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 大島真寿美さん『ピエタ』
  どういう場所で生きようと最善を尽くそうじゃないか、
                    という気持ちは私の中にもある。







 大島真寿美さんの長編『ピエタ』が話題となっている。18世紀のヴェネチア共和国を舞台に、作曲家ヴィヴァルディや彼が音楽指導をしていた実在の慈善院を題材とし、当時の人々の生を活き活きと描いた傑作。こうした舞台設定の小説は著者にとっては初の試みだ。その出発点には、ほんの小さな、しかし強烈な「小説の種」があったという。





きっかけは1枚のCD


 18世紀のヴェネツィア共和国。大島さんがこの舞台をもとに創作を思いついたのは、5年ほど前だ。

「私は半身浴をする時にいつも本を読むんですが、たまに音楽を聴きながら読書したくなるんですよね。歌詞のある曲だと本に集中できない。それで、愛好家ではないんですが、クラシックをかけることもあって。それでたまたま家にあったヴィヴァルディのCD、小説にも出てくる『L’estro armonico』(調和の霊感 協奏曲集)をかけたら、ひらめくものがあったんです」

 もともと小説の題材は、ふわっとしたイメージが浮かんだところから膨らんでいくという。その大本を大島さんは「小説の種」と呼んでいる。

「朝目が覚めた時に、なんとなく夢を記憶していることってありますよね。あの感覚が、小説の種です。ヴィヴァルディを聴いた時に浮かんだのは、ひらひらしている感じ、木漏れ日の感じ。そのイメージがものすごく強く立ち上がったんです」

 そこから実際に小説を執筆するまでには、少し時間がかかった模様。

「なかなか書くチャンスがなかったんですよね。ある時ポプラ社の方から、青春音楽アンソロジーの執筆の依頼をいただいたんです。編集者に会うまでは、他に仕事がいろいろあったので、お断りするつもりでした。でも会ってお話ししていて、“音楽のテーマで何かありませんか”と訊かれて“実はヴィヴァルディならある”と言ったら、“それでいい”って言ってくださったんですよ。青春小説がテーマなんだし、18世紀の話なんて絶対無理だろうと思ったのに。じゃあやってみようということになって書いたのがプロローグの部分でした。アンソロジーなので長編にはできなかったけれど、書きながらこれだけでは終わらないと分かっていました。“まだ書けます”と伝えて、続きを書くことになりました。ただ、すぐ書き始めたわけではないんです。いつもはふたつくらい小説を並行して書くんですが、これは集中しないと無理だろうと思って、スケジュールを調整して、資料を読む時間を作っているうちに、実際に書き始めることができたのが、去年の夏となったわけです」




慈善院ピエタで暮らす一人の女性


 舞台は実在した慈善院ピエタ。そこでは音楽教育が盛んで、才能のある女性たちは〈合奏・合唱の娘たち〉として演奏会を開き、国内外で人気を博している。彼女たちの指導にあたっていたのが、かの作曲家、ヴィヴァルディである。主人公、45歳のエミーリアは、幼い頃は音楽教育を受けていたが、今は慈善院の裏方の仕事についている。ある日、外国で恩師が逝去したとの知らせを受けて……。

「最初はピエタの存在も知らなかったんです。でもヴィヴァルディを聴きながら、なんでこんなにも女の子のイメージが浮かぶんだろうと思ってライナーノーツを見たら、ほんの数行だけピエタに関する記述があったんですよ。小説を書くとしたらこの話になるだろう、とその時から思っていました」

 プロローグは、恩師の訃報を幼ななじみのアンナ・マリーアと嘆き、来し方を振り返るエピソードが綴られる。そこがアンソロジーの一編として書いた部分。その後の物語は意外な展開へ。エミーリアはかつて彼女たちと一緒に音楽教育を受けた貴族の婦人、ヴェロニカから失ったヴィヴァルディの楽譜を探してほしいと頼まれるのだ。多額の寄付を約束された彼女はこっそりピエタを抜け出しては、カーニバルに浮かれる町をさまよい、手がかりを探すことになる。

