連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第44話 殿山泰司さんのジーンズ
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名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第44回目です。今回は、「俳優が憧れた俳優」とも言われた個性豊かなそのキャラクターとテンポの良い語り口で存在感を放ち、著書も多く遺した多彩な人物・殿山泰司。担当編集者でなくては知りえないエピソードが満載です。
オレはゴールデン街の路地を紹介しているグラビア雑誌をパラパラやっていた。ひまな三文役者だからなア。ゴールデン街も、オレが朝となく昼となく、まして夜は明け方まで通っていた頃とは様変わりしたらしいぜ。オレへの相談もなく勝手なことをするな‼︎ 誰がお前なんかに相談するか、バカ‼︎ スミマセン。
妙に懐かしいような雰囲気の店の写真があったぜ。「THE OPEN BOOK」って店で、高い天井の壁じゅうにオレが敬愛する田中小実昌さんの本がずらっと並んでいるんだ。おまけに小実さんとオレのツー・ショットのパネルがあるじゃないか‼︎
私が担当し敬愛してやまない、役者でエッセイストの殿山泰司さんの独特の洒落が効いた文体をマネしてみたが、やはりとても難しい。殿山さんでなければ書けない文章だ。
殿山泰司さんは、盟友・新藤兼人監督がいみじくも、その著書『三文役者の死』(岩波書店1991年刊)で言ったように、
タイちゃん(新藤監督は殿山泰司さんをこう呼んでいた)には社会の底辺に棲む弱者しか似合わない。町工場のおっさん、ヤキトリ屋のおやじ、なまぐさ坊主、いんちき祈禱師、呉服屋の番頭、機織職人、大工、左官、一膳めし屋──おでん屋お多幸の息子タイちゃんは、市井の名もなき庶民の姿がいちばん似合った
そうして、新藤兼人監督自身は、殿山さんに、友禅の下絵職人、桂庵、ポンポン船の船長、競輪にうつつをぬかす労働者、貧しい保険外交員、島の農民、東北の出稼ぎ人、門付遊芸人、浮世絵の版彫職人などをやってもらっている。
稀代のバイプレイヤーである殿山さんは、色々な監督の映画に出演しているので、古い名画を観たとき、ひょいと暖簾を分けて顔を出したりするが、多くの人は、その名前が浮かんでこないかもしれない。
殿山さんと街を歩いていると、通りがかりの人が、あらっ、どこかで会ったことがあるような人だという顔をすることが、たびたびあった。
「どこかで会ったよね」
と言われると、殿山さんは、
「よく言われるんですよ」とはぐらかしていた。
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ゴールデン街の「THE OPEN BOOK」というバーは、田中小実昌さんのお孫さんが開いた、新感覚のバーだ。ほかでは飲めないレモンサワーが売り物。たくさんの本は田中小実昌さんの蔵書らしい。あるいは田中小実昌さんの娘さんのりえさんも作家だったから、その蔵書も入っているのかもしれない。
私の偽文の中にあるツー・ショットのパネルというのは、私が担当したグラビアに関係がある。
私は1968(昭和43)年に「小説現代」に配属になっているが、そのころの小説雑誌の巻頭はいわゆるグラビアのページで、作家を含む著名人をさまざまに組み合わせてストーリーを写真にする企画が主だった。先輩の仕事で、いまでも素晴らしい企画だと思うのは、山口瞳さんと手塚治虫さん、五木寛之さんと石原慎太郎さんを組み合わせた、「同年同月同日生まれ」という企画だ。
私の企画はたとえば、「トレードマークでこんにちは」というもので、髭を生やした漫画家の馬場のぼるさんと加藤芳郎さんを並べて撮影したりしたのだが、田中小実昌さんと殿山泰司さんをはじめて会わせたのはこの企画のおかげである。
私は、殿山泰司さんはミステリの大変な読み手で、田中小実昌さんが翻訳した、レイモンド・チャンドラー、ミッキー・スピレーン、 A・A・フェア(E・S・ガードナーの別名義)、カーター・ブラウンなどの作品は読んでいるはずだから、ふたりは意気投合してくれるはずだと思ったのである。
殿山さんも田中さんも、グラビア出演にはふたつ返事で引き受けてくれた。
新宿二丁目にあったストリップ劇場の地下の楽屋で、ふたりが並んでいるところを撮った。
のんびりした時代だったのだろう、撮影のお礼はなく、代わりに雑誌に掲載された写真のパネルを一枚お送りして済ませたものだ。
