第5回警察小説新人賞は、2026年7月9日(木)に開かれた選考会 (選考委員=今野敏氏、月村了衛氏、東山彰良氏、柚月裕子氏)で 最終候補作3作に対し議論が重ねられた結果、下記のように決定しました。

  • 今野敏
    「エンタメへのこだわり」

「聖女リリィの贖罪」 樋口漣
 現実に事件が起きるわけではないのに、興味が尽きず面白く読める。ただ、全体のバランスがよくないと感じる。おそらく、第四章と第五章だけの短編ならまとまりがよかった気がする。
 物語とあまり関係のない情景描写や心象の記述が多く、編集していない動画をずっと見ているような印象がある。描写力はあるのでとても惜しいと思う。
 清水係長と愛鈴の関わり、ミモザと航汰、愛鈴の関係などもっと書き込んだら、読み応えのある作品になっただろう。

「光と影のペルソナ」 推元理史
 面白い要素がたくさん入っている。女になりすました犯人による殺人かと思わせておいて、実は殺し屋組織の構成員だったという話。しかもその殺し屋を統括しているのは警察幹部で、過激な分派と抗争している……。それぞれのキャラクターの過去のエピソードも興味深い。
 これだけの要素があれば、面白い作品になっていたはずだが、実際には第二章以降はあらすじの説明になってしまった。
 どうすれば小説として成立するか、真剣に悩んでしまった。一つはやはり視点の問題だろう。葛城という刑事単独の視点で、捜査の過程でメトセラやゴエティアの秘密が明らかになる……。私ならそういう方法をとるのではないかと思った。

「未練の事件簿」 涌井学
 読後、少なからず興奮していた。過去の中学生男女の自殺から、女性教員のばらばら死体の話につながり、それが四人の連続殺人に。展開が見事で、物語から眼が離せなかった。
 会話が軽妙で、決して押しつけがましくないユーモアがあり、文章の呼吸もいい。
 選考会で私が○をつけ、他の選考委員が全員×だったときは驚き、衝撃だった。
「この軽い文体で、これだけの重い内容を扱っていいのか」
「子供が教師の遺体を解体すると、大きなトラウマが残るだろう。そのような重要なことに考えが及んでいない」
 などなど言われてみればもっともな指摘があった。だが、読んでいるときにはそれらのことには気づかなかった。これは作者が巧妙だからではないか。
 エンターテインメント小説の書き手として、私は読者をもてなすことを心がけている。楽しんでもらうことが第一なのだ。テーマや問題意識は、その後から自然に立ち上がってくるのがいい。その点で、この作者には同質のものを感じる。だから○だったのだが、もちろん他の選考委員の指摘にもうなずけるので、受賞作としないことには納得した。
 とても残念なので、次回作に強く期待する。

  • 月村了衛
    「受賞作なしとした理由」

「未練の事件簿」
 評価すべき美点を有しながらも、瑕疵があまりに多すぎる作品でした。とりわけ私が最大の問題であると感じたのは、「子供達の将来を案じる人が、その子供達に人体の解体を命じるものなのか」ということです。その心理に説得力を持たせるには、相当の筆力が必要となるでしょう。ライトでコミカルな筆致と内容との乖離も気になりました。瑕疵は根気と精神力、それに作者のアイデア(引き出し)さえあれば修正は可能ですが、文体を変えてしまうと本来の美点まで失われかねず、修正は極めて困難であると判断せざるを得ませんでした。

「聖女リリィの贖罪」
 着眼点は個性的で独自性があり、よいと思いました。しかし冒頭から延々と説明が続き、事件が一向に起こらないのはエンタテインメントとしては致命的です。素材のよさを強烈に押し出す構成や語り口を工夫すべきでした。またこの内容であるならば、自殺した個々人の内面にもっと寄り添うべきではないかと思いました。全体に描写の力点を置くべき箇所の判断が間違っているのです。

