物語のつくりかた
僕はもともとエンジニア出身で、会社員時代は実験場に閉じこもって研究に明け暮れる生活を送っていました。それが退職して自分でウェブ制作会社を始めてから、記事の執筆を手掛けるようになったことで、文章を書
新しい作品の制作に取り掛かる時は、自分の中に「これを撮りたい!」と思える衝動を、まず見つけなければなりません。それがなければ気持ちが入った映画にはならないですし、場合によってはオファーをお断りせざ
あまり知られていないことですが、僕の本当のデビュー作は実は、『太陽にほえろ!』なんです。大学在学中に同シリーズの脚本を募集するコンクールがあり、これに応募したものが2本ほど採用されたのがきっかけで
日本における「ワイン元年」と言われているのは、1973年のこと。食生活の欧米化が進み、今後はワイン需要が急速に拡大していくだろうと予測した各メーカーは、毎月いろいろなワインがノベルティと共に届く頒
もともと幼少期から、絵を描くのが得意でした。勉強も運動も苦手だったので、何かを描けば周りの人が褒めてくれるのが楽しくて、自然にどんどん描くようになったんです。
生家は岡山で家具屋を営んでいました
僕はもともと子供の頃から登山が趣味で、クライミングはその延長線上にあるものでした。最初は筑波山や高尾山、富士山などを登っていましたが、そのうち海外のもっと高い山にチャレンジしたいと思うようになりま
4月末からの『ジョビジョバ』公演に向けて、ネタづくりの真っ最中です。
メンバー6人が、ふわっとしたアイデアを持ち寄って、少しずつネタを詰めていくのが僕らのやり方。ただし、具体的なコントのアイデア
僕はもともと、漫画家を志していたわけではなく、イラストやデザインをやっていきたいと考えていたんです。絵を描くのはずっと好きだったので、試しに漫画を描いてみたこともありましたが、やっぱりすごく大変で、
ひとつの映画の制作がスタートする際、脚本家である自分にとってまず重要なのは、原作があるのかないのか、そして誰が主演をやるのかという二点に集約されると思います。
最近は小説やコミックを原作とする作品
昨今、こうしてメディアに出させていただく機会こそ増えましたが、それでも講談というものがどれほど正確に周知されているかといえば、まだまだ十分とは言えません。そこで私がよく使うのは、「落語がフィクション
ボクシングを始めたのは、四歳上の兄の影響でした。幼少期からおもちゃのグローブでボクシングごっこの相手をさせられているうちに自然とハマり、中学生になってからは街のボクシングジムで練習をするようになった
大学を中退してぶらぶらしていた頃、一時期、青森の缶詰工場に住み込みで働いていたことがありました。しかし、毎日深夜零時から正午まで、まるでロボットのように無言で働き続ける状況に気が滅入り、このままでは
「TWILLO」を立ち上げたのは、二〇〇六年の夏のことです。店舗として使っているリヤカー式の屋台は、自分で勝手にイメージして描いた落書きを、町工場に持っていって作ってもらったもの。費用は80万円ほどで
音楽は子供の頃から大好きでした。きっかけは、小学校4年生の時にたまたま連れて行かれた、ウィーン少年合唱団の公演です。音楽とはこれほどまでに美しいものなのかと、生まれて初めて音に対して感動を覚えた、衝
キャラクターデザインを戦略的にひもといてみると、人は複雑なものをなかなか覚えてくれないので、何かひとことで言い表せるくらいシンプルなほうがいいと考えています。たとえば「チーバくん」なら、特徴を細かく
テレビのCMは15秒、30秒という短い時間で見せるものです。その方法論のひとつに、「本物らしい」ことを作り上げるというものがあると思います。本当のことは強く伝わる。実はそういうCMって少ないんです。
人間として何か欠落した存在が、失ったものを補完していく「ピノキオ」的枠組みの物語は、以前から興味があって書いていたんです。例えば映画にもなった『散歩する侵略者』は、地球を侵略しに来た宇宙人が町の人と
ゲームデザイナーの仕事は、ゲームの世界の設計図を作ることです。「ドラゴンクエスト」であれば物語の流れを考え、マップを書き、人を置いて台詞をつける。そして、お店を作って、売り物や値段を決める。さらにモ