連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第47話 小沼丹さんのユーモア

連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第47話 小沼丹さんのユーモア

名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第47回目です。今回は、作家「小沼丹」について。井伏鱒二に師事し、その洒脱でユーモラスな筆致で随筆の名手としても人気でした。個性溢れる人柄で、担当編集者の心にもその思い出は深く刻まれているよう。当時の文壇・文化人の交流の様子がつぶさに伝わってくるエピソードです。 


 小澤書店という出版社から、小説家の小沼おぬま丹たんさんの全集が出ている。全五巻、1979年から1980(昭和55)年にかけて出版された。印刷所は独特の明朝体で知られている精興社で、たとえば、社名にある「興」という字の中央にある「口」の左の縦棒はなくて「コ」となっていて、左の縦棒にくっついている。この全集の奥付にある社名の「興」は、精興社明朝体を使っていることはもちろんである。

 装釘は、新潮社の編集者でもあり、木版画でも知られた山高登さんだ。

 全集は箱入りで、カバーの表1と表4には、懐中時計や帆船やトランプなど、山高さんの版画が刷られていて、奥付けにも、「丹」という字を面白くくずした小さな版画が使われている。(「表紙」には表1から表4があり、表1はいわゆる表紙、表4は裏表紙)

 とても美麗に作られた書籍で、私の書庫にも大事にしまわれていて、ときどき、思い出したように取り出しては読んでいる。

連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第47話 小沼丹さんのユーモア 写真

 ところで、この全集の本文は、すべて、旧漢字、旧仮名遣いになっている。だから、いまなら写真と書かれるところ、寫眞となっていたりして、つまり漢字は「辭儀じぎ」、「餘裕よゆう」と旧漢字で書かれ、平仮名は「やあ、いらつしやい」などと表記されている。

 こうして見ると、小沼さんが、自分の作品にこめた愛着を感じないわけに行かない。

「群像」の1976(昭和51)年10月号に載った『木兎灯籠』など、今の私なら、『木兎みみずく灯籠どうろう』とルビを振りたいくらいだが、この全集には、たった1ヵ所を除いて、ルビは振られていないのだ。

 たった1ヵ所にルビがふってあるのは、私の浅学のせいなのだが、いまでも、その箇所を読んでいると、冷や汗が出てくる。

 一体に、小沼さんの小説やエッセイの中には、植物や鳥の名前がよく出てくる。植物の名はかれんな花を咲かせる割には、難しい熟語が多い。

 躑躅、藪柑子、木蓮、楓、辛夷、椿、欅、椎、凌霄花、臘梅、銀杏、木犀、落葉松。

 ざっと全集のページをめくるだけで、こんなに使われている。それもルビ無しでだ。

 ちなみに、順に、つつじ、やぶこうじ、もくれん、かえで、こぶし、つばき、けやき、しい、のうぜんかずら、ろうばい、ぎんなん、もくせい、からまつとルビを振りたいところだ。

 さて、1ヵ所だけあるルビは私の浅学のせいだと書いたが、次の文は、1975(昭和50)年10月号に、私が小沼さんからはじめていただいた短篇小説『胡桃』の中の一節である。まず、ルビを振らずに前後ともに引用してみたい。

「──いつそのこと、伐つちまうんですね。

 小さな苗木から大きくなつた木だから伐るのは残念だが、親爺の話を聞くと尤もな氣もする。仕方が無いから根元から伐つて貰つた。枝を落した幹は、后で郁子の棚を造つたとき親爺がその柱に使つたが、直徑十糎以上はあつたと思ふ。」

 この一節を読みながら、私は、これまで全然出て来ず、突然登場する郁子いくこなる人物に少し説明が必要なのではないかと思った。つまり、「郁子いくこさんの棚」と読んだ訳である。小沼さんに電話をする前に、編集長に相談して、電話をしてもいいと言われた。

 受話器の向こうの小沼さんに、私は、突然出てくる郁子さんに、少しばかりの説明が必要であろうと言った。

 小沼さんは静かに、

「あれはね、むべという植物のことで、むべの棚と読むんだよ」

 郁子いくこでなく、郁子むべなんだ。私の頭の中は、文字通り真っ白になった。そうして、私みたいに無学の者が読み違えるといけないから、「むべ」とルビをふらせてくださいと頼んだ。

 小沼さんは快諾してくれて、ついでに、

「君は将棋を指すんだろ。校了が終わったら、おいで」

 と言ってくれた。私の将棋の腕前は、やっと駒の動きを覚えたくらいだが、ありがたくお受けした。

 これが全集の中で、たった1ヵ所だけルビがふっているいわれである。

 私が小沼さんの担当になる直前、「群像」の1976(昭和51)年5月号に掲載された、『一番』という短篇小説は、小沼さんの行きつけの寿司屋「一番」の親爺との将棋の一番勝負を指しはじめる話だ。

