伊多波碧さん『父のおともで文楽へ』

シングルマザーの孤独と悩み、文楽がそっと癒やしてくれた

伊多波碧さん

 37歳、契約社員、一人娘はまだ小学生。将来に不安だらけのシングルマザーが、文楽という古典芸能を通じて自身の生き方を見直していく『父のおともで文楽へ』。文楽の魅力と女性の生き方を絡めた同作の執筆背景について、伊多波碧さんにお話を伺いました。


人形なのに、人間のように見える文楽の不思議に引き込まれて

──『父のおともで文楽へ』は37歳のシングルマザーが、タイトル通りに文楽の世界に引き込まれていく物語です。伊多波さんもやはり以前から文楽がお好きで?

伊多波……実は数年前に初めて観たときは、良さが全然わからなく寝てしまったんです。でもその後、知人に誘われて3年前に前列で観た『双蝶々曲輪日記』で面白さに目覚めました。文楽って人形の背後にいる主遣い(人形を操作する人)の顔が観客から見えますよね。それでも人形自身がまるで生きているかのように、人間のようにしか見えない瞬間があって。その不思議さに惹かれました。

──主人公の佐和子は、将来に不安を抱えるシングルマザーです。

伊多波……最初に決めたのは、キャラクターではなく舞台でした。新国立劇場と国立劇場のふたつのうちどちらかで書こうかと思い浮かべたら、新国立劇場は母娘で楽しそうにバレエ鑑賞をしているイメージが浮かんだんですね。対して国立劇場を思い浮かべてみたら、父と一緒に歩いている女性の姿が浮かんだ。会ったこともないその彼女が、なぜだかままならない境遇に置かれているように感じて。前者でも楽しめそうな物語になる気はしましたが、今回は国立劇場とその女性を描いてみたい、と思いました。

浮気な男に愚かな女、昔も今もゴシップは人気

──狡い男に元夫を重ねては怒り、嫉妬に狂う姫にかつての自分を見て複雑な気持ちになる。最初は興味がなかった佐和子も、毎回の演目を通じて感情を揺さぶられていきます。

伊多波……文楽のジャンルには大きく分けて「世話物」と「時代物」の2種類があるのですが、「世話物」というのは今で言うゴシップ、三面記事に近い感覚なんですね。家庭を顧みないダメ男とか、若い娘の嫉妬合戦とか。はたから見ると呆れるしかないんだけど、でも自分がもしその立場になったら同じことをやってしまう可能性もゼロじゃない。

──愚かで、正しくない。でもだからこそドラマチックであり、今の時代を生きる私たちも共感できる人間模様が描かれていますね。

伊多波……そこが現代にも通じる「世話物」の魅力だと思います。「歴史物」も忠義のために我が子の命を差し出すといった現代の価値観では推し量れないものもありますが、そんな中でも人間らしさがにじみ出るシーンがときどきあったりして、それもそれで面白いんです。他にも古典芸能なのにミステリー仕立てっぽいストーリーのものもあって。私自身も、「人形が演じているのに」と思いつつ、毎回心を揺り動かされてしまいます。

伊多波碧さん

──「心中天網島」「日高川入相花王」「伽羅先代萩」など、文楽好きはすでに知っている演目を物語の中でも楽しめる、という読み方もできますね。

伊多波……そうですね。最初のエピソードを「心中天網島」にしたのは、妻子がいながら遊女と恋仲になるダメな男の話なら、佐和子のように初めて観る人でもわかりやすいだろうなと思ってです。物語としてはわかりやすいけれども、佐和子なら登場人物には反発したくなるだろう、と思って。

──「心中天網島」は歌舞伎でもかけられる演目ですが、人間ではなく人形が演じるからこその強みもあると思いますか。

伊多波……同じ演目であっても、人形のほうが表情がないぶんだけ、物語に深く没入できるような気が私はします。不思議なことに物語が進むにつれて、人形の顔は変わらなくても、場面によって違う表情に見えてくるんですよね。人形は無表情だけれども、だからこそ人間に近しい気もしています。

──無表情だから、人間に近い?

