第1回警察小説新人賞は、
7月8日に開かれた選考会
(選考委員 相場英雄氏、
月村了衛氏、長岡弘樹氏、東山彰良氏)で
最終候補作三作に対し議論が重ねられた結果、
受賞作が決定しました。

『泥濘の十手』
麻宮 好

『スーサイド・システム』
北川祥二

『県警の守護神 警務部監察課訟務係』
水村 舟

 四十の手習いならぬ、五十の手習いとばかりに小説を書き始め、その面白さに病みつきになること七年あまり。気づけばたくさんの習作に囲まれておりました。

 不出来であっても、作中の登場人物たちは、手塩にかけて育てた可愛い〝我が子〟ばかりです。その中でも、とびきり元気な少年二人が愚鈍な作者の手を引いて、「同心・岡っ引きもの」という新しい物語世界へと誘ってくれました。初めて足を踏み入れた世界でしたが、迷いながらも何とか目的地に到着できたのは、彼らの道案内があったからかもしれません。立ち止まり、あるいは引き返し、時に全速力で駆け抜けた創作の旅は今までになく楽しいものとなりました。

 こうして完成した本作で「第1回警察小説新人賞」をいただけたことは望外の喜びであると同時に、身が引き締まる思いです。時代小説という枠組みながら、警察小説として評価してくださった選考委員の方々、編集部の方々に心より感謝申し上げます。

あさみや・こう……1964年群馬県生まれ。津田塾大学卒。 会社員を経て中学入試専門塾で国語の講師を務める。神奈川県在住。

『県警の守護神 警務部監察課訟務係』──警察の訟務担当、民事訴訟という今まで接したことのない設定に驚いた(面白く読んだ)。
 民事訴訟で勝訴を得るために、事実を曲げてまでも組織を守ろうとする荒川のキャラクター設定は斬新、かつ勧善懲悪でないところに好感が持てた。また、白バイ隊員になるための狭き門に関する描写は、知っているようで知らなかった話題であり、作者のこだわりの強さ(良い意味で)が感じられ、興味深かった。
 一方、荒川のキャラがやや弱い。もっと辛辣で毒舌で、ぶっきらぼうな方がストーリーに没入できたかも。また主要キャラの数が多く、物語に通底するテーマを探しづらい面もあった。
民事訴訟の法廷の描き方もやや複雑。荒川のキャラをあと一歩活かし切れていない印象を持った。プロットを組み立て直し、ストーリーの流れを整理すれば十分デビューできる力量あり。

『スーサイドシステム』──近未来という設定に驚く(好感)。警察組織を軸に据えたストーリーテリングは実に巧み。近未来の国際情勢を土台に据えたテーマは秀逸で、警察に自衛官が加わるなど、将来的に起こりそうな事象を取り上げる構想力は抜群の力量。
 AIを駆使した「ムジン」の使い方、また、銃器の扱い方も非常に巧み。キャラの能力を上回ってしまう「万能感」を出さずに、必要最低限のツールとして使いこなしている筆力はたしか。
 「スーサイドシステム」の真相を知ったとき、これは現実社会の中でも国家権力が実際に使用しそうな話で身震いした。フェイクニュースで群衆がミスリードされる様も圧倒的なリアリティーがあった。
 一方、キャラクターが多すぎ、かつそれぞれの人格に深みがない印象も。主キャラ、準キャラの深みを出し、各エピソードにつなげていけばさらに面白いストーリーになったのではないか。

『泥濘の十手』──キャラの立て方が今回の候補作の中で一番巧み。流れるような文体、各キャラクターの視点、そこから広がる江戸の風景描写が秀逸。ハイテクの通信機器が使えない江戸時代にあって、現代にも通じる〈心の病〉を取り上げたことで、読者を物語に引き込む点は非常に力量が高い書き手だという印象を持った。今後、シリーズ化されるようなことがあれば、継続的に読みたい作品。
 一方、各キャラの心象風景についての記述がやや長く、物語のテンポを削いでしまっている。各キャラの立て方が巧みなので、もう少し心象風景が短くても、作者の発するメッセージは十分読者に届くはず。個人的な好みとして、奉行所内のドロドロとした人間関係、パワハラ的な要素も読みたかった。
 また、岡っ引きや同心、与力など権力構造の説明ももう少し丁寧に描かれると、江戸の「警察組織」としての立ち位置や、役割が読者にさらに伝わったのではないか。

