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 小島達矢さん『夏休みの拡大図』
  結論のないまま書き進めていきましたが、
    最後は自分で納得のできる形になりました。





 2010年に短編集『ベンハムの独楽』で23歳の若さでデビューした小島達矢さんが待望の新刊を上梓。『夏休みの拡大図』はたった一日の、一軒の家のなかの出来事と主人公たちの心の変化を、謎解きをちりばめながら描いた青春ミステリー。この繊細で愛らしい小説が出来上がっていく過程には、意外な裏話が盛りだくさんのようだ。


はじめて長編小説に挑戦

「はじめて書いた短編集でデビューして、長編の習作をする期間もなかったんです。だから今回はまず長編を書ききれるかどうか、というところが勝負でした」

 小島さんは、テイストのまったく異なる9つの短編を収めた『ベンハムの独楽』で新潮エンターテインメント大賞を受賞してデビューした。待望の単行本2作目『夏休みの拡大図』は“日常の謎”を扱っている。

「いろんな色が見える短編集でデビューしたので、これからもなるべく作品同士の色がかぶらないようにしたいと思って。それで今回は日常の謎を絡めた青春ミステリーに振り切ろうと思いました」

 二人の女性がゴミ屋敷のような部屋を片付けている。部屋の主である新巻ちとせが大学を卒業し、実家を出て一人暮らしをはじめようとしているのだが、引越しの当日になっても片付かないため、幼なじみの宮崎百合香が手伝いに来ているのだ。ほどなく二人と同級生だった木嶋という青年もやってくる。荷物を整理しながら思い出話に花が咲き、その都度かすかな謎が浮かび上がってくる。小学1年生の頃、転校してきたばかりの木嶋が授業中に前の席の子にいきなり花瓶の水をかけたのはなぜか。音楽会で合唱を披露する直前、指揮者の男の子が泣いていたのはなぜか。整理整頓の才能はさっぱりだが、鋭い洞察力の持ち主であるちとせは、そんな謎を軽々と解き明かしていく。そう、本書は引越しの準備というワンシチュエーションのなかに、さまざまな謎をちりばめているのだ。

「最近気づいたんですが、僕は作劇理論の“三一致の法則”が好きみたいです。一つの場所で、一日の間に、一つの筋を追うという理論ですね。映画の『キサラギ』や『笑の大学』、お笑いのラーメンズの舞台なんかがその法則にのっとっていて、すごく好きなんです。これまでにそうした短編はいくつか書いていたんですが、今回はなんとか長編で書こうと思いました」

 難しい縛りのある設定を、ほとんどノープランで書き始めたというのだから驚く。

「他の小説ではガチガチにプロットを組み立てて書き始めることもあるんですが、今回はあえて自分でも先が読めないようにしたかったんです。自分を飽きさせないよう、毎回パターンも変えました。謎のネタのストックはありましたが使えなかったものもたくさんあるし、書きながら新たに気づいた謎も。連載はもう始まっているので、全部を引き受けるしかありませんでした(笑)」

 謎を解くたびに、青春の思い出の色合いが変わっていく、その様が鮮やか。なぜ引越しという設定にしたのかというと、

「僕自身が引越しを経験したということも大きかったんですが、友達がウェブに載せている日記に、引越しなのに荷物が片付かなくて絶望的な状態だったけれど友達が手伝ってくれて奇跡的に間に合った、とあって、面白いなと思っていたので。あとは、部屋が汚い女の子を書きたかった(笑)。中学・高校と吹奏楽部で女の子とも距離が近かったので、異性とまったく接点のない男の子が想像しているよりも近いところで女の子を見ていたと思うんです。ちょっとだらしないところがある感じも知っていたので、そうした部分を書きつつ女の子っぽさも出したかった」




魅力的な三人の若い男女


 では、登場人物たちのキャラクターはどのように生まれたのだろう。「人を描くのは苦手だと思っていた」という小島さんだが、本書の登場人物はみな非常にチャーミングであり、それがこの小説の美点になっている。なかでもいい味を出しているのが探偵役のちとせ。ほんわかとした心優しき地味なメガネっ娘で、ディズニーランドならぬウィズリーランドの大ファン。推理の披露も得意げにするのではなく、気を使いながら控えめに語る。視点人物である百合香は“キラキラした”グループに属するタイプ。無口な木嶋は百合香の目を通して見ると暗くて何を考えているのか分からない奇人変人で、ちとせとはウィズリーマニアという共通項が。

