連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第42話 村上龍さんの新しさ

連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第42話 村上龍さんの新しさ

名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第42回目。今回は、人気作家の代表格ともいえる「村上龍」さんにまつわるエピソード。新鮮で、アグレッシブで、奇想にも満ちた作品は、どのように生まれたのでしょうか。注目です。


 私は1975(昭和50)年6月に、エンターテインメント小説誌の「小説現代」編集部から「群像」編集部に異動になった。「群像」は「純文学の極北」とも呼ばれていた雑誌で、漫画専門の編集部が、「モーニング」という青年誌を創刊する際の企画書に、漫画界の「群像」を目指すと書いていた。また、私が入社試験を通ったあとに、興信所の人が大学にやってきて、私の卒業論文の担当教授に、「この人は『群像』以外配属されるのは嫌だと言わないでしょうね」と訊ねたらしい。担当教授は、「『彼に限ってそんなことはないです』と言っておいたからね」と、あとで私に打ち明けてくれたが、つまり、「群像」は、講談社内はもとより、社外でもなにか特別な存在の雑誌だったのだ。

 私が配属になって1年も経たないうちに、翌年の新人賞の応募原稿を読むことになった。私は編集部で応募原稿を読むことは苦手で、持ち出した原稿を喫茶店で読むことが多かった。 

 この日の朝は、200枚程度あったと思うが、持ち帰っていた応募原稿を、最寄駅のそばの喫茶店で読むことにした。

 その喫茶店はもう無くなってしまったが、朝早くから営業していて、うまいコーヒーを出してくれた。これは別の話になるが、作家の城戸禮さんと、時々顔を合わせることがあった。城戸さんは、戦後の一時期流行(はや)っていた貸本屋にとって、200点に近い小説を上梓している大流行作家だった。私も、中学校の夏休みに、祖母のいる田舎に行って、貸本屋に日参したものだ。

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 さて、私が喫茶店で読みはじめた応募原稿は、古い言い回しだが、「かんあたわず」と言うべき小説で、時間を忘れて一気に読まされた。読み終わって、すっかり冷めてしまったコーヒーをすすりながら、今年の新人賞はこれで決まりだなと確信した。

 その作品こそ、村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』だった。

『限りなく透明に近いブルー』は、私が確信した通り、井上光晴、遠藤周作、小島信夫、埴谷雄高、福永武彦の五人が選考委員を務める第19回「群像」新人賞を受賞した。埴谷さんの「ロックとファックの小説」というひと言が、新聞の社会面の見出しに使われたことで、社会的な騒ぎにまでなった。

 そして、同時に第75回芥川賞を受賞した。

 芥川賞の内訳を言うと、瀧井孝作委員の反対がありながら、井上靖、中村光夫、丹羽文雄のみっつの◎を、そして、永井龍男、安岡章太郎ふたりの△を得て、ひとり○をつけた吉行淳之介の「因果なことに才能がある」という名言を残しての受賞だった。もちろん、芥川賞受賞もあと押ししたのだろう、『限りなく透明に近いブルー』が、ミリオン・セラーになったのは、もう半世紀近くも前のことになる。

 

 村上龍さんは、受賞したあとも、ときどき、編集部に顔を出していた。まだ美術大の貧乏学生だった龍さんが、お腹を空かして、ご飯をたかりにきていたようだ。そういうときは、龍さんは編集部をぶらぶらしながら、私が机に広げている若い作家のゲラを覗き込んでは、「ここに書いてあるカタカナのバンドの名前はみんな知らないでしょう」と、からかったりした。たしかに、それはその通りだった。

 そして、この半世紀近く、村上龍さんと私の不思議な付き合いは続くことになる。

 まず、1883年に私は、文庫版のPR誌『IN☆POCKET』を創刊して、村上龍さんと坂本龍一さんをホストにしてゲストを招く、鼎談企画『EVcafe』を掲載して、本にまとめたが、そのことは、このシリーズの第9話『坂本龍一さんとの一年』の項で詳しく述べた。

 

 次が、1990年か91年のことだ。主に、担当の編集者たちが集まって、龍さんを囲む会が催された。龍さんは1988年に、日本の消費文化、東京という都市、そこに渦巻く異様な性的快楽などをテーマとして、性風俗の現場で働く女性たちを主人公に短篇集『トパーズ』を出した。そして、それを映画化することになった。催された会は、「トパーズ」の映画化の資金集めのためだったかも知れない。龍さんが、私を指名して、マイクの前で何か話せと言った。

