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 西 加奈子さん『漁港の肉子ちゃん』
  どこかにこんな町や肉子ちゃんみたいな人がいるっていう、
   希望として読めたらいいなと思います。






白いしるし』『円卓』など高評価の作品の発表が続く西加奈子さんが、またもや圧倒的なパワーを持つ長編を上梓した。『漁港の肉子ちゃん』は、よくいえば天真爛漫でいじらしい、悪くいえばだらしなくてダサくて能天気という肉子ちゃんという女性が登場する。東北の漁港を旅していて浮かんだというこの愛おしい人物を中心にすえた本書には、どのような思いが託されているのか。



 表紙のイラストは著者自身によるもの。裸の女性が身を丸めているクリムトの〈ダナエ〉を、独特のタッチで再現している。

「最初はルノアールの絵画のような、ふっくらした女の人の絵にしたかったけれどぴったりくるものがなくて。その頃〈ダナエ〉を見て、これだ! って思ったんです。女の人のまわりに丸い模様があってまるで卵を産んでいるみたいで。一気に描いて、これを表紙に使ってほしい、と売り込みました(笑)」

 そう、今回の作品に登場するのは、圧倒的な女性性と母性を感じさせるヒロインなのである。


キラキラした人物を書きたかった



〈肉子ちゃんは、私の母親だ。〉

 そんな一文から始まる本書は、北陸の漁港に暮らす小学5年生の喜久子、通称キクりんが語り手だ。家族は二人きり。若い頃に家を出て大阪のスナックで働き、流れついた北陸の漁港の焼き肉屋で働く肉子ちゃんと、美しく知的な少女キクりん。二人の半年間の日常が綴られていく。

「編集者に旅行に誘われた時、漁港に行きたいなと思ったんです。以前にも一緒に直島に旅行して、それが『うつくしい人』という小説に結び付いたことがあって。あれはラグジュアリーな場所だったので、今回は猫が生魚を食べているような場所がいいなと思いました。ちょうど編集者の実家が石巻にあったので、その周辺を回ったんです。女川に行った時、漁港にあるさびれた焼肉屋の看板を見て、そりゃ毎日魚ばっかりだと飽きるだろうな、と納得しているうちに肉子ちゃんの人物像が浮かんできました」

 ちなみに震災前のことである。また、物語の設定上、後に舞台は日本海に面した町にすることに決めた。

 たっぷりと贅肉を身に付けて、服装にも身の回りの小物にもかまわず、いつもとびきり陽気な肉子ちゃん。38歳、151センチ、67・4キロ、ジーンズの「模様」が描かれたスパッツをはくような、

「親不孝」という筆文字の入ったコーヒーカップを使っているような女の人である。

「太っていてダサくて、男の人に関して奔放で騙されやすい人です。天使のような、キラキラした人を書きたいと思った時、それはやっぱり処女ではなくこういう人だろうって思ったんです。『こうふく みどりの』でもこういうタイプを書いたんですけれど、自分の中に憧れがある。ダサい服を着ていても、変なカップを使っていても平気っていう、こだわりのないところが、真っ白な気持ちの持ち主なんだろうって思わせてくれるんです」

 肉子ちゃん本人ではなくキクりんを狂言回しとして選んだのは、

「本人がどれだけキュートでも、男の人にだらしない女の人の話となると三人称や一人称ではエグくなるので、子供の視点から書こうと思いました。母親をこんなに冷静に語ることができる娘、ということから、キクりんの性格は自然と決まっていきました」

 小学5年生というのは、幼い子供でもない、でも大人の女性でもない微妙な年頃だ。

「同級生には生理が始まっている子もいる、セックスというものがあることも分かっている、でも具体的にどうするかは知らない、という年頃を考えました。肉子ちゃんの男性関係を嫌だと思っているけれど、何が嫌なのかはっきりしないでモヤモヤしている感じ。もちろんまだ“女”ではないし、でも“女の子”でもない。そういう子に肉子ちゃんといった“女爆弾”みたいな人を語らせようと思ったんです(笑)」




小学5年生の日常とは


 焼肉屋の主人のサッサン、商店街の鍵屋の娘で、都会帰りのマキさんをはじめ、キクりんの同級生のお嬢様マリアちゃん、予想もつかない行動をとる男の子二宮くんなど、個性ある人物が次々に登場してにぎやか。

「書いているうちにいろんな人が出てきました。二宮は突然窓ガラスをなめたりするのが可愛いなあと思って。好みのタイプ(笑)。マリアちゃんは限りなく肉子ちゃんに近いタイプだけど、ただ、自己顕示欲が強い。素直に自慢話をしちゃうんですよね。キクりんはそういうマリアちゃんがまぶしいんですよね。自慢を口にするのはよくないと分かっている。社会で言う・子供らしさ・のない子供なんです。可愛さをひけらかさないしソツがない。特殊な家庭環境にいるから、そうならざるを得なかったんですよね」

 学校では女の子たちがグループに分かれて誰かを仲間外れにすることも。そんな女子社会が出来上がってくる年頃だ。

「自分がそれまで住んでいたカイロから帰国した時が小学5年生だったんです。女の子たちがみんなでトイレに行くのにびっくりした。いじめもあったけど、自分はずるかったと思う。一緒にいじめはしなかったし、いじめられてる子とも言葉は交わしていたけれど、友達になろうとはしなかった。ただ、積極的にいじめている子ってすごいなって思ってた。反旗を翻されたら一人ぽっちになるって考えないのかなって。そうしたことは書こうと思っていました」