「光と影のペルソナ」
 公募新人賞の選評において「詰め込みすぎ」というフレーズをよく見かけるので、自分では極力使わないよう心掛けてきたのですが、この作品に関してはさすがに「詰め込みすぎ」であると言わざるを得ません。コミカルな人物像がリアリティラインを下げている一方、題材は深刻で、複雑な設定の説明が雪だるま式に増えていきます。その結果、全体のトーンがバラバラで、どういうスタンスで読んだらいいのか把握することさえ困難になっています。作家は自分が「最も表現したいことは何か」をしっかりと見定めた上で、採り入れるべき要素を取捨選択する必要があるのです。また「あり得ない設定」をあり得るように書くには、世界観の練り込みが膨大に要求されるということを理解して下さい。

 最後に、選考委員の責任として、今回の選考についての総論を記させて頂きます。
 いずれの作者にも独自の作品をものしようという意欲が窺われ、その点を評価したかったのですが、共通した欠点として「すべてが作者の都合で進んでしまう」「説明に終始している」といった点が見受けられました。
「人物はどう描けばよいのか」が体得できれば前者は克服できますし、「説明と描写の違い」が理解できれば後者も自ずとなくなるものと考えます。
 そうしたことを総合的に勘案し、今回の候補者は受賞レベルの手前に在ると判断しました。現状で贈賞すれば、一時的には嬉しくても、デビュー後に途轍もない苦労をすることになるでしょう。それは私どもの本意ではありません。
 候補者の方々には、今回の結果を前向きに捉え、よりよい作品を目指してさらに奮起して頂きたいと願っております。

  • 東山彰良
    「選評」

「未練の事件簿」は元刑事の祖父の力を借りて、現役の刑事である孫娘が未解決事件に挑みます。祖父が解決できなかった過去の事件と現在の事件が錯綜しながら、少しずつ全貌を現わすという展開にはたしかなリーダビリティがありました。AIを駆使してミッシングリンクをシミュレートする場面も読みごたえがありました。しかしながら、理論展開に無理があったように思います。推理とはあらゆる可能性を検討することであり、作者の都合で選び取った可能性を読者に押し付けてはいけません。悪い意味で、映像におもねった作品でもありました。映像として可視化したときに切り捨てられる部分にこそ、文章として描くべき大事なものがあるのではないでしょうか。

「光と影のペルソナ」は自己評価の低い元特殊急襲部隊員の刑事と、天真爛漫な実習生の女性とのデコボココンビによるバディものです。作品全体が物語というよりは説明に終始していたように思います。構成も漫画的で、とってつけたようなエピソードで事件の真相を読者に俯瞰させる書き方も、かなり書き急いでいる感がありました。物語が分岐点にさしかかったとき、誰もが真っ先に思いつく第一の選択肢を排除するのはいいと思います。それによって、物語に意外性が生まれるからです。しかしそれを多用すると、けっきょくは強引に辻褄合わせをせねばならなくなります。見栄えのする真相で読者を驚かせたいあまり、作者の都合だけで物語が引き回されている感覚を強く持ちました。

「聖女リリィの贖罪」は過去に起きた女子高生集団飛び降り自殺事件をめぐる物語です。その事件の生き残りを名乗る女性がネット配信をはじめ、ひょんなことから主人公が独自に調査をしていきます。随所に起爆剤がしかけられていて、物語に引き込まれました。女子高生による集団自殺の謎、そしてその生き残りを名乗る人物の存在が強力なリーダビリティを発揮しています。しかし、いかんせん物語としての強度が足りませんでした。まず、因果のバランスがあまりよくありませんでした。女子高生を集団自殺に駆り立てる原因が軽すぎます。つぎに、基本的に三人称単視点で書かれている物語に、一章だけ種明かしのために他者の視点が入り込みます。それならば、最初から三人称多視点で書いたほうがよかったのではないでしょうか。最後に、不必要な描写が多すぎました。紙幅を使うからにはそれ相応の理由、物語上の効果が期待されます。不必要な情報が多すぎると、たんに文章が冗長になるだけでなく、読者の意識を迷わせてしまう恐れがあります。

 最終候補の三作に共通して言えることですが、小説としてやるべきことをまだよく把握できていないようです。場面転換、人物描写など、映像を念頭に置いて書くこと自体は必ずしも悪いことではありませんが、もっと小説としての見せ方に気を配ったほうがいいと思います。

