読みきり小説
第28話 紺野天龍「筋肉は裏切らない」 男、御堂筋肉太郎、四十二歳──我が世の春が来た。「ナイスバルク! ビッグブラザー!」「キレてるよ! 親の大胸筋が見てみたい!」「そこまで仕上げるために眠れない夜もあっただろう!」一身に降り注ぐ大声援。俺は次々にポージングを決めてそれらに応えていく。さらに沸き上がる乗客たち。もは
第27話 新川帆立「焼きそば」 夢の話は馬鹿がすると言いますが、私は馬鹿者ですから、ここはひとつ、夢の話をしましょうか。一階の山田夫妻を殺したのは、お隣の幹人くんですよ。まだ十五、六歳の少年が、包丁でぐさりぐさりとやっていましたよ。ええ、間違いありません。だって私、二階から一部始終、ジッと見てましたから。正確にはね、二
第26話 伊与原新「古地震学教授」 ほこりをかぶった長持の中から、今にも破れそうな和紙の束を慎重に取り出していく。古文書の取り扱いには、いつまでたっても慣れない。「大学の先生ってことは、おたく教授ですか?」家主の男が言った。「いえいえ」私は手袋をはめた手を止めて、苦笑いする。「准教授ですよ。うちの教授に言わせれば、昇格
第25話 七尾与史「美味しいラーメンの作り方」 トラックが目の前に迫ってきた。顔を上げるとラーメンの湯気が目に入り込んできた。いつの間にかカウンターに突っ伏していたらしい。──怖い夢だったな。「記念すべき百杯目だ」厨房に立っている父親の茂雄が顎先でラーメンを指した。「百杯目? 今日オープンしたばかりじゃん」時計を見ると
第24話 綾崎 隼「はじめてのサイン会」 まだ自分が何者なのかも分からなかった十六歳の夏。私は初めて小説家のサイン会に参加した。大好きな先生のサインをもらって。同じ空間で、同じ空気を吸って。たまらなく満ち足りた気分になったことを、今でもよく覚えている。あれから二十年が経ち、今日、私は自分がサインをする側の人間になった。
第23話 蝉谷めぐ実「飯の種」 丼を手に持ち、小走りに道を進む一之助は、どうにも笑みが溢れて仕方がない。今宵の酒の当てに作った丼の中身、こいつがまあ、うまいのなんの。腑を抜き背に包丁を入れて開きにし、皮ごと薄く削いでいく。タレに漬け込み丸三日、味見した刺身は頬がとろけるほどの美味しさだった。ここのところ熱い日が続いてい
第22話 直島 翔「試験問題」 ホテル・ニューオークラの秘密の会議室に足を踏み入れるなり、円遊亭歌介は首をすくめた。師匠の罵声が飛んできたからだ。「十分も遅れるやつがあるか!」「いえね、歌楽師匠、ボディーチェックが厳しいんですよ。この部屋に通されるまで体中触られて、高座のネタ帳まで取り上げられちまったんでさあ」歌楽はあ
第21話 横関 大「オンライン家族飲み会」 博(父)「……いやあ、なかなか盛り上がったな。せっかくこうして集まったんだから、何か面白いことをやらないか? うーん、そうだな。こういうのはどうだ? それぞれ家族にも話していない秘密の一つや二つ、あるんじゃないか。それをこの場で発表するんだよ」昌子(母)「面白そうね」七瀬(妹
第20話 谷津矢車「幻景・護持院原の敵討」 今日は非番ゆえ、日がな一日ここで畑仕事のつもりぞ。はは、なにを言う。あの一件で随分と報奨を頂いたがあくまで陪臣身分、主家から頂く切米で暮らしておるゆえ、内職は欠かせぬよ。今、肥溜めをこさえておって臭うが、許してくれい。敵討の話を聞きたい? よかろう。今、休もうと思っていたとこ