「『ベンハムの独楽』にディズニー好きの子が出てきますが、ああいう子をまた書いてみたいなと思ったのがちとせです。外見は、マクドナルドのキャラクターのドナルド・マクドナルドがメガネっ娘になったような絵を見た時にこの子だと思ったんです。……って、何を言っているのか意味が分からないですよね(笑)。なんとなくメガネっ娘がいいなと思っていて、漫画用の描き方指南書を読んでどういう仕草がいいか参考にしながらイメージを膨らませていきました」

 そのちとせと仲のよい女の子を考えた時に百合香の人物像は自然と出来上がったという。また、木嶋に関しては、

「男女三人組といってもリア充のような感じにはしたくなかったので、木嶋くんのようなキャラクターになりました。具体的にモデルがいるわけではないんですが、会社勤めをしていた頃にできた友達のイメージがあります。僕は会社はすぐに辞めてしまったんですけれど、比較的社交性に欠けている、オタッキーな人たちの集団の中に飛び込んだ形だったんです。みんなそれまでは友達にいないタイプでしたが、すごく仲良くなって。その時にできた友達をなんとなくイメージしながら書きました」

 ほかには、回想シーンでちとせと百合香と仲良しだった小夜という子も出てくる。

「第一話では考えていなかったキャラクターなんですが、回想シーンで登場してからは自分のなかで存在感がありました。この女の子三人組の思い出を書いた時から、小中高の楽しかった頃を懐かしむような気持ちを模索しながら進めるようになりましたね」

 もう一人の重要人物は百合香の高校時代の片思いの相手、柳井。実は百合香は柳井の制服の第二ボタンをちとせが持っていると思っており、荷造りを手伝いながらその物的証拠を探しているのである。

「第二ボタンのことだけは決めていたんですが、さらっと書くつもりでした。出来上がってから、ここまで広がる話だったんだなと思いました。そんなつもりは全然なかったのに、わりと恋愛の色が強くなりましたね」




影響を受けたのは今も活躍中の作家


 各章にちりばめた謎も、全体を貫く謎も、いわゆる“日常の謎”だが、その点は米澤穂信さんの影響を受けているという。

「小説を読み始めた頃から現在活躍している方の本ばかり読んでいて、その人たちの影響が強いんです。米澤さん、道尾秀介さん、伊坂幸太郎さんが好きです」

 実は登場人物の名前にも米澤さんの影響が。新巻ちとせ(千歳)、宮崎百合香、木嶋はじめ(一)、柳井拾希。名前に千・百・一・拾(十)といった数字が潜んでいるのは、米澤さんの古典部シリーズに登場する女子高生、千反田えるの実家が、十文字家、百日紅家、千反田家、万人橋家という市内の“桁上がりの四名家”の一つに属している、という設定を受けているのだとか。さらにはタイトルにも意外なきっかけがある。

「米澤さんがツイッターで、作家の生活は毎日が夏休みのようなもので、自分で律して宿題を片付けているようなものだ、とつぶやいていたのが頭にあったんです。それで友達に“夏休みって人生の縮図だね”という話をしたら、相手が“じゃあ人生って夏休みの拡大図だね”と。それを聞いた瞬間に“それいただき!”って(笑)。夏休みという言葉を使うと若い人たちの話だというイメージも出るなとも思いました」

 本書で人生の喩えとして登場する“夏休み”も、決して明るいバカンスのイメージではない。たくさん抱えこんでしまった宿題といつか向き合わなくてはならなくなる……ある人物がそんなふうに嘆く場面が出てくる。大学を卒業し社会人となるちとせが引っ越ししようとしていることに象徴されるように、これは青春ミステリーといっても青春を謳歌している若者たちの話ではなく、青春に区切りをつけ大人になろうとしている人たち、その不安を心に潜ませている人たちの話なのである。だからこそ、そこはかとないノスタルジーやほろ苦さ、寂しさが全編に漂う。

