物ではない場合も多々あります。見慣れた顔がちょっと出てくるのは、単純に面白いじゃないですか。

森内……そういえば「猿渡」には苗字しかありませんね。

津原……ええ、いまだに名前がありません。どんな名前をつけても読者に違うと言われそうな気がしています。そもそも僕は登場人物の容姿も滅多に描写せず、読者の方の想像にお任せしています。みなさん、美女やイケメンを想像されるんですよ。

森内……読者の好みによって好きな短篇も違うと思いますが、最後の短篇「水牛群」のファンは多いですね。新刊の『たまさか人形堂物語』でも「水牛」が出てきますが、津原さんにとって「水牛」とはどういう存在なのでしょうか?

津原……僕は名前に「水」がたくさん入っています。子どものころによく溺れた経験も手伝ってか、「水」を混沌の象徴と捉える傾向があります。占い師の方に女難水難の相があると言われるんですが、一説に女難と水難は同じ相なんだとか。僕の家は女系で「なんでこんなに女性からいじめられるんだろう」と思いながら育ちました(笑)。渦巻きの紋様は象徴学的に「水」を表します。牛の角の丸まりも、見る人が見れば「水」。かつまた生命というのは混沌(=「水」)のなかでしか生まれえません。そういったヴィジョンが炸裂したのが、「水牛群」だったといえるかもしれません。

森内……『蘆屋家の崩壊』や『少年トレチア』『ペニス』でもそうですが、津原さんの作品では語り手がこの小説を語る理由をまず述べています。たとえば『蘆屋家』では「覚書」と定義付けをされていますが、こういう形式をとったのはどうしてですか?

津原……既存の小説を読んでいて、僕自身、とても気になるんです。ある意味、神の視点で語られている三人称の小説では気になりませんが、一人称のものは論理的に気になります。たとえば読み書きができない人が一人称で語っている場合、この文は誰が書いたものなのか? 物語と語り手との距離は、文体にも関わってくることなので、地固めしてから書くようにしています。



やはり「言の葉」というのは「音」


森内……短篇集『綺譚集』に収録されている「古傷と太陽」は朗読用に書かれた小説でしたね。

津原……ええ。声優の栗田ひづるさんに朗読していただくために、自分でカセットテープに吹き込んだものを原稿に起こしていきました。だから最初から「語り」です。

森内……津原さんが書く文章には心地よいリズムがあります。津原さんは音楽活動もされていますが、文章を「音」として意識されることはありますか?

津原……僕は子どものころから目が悪く、記憶するのも「音」が中心なんです。読者が音読なさって心地良い文章を心掛けています。リズムのいい文句は記憶しやすいですよね。いい文章かどうか迷ったときには、読んでみて調子がよければよしとします。名調子の多い泉鏡花の作品を読むと、やはり「言の葉」というのは、まず「音」なんだなと痛感します。

森内……短い小説ですと、津原さんは手書きで書かれる場合があるんですよね。『綺譚集』のなかからですと、どの短篇になりますか?

津原……「玄い森の底から」は大半手書きです。旅行に出かける寸前で手元にパソコンがなく、最後はコンビニのファクスで送りました。道具に拘って書けなくなるのは恐ろしいことですから、僕は紙とペンがあればいつでも書ける状態でいたいですね。

森内……手書きとワープロとではなにか違いがありますか?

津原……そんなに違いはありません。ただ手書きだと最近漢字が思い出せない(笑)。よく旧字を使うので表記にこだわりがあるように思われがちですが、表記に関しては意外とラフです。一篇のなかでは法則性を決めて通底させていますが、この漢字の使い方じゃないとダメというのはありません。ただワープロに書かされるのは厭なので、ワープロ変換のままということはまずないですね。むしろ縦書きと横書きのほうが僕には違いがあります。僕はノートでも縦書きで書くんですよ。



人形作家の方の職人性に胸を打たれる


森内……ブックカフェ「アラビク」を始めたときにほかの書店との差別化をはかろうと、創作人形も取り扱うようになりました。以前から人形展をやりたいと思っていたので、面識があった津原さんの『たまさか人形堂物語』の上梓に合わせた人形展を開催することにしました。

津原……僕はもともと人形が好きというわけではなく、家に一体もないんですが、四谷シモンさんをはじめ人形作家の知人が多く、取材しやすい環境にいました。日本は世界に誇るべき人形文化を持った素晴らしい国です。そこに小説の側から目配りをしておきたい気持ちもあり、この『たまさか人形堂物語』を書きました。

森内……「玉坂人形堂」で働く師村さんは人形の修復師という、どちらかというと後ろ向きの仕事をしています。一方、人形愛からラヴドールをつくる束前さんは、最先端の新しい人形を生み出すことに全力を尽くしている。この二人の対比がとても面白かったです。

津原……企業秘密が多いなか、ラヴドールの工房を取材できました。ラヴドールの製作者のストイックさ、真面目さに、強烈な印象を受けました。人形作家の、芸術家ぶりよりも職人性に胸打たれることが多く、自分なりの職人論、職業論も作品に織り込みました。人間に最後まで必要なものはなんだろうかとまで、突き詰めて考える羽目におちいりました。それはやはり「誇り」でしょうね。生きている間の「誇り」と墓まで持っていける「名前」。この二つが人間に真に必要なものだと今は思います。

きらら……人形が怖いとまったく受け入れられない人と、きれいだと魅了される人がいます。この違いはどこからくると思われますか?

