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 桜庭一樹さん『伏 贋作・里見八犬伝』
   最後は読んでいる人の元にまで
   話がつながっていく終わり方にしたかった。







 お江戸の町をとびきり元気な女の子が駆け回る。彼女は猟師、追うのは伏と呼ばれる凶悪な犬人間。桜庭一樹さんの『伏 贋作・里見八犬伝』は、以前から興味があったという『南総里見八犬伝』を大胆にアレンジした痛快エンターテインメント大作。その執筆の裏側にはどんな創意工夫があったのだろうか。





さまざまな要素を持った物語に


 江戸時代後期、滝沢(曲亭)馬琴によって書かれた大長編伝奇小説『南総里見八犬伝』。室町時代、安房国の里見領を治める父親の軽口が原因で、犬の八房と山にこもった伏姫。彼女の身体から八つの大玉が飛び散り、それがやがて八犬士の登場へとつながっていく。膨大な巻数から成るこの冒険物語をベースにしたのが、『伏 贋作・里見八犬伝』である。

「前から興味があって、いつか書いてみたいと思っていました。原体験は中学生くらいの頃に観た角川映画の『里見八犬伝』ですが、あの原作は鎌田敏夫さん。その後で長い原典を読んでみて、後半はこんな話だったっけ、と思った記憶があります」

 作家としてもずっと気になっていた作品だが、なかなか自分では手がつけられなかったという。

「あまりにも大きい話なので。これまでにもいろんな方がアレンジしていますが、例えば山田風太郎先生の『八犬傅』は原作の話と滝沢馬琴の執筆風景が交互に出てくるし、平岩弓枝先生の『へんこつ』は、馬琴が探偵役になっていて、江戸の町に『八犬伝』の登場人物らしき人が出てきて事件が起きるという内容。そうした大幅な脚色がなされていることが不思議だったんですが、自分がやろうとしてはじめて、そのまま書き直すのは難しいということが分かりました。それだと本当に重たい話になる。自分がやるなら謎があって、過去からの因縁があって、恋愛ぽいものがあってアクションがあって、助け合う兄妹がいて……と、いろんな要素のあるものにしたかった」

 桜庭さんが施したアレンジも非常に大胆。時は過ぎて江戸時代、伏と呼ばれる犬人間による凶悪な事件が続き、幕府は彼らの首に懸賞金をかける。そこで浪人の道節は山で猟師として暮らしていた妹、浜路を江戸の町に呼び寄せることに。獣の臭いに敏感な彼女はたちどころに伏をとらえて大活躍。そんな折、瓦版を売り歩く滝沢冥土という青年から、伏姫と八房の物語を教わる——。

「多くの人が知っている犬とお姫様がいて八個の大玉が散る、という部分は使いながら、後半はさらに未来になって、江戸の町に犬士たちの子孫が現れる話にしようと考えていました。なので連載時は、最初に冥土が書いた贋作を書いたんです。でもどうしても重くなって、何度も書き直して。原作にはない、鈍色という伏姫の弟を登場させたら急に話が動いてくれた。それで、これはアレンジをしないと動かない話だと思ったんです。そこから考えて、『贋作・里見八犬伝』を作中作にして未来の話の中に風呂敷で包むようにしたら、ようやくまとまりました。大先輩たちが工夫を凝らした意味がやっと分かりました」




目指したのは和風ゴシックホラー小説



 その未来の部分というのが、浜路の物語というわけだ。江戸を舞台に試みたかったのは、「和風のゴシックホラー」だという。言われてみれば、桜庭さんの人気シリーズの『GOSICK』のヒロイン、名探偵のヴィクトリカも、灰色狼の一族の少女。人間とよく似た、しかし根本的に非なるものの存在には惹かれる何かがあるようだ。

「モノクロ映画の『キャット・ピープル』(1942年米)という、自分が猫族の娘だと思いこみ、豹に変身することを恐れている女の子が出てくる作品がすごく好きで。その興味もありました。それに『ヴァン・ヘルシング』や『ブレードランナー』のような、ハンターが吸血鬼やレプリカントを追うといった映画も好き。だから『八犬伝』もハンターが伏を追う話にアレンジしようと思ったんです」

 登場人物たちのシチュエーションもまったく異なるものになっている。原作では犬士の一人、信乃の許婚として登場した浜路が、ここでは山で狩りをして暮らしてきた14歳のおてんば娘に大変身。

「ジュブナイルに出てくる女の子のイメージです。子供の頃に読んだ『赤毛のアン』や『少女パレアナ』のように、元気な主人公がいると話が動いていくだろうと考えました。14歳にしたのは、それより小さいと子供すぎるし、大きいと違う話になってしまうので。伏姫がお城を出ていったのが15、16歳だったので、それ以前の年頃の子にしようと思いました」




原作の残響をちりばめて




 浜路の兄、道節も実は犬士の一人の名。原作の美形のヒーロー信乃は、容姿の美しさはそのままに、浜路が追う伏となっている。そのほかにも親兵衛や毛野や船虫など、憶えのある名前が多数登場する。

「みんながうっすら持っているだろうイメージはそのままにしたかったので、八犬士の名前はなるべく入れていこうと思いました。花魁の凍鶴こと小文は原作ではむくつけきおじさん、小文吾だったのですが、きれいな女の人がたくさん出てきたほうがいいと思って(笑)、女性に変えましたが」

 桜庭版には曲亭馬琴も登場。その息子が滝沢冥土というわけだ。彼が浜路に読ませる『贋作・里見八犬伝』が挿入されることで、原作をまったく知らない人でも、伏姫と八房の物語を大まかに把握することができる。

