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 原田マハさん『本日は、お日柄もよく』
   読んで損したと思ってもらいたくない。
   楽しかった、スッキリしたと、
    明るく前向きな気持ちになっていただけたら。







 27歳のOLが、ふとしたきっかけで興味を持ち飛び込んだのは、スピーチライターの世界。原田マハさんの『本日は、お日柄もよく』は、読み手の心を動かすスピーチをたくさん盛り込みながら、一人の女性の成長を描いていくお仕事青春小説。話すこと、言葉を紡ぐことの楽しさ、大切さを伝えるこのエンターテインメント小説は、どのように生まれたのか。





スピーチライターという仕事


 第一章で、印象的なふたつの結婚式の祝辞スピーチが描かれる。ひとつは、やたらと「えー」の多い退屈な一人語り。もうひとつはメリハリの効いた、そして心温まる祝いの言葉。

「最初に対照的なスピーチを書くと決めていました。言い換えただけでこんなにも変わるのか、ということを見せたかった。実際は、下手なスピーチのほうを書くのに苦労して、上手なほうは、何も考えずに書けたんです。身近なエピソードを脚色するというテクニックを使っただけで」

 あんなにも感動的な原稿を、すらすらと書き上げたというのだから驚きだ。実は、原田さん自身、スピーチライターをしたことがあったのだという。それは六本木ヒルズにある森美術館の開設準備室に勤めていた時のこと。

「オーナーの森社長が世界的な美術館関係者の前でスピーチをする時に、美術館に関する部分は私が原稿を作っていたんです。もちろん社長が自分が話しやすいように手を入れるんですが、世界の人たちの前で自分の原稿が読まれるのは非常に快感でしたね(笑)」

 その後、通訳の学校に通った際にも議論やスピーチの課題が多く、人をひきつける話をするにはどうしたらいいか考えさせられることが多かったという。

「日本語から英語へ、英語から日本語へと変換させる作業をしていると、文章の構成というものがどんなに大事か実感するんです。それに、言葉というものは喋り方ひとつで変わるものなんだな、とも思いました」

 2008年のアメリカ大統領選挙の際も、スピーチに注目していた。

「オバマさんに若いスピーチライターがいたというのは有名な話ですよね。まだ28歳で、スターバックスで原稿を書いたっていう。誰かの生き方を変えるかもしれないものが、そんな場所で書かれたというのが面白くて。それで、スピーチライターを取り上げて小説にしてみたいと思ったんです」




感動的な祝辞に触発されて



 二ノ宮こと葉、27歳、ごく普通のOL。幼なじみで片思いの相手、厚志の結婚式に失意のまま出席した彼女は、そこで素晴らしい祝辞を耳にして感動のあまり涙する。それが伝説のスピーチライター、久遠久美との出会いだった。やがてこと葉は、久美にも気に入られ、弟子入りすることに。

「うまいスピーチをする格好いい女性がいたらグッとくるよなあって思って。久美は颯爽と出てくるジャンヌ・ダルクのようなイメージ。一方こと葉はどじっ子で(笑)、対照的な二人にしました。久美の印象的なスピーチが、こと葉の運命を変えていく。ただ、こと葉は自分から飛び込んでいく。他力本願ではないんですよね」

 また、こと葉には抜群の記憶力、という素晴らしい能力がある。彼女は過去に聞いて感動した演説を一言一句憶えているのだ。

「どんな人にでもなんらかの能力はある。何もなくぼんやりした人だったら、久美も目をかけないでしょうね。彼女がこと葉のことを“この子はいけるかも”と思った理由は素直で面白いリアクションをとるということが第一、そして第二が記憶力。それはスピーチを作っていく時に重要なことですから。こと葉は久美のスピーチの能力を、久美はこと葉の記憶力に惹かれて共鳴しあう瞬間があったというわけです」

 政治家の代表質問や弔辞までも手がける久美のもとで修業を積んでいくこと葉は、やがて父親の遺志を継いで野党から衆院選に立候補することを決意した厚志の選挙を手伝うことになる。

「私は最初は大統領のスピーチライターになる人を書きたい、アメリカに取材に行きたい、と言っていたくらいで(笑)、突き抜けた人を書こうと思うとやはり政治が絡んでくる予感はありました。でも、この小説を書き始めたのは政権交代前だったんですけれどね」

 実際に国会に取材にも行き、政治家たちのスピーチもチェックした。

「私は選挙戦のやり方に詳しくないので、一から勉強しました。これは政治小説ではないし、読者がそちらのほうにばかり気を取られてはいけないので、そこは描きすぎないように気をつけました。ただ、スピーチのうまい政治家が出てくればいいのにな、という思いはこめました。実際、日本の政治家の演説を聞いても、何も参考にならなくて(笑)。私だったらこうしちゃえ、と組み替える作業だったんです。心がけたのは、心に残る短い言葉を繰り返し出す、ということ。以前小泉さんが“ワンフレーズ政治”といわれていましたけれど、それはいかに世の中に残るワンフレーズが少ないかということでもあるんですよね。貴乃花が優勝した時に言った“感動した”だって、誰もが口にしている普通の言葉なのに、あの場所で言うからみんなの心に残った。小説の中でも、そういう言葉を出したかった」




強力なライバルは敏腕コピーライター


 選挙という知らない世界に飛び込んでいくこと葉。彼女の周囲には久美や厚志のほかにも、日本を代表する俳人である祖母のキク代など、魅力的な人物が。そして忘れてならないのが、強力なライバル、和田日間足だ。売れっ子青年コピーライター、通称ワダカマ。彼が厚志と同じ選挙区から立候補する与党候補のバックにつくのだ。ただこのワダカマ、初登場シーンはスカした嫌な印象だが、よくよく知っていくと、フェアで敵に塩を送るような男だと分かる。

