不思議な城に集められた少年少女
「何人もの読者の方に、“この本は『冷たい校舎の時は止まる』のアンサーだと思いました”と言われました。デビュー作から読んでくれている人が待っていたものが書けたのかな、と思えて嬉しかったです」
と語る辻村深月さんの新作『かがみの孤城』は、中学一年生のこころが主人公。学校に行かず家に閉じこもって過ごすようになった彼女は、五月のある日、突然光を放ちはじめた部屋の鏡を潜り抜け、城のような建物に行きつく。そこには彼女を含め七人の中学生が集められていた。管理人のような“オオカミさま”が言うには、今から三月三十日まで平日の九時から十七時までは彼らは城に来ることができる。その間に“願いの部屋”の鍵を見つけて部屋に入った一人だけが、願いをかなえることができるという。ただ、願いをかなえると、城での記憶はすべて消えてしまう──。
「十代に向けてのミステリを書くことがライフワークのひとつのように感じていて、いろんな小説を書きながらも常にそのテーマのことは考えてきました。そろそろまた書きたいなと思った時、ミステリで、密室で、群像劇で……と考えていくうちに城という舞台が出てきたんです。ミステリ作家として城の細かなルールを決めていきましたが、今まで書いてきたどれが欠けてもできなかったように思います。たとえばアニメ業界の話の『ハケンアニメ!』はミステリではないので関係ないように思えますが、今回の城についてはあの小説の作中アニメを作る時の感覚に近かったですね」
集められたのは女子三人、男子四人。平日の昼に集まったことから、こころはみんな学校に行っていないのだと気づく。
「こころは読者にいちばん近いと思える子にしようと思いました。ある出来事が理由で学校に行けなくなり、自分はこぼれ落ちてしまったという自覚がある子です。学校に行かなくなったきっかけは、周囲に“いじめにあったんだね”と言われそうですが、本人は“あれはいじめじゃない”と言うと思う。いじめだと大雑把に括られて同情されるのは嫌なんです。今回はそういうことを掘り下げたいと思いました。他の六人の子も、つまずいてしまった理由はどれも突飛な理由にはしませんでした。そうすることで、自分もそうなってもおかしくなかった、という人の心理も掬い上げたかったのだと思います」
少年少女が異世界の建物の中で謎を追う設定は、辻村さんが高校生時代から書き始めたというデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』と似ている。だが、今回は高校生ではなく中学生が主人公であることや、一人一人が視点人物になるのではなくこころの一視点で話が進むこと、ずっと閉じ込められているわけではなく城と現実世界を行き来できることなどの違いもある。
「ファンタジーでは一度異世界に行ったら問題を乗り越えるまで帰ってこない話も多いですよね。戻ってきた時、主人公は成長しているけれども、向こうの世界での記憶を忘れていたりする。今回はよその世界で起きたことを糧にして、現実を生き抜く力にしていくようにしたかったんです」
というように、城での人間模様と同時進行で、現実世界での母親や学校の担任、フリースクールの先生、そして過去の出来事と向き合うこころの様子も丁寧に描かれていく。
最初から大人だった大人はいない
冒頭の、読者からの“『冷たい校舎の時は止まる』のアンサーだと思った”という言葉を、著者自身はどうとらえたのだろうか。
「その人たちの言葉の意味を正確に受け止められているかは分かりませんが、それを聞いて自分がまず思ったのは、大人の描き方が変わった、ということでした。デビュー直後の頃は自分が圧倒的に子ども側に近かったので、大人はみんな仮想敵みたいな気分があったんです。大人は分かってくれない、という書き方をして許される年頃でした。逆に、大人でも話せば分かってくれることを書こうともがいているところもありました。でも自分が三十代になって思うのは、理解できるできないに大人も子どもも関係ない、ということ。自分が大人になったから、ためらわずに声高に言えますが、くだらない大人もいるんです(笑)。そういうことが小説にも書けるようになりました」
それにしても、今なお、思春期の繊細な不安や痛みをこんなにも生々しく描ける筆力にも驚いてしまう。
「あの頃、只中にいてうまく説明できなかった苦しさを、ちゃんと言語化できるようになったのかなと思います。むしろ今のほうが、あの年頃の気持ちを掬いとることができているかもしれません。それに今回は、こころ一人の視点を通して他の人たちのことを書くことで、いい効果が出たようにも思います。他の人の視点を入れなかったことで、こころが相手の気持ちが分からなくて不安になる様子や、一学期の時には好きになれなかった子のことも、二学期になると印象が変わっていく様子が分かりやすく書けたと思います。後半の、みんなが本当は何を考えていたのか、それぞれの事情が分かる時には、私も一緒に“そうだったのか”と思うところがありました」
また、こころの目を通してであっても、大人の読者なら少しずつ母親の気持ちが見えてくるはずだ。娘が突然学校に行かなくなってしまったことに対し戸惑い、苛立ち、上手に向き合えない時もある不器用な母親だが、彼女が娘のことを心の底から真剣に考えていることが分かる。