「エミーリアは私の創作した人物ですが、最初から頭の中にいましたね。アンナやヴィヴァルディの妹たちなどは実在の人物ですが、ヴェロニカや後から出てくるクラウディアといった架空の人物は、書いているうちに自然と出てきたんです。彼女たちが頭の中で勝手に動くのを追いかけていく感じでした。最初、ヴェロニカが楽譜のことを持ち出した時は、私はピエタの中の話を書くつもりだったのに、なんてやっかいなことを言うんだろうって思いましたね(笑)。後半になってやっと、ある人物が楽譜と関係ありそうだなと分かったので、編集者に楽譜のありかが分かりました!≠チて連絡したら、呆れられました」




執筆と資料探しの競争


 その様子からも分かるように、大島さんは執筆前にプロットをきっちり決め込むことはしない。書いているうちに次が浮かんでいく、というのはいつもと同じだが、苦労したのはやはり、18世紀のヴェネツィアが舞台である、ということ。

「知識のないまま書き始めたので、分からないことが多くて。暖房器具のない部屋の中ではどうしていたんだろうとか、コーヒーを飲むのか紅茶を飲むのかとか、夜は明るいのか暗いのか、ということすら分からない。そういった小さなことを泥縄で調べていく、自転車操業でした」

 最初は自分の想像が間違っていないか、ビクビクしながら書き進めていたという。

「例えば、後半に薬屋の女性が出てくるんですが、私の頭の中にある薬屋が正しいのかどうかが分からない。それで編集者に資料探しをお願いしたんですが、適当なものが見つからないうちにどんどんその場面が近づいていって(笑)。結局資料も見つかったし、自分の想像とはほとんど違いはなかったので安心しました。だんだん、自分の妄想もそれほど間違っていないな、と、勇気を持って書けるようにもなりましたね。ヴィヴァルディの2人の妹の家の様子も空想で書いたんですが、監修してくださった先生が後になってその家の遺産整理の資料を見せてくださったんです。そうしたら、話に書いたとおり、小さな絵が飾られてあったりしたんですよ」

 資料は主に当時の様子が分かる論文を当たったが、意外に役立ったのが絵画。

「カナレットさんという画家の方が、写真のように当時の町の様子を描いているんですよ。その人の絵には助けられました。カナレットさんありがとう、って何度お礼を言ったことか(笑)」

 18世紀の終わりにナポレオンに降伏するまで、1千年以上続いたヴェネツィア共和国。当時から運河をゴンドラで行きかい、カーニバルに浮かれていた町の様子が活き活きと伝わってくるのは、そんな絵画の力があったのかもしれない。

「今思うと町も主役ですね。3分の1くらいは町のことを書いたと思います。カーニバルで人々が仮面をつけている、ということは最高の舞台装置でした」

 エミーリアには以前もピエタを抜け出したことがあり、仮面をつけた男性と出会ったというロマンティックなエピソードも。




テーマはいつも考えていない


 ただ、本書の主要人物たちの大半は女性だ。貴族のヴェロニカ、コルティジャーナなる職業のクラウディア、薬屋に嫁いだジーナら、まったく異なる立場の女性たちが、互いに交流を深め、時に共感を持って行動していく様には心動かされるものがある。孤児として育ったエミーリアや今は独身であるヴェロニカら、女性たちの生き方がさまざまである点、そして彼女たちが自分の人生を前向きにとらえている点も印象的だ。

「当時のヴェネチアでは孤児でも充分生きていけたようですし、文化的成熟度が高く、多様性を受け入れるという点では開かれていたようです。心の底から開かれていたかは分からないけれど、かなり自由なところがあったのだなという印象は受けましたね。それに、どういう場所で生きようと最善を尽くそうじゃないか、という気持ちは私の中にもある。お前は最善を尽くしているのか、という問いがわが身に返ってきそうで恐ろしいんですけれど(笑)」

