山本幸久さん 『ふたりみち』
失敗してもいいというくらいでいいと僕は思っているんです。
名前の読みは一緒、でも年齢差は実に五十五歳の二人が、旅をしながらバディ関係を育んでいる。でも旅する理由には、それぞれ事情があって……。山本幸久さんの『ふたりみち』は、六十七歳の元歌手と十二歳の少女の珍道中を描き、文字通り笑って泣ける物語。
おばあさんを書きたかった
函館の小さなスナックのママ、野原ゆかりは六十七歳。実は彼女、元はミラクル・ローズという名で売り出していた、昭和ムード歌謡の歌手。ヒット曲のタイトルは『無愛想ブルース』。そんな彼女がある事情で借金を抱え、お金を稼ぐために久々にドサ回りの旅に出ることを決意。一人旅立つが、津軽海峡を渡るフェリーで出会った十二歳の家出少女、森川縁が彼女の歌を気に入り、ついてきてしまい、くしくも同じ名前の二人の珍道中が始まる。
「三年くらい前に書き下ろしの話がきたんです。僕はもともと、七、八年前からおばあさんの話を書きたかったんですけれど、どの出版社からも"若い子の話にしてください"と却下されてきて。それが今回、どこを気に入ってくれたのか分からないけれど(笑)、"やりましょう"と言ってもらえたんです」
その前に、短篇では老婦人が子どもを救う話を書いたことはあったという。
「どちらもおばあさんが子どもを救う話でした。もともとリリアン・ギッシュが出演している『狩人の夜』(一九五五年)というカルト的な映画が好きで。これもおばあさんがライフルをかまえる勢いで、殺人鬼から子どもを助けるんです。そういうような、おばあさんのハードボイルドが書きたかった。でも今回は長篇となると子どものほうも少しキャラクターを強めにしないと話がもたないと思い、こういうペアになりました」
昭和ムード歌謡の歌手やロードノベルといった設定については、
「旅をする話や、芸能史っぽいものも書きたいと思っていたし、身元不明の男性の演歌歌手の話を考えていたこともあって。それらがいろいろ重なった結果ですね。僕は今五十二歳ですが、僕くらいの歳の人って、特に好きでなくても、意外と昭和歌謡を憶えているんですよ。なぜか前川清の『東京砂漠』が歌えたりする。それに、バブル期にもまだ若干、ドサ回りで稼ぐ人たちがいたようですし」
ゆかりは幼い頃からシャンソンが歌えた。彼女にはフランス人と同じように、のどひこを振るわせる発声法が身についている。
「ムード歌謡だけで話を進めるのもどうかと思い、シャンソンを調べているうちに、フランス語ではのどひこを振るわせるというのを知って。作中にも書きましたが、聴く人が聴くと巻き舌で歌っているように聴こえるそうです。日本ではシャンソンって囁くように歌っているイメージもありますが、エディット・ピアフの歌声ってパンチがある。ゆかりの歌声はこっちだろうなと思いました。そこからどのようにそういう歌声を積み上げてきたのかを考えて、彼女の人物像が出来上がっていった感じです」
子どもの頃は東京の西荻窪で母親と二人で暮らしてたゆかり。元芸者の母は、大企業の社長の"お妾さん"で、エディット・ピアフのレコードをよくかけていた。それを聴いて育ったゆかりは、たまに訪れる父親の前で歌を披露してはお小遣いをもらっていた。のちにバスガイド(ちなみに就職先は他の作品に出てくるアヒルバスである)となった彼女は、乗客たちに歌を披露して人気を博し、そこでスカウトされて十九歳でデビューしたのだった。
一方の森川縁は、ピアノの練習を強いる母親に嫌気がさして家出。だがピアノ自体は嫌いではなく、優れた才能の持ち主でもある。聡明で大胆で行動力があり、道中、ゆかりの付き人として大活躍。
「彼女は本当に、自分がこのおばあちゃんを守らなきゃと思っている。そう思うことで、彼女はさらに成長していくんでしょうね」
ところで、六十七歳というと昨今では"おばあさん"というにはまだ若い気も。
「そうなんですよ(笑)。ただ、六〇年代、七〇年代のムード歌謡の歌手だと考えると、まだそこまで高齢になっていない。それに、引退してからは残りの人生を歩んできたという感じの女性と、まだ恋愛にも関係ない、女性的部分のない年頃の少女という、歳の離れた二人が友情を結ぶ話をイメージしていました」
かなりの歳の差の二人だが、その間に生まれるのは疑似親子的な関係ではなく、対等な友人関係だ。
「歳の差があっても友達同士になれる、ということは書きたかったですね。他人同士の心が通じ合う時に何か奇跡が起こったり、物語性が強いものが出てきたりするように思います。こういう関係性がこうなってこうなりました、というほうが書きでがあるんです」
一方で、ゆかりと母親、縁と母親など、母と娘が本作の重要なモチーフにもなっている。
「担当編集者に"最後には泣かせる話にしてください"と言われた時、母娘が浮かびました。誰しも、子はいない人でも母親はいるし、その母というものにどういう思いを持っているのか書くのは面白いかなと思って。父と子どもの話だと、自分に近くなるので恥ずかしいんですよ。父親を良いふうに書くのが気持ち悪いと思ってしまう。それに、うちの奥さんと中学生の娘を見ていると、よくこんなに朝から晩まで絶えずいろいろ言い合っているなと思うんです。僕は完全に蚊帳の外ですからね(笑)」
