都会的ではなく土地に根付いた官能小説
2006年に発表されたものから、単行本刊行にあわせて書き下ろされたものまで。収録されている作品の執筆時期には幅がある。
「こうした短編は、文芸誌で官能特集の号があるときにしか書く機会がなかったので、時間がかかりました。でも、最終的に一冊の本にしようとは考えていたんです」
誰とでも寝るという噂の同級生の女子を軽蔑しながらも、彼女を意識せずにはいられない少年が主人公の「十七歳スイッチ」、新婚だが妻にセックスを拒絶される男の意外な運命を描く「春と光と君に届く」、スイカ畑で妻子持ちの男と逢瀬を繰り返す“あたし”の物語「スイカの秘密を知ってるメロン」……。主人公の設定も、話の展開も、そして描かれる官能の世界もバリエーション豊か。それぞれの情景、会話、心の動きが非常に繊細に、生々しく描かれる短編集だ。最終話の「結晶」をのぞき、どれも都市部ではなく主人公たちが生まれ育った地方の町がメインの舞台となっているのも特徴的。
「官能小説って都会的なものが多い気がして。そうではなく、土地に根付いたような話にしようと思っていました。場所はラブホテルじゃなくて家だよ、という(笑)。町並みや家といった背景が出てくる話にしたかった」
書き下ろしである最終話の「結晶」は東京が舞台だが、7編の中で故郷の存在を一番強く感じさせる作品となっている「書いているうちに・故郷・というものが見えてきたんです。だから“郷愁”を入れ込んでいこうとは思っていました。他の6編は官能しばりなので、書き下ろしの7編目はもうちょっと郷愁に譲ってもいいかな、と」
文章オンリーの世界を書いた
また、どの短編も幸せな二人が甘美な世界に酔いしれるというより、タイトル通り、純粋なのにどこか哀しいエロスが描かれる。
「自分にそんなに・エレジー・な体験が多いというわけじゃないんですけれどね(笑)。ただ、不幸のバリエーションはたくさんあるけれど、幸福のバリエーションはそれほどないってよくいうように、幸せなだけの二人を描くのは難しい。それに、互いに思いあっていたとしても、テンションの違いがあってどこか寂しかったりもするし」
幸福の絶頂とは言い難い二人が描かれるためか、非常にエロティックなシーンでも、読み手の心にざわめきを起こさせる何かが存在している。
「今思ったんですけれど、その人の人生の中で残っちゃう話を書いたんですよね。この関係が終わって別の人とつきあっていくんだろうけれど、この人はこの経験をずっと忘れないんだろうな、ということを書いたんだなって、気づきました」
一人の女性が故郷で元恋人の帰郷を心待ちにする「あなたを沈める海」、それを帰郷する男の視点に変えた「避行」も、そうした思いを抱く二人を描く。この二編は時間をおいて書かれているが、対になった作品だ。
「実はこのふたつは、瀬戸内寂聴さんの影響を受けています。寂聴先生の作品って、映像にならない、小説だけの世界があると思う。今どうお考えなのかは分からないけれど、昔刊行されたエッセイに自分の小説を朗読されることすら嫌だ、というようなことが書かれてあって。文章に対してストイックなんですよね。そして確かに、寂聴さんの小説には、文章ならではの面白さがある。だからこの二編も文章オンリーの世界を書いてみたかったんです。映像になったとしても、観ていて何も面白くないと思う。世の中は映像化、映像化、といわれているのに、逆行していますよね。でも映像化されてなんぼ、というのは切ないなって思う。小説だから、というものをやりたいと思いますね」
長距離ではなく短距離走に強い
17歳の少年が登場したり、二人の出会いが17歳のときだったなどの設定もあり、この年齢が鍵となっているのかと思いきや、
「それは無意識だったかも。単に官能小説に登場させられる最低年齢だからだと思う(笑)。ただ、高校生くらいの年って一番男女の差が出る。男の子のほうが世界が狭くて包容力がないかな、という気がしないでもないですね」
少年だけでなく、大人の男も印象深い。「指で習う」に登場する京都の呉服屋の御曹司、西目は豊島さん自身も「この中で一番格好いいと思う」という、どこか女を惹きつけてやまない、しかし危険な男。また、「春と光と君に届く」に登場する万一の善良さは、ジンとさせるものがある。女性はもちろん、40歳の男から17歳の少年まで、男性の心理も巧みに描写できるところに力量を感じさせる。これまでも、多彩な人物像を生み出してきた豊島さんだが、
「小さい頃からクラスメイトをモデルにして漫画を描いていたんです。普通は自分を主人公にするのかもしれませんが、私は自分は主人公じゃない、他の誰かにしなくちゃ、という意識があった。それで、クラスの男子にもなりきっていたんです。結構冷静な目で見ていたので、あまり男の人に夢を見たりはしなかったな(笑)」
キャラクター造形の巧みさに加え、時に意外な展開を見せ、短編の中でもマックスまでの盛り上がりを見せる構成。こうしたプロットの組み立てについては意外なことに、
「最初に具体的な着地点は見えていないんです。そうではなく、全体のこの感じ、この中で一番大事なことはこれ、ということだけ思って書く。展開は見えていないですね。構成の下書きもなしに書き始める、一発勝負のところがあります。ただ、人物の顔が見えていないと書けないんです。顔が分かると全部分かる。だから人物の顔は描きます。一編書き終えた後には、顔のメモだけが残る(笑)」
下書きもなく書き始めても、途中で煮詰まったりはしないという。