「僕自身が感じていることが小説に出たんだと思います。今の若い人って、大人になることを嫌がっている感じがある。社会で立派に働いている人たちが楽しそうに見えるのはなんでだろう、とも思うんです。部屋が片づいていくと達成感と同時に寂寥感も増していくので、それもページの進み方とリンクしました。ただ、最後のほうになって、自分でも夏休みは終わるけれど、でも何かの終わりは何かの始まりでもあるんだなと、気づいたので、ああした終わり方になりました。テーマを設けずに書き始めて、結論のないまま書き進めていきましたが、最後は自分で納得のできる形になりました」

 最後には主人公たちが心の成長を遂げている。たった一日の間での主人公たちの心の変化を丁寧に、繊細に描きだしていて見事だ。

「僕自身も成長したんだと思います。書き進めながら、どうしたらこの子たちが納得してくれるのか、いろいろ悩んだり考えたりしましたから。それが結果的に登場人物にも反映されていったように思います」




いつか“エッシャーのような小説”を


 きっとこの先もさまざまな書き方に挑戦していくなかで、確実に成長の痕跡を作品に残していくであろう小島さん。そもそも小説を書き始めたきっかけは、

「大学4年生の時に小説を書くことがやりたいんだなと分かったんです。それまでは詩を書いていたんですけれど、それがだんだんお話になってきて、詩の器の中に入りきらなくなってきていて。それで小説という器を見つけてやってみたらバッチリ合った。うちは母親がすごく読書家で、家に友達が遊びにくると“本の家だね”と言われるくらい書籍があったんですが、実は1冊も読んだことがなかった。だから母親に“小説を書く”と言った時も信じてくれなくて」

 卒業後就職をしたが、前述の通りすぐに辞めて小説執筆に重点をおく生活に。

「会社の仕事も好きだったんですけれど、両立が難しいと思った時に、それなら破滅するかもしれないけれども小説を書こうと思って。“小説をやってみる”宣言をしたら親にははたかれました。でもはたかれたことで意地になれた気もします。それで短編を書いていたら、道尾さんのインタビューに“短編ばかり書いていても小説家にはなれない”みたいなことが書かれてあったので、じゃあ今まで書いていたものはとりあえず短編集という形で応募して、これからは長編を書くぞ、と思っていたら選考が通ったのでびっくりしました。賞をいただいてからどの人も“次は長編だね”と声をかけてくださる。長編はどうしても乗り越えるべき壁だと思って不安を感じながら書き始めたんですが、実際書いてみたらものすごく楽しかった」

 次作は年内に出したい、という。

「次は『別冊文藝春秋』で連載していた、ヘンテコなSFのような話を出します。その次は高校生の女の子の話になる予定。また青春モノなのかと思われるかもしれませんが、読者に気づかれないように遊んでいるんです。普通に読んだら青春小説なんですけれども、最後まで読んでもう一回最初から読むと違うものに見えてくる……という。視点が変わると見え方やイメージが変わってくる、というのがすごく好きなんです。僕はエッシャーが好きなんですが、小説でエッシャーの絵みたいなものが書きたい。ああした騙し絵のなかでは人間は記号になっているので、それを小説でやると人間が描けていないことになるかもしれない。でもエッシャーの絵も、たぶんその絵の観客のことを考えて描かれていて、それは結果的に人間を描いていることになるように思うんです。そんな実験的なことを小説でやるのはもっと書けるようになってからだと言われそうですけれど、そのうち“この小説、エッシャーの絵がはまるじゃん!”って思ってもらえる作品を書きたいですね」





(文・取材/瀧井朝世)



小島達矢 (こじま・たつや)
1987年東京都生まれ。東京電機大学工学部第二部卒業。2009年『ベンハムの独楽』で第5回新潮エンターテインメント大賞を受賞し、翌年デビュー。同書は、ホラーテイストの小説から青春小説までバラエティに富んだ作風であり、それぞれの魅力と九つの短編が連環する斬新さで話題となる。