「ワダカマは女性読者から人気が高いんです(笑)。敵ではあるけれど本当はヒューマニティがある人間、ということは最初から考えていました。私の小説には悪人があまり出てこないんですが、どんな人間にも陽の部分と暗の部分があるなら、陽性の部分を書いてあげたい、というのが私の作家としてのスタンスかもしれませんね」

 そんなワダカマの師匠として、リスニングボランティアの女性が登場するシーンも印象的。

「新聞の記事でそういう仕事を知ったんです。ここで師匠として登場してもらったのは、“話すこと”は“聞くこと”なんだと感じたから。それを理解しないで話す人は、言いたいことだけ言って相手のことを聞かない。スピーチとは喋ることですが、その裏には何百時間、何千時間の聞くという行為があってはじめて本物になるんじゃないかと思ったんです。ワダカマが優秀なのは、陰で聞くことに力を入れてきたからなんですよね。ただのスカした奴じゃないんです(笑)。優れたスピーチを作る人は聞く耳を持っている。特に政治家は聴衆の耳を持っている人でないと、心をつかめない。一方的に話すといっても、聴衆と言葉のコミュニケーションをとっているということですね。それは物書きとしても耳の痛いところで、小説もやっぱり読者とのコミュニケーションだと思うんです。本を書きました、読んでください、というと非常に一方的な感じがしますが、言葉を通じて何を訴えたいか、そこがはっきりとしていなかったら読んだ人の心に何も残りませんから」

 スピーチの面白さを充分に堪能させながら、こと葉の成長と、選挙の行方を追っていく本書。個性的な登場人物たちの会話、選挙日に向けて盛り上がっていく展開など、今回はエンターテインメントに徹した。

「書いている時は頭の中でドラマのような映像が広がっていましたね。脚本を書いているような不思議な感じがありました。会話のテンポややりとりには気をつけたし、ここは笑いをとる、ここはためて泣いていただく、というメリハリは考えました。こと葉のような普通の女の子が活躍するなんて、そんなうまくいくわけがない、と思われるかもしれませんが、うまくいかないんだったら小説にする必要がない。小説としてマックスに面白い部分を見せたかったんです。ただ、小説のこととスピーチのことと両方考えるのだから大変かなと思っていましたが、実際は私自身、非常に楽しく書くことができました。選挙の勉強だけは大変だったけど(笑)」

 圧巻は終盤、由比ガ浜公会堂での厚志の決起会でのスピーチだ。

「説得力のあることを言わせなくちゃいけないな、と考えました。今の日本の政治家の演説って大仰なことばかりで実感として伝わってこない。もっと身近なこと、具体的なことを言うこと、そして非があるなら認めてもいいけれど、そこからどう立ち上がるかを宣言するということ、それをやってもらいたかったんです」

 最大のピンチを迎えながらの演説を、こと葉、久美、厚志たちはどう乗り切るのか。

 読後には、巻頭に掲げられているスピーチの極意十箇条を読み返してなるほど、とうなずくことしきり。「スピーチが目指すところを明確にすること」「タイムキーパーを立てること」など、実際に役立ちそう。

「これは書きながらできていったものですね。実用書っぽくなるかなとは思ったんですが、印象に残るように話したいとは誰もが思うことだから、こういう方法もあるのではと提案してみました。でも全部できる人はなかなかいませんよ。私もできません(笑)」




明るい気持ちになれる小説を


 執筆の際に、読者のことは非常に意識しているという。

「読んで損したと思ってもらいたくない。楽しかった、スッキリしたと、明るく前向きな気持ちになっていただけたら。今回も、読み終えた時に、自分の周りにも何かが変わるきっかけがあるかもしれない、ととらえてもらえると嬉しいですね」

 スピーチライターを題材にした小説は今回だけ、と決めている。一回限りのカードを切った、という感覚だ。それにしても、毎回さまざまな舞台やモチーフを取り上げるその幅広さには感嘆してしまう。

「好奇心が強いんですよね。書けることが100%あったとしたら、120、125%のところを目指したいと思う。80、90%のものは絶対にやらない。つまり、ちょっと苦労しないと書けないことをやりたいんです。だから取材もするし勉強もする。難しいことをしていると思いますよ、自分でも」

 毎回毎回、全力投球。では今、好奇心はどちらのほうを向いているのだろう。

「作家になって5年。本業だったアートに関する著作もこれまで少しずつは出してきましたが、そろそろマックスに出してもいいかなと思っています。ほかにもミステリ小説や時代小説など、自分の好奇心が続く限りはいろいろできるんじゃないかなって思っています。毎回まったく違うものを書くというのは、焦点が定まっていないと思われる危険性もあるかもしれない。でも、5年やってみて、大丈夫、受け取ってくださる方たちがいる、と実感しています。なにより私自身が楽しいですし。むしろ飽きずにつきあってくださっている方のためにも、バリエーションに富んだものを提供していきたいと思っています」





(文・取材/瀧井朝世)



原田マハ(はらだ・まは)
1962年、東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部美術史科卒。伊藤忠商事、森ビル森美術館開設準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年に独立後、フリーランスのキュレーターとして活躍。05年、「カフーを待ちわびて」で第1回「日本ラブストーリー大賞」受賞。他の著書に『キネマの神様』『翼をください』『インディペンデンス・デイ』『星がひとつほしいとの祈り』など。