続編を書く責任があると思った
それは高校二年生の時のこと。新設の女子高に通う少女たちは、合唱を通して心を通い合わせていった──彼女たちの心の変化を描いた宮下奈都さんの連作群像劇『よろこびの歌』。このたび待望の続編『終わらない歌』が発表された。あれから三年後、二十歳になった彼女たちにまた会うことができるのは読者にとって大きな喜びだ。
「今まで他の小説に関しては、続編を書きたいと思ったことがなかったんです。でも『よろこびの歌』に関しては、自分には続編を書く責任があるんじゃないかと感じたんです」
主要人物となるのは高名なヴァイオリニストの娘、御木元玲。前作で彼女は音大附属高校の受験に失敗して新設女子高に進学、挫折と劣等感から周囲と距離をとっていたが、二年生の時に校内合唱コンクールの指揮者に任命されたことからクラスメイトたちと向き合っていった。玲のほかに、その時にピアノを担当したうどん屋の娘の千夏、肩を壊して大好きだったソフトボールをやめざるを得なくなった早希、失恋したばかりの佳子やクラス委員のひかりらを登場させながら、彼女たちが卒業生を送る会で合唱を披露するために心をひとつにしていく様子が描かれた『よろこびの歌』。そもそもこの前作が生まれたのは、
「“はじまり”というテーマのアンソロジーに参加した時に、女の子がトラックを走っていて、クラスメイトが励ましている場面が浮かんだんです。ああ、これから彼女たちの何かが始まるんだなと思って短編を書きました」
それが『よろこびの歌』の第一話、御木元玲が主人公である表題作。トラックの光景はラストシーンとなっている。その後、彼女たちの姿をもっと読みたいという声を受けて連作という形になったという。合唱というモチーフを意識して選んだわけではなかったが、
「ちょうど『よろこびの歌』を書いている時に子どもが幼稚園児で、プロの声楽家だったお母さんが合唱サークルを立ち上げて幼稚園のクリスマス会で歌ったことがあったんです。その時に、彼女がちょっと指導するだけで、こんなにうまくなるんだ、という驚きがありました」
玲がクラスメイトたちを指導する様子は、その時の体験も少々反映されている模様。
三年後、それぞれの悩み
『終わらない歌』の舞台はそれから三年後の話。玲は音大の声楽科に進学し、千夏はなんと、劇団に入ってミュージカル女優を目指している。他の同級生たちもそれぞれ異なる道を歩んでいるが、みんな、また新たな悩みを抱えているようだ。
「見えたと思ったものが見えなくなり、分かったと思ったことがまた分からなくなる。その繰り返しなんですよね。自分もそうなんです」
声楽科に進学したものの自分の歌に価値を見いだせなくなり、自信を失っている玲に対し、千夏は高三の時に玲と観たミュージカルに触発されて女優の道を選んでいる。歌を通して親友となった二人の性格は対照的だ。
「玲はずっと、音大は小さい頃から英才教育を受けてきた人が入るもので、自分のように一度はみだしてしまった人間が入ってももう順位は決まっていると思いこんでいる。でも、そうじゃないことはあると思うんです。千夏のように専門的なことは何も学んでいなかった子が突然情熱だけで突き進んでいくこともある。自分も三十七歳で作家になったんですけれど、二十歳の頃は文章の勉強なんてしていなかったし作家になるとも想像していませんでした。むしろその頃って、もうある程度自分のできることは決まっていて、そこから未来が広がっている気がしなかった。少なくとも私はそうでした。そうじゃないっていうことを書きたかったから、千夏が舞台で歌いたいって思ってくれてよかった(笑)」
今回も視点人物を変えていく連作集となっており、他の元同級生たちも登場。同窓会のシーンもあり、みんなのその後が分かって楽しい。クラス委員だったひかりがその後どうしたのか、佳子は新しい恋をしたのか……。
「自分でこうしようと考え出すわけではなく、自然とこの人はこうしているだろうな、って浮かぶんですよね。早希も一生懸命やっているけど、まだ昔をひきずっているだろうなって。彼女が変わるとしたら何がきっかけだろうと考えたら、まず全然別の視点を持った人と関わることじゃないかな、って思いました」
ソフトボール選手の夢を諦めた時からこの先の人生は“余生”だと思っていた早希は、今はトレーナーを目指しているものの、まだくすぶっている。彼女が新たに出会ったトロンボーン奏者の久保塚という男性に、印象的な言葉がある。それは、「トロンボーンという楽器がオーケストラの主役にはなりにくいからといって、僕が僕の人生の主役でないわけではない」。
誰もが自分の物語の主人公であることは、本書が群像劇という体裁を取っていることからも感じられる。前作と今作では視点人物が少し異なっているが、
「前の本でちょっとした台詞しかなかった子にも、それぞれに人生がある。だから本当はみんなのことが描きたかった」
例えば、前は完全に脇役だった東条あやの章がある。地方の眼鏡メーカーに就職し東京を離れた彼女を、その会社の先輩女性の目から追っていくなかで明かされるのは、あやの複雑な生い立ち。
「自分がどういう家庭環境に育ったのかは高校の同級生には話さないと思うんです。でもそういう人生だってあるんですよね。佳子ちゃんのように大きな挫折といえば失恋という人と、あやちゃんのように大変な思いをして東京を離れていく人が、同じクラスにいたんですよね。どちらのほうが重いとか辛いとか比べることではなく、それぞれが人生の別のところにいる、ということが興味深くて」