「大人と子ども、両方に対してフェアであろうと思いました。最初から大人な人なんていなくて、みんな揺れながら自分の立場や役割を頑張って務めようとしているんだと今なら分かる」
こころに対して無神経な態度をとる担任の教師の伊田や、学校に行けなくなった原因である同級生、真田美織についてもフェアでありたかった、という辻村さん。
「美織もどうしようもないところはありますが、彼女も現実の中で何も抱えていないことはない。もし彼女と城の中で出会っていたなら、こころと美織は心を通わせていたかもしれない。それに、今回伊田先生がひどいという感想をよく耳にするのですが(笑)、現実の中でそういう美織を救えるのは伊田先生かもしれない。そういうフェアな描写は心がけました」
しかし、だからといってこころが自分に無神経な言動を働く彼らのことを理解せねばならない、ということではない。
「今回、嫌いだと言っていいんだということも書きたかったんです。こころみたいな子は仲違いしてしまう自分、嫌ってしまう自分は性格が悪いんじゃないかと思ってしまいがちですが、そうじゃないですよね」
後半の怒涛の展開が生み出す感動
驚くことに、この城にやってきた七人の隠された共通点や、城自体の秘密については決めずに書き始めたという。真相が明かされる終盤、パズルのピースがはまっていく鮮やかさからは、とてもそうは思えない。
「作中の夏を過ぎるくらいまでは、私も何も分かっていなかったんです。でも2学期に入ったあたりで、急に、この子たちがそれぞれどこから来たのか分かったんですよね(笑)。ひらめくというより、腑に落ちる感じです。ゲームのぷよぷよで、だいぶ積みあがった時に急に連鎖でバババーッと消えていくのと似た感覚です(笑)。それで、新たに分かった設定を入れるために前半部分も直しが必要だろうと思い、連載を中断してあとは書き下ろしにすることにしました。でも結局、ほとんど直しはありませんでした。というのも、みんな城の中では自分の話ばかりしていて、現実世界の周囲の話をしていないんです。ネットの世界の匿名性と同じで、お互いに都合のいいことしか話していなかった。これが中学生の本質なのかもしれない、と感じました」
城の七人に関わる秘密については、途中で気づく読者もいるかもしれない。でも、気付いて興味が半減するどころか、むしろ「だとしたら、この後どうなってしまうのか」と、むしろ掻き立てられるものを感じるはず。
「真相と、私が最初から書きたいと思っていたテーマがうまく絡みあってくれて、最後のほうは書いていて楽しかった。ずっと書いていたくなるライターズハイみたいな感覚になりました」
この七人が集められた秘密は何か、願いの部屋の鍵は見つかるのか、そして三月三十日が過ぎたら、少しずつ育んできた七人の友情はどうなるのか……。
「この小説を書く際に、フリースクールの先生やスクールカウンセラーの先生にお話をうかがう機会があったんです。その時、一人の先生が“カウンセラーの仕事は風のようであってほしい”と言っていて。後々、子どもたちに“先生のおかげで今がある”“先生のおかげで助かった”と言われるうちはまだまだで、辛い時期があったけれど気付いたら平気になっていた、その時に何か引っ張ってくれるような風が吹いていた気がする、という感触だけ残ってくれたらいい、ということらしくて。こころたちも、城の中のことを忘れてしまうかもしれないけれど、城の思い出を頼りにして生きるのではなく、自分の力で生きていくようになってほしい」
読む人にとってはこの本自体が、そういう風のような存在になるかもしれない。
「若い読者に対しては、実は大人って昔は子どもだったんだよと伝えたい。大人の読者に対しては、中学生の話だから自分には関係ないと思うかもしれませんが、これはかつてのあなたの話でもあるんです、と伝えたいですね。城はないかもしれないけれど、こんな不思議な力はあるかもしれない。そう信じられるようになってもらえたら」
一番厳しい読者に向けて
辻村さんの中には、想定している読者がいる。
「デビューして二作目を書く時、誰に向けて書いたらいいのか分からなくなってしまった時、編集者に“作家はたった一人の信頼できる読者のために書けばいい”と言われたんです。その言葉は今も私の指標になっているのですが、デビューして十年が過ぎて、その信頼できる読者って誰なのか考えると、やっぱり十代の時の、いちばん厳しい目を持ち、強く渇望して本を読んでいた時の自分なんです。もしもタイムマシンであの頃の自分に一冊だけ自分の小説を渡せるなら、この『かがみの孤城』を渡したい」
ただそれは、あの頃の自分に向けて書いたというわけではない。
「今回、取材する中で感じたのは、今の子たちの中に昔の私そのものの子なんていないし、一人一人の痛みの形は違う。そもそもその子たち全員のことを救いたいと思うのは傲慢だし限界がある。そう感じたからこそ、今回はこういう話になったんです」
タイムマシンがあったら……のくだりを書店に配るPOPにも書いたところ、大人の読者から「タイムマシンはないけれど、私には届きました」と言われたという。
「泣きそうになりました。頑張って書いてよかったです」
(文・取材/瀧井朝世) |