『県警の守護神 警務部監察課訟務係』──警察小説新人賞候補作だけあって、「監察課訟務係」という実在の部署を題材にした着眼点は素晴らしいと思いました。私だけでなく、他の委員も膝を打ったことでしょう。その発想だけでもう第1回受賞作にふさわしいとさえ思い、期待しつつ読み進めました。
 しかしせっかくの題材を充分に活かすことなく終わってしまい、大変残念な結果となりました。題名自体がミスリードかと紛うほど訟務係・荒川が活躍せず、白バイ隊員の話になっていて、ストーリーや構成に混乱が見られます。
 何より致命的であったのは「そもそも弁護士が提訴しなければ何事もなかった」ということで、この一点で全体が崩壊しています。応募前に何故そのことに気づかなかったのでしょうか。作者の方には作品をもっと客観的に推敲されることをお勧めします。

『スーサイド・システム』──この作品の主軸も、タイトルであるスーサイド・システムと、主人公達が追う犯人の目的とに割れています。
 細かい点がいろいろ気になったりもするのですが、特に指摘しておきたいのは「ストーリーしかない」という点です。「ストーリーを駆動させるのはあくまで人物であるべき」で、この作品の登場人物はストーリーの都合に従って動かされているだけに見えてしまいます。人物描写が決定的に欠けていては小説として評価のしようがありません。
 もっとも文芸・小説というのは懐の深い自由な表現でもあるので、人物描写を必要としない小説もあり得るでしょう。しかしこの作品は、そして警察小説新人賞が求める作品は、そうではないだろうと考えます。

『泥濘の十手』──読み始めてすぐに、作者が時代小説に親しんでこられた人であることに気づきました。堂に入った書きぶりで、江戸情緒、人物描写ともに立派なものです。候補作の中では小説として最も優れているのは一目瞭然で、異議なく授賞となりました。
 但し私が唯一気になったのは、この作品はカテゴリーエラーではないかということです。警察小説新人賞の募集要項では確かに時代小説でもOKと謳われていますし、私もその点に異論はありません。
 しかしそれは「町奉行所もしくは火付盗賊改といった江戸の司法制度やその周辺を題材にしている場合に限られる」のではないか、と考えたからです。「町奉行所という組織が機能し、下手人の捕縛に至る」ものでもいいし、「町奉行所の闇を描く」ものであってもいい。しかし本作は、町方同心の登場する正統的な捕物帖ではあっても、町奉行所というシステム自体が絡んでくるわけではありません。
 選考委員として葛藤はあったのですが、総合的に考えて「セーフ」と判断しました。
書ける方であるのは間違いないので、ジャンルという制約は意識せず今後は自由に筆を振るって頂きたいと願っております。
麻宮さん、おめでとうございます。

『県警の守護神 警務部監察課訟務係』──警訟務係という部署にスポットライトを当てた警察小説を、私はこれまでに読んだことがなかったため、新鮮に楽しむことができた。警察と民事訴訟。この題材だけでも興味深いが、そこに白バイ警察官の悲哀を裏テーマとして絡ませたところも、一つの工夫として評価したい。
 それだけに、プロットの致命的なミスが大きく悔やまれる。弁護士は、わざわざ裁判を起こさなくてもよかったはずだ。また、途中から脇役の視点がわりと無造作に入り込んでくるため、物語の骨格が脆くなってしまったのも残念だ。
 着眼点は申し分ないのだから、話の矛盾点をクリアし、主人公が県警の守護神とぶつかり合うなかで成長していくシンプルな構成にすれば、十分に良作として生まれ変わるのではないか。

『泥濘の十手』──丁寧な筆致によって、作中には最初から最後まで、江戸時代の空気が濃やかに漂っていた。この文章はすでにプロ級であり、読み手は安心して作品世界に身を委ねていられる。
 人物の造形にも抜かりがない。特に二人の男児は魅力的に描かれていて感心させられた。作者にはぜひ本作のキャラクターをそのまま使ってシリーズものを書き継いでもらいたい、と思ったほどだ。
 強いて難点を挙げるなら、放火事件の真相にさして驚きがないところか。本心を言えば私としては、「賞の性格を決定づけることにもなりかねない第1回の作品には、強烈な意外性で大向こうを唸らせるものを」と密かに期待していたため、その点では少し物足りなかった。
 しかし作者の持ち味は、どうということのない話をひたすら綿密に描くことで面白く読ませてしまう技術にあるようだから、そこまで望むのは酷だろう。

