光であることば

若松英輔「光であることば」第8回
たましいの燈火――たましいとは何か Ⅰ 「たましい」とは何か。そんなことをずっと考えている。答えがでないことは分かっているのだが、長く続く危機の時代にあって、「たましい」をはたらかせなければならない、そう感じることが多いからかもしれない。ここでいう「たましい」は、先の戦争で叫ばれた大和魂とはまったく関係ない。また、どこ
若松英輔「光であることば」第7回
孤独のちから 多くの人が、何でもなさそうにやっていることができなかった。そんな経験をしたことはないだろうか。たとえば、幼い頃、どうしても靴のひもが結べなかったとか、どうしても忘れ物をしてしまうとか、あるいは、学校から親に渡すように伝えられた書類をどこかに失くしてしまうとか。私は、このほかでも多くのことで、不如意な経験を積み重ねてきた。
若松英輔「光であることば」第6回
知ると識る──自由について Ⅰ 自由とは何かを明言するのはむずかしい。たとえば、自由の定義とは何かとたずねられても、答えに窮する人も少なくないだろう。状況は思想家と呼ばれる人たちにおいても同じで、自由論は、古くから、そして今もなお、探究され続けている永遠の主題の一つになっている。だが、不自由とは何かと聞かれたらどうだろ
若松英輔「光であることば」第5回
感じるものの彼方へ 初期ドイツ・ロマン派を象徴する人物の一人にノヴァーリスがいる。小説『青い花』の作者といった方がよいかもしれない。本名はフリードリヒ・フォン・ハルデンベルクという。一七七二年に生まれ、一八〇一年、二十八歳で世を去った。
若松英輔「光であることば」第4回
なぜ、物を書くようになったのか。若松さんにとっての「言葉」体験とは── 書くことの爆発 幼稚園に通うのが嫌だった。そのころから集団行動が苦手だった。それでもどうにか卒園できたのは、その教育方針がある特殊なものだったからかもしれない。カトリック天使幼稚園という名前のとおりの場所で、教会が併設されていた。
若松英輔「光であることば」第3回
詩を書くことでいのちの燈火を燃やし続けた若松さんにとって「詩歌のちから」 とは── 静寂の音信おとづれ  世の人々は悲しむ者を励ます。悲しむことは不幸である。早く悲しみを乗り
若松英輔「光であることば」第2回
二度目の緊急事態宣言発令直後に若松さんが書く「死」のこと、人生における「居場所」のこと―― 人生の門  悲しみや苦しみを生きるとき、まったく励まされないのも寂しいのかもし
若松英輔「光であることば」第1回
混迷の時代をどう生きるべきか――若松英輔さんが綴る明日を照らすことば よろこびについて  人は、よろこびがなくては生きていけない。からだが水を必要とするように、心はよろこ