実は、ゆかりにもかつて娘がいた模様。だが、過去に熱烈な恋愛をして子どもを儲けた、という経緯ではなさそうだ。人生経験を経てきた元歌手かつ現スナックのママが主人公となると、そんな経験がありそうだと思ってしまうが、
「僕が書く人って、あまり熱烈な恋愛はしないんです。そんなものはあるまい、とどこかで思っているんでしょうね。それよりも、一人で生きている者同士が一緒にいることで道が開けていく話が書きたいんです。恋愛の話になると僕の場合、他人に依存している感じがしてしまう。たとえ結婚していても、結局は一人でどう生きていくかを考えるほうが、人として誠実な気がします」
営業先ではトラブル連発
彼女たちの旅は函館から東北、北陸、山陰……そして東京へと舞台を移していく。しかし営業先では必ず何かトラブルが生じ、ゆかりはなかなか歌を披露することができない。
「旅先はあまり名前を出さないようにしていますが、具体的にイメージした場所はあるといえばあります。余所の人間が気軽に行けるような公共の交通ルートがない場所だったり、東北ではそこまで震災の被害がひどかったわけではない町だったり。営業先で歌は歌わせないとは決めていました(笑)。その場所でどういう人たちに会うか、どういうふうに歌えない状況になってしまうかは、いろいろと考えましたね。会場も公民館だったり旅館だったりライブハウスだったり病院だったりと、変化をつけました。実際に病院でのコンサートは大きいものも小さいものも含めて結構多いようですね」
ライブハウスではなぜかゆかりが女性ラッパーとラップバトルをする展開に(ここが抱腹絶倒もの)。
「ラップバトルは前から違う形で書こうと思って調べていたんです。ここに書いた時点でも、まだそこまでドラマや小説でラップバトルが描かれていなかった。韻を踏むのももっと丁寧にやるかと思ったらそうでもなくて、ラフな感じにしました」
また、他にも旅先でさまざまな強烈なキャラクターが登場。ゆかりの過去に関係する人も出てくるが、「できるだけ男は駄目な奴にしました」と山本さん。最後にはゆかりにとって、非常に重要な存在の女性も登場する。しかし血縁ではない。
「ここでも、他人同士が何かしら結びついていくのが面白いのではないかと考えていました。でも二人には共通点があって心が通じ合う、というふうにはしたかったんです」
そして少しずつ分かってくるゆかりの過去や現在の事情、そして彼女自身も新たに知る意外な事実。実はあれは伏線だったのか、と驚く部分もある。終盤にはある人の秘めた思いも浮かび上がってくる。まさに、笑って笑って最後には泣ける物語。そして、人生いくつになっても、何かドラマを自分で生み出せると思わせる。
「年齢も性別も問わず、やりたいことがあるならその日からやるべきだ、というのが僕の中にある。歳取ってくるとなおさらそう思いますね。要するにやりたいことをやる時に迷うのは、成功すると思うからいけないのであって、失敗してもいいというくらいでいいと僕は思っているんです。あ、実際、失敗することのほうが多いでしょうけれど、それでも重ねてやったほうがいい。運命に逆らうという感じでしょうね。自分が運命だと思いこんでいるものも、実はそうじゃないんじゃないか、というのが本人の中から出てくるといいんでしょうね」
ゆかりは懐深く、大らかに見えるが、心のどこかで何かをぐっとこらえている部分もある。
「僕の小説に出てくる人たちはみんな、何か我慢して自分の中で消化して、今日一日仕事を頑張ろう、という人が多い。あまり自分の欲望に忠実じゃないんです。自分の欲望よりも今この仕事の穴を開けちゃいけないという人たちですよね。どうしてか分からないけれど。さっきの恋愛の話にしても、人に迷惑をかけるような恋愛はするなと思ってしまうし」
山本さん自身がそういうタイプだからなのかもしれない。つまり、登場人物たちには、何かしら著者が反映されているのかも。
「ああ、全員僕ですね。別人ということはない。特に嫌な奴には、自分の嫌なところ悪いところが出ていますね。いい奴は、僕の憧れが出ているんです」
では今回の作品で一番憧れた人物は?
「十二歳の森川縁でしょうね。すごく才能があって、その才能から逃れるために遊んでいる感じ。本人は悩んでいるけれど、楽しそうなんです。最初は彼女が友達に会いに東京に行くために家出してきた話も考えたんですが、この子、友達いなくても大丈夫そうなのでやめました。そのへんは僕に近いですね。友達がいないから寂しい、なんてことがない。息子が友達と遊んでいるのを見て、僕に似なくてよかったなと思いますけど(笑)」
念願だった、"おばあさん"が主人公の小説を書き上げた感触はというと、
「過去をどんどんめぐっていく話は書きたかったものなので、僕としては面白かったです」
今後は、ひょんなことから電気技師にならざるをえなくなった女性が主人公の『電気工事うけたまわり〼』、女性所長のもと5人の面々が所属する探偵事務所が舞台の『探偵は推理をしない』などの刊行がひかえている。
(文・取材/瀧井朝世)