あやがいつもiPodで聴いているのは合唱曲「コスモス」。その曲を聴いた会社の先輩の心の中にも、静かな変化が訪れる。歌、音楽というものがあの時のクラス内だけでなく、さらに広く響いていく様子がしみじみと感じられる章でもある。ちなみにこの章では「コスモス」の「君も星だよ みんなみんな」という歌詞が印象的に使われているが、「あれを最初に聴いた時、すごく泣けちゃって……」と宮下さん。
「小学生の息子がいるんですが、市内の小学校の連合音楽会があって、そのプレ発表会を観に行ったんです。音楽の先生の指導がうまかったこともあって、町の公立の小学校の普通の生徒たちなのにすごく歌声がきれいで。“きみも星だよ”って歌われた時に、もう親たちがみんな泣いちゃって、互いに顔を見られないくらいでした(笑)。合唱ってやっぱりすごいなと思いました。歌って、自分が歌ったり歌詞を読んだりする時と、人の歌を聴く時では届き方が違うこともある。あやちゃんたちが録音した合唱を聴いて感じ入っている姿は、私にとってリアルなものです」
大好きな歌の数々をちりばめて
ほかにも随所に印象的な曲や歌詞が登場するのは前作と同じ。
「書いているうちに、自分は歌がすごく好きなんだなって思いました。これまでずっとその時その時ごとに、好きな歌をいっぱい聴いてきたんだな、って」
という宮下さんが、どんな音楽を聴いてきたのかは『よろこびの歌』の題名と章タイトルからすぐに分かる。表題作のほかは「カレーうどん」「bP」「サンダーロード」「バームクーヘン」「夏なんだな」「千年メダル」。すべてザ・ハイロウズの曲名だ。そして『終わらない歌』はザ・ブルーハーツの曲名。
「ハイロウズの曲と歌詞が無条件に好きだったんです。ブルーハーツも。甲本ヒロトと真島昌利という二人がいることが私にとって奇跡みたいなことなんですよ(笑)。『終わらない歌』も全部ハイロウズの歌で書けたんですけれど、彼女たちの変化も考えていろんな曲を入れることにしました」
『終わらない歌』の章タイトルは「シオンの娘」「スライダーズ・ミックス」「バームクーヘン、ふたたび」「コスモス」「Joy to the world」、そして「終わらない歌」。歌からイメージを膨らませたもの、人物から曲をあてはめていったもの、それぞれ。
「『シオンの娘』というのは前からタイトルがいいなと思っていて、それがヴァイオリニストの娘であることを気負っている御木元玲の話に結びつきました。『Joy to the world』ももともと好きで、これで千夏の話を書きたいなと思って。邦題が『喜びの世界』なので、じゃあ千夏にとって喜びの世界はどこにあるんだろう、と考えていった時に、舞台に立っている千夏が浮かんだんです」
そんな千夏は、うどん屋の娘である。
「うどん屋の娘として生まれたことを否定はしていないんだけれども、やっぱりそこから解放されたい気持ちがあって、ちょっと遠い高校に通っていた。そういう子です」
“〜の娘”という響きに、惹かれるものがあるという。
「気になるんです。持って生まれた運命のようなものが。御木元玲にとって、ヴァイオリニスト御木元響の娘であることは大きな部分を占めている。それで苦しんできたけれど、肯定的にとらえるようになっていきます。そこを書けた時に玲と一緒に自分自身も足枷がとれた気持ちになりました。誰の娘であろうとかまわないということではなく、誰かの娘であることをきちんと受け止めていく物語を書いていきたいと思いました」
何が幸せなのかを探しながら
思えば宮下さんはこれまでも、悩み迷いながら自分の道を探していく女性たちの姿を書いてきた。ただ、意識的にそうしたテーマを選んでいるわけではないそう。
「自分自身も迷いながら進んでいるからかな、と思います。玲はどうなったら幸せを感じられるのか、千夏にとって喜びの世界はなんなのか。彼女たちを幸せにしてあげたいとは思うけれど、実際にはあちこちに壁があって、その時にはいいと思ったことが後で違ったりもする。一緒に考えながら書いています」
だからこそ、宮下さんの作品には大人が上からの目線で若い頃の悩みや成長を青臭く描くのではない、生々しい感触、共感させる力があるのだろう。では、そうして悩みながら書いているうちに、“これだ”と思えるものが見えてくる、ということだろうか。
「そうなんです。喜びの瞬間というのは確かにあるんですよね。その後そのまま幸せになるのかどうかは分からないけれど、少なくともその瞬間は彼女たちも嬉しかっただろうと思える瞬間がある。『終わらない歌』の最終章には、玲と千夏が一緒に歌う場面があります。あの瞬間は二人にとっても確かに喜びの瞬間だったと思う。あの場面を書けたことに、自分もすごく満足しています」
心震えるラストシーンだ。今後も彼女たちにはいろんな試練が待ち受けているだろう。しかし多くの喜びの瞬間も待っているに違いない。そう信じたい。と考えると、またもや続編を期待してしまう。
「書きたいなという気持ちはあるんです。この先、玲にとって何がいちばん大きな喜びになるんだろうって考えてしまいますね」
彼女たちの歌声はこの先も響き渡っていく。まずなによりも、この本を閉じる時には読み手の心の中で、玲や千夏たちの歌声が響き渡っているはずだ。
(文・取材/瀧井朝世)
宮下奈都(みやした・なつ)
1967年福井県生まれ。2004年、「静かな雨」で文學界新人賞佳作に入選、デビュー。07年、書き下ろし長編『スコーレ・4』が話題となる。著書に『遠くの声に耳を澄ませて』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『メロディ・フェア』『誰かが足りない』(2012年本屋大賞7位)、『窓の向こうのガーシュウィン』、小路幸也氏との合作『つむじダブル』などがある。
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