  • 柚月裕子
    「一番長い選考会」

 今回の選考会は、およそ二時間という長丁場になりました。編集者の方が言うには、いままでで一番長い選考会だったようです。それだけ様々な意見が飛び交い、深く議論されたうえで『該当作なし』となりました。

 誰もが「なんとか受賞作を出したい」と思いました。しかし「無理に受賞作を出すことが賞と受賞者のプラスになるのだろうか」とか「もし出すとしたらどこをどう直せばいいのか」などの意見が交わされ、最終的に受賞作を出すには至りませんでした。今回、最終選考に残った作品は大きな疵がありますが、それぞれに魅力を持っているものでもありました。書かれた方々には、今回の結果を踏まえて小説を書き続けていただきたいと切に思っています。

 今回の三作品に関して私が感じた共通の感想は「これはあらすじだ」というものでした。
 いまさらここで説明をするまでもないことかと思いますが、あらすじは出来事の羅列で、小説はそこに登場人物の感情や行動心理といった、読者が自分でも同じことをしたかもしれないという説得力を持ったものだと思っています。今回は三作品とも、起こる出来事や埋め込まれているエピソード、アイディアは面白いものがありました。「この先どうなるんだろう」とワクワクした作品もありました。しかし、私が小説で読みたいと思っている、人間の内面が描かれておらず、登場人物が作者が作り上げたストーリーを都合よく運ぶ駒のように思えてしまいました。次に書かれるときはキャラクターの性格や価値観をもっと練り、無理のない形でストーリーを作り上げていただきたいと思っています。

「未練の事件簿」
 この作品はたくさんの謎が埋め込まれていますが、その謎づくりに無理があったように思います。例えば、墓守を命ぜられた真白。短い時間の邂逅で、何十年も催眠状態のような形で気持ちを保ち続けられるだろうか、とか、子供を慈しんでいる大人が、子供が一生トラウマを抱えるような残酷なことを頼むだろうか、といったところです。ほかにも首を捻るところが散見され、この登場人物の行動に読者が共感するのは難しいだろう、との意見が多くありました。この作品を小説に仕上げるならば、もっと多くの視点と倍近い枚数が必要だと思います。無数に広がるパズルのピースを繫合わせていくアイディアはお持ちなのですから、次回は登場人物の内面をもっと掘り下げて、どうしてこのピースがここの場所に必要なのかと考えてください。きっと読み応えのある小説になると思います。

「光と影のペルソナ」
 おそらく、マンガや映画など、視覚で誰がどの人物かがわかる形であったなら、この物語はすんなり読めたのだろうと思います。しかしながら、文章がこなれていなくてすんなりと内容が頭に入ってこず、読み終わるのに時間がかかってしまいました。著者はもっと読み手側に心を配り、ストレスなく読ませる筆力をつける努力をしてください。魅力的なキャラクターを作る力と、読者を喜ばせようとするエンターテインメント性は備えている方です。その長所を生かして、次はもっと読ませる作品を書き上げてください。

「聖女リリィの贖罪」
 数ページ読んで、かなり書きなれている方だ、と感じました。冒頭に摑みがあり文章も読みやすかったです。シーンの情景も浮かびやすく、最初の数ページを読んだ段階では「今回はこれが受賞作ではないか」と感じました。しかし、読み進めていくうちに迷路に入り込んだ感覚に陥ってしまいました。喩えるなら、伴奏が大きすぎて大切なメロディがよく聞き取れない、といった感じです。作品に出てくる場面も、交番と主人公の家、食事をする店の行き来にとどまり、スケールの小ささを感じてしまいました。多くの少女が集団自殺をした真相という大きな謎を追い、もっと大きな物語になるのではないかという期待が大きすぎたことも、スケールが小さいと感じてしまった理由のひとつだと思います。読者を物語に引き込む力はお持ちなのですから、もっと物語を大きく動かして読み手を夢中にさせてください。

 いろいろ書かせていただきましたが、この選評を自分に引き戻し精進しようと思います。自分自身、とても勉強になる選考会でした。著者の方々、選考会関係者のみなさまに深く御礼申し上げます。

「未練の事件簿」
 涌井学

「聖女リリィの贖罪」
 樋口漣

「光と影のペルソナ」
 推元理史