 ただし、意外なのは、

「女性たちの友情が描かれている、という感想をもらってびっくりしたんですよ。そんなことはまったく思っていなかったんです。いつも書く時はテーマだとか、何かを伝えたいなんてことは考えていないんです。ただ、一生懸命話の続きを書いているだけ」

 もちろん書き直すことだってある。その際に優先的に考えるのは、

「文法的なことよりもリズム。だからカギカッコが急になくなったり現れたりするんですよね。今回は物語の要請によって、いつもと違う言葉を選んでいますね。現代日本の話だったら愛してる≠ネんて絶対書かないのに、18世紀のヴェネチアが舞台だと自然とそんな台詞が出てきて、自分でもへえー≠ニ思いながら書いていました」

 資料を当たって書くという作業も加わって、時には1行も進まずに1日が終わることもあったという。

「途中でくじけそうになったこともありました。こんなつまらないものを書いてしまっていいんだろうかって、怖くて不安になったこともあったんですよ」

 それでも書き続けることができた、その原動力は何だったのか。

「ポプラ社の方々からの、私は騙されているんじゃないかと思うくらいの励まし(笑)。後は、壮大な失敗作になったとしても、最後の1行まで見てみたい、という思いかな」

 終盤は人々の人生に対する祝福で満ち満ちてくる。そしてラストの1行も感動的だ。

「私も最後どうやって終わるのかが分からなくて、あんなふうかな、こんなふうかな、と想像して楽しみにしていたんです。もっとふわっと終わると思っていたんですが、実際に書いてみたら、最後の1行が思いのほか強かった。こんなに力強く終わる話だったのか、としみじみ思いました。必死に書いてきたものが、想像とは違う重みを持って自分の中に落ちてきたような感覚です」




新作はまたゼロからのスタート


 完成後も1カ月ほどは、この作品世界のイメージから抜け出せなかったという。5年前に、ヴィヴァルディを聴いて抱いたひらひらしたイメージ、木漏れ日の印象。そうした漠然とした感触を、ここまでさまざまな要素の溶け込んだ、喜びにあふれる小説に仕立てあげる筆力はさすが。

「小説家ってそんなふうに、小さなイメージから言葉を引っ張ってくる仕事だと思う。言葉で表すことは大変だと思うけれど、苦労ではないですね。うまく言葉に落とせない時は、自分の力量が足りないんだと思ってガッカリしていますけれど(笑)」

 異なる時代、場所を舞台に長編を書き上げたことに関しては、

「達成感はあります。マラソンを走りきった気分。確かに、節目になったとは思いますね。まったくやったことのなかったことをやり遂げたなって思いますから。昔の私だったら、無謀だわ、と言ってやめていたでしょうね。でも、無謀でもやる勇気を出せてよかったなと思います」

 では、今後の執筆の姿勢も変わってくるのだろうか。

「小説ってひとつを書き上げたら、次はまたゼロからのスタートなんですよ。ひとつ上のステップに上がれた、なんてことはまったくない。このままずっと自信のないままいくんだろうと思っています。今でも新しい作品を書き始めることは怖いですね」

 しかし、それでも勇気を出して書く姿勢は身についたようで、

「ポプラ社の『asta*』の7月号からまた連載を開始するんですが、これがまた無謀なものになるんですよ(笑)。これこそ壮大な失敗作になるかもしれない。せめて、続きを楽しみにしてもらえるものにしたいとは思っているんですけれど」

 これまでに書いたことのない類のものになりそう、とのこと。となるとやはり、期待せずにはいられない。





(文・取材/瀧井朝世)



大島真寿美(おおしま・ますみ)
1962年愛知県生まれ。92年「春の手品師」で第74回文學界新人賞を受賞。『宙の家』で単行本デビュー。著書に、『ビターシュガー』(小学館)、『戦友の恋』(角川書店)、『三人姉妹』(新潮社)、『すりばちの底にあるというボタン』(講談社)、『やがて目覚めない朝が来る』(ポプラ社)などがある。『ピエタ』は、日常の何気ない瞬間を透明感のある筆致で描き出してきた著者が、初めて歴史上の人物に材をとった意欲作。