そうだ、ふたりのトレードマークはなんだったのか忘れてはいけない。
新藤兼人監督の『三文役者の死』での言によるとこうなる。
「慢文が売れるのも殿山泰司というハゲアタマの役者が書いていればこそである。そのこともタイちゃんはよく分かっている。ハゲアタマと抱き合わせの慢文なのだ。」
「タイちゃんはまるっきりハゲているのだから、その印象は強烈である。タイちゃんはハゲを売り物にしていた。」
(新藤兼人著、岩波書店1991年刊『三文役者の死 正伝 殿山泰司』)
そうして、殿山さんご自身が書いているのにも、「わが友田中小実昌サン」と題して、
「アンタあの人によく似てるなア」と七十がいったら、「そうそう、うん、よく似てるウ」と六十が答えて、二人で顔を見合わせてヒクヒクと笑いやがった。どうして年寄りというのはヒクヒクと笑うのかね、
「おいオレがダレに似てるんだい」
「お客さんよ、やっぱり頭のハゲたヒトだったわア」
「頭がハゲてりゃみんな似てるのか」
「そうじゃないけど、そのヒトも一人でふらりッと入ってきて、面白いことばかりいっとったよ、なア」
「うん、唄の好きな人よ、あれで、そうよなア、ヒトリで三時間も唄っとったかねエ」
「あの人は小説を書くヒトだってえ、帰りがけにそういっとったがねエ」七十がいった。えッ‼︎ 酒飲みで頭がハゲて唄が大好きで小説を書く。それやったら田中小実昌さんじゃねえか。小実さん以外にそんな人をオレは知らない。
つまりは、ふたりの共通したトレードマークとはハゲ頭である。もちろん、トレードマークはハゲ頭とか禿頭と書くわけにはいかず、「光頭」と書いた。「こうとう」と読む。
そのあと、殿山さんは田中小実昌さんに心酔したようで、小実昌さんがよく通うゴールデン街の〈まえだ〉というバーに通うようになり、そのおかげで、野坂昭如さん、金井美恵子さん、中山あい子さん、佐木隆三さん、岩橋邦枝さんたちと懇意になる。もちろん、私も「まえだ」の常連だったから、殿山さんとはよくお目にかかった。
ところで、上に引用したふたりの老女がいる飲み屋のことを書いた文章は、『三文役者のニッポンひとり旅』からの引用だが、その巻末の「〈あとがき〉に代えて」には、
この〈好色旅行〉は昭和46年(1971年)から47年(1972年)にかけ、ニッポンのアチラコチラに残されている旧遊郭がどうなっているか、それを不マジメな目で見て歩き不マジメにエンピツを走らせて《小説現代》に連載したのもであります。
この本が出現しましたのは、講談社の宮田昭宏氏と白川書院の井家上隆幸氏のお陰であります
と書かれている。
私が殿山さんに紀行の連載を依頼して、全国の花街がいまどうなっているのか探訪してみませんかとそそのかした企画で、私がよくゴールデン街で顔を合わせていた、編集者の井家上隆幸さんが1977(昭和52)年に白川書院から刊行してくれたものである。
文章家としての殿山泰司を担当するようになったのは、『バカな役者め‼︎』という小説だと思う。書籍としては1971(昭和46)年に刊行されているが、「小説現代」に1969(昭和44)年から連作として掲載された。このあとがきに書かれているように、「役者ふぜいがだらだらとふざけた駄文を書きやがって」という罪の意識があったようだが、「オレに拍車をかけてヒイヒイいわせながら、こんなものを書かせた〈小説現代〉の大村氏の責任である」とも書いている」
大村氏というのは、のちに文芸評論家として名をなす人だが、このときは、「小説現代」の編集長になったばかりで、新しい才能を誌面に紹介したかったようだ。編集長が、殿山泰司という波乱の人生を歩みつつある才能を、新米の文芸編集者だった私に担当させたのは、人生を勉強しろという親心もあっただろう。
自伝的エッセイ『三文役者のあなあきい伝』も、「小説現代」に掲載されたもので、もちろん、例の殿山節で書かれている。それを揺るがせにしないところが、まさしく殿山泰司たるゆえんである。
この本が、のちに文庫になったときは、パートⅠとパートⅡに分冊になっていて、それぞれ、少し意外と思える作家が解説を書いている。パートⅠが吉行淳之介さん、パートⅡが金井美恵子さんである。
金井さんはパートⅡの巻末解説で、
本書に書かれているような会話をわたしが尊敬する殿山泰司と交わすはずもなく、これは、フィクション。あらゆる、文章行為というものが本質的に所有しているフィクションというものだ。殿山流に言えば、《嘘》ということになるわけだが、《嘘》であれフィクションであれ、そんなものを気にしてはいけない