 異質な存在もいる。海辺にはキクりんにしか見えない三つ子のおじいさんがいる。どうらや幽霊と思われるが、家族を拉致され悲嘆にくれている様子だ。

「今回の話は家族や共同体がテーマだなと感じていて。それで、家族と引き離されてしまった人たちを出したくて、拉致について書くために舞台を北陸に移したんです。キクりんに姿が見えてしまうくらい、家族を失うってことは強い悲しみが残されることなんだと思いました」

 さらに水族館に一羽だけいるペンギンのカンコさんがなぜこの水族館にやってくることになったか、その物語も挿入される。

「カンコさんも共同体から引き離されてしまった存在。そういうペンギンが肉子ちゃんに抱きしめられる場面を書きたかったんです。今回は血のつながりというのもテーマ。血のつながった家族というものは強烈だし、あるいは血がつながらなくても家族になれるし。後づけですけれど、そういうことを考えてたんだと思う」

 さらに後半では、とある人物の半生も語られて意外な事実が浮かび上がる。それが読み手の心を揺さぶるのだが、もちろんここで明かすわけにはいかない。




迷惑かけて、恥をかいて生きよう


『フラニーとゾーイー』や『悪童日記』といったキクりんが読んでいる本のタイトルの数々、梅崎春生のチョウチンアンコウについての随筆の引用など、登場する他の作品も気になるところ。

「キクりんの知能や性格が分かるように、本のタイトルを出しました。チョウチンアンコウに関する引用は、うちも読んでびっくりしたんですよ。オスは生殖のためにメスに吸収されていくなんてすごいな、って。それに自分たちが知っているあのグロテスクな姿がメスだなんて。ドブスやん(笑)! なんか肉子ちゃんみたいだなって思ったんです」

 肉子ちゃんの天真爛漫さとは対照的に、いつでも冷静なキクりんは周囲に気をつかって生活をしている。時に無理を重ねてしまうこともある。サッサンはそんな彼女に「生きてる限りはな、迷惑かけるんがん、びびってちゃだめら」と言う。

「大人って言葉は実体がないと思う。自分も11歳の頃は自分が30歳すぎて自転車乗ってキャーキャーはしゃいでいるなんて思わなかったもの(笑)。大人なんておらん。むしろ大人になるほどカッコわるい経験も増えていく。経験が浅いうちから怖がっていてもしょうがないって思う。キクりんみたいに恥をかくのを怖がっていても、絶対に恥ってかくものだから。それでも生きていける。恥ずかしがる必要なんてなくて、ただ毎日を生きたらいいって思うんです」

 それは西さんが自分に言い聞かせたいことでもあるようだ。

「社会が決めた価値観から解き放たれたいとか、美醜の価値観は自分で決めようとか、そういった気持ちがすごくある。それがいつも書くものに出ているとも思います。自分がそういった価値観にとらわれていることがよく分かっているから、肉子ちゃんみたいな人に憧れるんです。あの、ただ生きている、という感じに自分もなりたい。肉子ちゃんのこの話も、メッセージを込めているというよりは、自分がそうありたいという願望をぎゅんぎゅんに詰めこんでいるんです」

 自分の思いをぶつけながら執筆していると、心に変化が訪れる。

「本を書いている間は、私も生きているだけでいい、と思えるの。人に迷惑をかけて生きていこう、って。自意識がばっと外れてめっちゃ気持ちいい瞬間があるんです。書き終わると忘れてしまうんですけれど、その一瞬があるかどうかでまったく違うんです」

 西さんのいう自意識は、たとえば他人と自分を比べてねたんだり僻んだりするのとはちょっと異なっていて、

「今自分は作家で食べていけるしすごく幸せだけど、たまにかまってほしくて編集者に”しんどいわ……“とか言ったりする。でもそれで本当にかまってもらった瞬間、”うわ、恥ずかしい!“って思うんです」

 という類のもの。さらに今回、当初予定していた舞台が執筆後に被災したことに関しても、

「書いている最中に震災が起こっていたら、確かに内容は書き直していたと思う。でもそれも自意識にとらわれてしまいそう。”私は被災した人々と土地に対してこんなに心を砕いてます“っていうアピールのための直しになっていたんじゃないかな。そうした善意の取り合い合戦にのっかることなく、素直にキラキラしていた石巻の思い出だけをもとにして書けてよかった。結果的には完全に架空の町になったけれど、どこかにこんな町や肉子ちゃんみたいな人がいるっていう、希望として読め たらいいなと思います」




どんどん書くことが楽しくなっている


 小説を発表していることすら自己顕示欲なのでは、と思う時もある。

「自意識から解放されたら、もう小説を書かなくなるのかも。でも、自分が書いたものを本にしてもらえる幸せを知ってしまったから、もう逃れられないです(笑)」

 しかも今、小説を執筆することがどんどん楽しくなってきているという。

「定まってきた気がするんです。去年出した『白いしるし』を書いた時、最初はドロドロの恋愛の話にするつもりだったけれど無理だった。それで、自分はやっぱり明るいものを書きたいんだな、って明快に思えたんです。その頃からラクになった気がする。今は明るいものを書いていきたい」

 今年は新刊をもう一冊刊行する予定。『小説トリッパー』では新連載も始まった。

「福笑いが好きな女の子の話なんです。顔っていうのはなんだろうって考えながら書いています。これもすごく面白いんですよ(笑)」





(文・取材/瀧井朝世)



西 加奈子(にし・かなこ)
1977年、イラン・テヘラン市生まれ。大阪育ち。2004年に『あおい』でデビュー。『通天閣』で織田作之助賞を受賞。ほかの小説に 『さくら』『きいろいゾウ』『こうふく みどりの』『こうふく あかの』『円卓』などがある。