津原……人形に近いものに彫刻がありますが、彫刻を怖いと感じる人はあまりいません。四谷シモンさんでさえ「怖いよね」と言うんですから、人形を「かわいい」と言うのも「怖い」と言うのも正しい。人形を怖いと感じるのは、その向こう側に「人間」の息づかいを感じるからでしょう。裏を返せば、作った人間の情念やドグマがこもっている人形ほど面白く、人はそれを所有したくなるとも言えます。

森内……仕事柄、人形が題材になった小説を多く読みましたが、ホフマンの『砂男』から江戸川乱歩の『人でなしの恋』まで、少女人形に恋をした男が人形に取り込まれていくような話が多い。ところが津原さんの『たまさか人形堂物語』は人形と人との距離がきちんとあり、画期的な部分の多い珍しい小説ですね。

津原……自分はこういうスタンスで、と決めつけてしまうのは危険ですから、今後、新しい立ち位置を見出す可能性もおおいにあります。正直、この作品は実社会とのバランスをとるのが大変でした。人形作家とそれを取り巻く世界も、ラヴドールの業界も、厳として存在する。商売の邪魔をするわけにはいかないですしね。

森内……実際に読まれた人形製作関係者からの評判がとてもいいですよ。いま創作人形は作り手と買い手が非常に近く、純文学のような閉じられた世界になっているんです。津原さんの『たまさか人形堂物語』のお力を借りて、人形というものをみなさんに知っていただけると嬉しいですね。



女性作家の作品は女の性を感じさせない


森内……『赤い竪琴』はこれまでの津原さんの作品のなかでひときわテイストが異なる小説ですね。30代半ばの女性デザイナーを主人公にした大人の恋愛小説に仕上がっています。

津原……『赤い竪琴』は恋愛小説を書いてほしいという依頼で書きました。照れの産物だとしたら作家として恥ずかしいのですが、恋愛小説の体裁で架空詩人の伝記を書いたつもりです。僕が書いた詩も引用のように読めて、「こういう人、本当にいたかもしれない」と読者が騙されてくれたらいいなと思っています。

森内……本誌の「小普連」コラムでも書きましたが、この『赤い竪琴』はある意味バッドエンドにもとれます。ラストの電話での会話シーンは書き始めた時点で決まってらっしゃいましたか?

津原……最初から決まっていました。現実とも決意ともとれるように、と。いつも最後の一行は早い段階から見えています。今のと同じ質問を漫画家の萩尾望都さんにしたことがあるんです。萩尾さんの言葉をそのまま使わせていただくと、「急行の駅は決まっているけれども、各駅停車の駅は決まっていない」ということになるでしょうか。この作品は、少女小説を書いていた「津原やすみ」を支持してくださったファンを念頭に置いて書きました。デビューして20年が経って、読者にも同じ時間が流れています。永久に少女でありながら、成熟した女性でもある往年のファンに向けて書きました。

森内……「津原やすみ」名義のころは性別を公開していらっしゃらなくて、津原さんを女性だと思っていた読者は多かったんです。津原さんご自身はどうお考えだったんでしょうか?

津原……ファンレターを読むと、みなさんが僕を女性だと勘違いされているのがよくわかりました。「本を先生に没収されました」という手紙も多かった(笑)。男性だとバレたら大変だなあと思う半面、なにもかも分かってしまったあと、「それでも捨てられない」と、お嫁に行くとき持っていってくれたら嬉しいなと、そういうものを書かねばと、気を引き締めなおしていました。ほかに出来ることがなかったんです。

森内……今日いらしたお客様のなかで、「津原やすみ」時代からのファンの方はいらっしゃいますか?

ファン……津原さんが男性と知ってとてもびっくりしました。でも読み返してみると、確かに作品に女性っぽさがないんですよね。

津原……女性作家は、ことさら自分の性を意識させるように書いたりしません。男が男性の一人称で書いたとき、「オレの自慢は筋肉だぜ」とわざわざ書かないでしょ(笑)。それと同じで、女性が女性を描くとき、わざわざ可愛いアイテムを並べたりしない。女性を演じているつもりのなかった僕は、平気で素っ気なく書いていましたから、なおさら読者は「津原やすみ」を女性だと思われたのかもしれません。

森内……少女小説時代のファンの方は積年の思いがあるかもしれませんね(笑)。

津原……ごめんなさいね。僕はすぐに少女小説をやめるつもりだったんです。若い書き手のほうが読者に年齢が近く、ビビッドなものが書ける。一方僕は、だんだん自分の文章に加齢臭がしてくるようで、少女小説が年齢的にもつらくなっていました。もうやめようとそればかり考えていたころ、阪神淡路大震災が起きました。当時、関西在住の方からもファンレターをたくさんいただいていて、僕も現地でボランティアするべきかと迷いました。でも街が復旧して生活を取り戻せたとき、好きな作家の新作が書店に並んでいたほうが、彼らは元気になれるかもしれない。そう思って、目の前の原稿を完成させると決め、同時に作家を一生の仕事にしようとも覚悟しました。

きらら……最後に「きらら」を読んでいる書店員のみなさんにひと言お願いします。

津原……僕のような作家はまず食べていくだけでも難しいにも拘わらず、書店員さんにかわいがっていただいて本当に感謝しています。今後の展望としましては、きっとビッグになってご恩をお返します(笑)。






(構成/松田美穂)



津原泰水(つはら・やすみ)
 1964年、広島市に生まれる。青山学院大学国際政治経済学部卒業。89年、津原やすみ名義で少女小説家としてデビュー。96年、現名義で『妖都』を上梓。幻想小説の新旗手として注目される。2006年、自身の高校時代に材をとった『ブラバン』が話題となる。著書に『綺譚集』『赤い竪琴』『ピカルディの薔薇』〈ルピナス探偵団〉シリーズなどがある。