と、殿山泰司節の文章の味わい方を教えてくれている。
吉行さんの解説について言えば、昭和41年に小説現代に掲載された、吉行さんの『変わった種族研究』の転載である。そして、昭和45年秋から「週刊読売」に連載された、吉行さんがホスト役の「面白半分対談」(昭和46年 講談社刊)の、殿山さんの回の前書きに、
殿山泰司さんについてのエピソードの一つ。映画で国際的な賞を受けたときに、活字になった受賞の言葉が、まったくいつもと同じ文体(「男はスケベエである。世界中の男はみんなスケベエであると、オレは信じる」といった調子)だったという。これはよほどの人物でないとできない。この対談では、殿山さんをダシにして私自身の青春・赤線回顧にふけった部分のあることを、お許し願いたい
という吉行さんのことわりがあって、対談がはじまっている。
この対談の中で、私が一番好きな部分は、
吉行 殿山さんは、ぼくと大変似ているんですよね、境遇が、前の人には……。
殿山 あまり会わないですからね。
吉行 会わなくても、泣きたくなるようなことはあるでしょう。
殿山 子供の問題とか……いろいろありますからね。
吉行 籍の問題とか。ほんとうによく似ていますよ、ぼくの場合と。大変ですね。
殿山 ええ、まあ……。
吉行 この話は削ったほうがいいかな。削りましょうか。
殿山 いや、みんな知っていることですから……。
(めがねを取って目をふく)
吉行 泣かんでくださいよ(笑)
殿山 よよ、と泣きたいねおれは(笑)。
というくだりである。吉行さんが「殿山さんは、ぼくと大変似ているんですよね」と言っているのは、ふたりとも、結婚したいわゆる『前の人』が頑なに籍を抜こうとしなくて、新しく出来た彼女と同居するのに、別居を強いられているという事情である。
吉行さんの新しい彼女というのが、女優の宮城まり子さんで、籍に入らないまま同居していた。殿山さんの場合、前の人、つまり籍が入ったままの、殿山さんがババアと呼んでいる人は鎌倉に住んでいて、側近とかバアサマと呼んでいる人は赤坂のアパートに、殿山さんと一緒に住んでいた。
それを知っていると、殿山さんが、めがねを取って目をふいたのを見た吉行さんが、「泣かんでくださいよ」と、掛け合うところが、なんとも言えず可笑しく感じられるのである。
殿山さんは乱読と言っていいほどの読書家だが、特にミステリは、ハードボイルドをはじめ、日本の作家の作品から、海外の作家の作品まで、ジャズを聴きながら読み尽くしている。
いつもジーンズしか履かない主義の殿山さんは、腰のポケットに文庫本をねじ込んで、街歩きを楽しみ、うまいコーヒーを飲ませてくれて、いい音でジャズを聴かせてくれる喫茶店で、ミステリを読むのである。
殿山さんが、いちばん好きな作家はダシール・ハメットとレイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドだと言っている。たぶん、粋なセリフのやり取りが殿山さんの感性に合うのだろう。
興味を持っている探偵として、もちろん、ハメットのサム・スペード、チャンドラーのフィリップ・マーロウ、それにロス・マクのリュー・アーチャーも当然だが、殿山さんは、シャーロック・ホームズ、ルパン、シムノンのメグレ、クロフツのフレンチ警部、明智小五郎、銭形平次、金田一耕助などを挙げている。
殿山さんは、ハードボイルド風の映画『カサブランカ』がナンバーワンと言い、それに主演した、ハンフリー・ボガードを尊敬していると言っている。
殿山さんの足跡を『三文役者のあなあきい伝』に沿って、簡単に述べてみると、1915(大正4)年生れで、銀座にある泰明小学校で学ぶ。俳優の信欣三、加藤武、中山千夏、和泉雅子などが同窓である。
1928(昭和3)年、泰明小学校卒業して、府立三商に入学、詩人の田村隆一さんが同窓である。
1931(昭和6)年、16歳のとき、洲崎遊郭で筆下ろし。その後、女郎買いと喫煙のため三商を退学、中野中学校に編入する。
1935(昭和10)年、20歳。徴兵検査。乙種合格。吉原、洲崎、新宿、品川、千住などの遊郭に出入りをし、淋病を移される。
1937(昭和12)年、22歳のとき、新築地劇団の研究所に入所、役者修行をはじめる。
1938(昭和13)年、新築地劇団を脱退する。
1939(昭和14)年、南旺映画の「空想部落」に出演。京都興亜映画へ移籍。