『スーサイド・システム』──要所に見せ場をきっちりと配置し、高いテンションで読者を引っ張っていく作品になっていたと思う。だが、これほどの内容を限られた枚数で書こうとするのは無理だったのではないか。話のスケールが大きすぎたせいで、小説というよりはあらすじを読んでいる気にさせられてしまった。
 警察と自衛隊との関係といった、従来の警察小説を飛び越えようとするテーマの選び方は野心的ではあるものの、文章が総じて荒っぽいため、眼高手低に終わった感がある。
「事件ヅキ」のアイデアは見事だったし、とびきり優秀で残虐な中共の工作員や、常に裸でいる裏社会のボスのようなキャラクターを見るかぎり、面白い人物を作ろうという意欲も十分に感じられたため、とても惜しい気がした。

 三作に共通して言えるのは、女性が主人公(もしくはその一人)であることだ。いずれも芯の強い気丈な人物として設定されていたが、ヒロインの顔が最もはっきり見えたのが「泥濘の十手」であり、この点からも同作を文句なく受賞作として推した。

第1回の受賞作に輝いた『泥濘の十手』は、失踪した岡っ引きの父親を捜す娘の奮闘記です。
 たしかに情報を開示するのが早すぎたり、脇役の描写がやや弱い部分も散見されましたが、安定した筆力で他の候補作を圧倒していました。細部にまで目端が行き届いていて、登場人物を過不足なく使い切っているところが見事でした。
 主要な登場人物たちがおたがいの生き様からなにかを学び取り、少しずつ自分自身を縛り付けていた屈託や劣等感から解き放たれていく様は、読んでいてすがすがしさを感じました。
歴史時代ものにありがちな用語解説がうるさくなりすぎず、自然に差し挟まれているので、物語の流れが阻害されることもありません。
 ところどころに滲み出る人生訓はけっして目新しくはありませんが、物語の素直な展開のおかげで、一周回ってしっかり腑に落ちました。
 貫禄ある書きっぷりはデビュー前とは思われないほどで、間違いなく長く書きつづけることができる作家になると思います。おめでとうございます。

『スーサイド・システム』は、中国とアメリカが交戦状態に突入した東アジア紛争を背景に、中立を守る日本の特殊部隊員の活躍を描いたSFサスペンスです。
 戦闘シーンは迫力があり、台湾有事から東アジア紛争へと至る状況設定もいかにもありえそうに思え、空恐ろしくなりました。
 悪者の狙いは天安門事件を真似た偽旗作戦です。つまり反戦デモを戦車で制圧し、それを政府がやったことに偽装したいわけですが、平時であればデモに戦車が投入されることはまずないので、その展開が不自然にならないように、伏線として東京の治安悪化が強調されます。
 テロリストは事前に市街地を戦車で襲撃までします。しかしそのようにしてしまうと、本番のデモで戦車が暴れても、国民はテロリストの仕業だと思うのではないでしょうか。天安門事件といえば人民を襲う戦車のイメージが強いのですが、そのイメージに固執するあまり、作者の都合で物語の鼻面を引き回している感覚が拭えませんでした。スーサイド・システムのインパクトが弱かったのも残念でした。

『県警の守護神 警務部監察課訟務係』は、オートバイで事故死した少年の背後に隠された警察内部の腐敗を、主人公の女性警察官が暴くという筋立てです。文章は読みやすく、つぎつぎに新事実が重ねられていくスリリングな展開に引き込まれます。
 しかし、いかんせん瑕疵が多すぎました。死亡した少年の義父は弁護士で、事故として処理された事案を大騒ぎして訴訟に持ち込みます。彼の目的は事故車に同乗していた実子を警察の魔手から守ることですが、そもそも誰もこの実子に注目していないので、はじめから訴訟なんか起こさなければなんの問題もありませんでした。
 悪事に加担した警察官の動機が誰も彼も「白バイ隊員になりたいから」というのも首を傾げざるをえませんでした。細部の作り込みが足りず、もっと物語の要請を見極めて推敲を重ねる必要があるように思いました。