今月のイチオシ本
いま、私は第49回衆議院選挙戦のまっただなかでこの原稿を書いている。投票日まで1週間を切った。本誌が読者に届くときはすでに選挙は終わっており、政権与党と野党が、そのままかそれとも変わったか結論は出ている。その時、私はどう思っているのだろう。著者の和田靜香は音楽関係を手始めに相撲や困窮者支援などの記事を書くフリーランス
「史上初、選考委員全員が5点満点」が話題の、第11回アガサ・クリスティー賞受賞作は、独ソ戦さなかの一九四二年、モスクワ近郊にあるイワノフスカヤ村から幕を開ける。母親のエカチェリーナとともに、狩りをして暮らしていたセラフィマの日常は、ある日突然断ち切られる。ドイツ兵によって、村人は皆殺しにされ、エカチェリーナはセラフィマ
ミステリー新人賞には何年かおきにメモリアルな年が訪れるものらしい。老舗の江戸川乱歩賞では今年がそれに当たるようだ。一〇年ぶりの二作受賞で、そのうちの一作は九年ぶりの女性受賞者。桃野雑派『老虎残夢』が一二世紀の南宋時代の中国を舞台にした武侠小説仕立ての本格ミステリーであるのに対し、一方の伏尾美紀『北緯43度のコールドケ
冲方丁『月と日の后』は、藤原道長の娘で一条天皇の中宮になった彰子の一代記である。著者は、一条天皇の皇后・定子と清少納言を描いた『はなとゆめ』を発表しており、紫式部が仕えた彰子に着目したのは必然だったのかもしれない。道長の命で一二歳で入内した彰子だが、すぐに一条天皇が真に愛する定子が敦康を出産、道長が揃えた名家出身の女
第67回江戸川乱歩賞を受賞した2作の片方、桃野雑派『老虎残夢』が9月に刊行されて、早くも大きな話題になっている(もう1作の伏尾美紀『北緯43度のコールドケース』は10月刊)。帯にいわく、「最侠のヒロイン誕生! 湖上の楼閣で舞い、少女は大人になった。彼女が求めるのは、復讐か恋か?」
捨て置かれ、ただ時とともに朽ちていく建造物──廃墟。それは建物の遺骸と捉えることもできるが、遺跡や動物のはく製を見て覚えるものとはまた異なる情感をもたらし、なぜか妙に心を惹きつける。この得もいわれぬ退廃的な魅力の正体とは何なのか。斜線堂有紀『廃遊園地の殺人』は、その答えの一端を垣間見せてくれる長編本格ミステリだ。
日本ではあまり知られていないが李仲燮は韓国の国民的画家で「韓国のゴッホ」とも呼ばれている。39歳で夭折した天才画家の妻は日本人の山本方子。今年100歳になるがお元気だ。新聞記者である著者はソウル特派員時代に李仲燮の存在を知る。彼の絵に惹かれ日本で方子へのインタビューを重ねた。李仲燮は1916年に日本統治下にあった朝鮮
あれは、どういう流れだったのか。いい感じでお酒が回った仲間たちと、バッティングセンターに行ったことがある。総勢何人で行ったのか、誰がいたのか、全員の顔まではもう思い出せないのだけど、空振りしては笑い、球がかすっては笑い、ととにかく楽しかった記憶しかない。夜が深い、猥雑な歌舞伎町のなか、あのバッティングセンターだけは、
新型コロナの感染爆発に伴い、長引く自粛生活。そのストレスに耐えきれず、犯罪に走るケースも目につき始めた。中でも当局が恐れるのは薬物犯罪ではあるまいか。犯罪それ自体の危険性もさることながら、それが暴力組織の利益拡大につながることが大きい。今回取り上げるのはその薬物犯罪を捜査する麻薬取締官の活躍を描いた話──というと、麻
『貝に続く場所にて』は、今年の群像新人文学賞を受賞したデビュー作だが、第165回の芥川賞を射止めた(李琴峰『彼岸花が咲く島』と同時受賞)。3・11小説の側面が強調されるが、選考会後の会見で松浦寿輝が「震災から10年を経ないとこの物語に昇華できなかった、と感じさせる独創的なアプローチと感じました」と述べたように、正面から
伊東潤『琉球警察』は、警察小説の手法で、戦後史、日米関係などを描いた『横浜1963』の系譜の作品である。奄美諸島の徳之島出身の東貞吉は、一八歳の時、働きに出た沖縄で警察官に採用された。沖縄では奄美出身者は差別されており、貞吉は警察学校の教官・大城から何度も鉄拳制裁を受ける。そんな貞吉の救いになったのが、奄美出身ながら
「彼女を殺すために、僕は廃病院の敷地に足を踏み入れた」という穏やかではない一文から始まるプロローグ。その最後で、思わず読み返してしまうほど目を惹く謎が提示される。それを成したことで、なぜ「これで、彼女を殺せる」のか? 五十嵐律人『原因において自由な物語』は、年末の各種ミステリランキングに軒並み挙げられるなど大いに話題を
海外の警察ドラマでは近年日系のキャラクターも珍しくなくなったが、純粋の日本人となると話は別。してみると本書に登場する九条漣なんか稀有な例だといいたいところだが、彼の出身はJ国で、所属するフラッグスタッフ署があるのも、アメリカならぬ平行世界のU国だ。本書は第二六回鮎川哲也賞受賞作『ジェリーフィッシュは凍らない』から始ま
小説家古川日出男は福島のシイタケ生産農家に生まれた。三人兄弟の末っ子で、兄と姉がいる。十八歳で故郷を離れ家業は兄が継いだ。そして二〇一一年三月十一日、東日本大震災が彼の故郷を襲う。冒頭は二〇一九年十二月に行われた母親の納骨風景だ。その直前、施設で寝たきりだった母の胃瘻をやめることを兄弟で決めたときに、躊躇っていた震災
「星の子の家」、それが本書の主人公・花が暮らす施設の名前だ。「星の子の家」は、「親が病気になってしまった子、経済的な問題で家庭で暮らせなくなった子、身体や精神に深い傷を負った子」たちを預かる施設で、花は8歳の時にやって来た。それから10年、花が18歳の誕生日を迎えた日から、物語は幕を開ける。
直木賞候補になった『春はそこまで 風待ち小路の人々』など市井人情ものの時代小説で人気を集める志川節子の新作は、〝日本の博物館の父〟と呼ばれる田中芳男を主人公にしており、初の歴史小説に挑んで新境地を開いたといえる。信州飯田城下の医師の家に生まれ、子供の頃から植物や鉱物を集めるのが好きだった芳男は、兄を早くに亡くし、
7篇の短篇を収めたこの独特すぎる作品集の魅力を、いったいどう伝えればいいのか。幻想小説でもファンタジーでもSFでもコメディでもない。ルイス・キャロルとジュール・ヴェルヌと宮沢賢治と江戸川乱歩を混ぜ合わせて攪拌し、どうでもいい蘊蓄や雑学をぼかすか放り込み、自由闊達・融通無碍な文体でユーモアたっぷりに再構成した感じ?
起源は古代インドにまで遡り、日本への伝来時期も定かではないほど長い歴史を持つ将棋。この盤上遊戯を題材にしたミステリは過去にいくつも存在するが、芦沢央『神の悪手』は、これまでにない切り口と広い視野を備え、たとえ将棋を識らずとも一読唸ること請け合いの全五話からなる充実の作品集だ。