1940(昭和15)年、五年間、四谷坂町に住む。四谷新道の喫茶店で、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシーなどを聴く。
1941(昭和16)年、召集を受け、即解除。
1942(昭和17)年、2度目の召集を受け、中支、武昌を過ぎ、楠林橋という集落に行く。 中支派遣独立歩兵大隊に所属する。
*このとき、昭和8年、日本最初のジャズ喫茶を横浜で開いて、昭和23年、ジャズ喫茶〈ちぐさ〉を再開店する吉田衛一等兵に会って、ジャズを教わる。捕虜となって馬橋へ移動。
1945(昭和20)年、21歳。7月、仲の良かった、弟・幸二郎が、ビルマのインパールの泥の中で戦死するも、復員するまで知らされなかった。このことが、その後の人生を決定づけることになる。
1946(昭和21)上海に移動。夏、復員する。
1950(昭和25)年、近代映画協会の設立に参加する。
1960(昭和35)年、「裸の島」を公開。
1962(昭和37)年、「人間」を公開。
1962(昭和37)年、新藤監督の『人間』で、NHK映画賞主演男優賞や毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。敬愛する川島雄三監督からユーモラスな賞状をもらう。
賞 状
新ばし浮人 殿山泰司
右ノ者 浮人ノ身ヲ以テ 映画界
演劇界 TV界 トルコ界 オカマ界 等々ニ挺身シ 竿一本ヲ頼リニ 能ク
主演賞ヲ奪取セリ 依ツテ 玉杯一 玉一 ヲ相添エ ココニ コレヲ賞ス
昭和三十八年三月十七日
白山例の会
1963(昭和38)年、『漫画読本』誌上に、『三文役者の無責任放言録』の連載をはじめる。
1963(昭和38)「母」を公開。49歳、50歳の時にベトナム取材、アメリカ行などを務める。
1964(昭和39)「鬼婆」を公開。
1964(昭和39)東京オリンピック
1965(昭和40)「悪党」を公開。
1966(昭和41)年、『三文役者の無責任放言録』を三一書房から刊行する。
1974(昭和49)野坂昭如さんが参議院に立候補したとき、苦手な応援演説を引き受けた。
1976(昭和51)61歳。実母(81)に会いに行く。
ということになる。
ジーンズによく似合うオレンジ色の皮のジャンバーを、ゴールデン街で手に入れたいきさつを『JAMJAM日記』に、殿山さんが書いたものがある。
直木賞のことが気になっていたので、御茶ノ水の駅から家へ電話したら、やっぱり予想どうり佐木隆三さんが受賞したとテレビのニュースでやったという。国電に乗って新宿に出てゴールデン街の〈まえだ〉へ行く。中山あい子さんや田中小実昌さんがいた。出版関係のヒトたちも満員で立って飲んでいた。恒例の記者会見がおわって佐木さんがやってきた。バンザイ‼︎ よかったね‼︎
オメデトウ‼︎ 野坂昭如さんがきた。このごろの野坂さんはいつもオレが気にしている皮のジャンパーを着ているんだ。この前のヨーロッパ取材旅行で、ハンブルクで日本円にして15万円ぐらいいで買ったスゲエやつなのよ。オレはイイナア、イイナアといいながらその皮ジャンにさわってたら、「着てみるゥ?」と野坂さんがいう。「いいんですか?」「いいですよ」それで俺はセーターを脱いで着てみたらピッタリなんだ。似合うぞ‼︎ という野次馬の声もあった。「あなたにあげますよ」えッ‼︎ ビックリ仰天。「ここ、こんな高価なものをそれではあんまり──」「いいんですよ。あげます。しかし寒いなア、あなたのそのセーターをくれますか?」「ええ何でもあげます。よかったらボクのカラダもあげます」「そんなものはいりません。明日は神戸へ講演に行かなくてはなりませんので、お先に──」と野坂さんは帰ってしまった
その皮のジャンパーは殿山さんにとてもよく似合っていた。
「野坂さんは気前がいいから、もらっておけばいいんですよ」
ぼくは、殿山さんの耳にそうつぶやいた。
殿山さんは、そのジャンパーを、お尻のポケットに読みかけの文庫本をねじ込んだジーンズの上に着て、街の中を散策することになる。そして、それがまことに似合っていた。
殿山さんは、1989年に亡くなった。享年74。若い時の酒乱というべき暴飲で肝臓をいじめ抜いた殿山さんらしく、死因は肝不全だった。
【著者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。
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