私の本 第5回 今泉忠明さん ▶︎▷03
連載「私の本」は、あらゆるジャンルでご活躍されている方々に、「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を伺います。
子供だけでなく大人にも大人気の『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』シリーズを監修された動物学者の今泉忠明さんが、今も昔も変わらず魅了され続けているという『シートン動物記』。その魅力とは? また真の意味で「読んだ本が身になる」とはどういうことなのでしょうか。
子供の頃から魅了され続けるシートンの著作
『シートン動物記』を初めて読んだのは小学生のときで、当時の感想は、「悲しい話だな」というものでした。
代表作のひとつである「狼王ロボ」もそうですが、主人公の動物がだいたい死んでしまいます。
大人になって『シートン自叙伝 動物記 別巻』やシートンの妻が思い出を綴った『燃えさかる火のそばで―シートン伝』などを読むと、「動物記」シリーズを書いた背景がよくわかります。
子供の頃はつくり話だと思っていましたが、じつは全部シートンやその周辺の人が経験したことなんですね。だから面白い。
シートンは有名になったあと、新聞記者の取材で「『シートン動物記』はフィクションですか、ノンフィクションですか」と聞かれて、「どちらも正しい」と答えています。
たとえば狐であれば、納屋にいる鶏を取ったとか、人をだましたとか、そういう各地の話を寄せあつめて一匹の主人公を形作ったわけです。
でもそれは、人間を描く小説も同じですよね。たったひとりの人間だけを描いても、それほど面白い物語はつくれないから、さまざまな人物のエピソードを寄せ集めます。
自然保護という観点にいち早く気づいたシートン
自叙伝などを読むと、シートンは目立ちたがりやで、僕が心に描いていた像とは少し違っていて、ちょっと"ざんねん"でした (笑)。
ただシートンの実家は貧乏だったので、なんとか目立ち名を挙げて、食べられるようになりたいと思ったのでしょう。ある程度有名になったあとに、非常にケチだったシートンの父親が、「これまで育てたぶんの金を返せ」と言ったとも書かれていて、「そんな親もいるのか」と驚いたのを覚えています。
シートンはずっとハンティングをしていましたが、「狼王ロボ」のモデルとなる狼と出会った頃から、人間に捉えられる動物たちがかわいそうだと思うようになっていきます。
それでそれからは、自然保護を訴えたり、ボーイスカウトを立ち上げて子供たちの教育をするという方向性へと変わっていく。
まだ動物の絶滅危惧が叫ばれる前の時代に、自然保護という観点にいち早く気づいたんですね。ある意味、現代を予想していたともいえるでしょう。
本というのは、書き手の経験や知識を受け手側が越えてしまうと、もう読まなくなるものです。
しかし僕は、現在もシートンの著作を定期的に読み返しています。それだけまだ得られるものがあるということです。
自分のはじめての著書を出すときも、シートンを改めて読み返しました。文章も上手でセンスがあるし、物語性も素晴らしい。さまざまにシートンの真似をしようと試みましたが、ああいうふうには書けないですね。それでも、大変に参考になりました。
それに動物観察、自然観察という点でも、シートンはやはり一流だった。動物の足跡のつけ方や見わけ方、動物の追い方については、彼は原住民から教えを得ているから、本物です。
本で得た知識を調査の現場で生かす
僕は74歳になった現在でも、1年に15~16回は調査で森などに入ります。現在、進めているのは富士山動物分布マップの作成です。
そうやって森などに入るときは、たびたび『シートンの自然観察』を読み返します。足跡による動物の追い方など、いまだに役に立つからです。
脳は1/3しか使われていないとよくいいますから、本というのはできるだけたくさん読んで、とにかく知識を一度、脳に詰め込んだほうがいいですね。
知識は点で、ばらばらに脳に入ってきます。それでたとえば森に行くと、そのさまざまな知識が、ちら、ちらと頭のなかに浮かんでくるのです。その点があるとき繋がり、連動して、なにかがひらめく。それが大事なのです。
加えてひとつのことを考えついても、「いや、こういう見方もある」という客観的な思考も生まれてきます。
そういう見方をできるようになると、物事や、世のなかの仕組みがわかってくる。それが、読んだ本や知識が真の意味で身になるということだと僕は思います。
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