 私が、校了が済んでから小沼宅へ出かけて、下手なりに小沼さんと将棋を指すようになったこととちょうど似ている。

 私が将棋を指しに行くと、いつもの応接間ではなく、中二階のような部屋が対局場となった。

「一番」の寿司屋の親爺も私同様、下手の横好きらしく、小沼さんと3番勝負をやって1勝もできないくらいの差があったらしい。私もいいところまで行くのだが、結局は3番やって稀に1勝するかどうかという勝負だったが、小沼さんはそれでも、私との将棋を楽しみにしているようだった。そして、将棋が終わると、広い和室に移って、奥様の手料理で、一献傾けることになる。

 その和室の床の間には、品のいい色の赤い紙に、井伏鱒二さんの書が表装して掛けてあり、その右隣に、小説のタイトルにもなっている「埴輪の馬」が置いてある。

 井伏さんの書は、ご自分の詩『なだれ』である。

 峯の雪が裂け

 雪がなだれる

 そのなだれに

 熊が乗ってゐる

 あぐらをかき

 安閑と莨をすふやうな格好で

 そこに一ぴき熊がゐる

 このうち、たしか最初の2行は省略してあったと記憶している。

 小沼さんの言によると、井伏さんは酒を飲むと、なにか書きたくなるときがあるようで、そのときを狙って、ねだるのだそうだ。

 小沼さんの作品の中で、「清水町先生」と書かれているのは、文学の師である井伏鱒二さんのことであり、「一番」の親爺との会話で、

「──清水町先生は、お強いそうですね?

 ──うん。先生は四段だ。

 ──四段じゃ強いですね。」

 という場面がある。

 その清水町先生を混じえて6、7人の将棋会が、正月3日に小沼邸で催されていたことがある。

 私もその会に呼ばれた。ちょうど通り道なので、作家の三浦みうら哲郎てつおさんのお宅に寄って、小沼邸に同行した。

 ある年のこと、清水町先生こと井伏鱒二さんがいらしたことがあった。たぶん、将棋記者の天狗太郎さんと同行されたのではなかったか。

 小沼さんの盟友である小説家の庄野潤三さんは将棋を指さないので、ふたりの息子さんが代わりに将棋を指し、将棋が終わって、飲み会がはじまるころ顔を出した。

 小沼さんは井伏さんが参加するというので、急遽、通販で、よっつの脚がついている堂々たる将棋盤を取り寄せた。井伏さんが、その将棋盤の指しはじめということになる。ところが、その盤に向かった井伏さんが、駒をおろすと、ポコンというような変な音がした。

 井伏さんは、

「なんだか変な音がする」

 と言った。

「通販で取り寄せたんですが」

 小沼さんが答えているうちに、井伏さんは負けてしまった。

「盤が変な音を出すもんだから負けた」

 井伏さんは、残念そうな顔をして、そう言った。

 三浦哲郎さんが、対局相手を紙に書いていて、次に私が、井伏さんの相手になった。

 小沼さんのお宅に昔からある旧ふるい将棋盤の向こうに井伏さんが正座している。私も正座した。そして、ひどく緊張していた。相手は四段の強豪である。負けるのは分かっていたが、私はみっともない負け方はしたくないと思っていたのだ。

 手数が進んで、私の敗勢は明らかになっていた。

 そのとき、盤上、私の飛車が左右にすうっと動けるのに気がついた。そして、飛車を右に動かすと、井伏さんの王の頭から王手がかかるのである。私は逆転かと思ったが、考えているうち、王手をかけても井伏さんの王は詰まないことが分かった。やはり、私の負けである。

 それでも鼬いたちのなんとかやら、王手をかけてみた。

 その途端に、井伏さんは、

「キャッ」

 と叫んで、文字通り一尺ばかり飛び上がったように見えた。

 それから、しばらく盤を見つめていたが、

「なんだ、これでいいのか」

 と、詰まない手を指した。それで、私の負けは決まった。

「ああ、驚いた」

 井伏さんは胸を撫で下ろすようにして言った。その様は、なんだか文豪と言うより、可愛い子供のようだった。

 小沼さんは、早稲田大学で英文学を教えながら、小説や随筆を書いた。学生のときから、井伏さんに師事していた。私が評するより、全集の3巻目に寄せた吉行淳之介さんの帯文が小沼さんの文学と風貌をよく表現しているので、紹介して、この文を終りにする。旧漢字であるのをお許しいただきたい。

 ──小沼丹氏の文學をおもうと、すぐに頭の中に竝ぶのは、初期の「村のエトランジエ」「白孔雀のゐるホテル」から「不思議なソオダ水」を經て「木兎燈籠」ということになる。つまり、體液としてのユーモアを基本に据えて、對象を見詰めてきた作家ということである。

(略)

 文學的出發が同じ時期だったので、私は氏と同級生のような氣分でいるが、かなり長いあいだ會っていない。しかし、その顔はただちに眼に浮ぶ。眠たそうでよく見えている眼とか、薄い苦さのものを含んでいるような口とか、微笑や苦笑はするがほとんど破顔のかたちにならない表情とか、すべてが本格のユーモアにつながっている。

【著者プロフィール】

宮田 昭宏
Akihiro Miyata

国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。

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