「お題を与えられて、24時間以内に書けと言われたらトップを争えると思う。でも、時間制限を設けず、ねばってねばって書けと言われたら、最下位になります。長距離走ではなく、短距離走に強いんですよね。何もアイデアが出なくて書けない、ということはないんです。ただ、ゴールが見えないのが苦手。推敲の作業にしても、じっくりじっくり練り直すというよりも、一回他人の目で読み返す、という作業ですね。自分の目で延々と煮詰められる作家さんは羨ましい」
自分は官能小説家だと思っていた
今回のような官能作品を書くことは非常に楽しい、と豊島さん。女性のためのエロティックな小説を募集する新人賞でデビューした彼女だが、それ以降は高校生たちの日常を描いた作品など、青春小説の作家というイメージも強かった。しかし、
「『R‐18』でデビューしたので、自分のことを官能小説家だと思っていたんですよね。青春小説のほうが副産物のような気持ちだったんです。でも、青春小説や恋愛小説の依頼のほうが多くて。機会さえあれば、こうしたものをもっと書きたいとは思っていたんです」
デビュー作を執筆したときはまだ10代。これほど若い女性が、積極的に官能小説を書きたいと思うのもやや意外な気がするが。
「“官能”という枠があるからこそ、自由に書けるところがある。そういうシーンが入ってさえいれば、あとは何でも書けるから。私の中ではかなり自由度が高いイメージなんです。官能的なシーンを書くことは、自分では困難を感じていません。それを書けるか書けないかって、生まれつきで決まっているような気がする。そういうシーンを露わに書くことに抵抗感があるかどうか、なんですよね。特に女の人は、今はそんな風潮ではないといってもやっぱり、そういうことを隠さなくちゃ、という感覚がある。その中で書けるかどうかは、後から意識して頑張って書こう、ということではないような気がします」
そう、豊島さんは、官能小説だろうと青春小説だろうと、軽々と書いてしまう人なのだ。刊行ペースも非常にはやく、年に3〜4冊単行本を刊行することが続いた。ただ、それは、
「断れなかっただけです。断ったら干されると思っていて。それに私は社会人経験がまったくないので、その前までの経験を、覚えているうちに出せるだけ出してしまえ、という感じもありました。ただ、最近は、お題を出されて書く、ということを繰り返しているだけでは駄目だなと思うようになりました」
好きな人がいないとスランプになる
実は豊島さんは、07年の5月より、新規の仕事は断っている。現在はそれまでに受けた依頼の分だけを執筆しているのだが、それでもこの多忙ぶり。いかに彼女がハイペースで仕事をしていたのかがよくわかる。
「休むというと、どうしても枯渇したイメージになってしまうかもしれない。それを否定はしませんが、自分では、ネタが尽きたという感じとは全然違う状態だと思います。書けと言われれば書けるのかもしれない。でも、言われて書くような状態ではだめだなと思うようになりました。今までも、書きたくないことを書いていたわけでは決してないけれど、求められて書くのではなくて、何を言われても世間に出したいようなものを書くのが、作家として幸せなスタンスなのではと最近は考えています」
昨年から手がけていた長編連載が終わり、小説は今月から休業期間に入る。
「まずは実家の部屋を片付けたいですね(笑)。それから家庭菜園のようなものだけど、畑を耕してみたい。料理もしたい。ただ、休みが見えてきてから思ったのは、もうちょっと人生経験を積もうかなということ。といって、会社勤めはしませんよ、朝起きられないし(笑)。作家であることを活かして経験を積んでいけばよかったけれど、私は書くことしかしない生活を送って、他に何もなかった。新しい交遊関係を築くということもしなかったんです。今まで世間から浮いている感じだったので、もう少し社会に溶け込みたい」
もちろん、実際に経験を積まないと小説は書けない、と思っているわけではない。
「想像で補う部分は大事だし、否定しません。ただ、ちょっと大人にならないと、と思っていて。嫁にいって姑にいびられるくらいの体験がないとダメなのかなって思ったり。いえ、結婚の予定はないですよ、全然!(笑)」
そんなこと考えているときに、ふと幼い頃を思い出したようだ。
「私、子供のときにスランプについて考えたことがあったんです」子供のときにスランプ、とはいかに?
「保育園の頃から20歳まで漫画を描いていたんです、15年くらい。それくらいやっていると2、3回スランプがあるんですよね。そこで分析した結果、好きな人がいないとスランプになるって分かった(笑)。子供のときの大発見だったんですよ。テンションが上がっていないとダメだってことですよね」
ええっ、では豊島さん、休業期間の課題のひとつは、いい恋愛をすること……?
「ああ、それでもいいです(爆笑)。恋愛でなくても、テンションが上がるような何かができればいいと思っています」
これからの時間は、休養とも、充電とも、ちょっと違うのだろう。こうした時間をおくことの意味は、もしかしたらずっと後になってやっとわかるのかもしれない。いずれにせよ、読み手は待っています、いつまでも。
(文・取材/瀧井朝世)
豊島ミホ(としま・みほ)
1982年秋田県生まれ。早稲田大学第二文学部卒。2002年、「青空チェリー」で第一回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞してデビュー。他の著書に『日傘のお兄さん』『檸檬のころ』『エバーグリーン』『神田川デイズ』『花が咲く頃いた君と』『初恋素描帖』などがある。
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