 私は、龍さんが、自作を映画化して監督をやるなんて、新しいタイプの小説家だし、これからも、音楽、絵画、映画、小説を混ぜこぜにした新しいジャンルの作品を創造して行くだろうから、そのために、金をジャンジャン使わせた方がいいと言った。

 映画『トパーズ』は、脚本・監督が村上龍、音楽が坂本龍一、俳優には、カメラマンや作家などを動員して、1992年に公開された。外国では『TOKYO DECADENCE』というタイトルで発表され、たしかイタリアでは、映画賞を受賞したはずだ。

 映画の『トパーズ』は、短篇小説集の『トパーズ』より、ずっと奇妙で、あやしげな印象を画面から放っていて、映画らしい表現が随所にあるように思われた。

 私が予言したように、村上龍さんは次々と新しいことに挑戦する。

 1998年1月号から1999年11号まで、「群像」に『共生虫』という長篇小説を連載した。このときは、私はもう「群像」編集部から離れて、文芸局全体を見る立場にあった。それはともかく、インターネットを通じてだけしか外部との会話をすることのない「引きこもり」の青年が、その体内に「共生虫」を飼っているという設定の、その小説は龍さんでないと書けないような小説だった。この小説は、第36回の谷崎潤一郎賞を受賞する。

 本文から引用すると、

絶滅をプログラミングされた種は、共生虫の終宿主となる。ある種が自ら絶滅をプログラミングするということは、生態系の次の段階を準備するということである。例えば恐竜の絶滅は次の生命環境のために、つまり次世代の共生のために不可欠だった。共生虫は、自ら絶滅をプログラミングした人類の、新しい希望とも言える。共生虫を体内に飼っている選ばれた人間は、殺人・殺戮と自殺の権利を神から委ねられているのである

 こうして4半世紀を過ぎた今、現在の、トランプやネタニヤフ、あるいは高市などが作っている不気味な現状を見ると、彼らの中に「共生虫」が住んでいても不思議はないと思わせる。

 このほかに、龍さんは、この小説で、オンデマンド・セルフパブリッシングを試みることもした。オンデマンド・セルフパブリッシングは、コンビニエンス・ストアなどに置かれているコピー機を使って、オンデマンドで希望する作品をコピーして、自分なりの書籍を手にする機能のことである。

 富士ゼロックスは、このときすでに読者がインターネットを通して、欲しい本を注文すると、製本された書籍が送られてくるというカスタム出版のサービスを、「BookPark」ではじめていた。短篇小説を自分の好みで編集して、世界で一冊だけの短篇集を編むこともできるのだ。

 それを一歩進めて、富士ゼロックスは、簡単にコンビニエンス・ストアで、プリント・アウトするオンデマンド・セルフパブリッシングを開発することを目指していた。

 龍さんは、すでに富士ゼロックスの「BookPark」にいくつかの短篇小説を提供していた。その縁で、私たちは、長篇小説『共生虫』の一般的な出版に先駆け、オンデマンド・セルフパブリッシングで販売する実験をやった。販売は1,000部、価格3,000円。オンデマンドで本を手にできる期間は、普通の形の書籍が講談社から出版される3月21日以前の、3月1日から15日までの限定された期間である。

 もちろん、「シリアル・ナンバー」と「著者自筆のメッセージ」が特典として付いた。

 この実験的な試みは、ある意味で出版不況を助けるものになる可能性があった。私は、龍さんや富士ぜロックスの人たちと、記者会見の席に座ったときの緊張感を思い出す。

 しかし、残念ながら、この試みは成功しなかった。コンビニエンス・ストアで、自分だけの本を編集して自分だけの本を手にするという新しい企画は実を結ばなかったのである。ただ、いまは印鑑証明書などをコンビニでプリントアウトできるようになっているが、そのコンセプトは生きていると言える。

 2002年に、文化庁が、JLPP(Japan Literature Publishing Project=日本文学の翻訳・普及事業)を立ち上げた。現代日本文学を英語、フランス語、ドイツ語、トルコ語、スペイン語、ロシア語などの出版社に翻訳に対する必要な費用を提供して、翻訳家を育てたり、翻訳出版文化を援助したりするプロジェクトだ。

 夏目漱石、樋口一葉などの明治の文学作品をはじめとして、宮沢賢治、横光利一、芥川龍之介、中島敦、志賀直哉などの作品はもとより、現代の作家の作品に至るまで、日本語の作品の翻訳出版を希望する外国の出版社に翻訳費用を助成金として支払うようになった。