第19話 真梨幸子「二人のマリー・テレーズ」 十年ほど前、有休をとって三泊五日でパリに行ったことがある。はじめての一人旅。特に目的があったわけでもパリにこだわりがあったわけでもないが、格安ツアーのその価格に惹かれて、つい申し込んでしまった。恋人のことで、姉と喧嘩したのも理由のひとつだったかもしれない。二日目だったか。フ
第18話 柚月裕子「契約書の謎」 額に浮かんだ汗を、森垣はハンカチで拭った。ショッピングモールのテラス席を指定したのは自分だが、真夏の屋外は思っていた以上の暑さで、年金暮らしの年寄りにはかなり堪えた。森垣は暑さに耐えながら、飲みたくもないのに頼んだホットコーヒーを、じっと見つめた。兼子コーポレーションの社員──下田がや
第17話 結城真一郎「昼下がり、行きつけのカフェにて」 「──で、夏海に相談っていうのはね」凜と顔をあげた彼女の黒髪が、肩口のあたりでふんわりと揺れた。店内BGMやキッチンの喧騒が遠ざかり、コーヒーカップに伸ばしかけていた私の手は止まる。なんだろう、と紡がれる言葉に耳を澄ます。「ストーカーされてると思う」「えっ!?」「
第16話 澤村伊智「井村健吾の話」 「禿げたな」「黙れメタボ」振り返ると男性二人が、グラスを片手に笑い合っていた。禿げた方の名札には「木元浩平」、太った方には「斎藤琢磨」と書かれている。名札を見なければ誰が誰だか分からない。僕は斎藤くんに訊ねた。「元気?」「言うなよ。煙草止めたらこのザマだ」「俺も」と木元くん。
第15話 澤村伊智「令和のショートショート」 浮気がバレた男は妻から離婚届を突き付けられ、多額の慰謝料を請求された。男は妻を殺すことにした。同時に、男は同僚も殺すことにした。入社して二十年近く、男は事あるごとに同僚に差を付けられ、先日も社内コンペで完敗を喫したからだ。男と妻の間には息子が一人いたが、独り立ちするまで養うだけの蓄えはあった。
第14話 森 晶麿「すずらんの妻」 「なんでもっと早く帰ってこんかったん?」すずらんの花が咲き乱れる庭先に立ち尽くしていると、縁側から鋭い声が降ってきた。美那の妹だ。五年前はまだあどけなさの残る高校生だった。「久々だな、梨花」「気安く呼ばんで。人殺し。今までどこで何をやっじょったんよ?」讃岐訛りを聞くのも、何年ぶりか。第14話 森 晶麿「すずらんの妻」 「なんでもっと早く帰ってこんかったん?」すずらんの花が咲き乱れる庭先に立ち尽くしていると、縁側から鋭い声が降ってきた。美那の妹だ。五年前はまだあどけなさの残る高校生だった。
第13話 伊吹亜門「或る告白」 ある男を殺してやろうと思ったのがそもそもの始まりでした。いえいえ、お笑いになってはいけません。本当なのです。その男は古くからの知り合いでして、詳しい身上は伏せますが、兎に角私にとっては道義上許せない出来事があり、必ずこの手で息の根を止めてやるのだと固く心に誓ったのです。
第12話 芦花公園「幽霊屋敷」 はい、来ました、ゆがみんオカルトちゃんねる。今日のゲストは林檎坂46のゆみみ。豪華ですね〜。おっ、霊能者の霧島葉子も来てくれた。中野で一番有名な心霊スポットということですからね、気合も入ります。
第11話 織守きょうや「侵入者」 好みのタイプの女が通り過ぎたので、後をつけることにした。年齢は、三十代前半といったところか。女は、駅とは反対方向に向かって歩いている。時間帯を考えると、仕事を終え、自宅へ帰るところだろう。女は途中でコンビニに寄った。レジ袋が透けて、缶ビール一本と、つまみの小袋が見えている。