伊多波……たとえば一人で電車に乗っているときって、ほとんどの人は無表情ですよね? 一人でいるのにニコニコしていたりはしないはず。でも人形のように無表情であっても、内心では多分いろんな感情を抱えているはずで。そういうところに、何か近しさのようなものを感じます。

すべての女性が社会で活躍したいわけじゃない

──人形たちが演じる数百年前のドラマに影響され、佐和子は自分自身の人生を見つめ直していきます。元夫への劣等感、親としての責任感とプレッシャー、さまざまな思惑を抱えた佐和子が、「働くこと」への本音を打ち明けるシーンも印象的でした。

伊多波……ちょうど今は社会における女性活躍が盛んに言われていますが、「私も仕事で活躍したい!」と心から望んでいる女性ばかりではない、と私は思っているんです。これは男性も同じで、社会人の全員が活躍を目指して成長を続けていこう、と常に考えているわけではないですよね。性別に関わりなく、そういったタイプの人は一定数いて、佐和子もおそらくそうなんですね。
 さらに佐和子のような契約社員の場合、正社員と近しい業務をしていても、与えられる活躍の場は違ってくる場合がほとんど。それでも娘のため、自分のために働かなければいけないとなったら、こういうタイプの女性はどうやって生きていくのだろう、と考えながら書き進めていきました。
 人生って、決して全部が自分の意思で選び取ったものばかりではないですよね。でも逃げ場がない場所に追い詰められてしまうことは、誰にでも起こりうることだと思います。

人生のままならないときに寄り添ってくれる誰かがいれば

──ご自身は、どんな仕事観をお持ちでしたか。

伊多波……若い頃は全く何も考えていませんでしたね。新卒で金融機関に入りましたが、どうしても一生懸命になれないまま3年で辞めましたので、佐和子の気持ちもわからなくはないんです。

──シングルマザーの重圧に押しつぶされそうな娘の背中をさりげなく押してくれるのが、佐和子の父です。父娘の距離感は、母娘のそれとはまた違いますね。

伊多波……そうですね。この物語の中では、ままならない境遇にいる佐和子が前へ進めるようにとちょっと手伝ってくれる存在として父親を描いています。お父さんは当初はもっと無口な人物のはずだったのですが、書き進めるほどに全然違うキャラクターになっていきましたね。親でも友人でも、生きていく過程でこういう人が誰か一人でもいてくれればいいな、と思いながら描きました。

──文楽鑑賞後、半蔵門駅近くの喫茶店で父娘が感想を語り合うシーンが何度か描かれていますが、モデルになっているお店はあるのでしょうか?

伊多波……モデルにしているお店は特にないんです。でも舞台なんかを観た後に一緒に行った人と感想を語り合うのって楽しいですよね。私は一人で行くのも好きなのですが、この物語の場合はお父さんがいないと、佐和子の独り言になってしまいますから、じゃあそういう場をつくろうと思って喫茶店のシーンを書きました。

生の舞台だからこそ伝わってくる強さがある

──結婚までした相手を嫌いになったり、好きという感情だけではもう動けなくなったりと、大人になってからの恋の難しさも描かれています。

伊多波……好きだった部分が大嫌いになるとか、そういうことってありますよね。でも佐和子の元夫も悪い人ではないはず。おそらく良い面だってあるんです。でも離婚した佐和子から見たら、苛立たしいとしか思えない。それはもうお互いさまなのかもしれません。
 新しい恋に関しては、佐和子はまだそこまで自覚的ではないのかなと思っています。今の彼女は娘の子育てで頭がいっぱい。自分の気持ちをセーブしている、という面もあるのかなと。

──最初は仕事でも私生活でも気を張り詰めていた佐和子も、日常と切り離されて文楽に触れることで緊張の糸がゆるみ、本音をさらけ出せるようになっていきます。たんなる娯楽のようで、それだけではない。数百年と残る芸能には人を癒やす作用があるのだなと思いを馳せずにいられません。

伊多波……それはやっぱりリアル、生の舞台だからこそ感じられる強さかもしれません。劇場という空間に身を置いて舞台に向き合うと、三味線の音や浄瑠璃の語りも、真に迫ってくる感じがするんですね。至近距離で見るという意味ではネットフリックスなどのほうがすごくいいポジションを押さえているかもしれませんが(笑)、でも伝わってくる空気のリアル感がやっぱりまったく違う気がします。
 古典芸能の世界をテーマに描くことは調べることが多くて大変でしたが、もっともっと研究して書いてみたい、という気持ちも湧いてきました。今回は客席から観た文楽でしたが、いつかは内側も書いてみたいですね。


父のおともで文楽へ

小学館文庫

伊多波 碧(いたば・みどり)
1972年新潟県生まれ。信州大学卒業。2001年作家デビュー。著書に時代小説『紫陽花寺』『ささやき舟 六郷川人情渡し』『純情椿 公事師喜兵衛事件綴り』『恋桜』『うそうそどき』のほか、昭和を舞台にした『リスタート! あのオリンピックからはじまったわたしの一歩』など。

(構成/阿部花恵 撮影/浅野 剛)
〈「きらら」2020年10月号掲載〉

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