「馬琴に実際にダメ息子がいたのは本当の話。でもはやくに死んでしまったそうなんですね。そのイメージがあったから名前を冥土にしたのかもしれません。馬琴は晩年失明して、息子のお嫁さんが聞き書きをしたそうなんですが、ここでは義理の姉にして、義姉が父の役に立っているから息子の居場所がない、という状況にしました。今回の話の中にはきょうだいがたくさん出てくるので揃えてみたんです」

 浜路が元気よく駆け回る本篇、冥土が綴った『贋作・里見八犬伝』のほか、信乃が語る伏の歴史も挿入され、ナラティブを変えながら重層的に壮大な物語が構築されていく。時代小説ははじめてという人でも読みやすいエンターテインメント小説になっている。

「江戸の様子を詳しく書くというよりも、楽しく読めるもの、それこそ現代の俳優さんたちが演じているように思えるものを、と意識しました。いろいろ資料を読んでいると、ぱっと単語を見ただけでは分からないものがたくさんある。言葉だけでは想像できない髪型や、読みが分からず立ち止まってしまうようなものは使わないことにしました。一方で、一膳飯屋、というように言葉だけで分かるものは使うようにしました」

 城や町の描写も、当時の様子を再現するというよりもゴシック風を意識したという。

「実は伏姫たちがいたお城も、山に囲まれたヨーロッパの古城をイメージしていました。天守閣というよりも塔を想像して、その上にヘンなものがいる、というように。江戸の町も霧が立ち込めるなかガス灯の明かりがついているロンドンの街のイメージを日本に持ってきています。後半、江戸の町の下に延びる地下道が出てきますが、これは大戦中のヨーロッパにマジノ線という地下道があったという史実に興味があったので持ってきたんです」

 と、実は徹底的にヨーロッパのイメージがベースになっているというから驚く。読めば確かにそうだと納得。




伏たちのはかない運命


 異形の者として登場する伏たちは、実際の犬のように寿命が20年ほどという設定だ。人をかみ殺すことのできる凶暴な存在でもあるが、そこに一抹の哀しさを感じさせる。

「はかない存在なんだけれども、善ではなくてちょっと悪の要素もある、というのが好きなんですよね。ゴシック的な世界の登場人物ってそういうところがある。あとは、ランボーやラディゲのように、すごく若いときに出てきてぱっと消えてしまう人っていますよね。死ななくても表舞台から消えてしまう人っている。自分の中にそういうものに憧れる気持ち、畏れる気持ちがあって、そんなキャラクターを書きたかったのかなと思います」

 狩る者と狩られる者。そこには当然、戦いがあり、命の危険だってある。この戦いの決着を、どのように描こうと思っていたのか。

「伏たちの設定を決めたあとは、誰がどんな死に方をするのかを考えていきました。でも吸血鬼の話もいろんなバージョンがありますが、全滅したという話は聞きませんよね。全滅しちゃったらがっかりですよね(笑)。網の目を逃れた奴がいて、今のこの世界のどこかにいるって思いたい気持ちがある。それに若い人は伏側に感情移入するのではと思うんです。自分にもその血が流れているかもしれない、だから世の中から受け入れられないのかもしれない、と想像をめぐらす人もいると思う。そんな風に、最後は読んでいる人の元にまで話がつながってくる終わり方にしたかったんです」




少しだけ浮いたものを


 大人はもちろん、かなり若い年齢層でも、本好きならば楽しめるであろう本書。単行本にも連載当時の挿絵が挿入され、物語世界を盛り上げる。この荒唐無稽な痛快エンターテインメントが『週刊文春』に連載されていたのかと思うと、やや意外に思えるが、

「編集者から提案を受けた時は、新聞連載とは違って週に1回だから大丈夫かな、くらいにしか思わなかったんです。よくよく考えてみて、『週刊文春』でこれをやっていいのかなと(笑)。でもいつも、その媒体の読者向けのものを書くのではなく、ちょっとだけ浮いているのが好きなんです。『野性時代』で『少女七竈と七人の可愛そうな大人』を連載したり、ちょっとずれたものを書くとき、頑張ろう、という気持ちになりますね」

 そのなかで、少女という存在はいつだって、桜庭さんにとって重要なモチーフだと感じられるが、

「これまでも少女が出てくる話を書いてきましたが、ただ少女から見えている世界だけではなくて、例えば『ファミリーポートレイト』のように、少女が大人になって世界を見ていくまでを書いたりもしているので、少女を描くにしても変化はしていると思います。それにその反動なのか、今『小説すばる』で書いている『ばらばら死体の夜』は少女が出てこない。大人ばかりの話なんです。殺す人も殺される人も追い詰められていく、本当に希望のない話。神保町の古書店が舞台ですが、これもヨーロッパの犯罪映画のようなスモーキーな空気が伝わるようにしています。いつも、明るいものを書いたら暗いもの、暗いものを書いたら明るいもの、と反動でまったく違うものを書くことを繰り返していますね」

「ばらばら死体の夜」はもう脱稿したということで、その次にとりかかっている作品はというと、

「『小説現代』で『傷痕』という長編小説を書きます。これはすごく変わった設定なので……今はまだ言えません」

 大きな振り幅を持ちながら、着実に変化を遂げていく作家である。





(文・取材/瀧井朝世)



桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015 隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題)で第1回ファミ通エンタテインメント大賞に佳作入選。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、04年に刊行した『推理少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価されて注目を集める。06年『赤朽葉家の伝説』で第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年『私の男』で第138回直木賞を受賞する。近著に『荒野』『ファミリーポートレイト』『製鉄天使』『道徳という名の少年』などがある。