 このプロジェクトに、私は、2007年から2009年の3年間にわたって、日本語の作品の選定委員を委嘱されて参加した。そのとき、私はすでに講談社の文芸局を定年退職していて、ニューヨークにあるランダムハウスという文芸出版社と講談社が合資して創立したランダムハウス講談社という出版社の編集を担当していた。主に、英語の作品を日本語に翻訳して出版する会社だったから、選定委員のひとりに選ばれたのだと思う。

 龍さんは、2005年に『半島を出よ』という長篇小説を、幻冬舎から出版していた。この作品は上巻430ページ、下巻496ページに及ぶ、近未来小説の大作だった。

 多くの資料を基に書かれた『半島を出よ』であるが、上巻が13章、下巻が11章に分かれ、それぞれの章にはそれぞれの主役が一人称で語られていて、そのスリリングな展開と軽快な文体で、とても読みやすくなっている。

 大雑把にあらすじを追ってみる。

 北朝鮮の親米政権は、反米組織の反乱を恐れ、この連中に日本に侵入して、占拠することを命じる。この作戦のコードネーム「半島を出よ」が、小説のタイトルになっている。

 作戦部隊が福岡に侵入し、福岡ドームの満員の観客を人質にして、北朝鮮の特殊部隊は日本政府に対峙する。日本の政権を担う連中は相変わらず、優柔不断な態度から抜け出せずに右往左往しているばかりである。さらに、北朝鮮の兵士たち「高麗遠征軍」が上陸してきて、シーホークホテルを本部に、九州医療センターのそばの広場を野営地として占拠する。

 ただ手をこまねくばかりの政権や福岡市の幹部たちに代わって、福岡の姪浜の倉庫群に屯していた、詩人・イシハラを中心とする、暗い過去を保つ少年たちが、「高麗遠征軍」と戦うことになる。その少年たちは、たとえば殺傷用ブーメランを操るなど、それぞれの武器を手に戦いの挑むのであるが、もちろん、少年たちが、各章の主人公になっていることは言うまでもない。

 

 手に汗を握る、少年たちと高麗遠征軍との戦いの経過と結末は、実際に原作を読んでいただくとして、2008年に、『半島を出よ』の出版元である幻冬舎の、龍さんの担当である、石原正康さんから、「頼みがあるので、龍さんと会ってくれないか」という連絡をもらった。石原さんは、長いこと龍さんのマネージメントを任されている人物だ。

 渋谷の宮益坂にあるスペイン料理屋へ出向くと、龍さんと石原さんが待っていた。

 そこで告げられたのは、

「映画化をしたいのだが、英語でないと、外国の映画人に読ませられないので英訳したい。ついては、JLPPで助成金を出してもらえるとありがたい」ということだった。

 確かにあの長い小説を翻訳するのは、時間もそうだが、翻訳料もかかるはずだ。

 私は、龍さんの新しいことに挑んでいく姿勢と才能に惚れ込んでいたので、JLPPの委員会では最善を尽くすと約束した。

 渡辺淳一さんの『失楽園』を翻訳してくれた同志社大学の英文科の教授・ジュリエット・カーペンターさんや作家の阿刀田高さん、あるいは読売新聞の文化部の記者である鵜飼哲夫さんなどのメンバーの委員会では、苦労することなしに、『半島を出よ』に助成金を出すことになった。

『半島を出よ』の英語版はRalph・McCarthy、Charles・De・Wolf、Ginny・Tapley・Takemoriという三人の翻訳家によって訳され, ロンドンのPushkin Press社から、『From The Fatherland, with Love』というタイトルで出版された。アマゾンではペーパーバック版なら3,491円、Kindle版なら1,440円で購入できる。

 しかし、この作品を原作にした映画『From the Fatherland, with Love』は、韓国で映画化されるはずだが、費用がかかりすぎるためなのか、あるいは思想的な問題があるのか、撮影は遅れている。しかし、映画化の準備は少しづつではあるが、進んでいるようなので、完成を楽しみに待つしかない。

 2020年、龍さんは『MISSING 失われているもの』を新潮社から刊行した。これは龍さんが、はじめて母性の力のことを書いた作品だと思う。つまり龍さんは新しいテーマと文体に挑戦し続けている作家なのである。

【著者プロフィール】

宮田 昭宏
Akihiro Miyata

国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。

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