〝おいしい〟のバトン no.1 栗原心平さん(料理家)

栗原心平さん

 テレビやラジオ、料理イベントなど幅広い舞台で活躍している人気料理家・栗原心平さん。料理番組『男子ごはん』(テレビ東京系)にもレギュラー出演している。王道ともいえる日々の家庭料理をより美味しく作るレシピを提案する、その仕事の源泉に迫る。

 僕が幼い頃から、母は仕事をしていました。はじめは家で料理教室をやっていて、今も母のレシピとして残るシフォンケーキなどを作っていましたね。それでも当時はまだ料理の得意な専業主婦というスタンスだったと思います。料理番組の裏方をやったのが契機となり、母は料理家としてひとり立ちしたんです。

 出張などで家を空けることが多くなったのは、僕が小学校中学年になった頃でしょうか。でも、寂しいとは感じませんでした。父はもともとテレビ関係の仕事をしていましたが、当時は執筆活動を始めて家にいたんです。茄子の揚げびたしや五目ひじきといった母が作り置きした常備菜がいつも3品ほどあって、父が主菜を料理してくれるといった感じでした。

 両親ともに忙しい時でも、食に対しては丁寧でしたね。お金がぽんと置いてあって「好きなものを食べなさい」とか、レトルトカレーだけという状況はなかった。食で満たされていたという想いは常にあって、それが寂しさを感じず過ごせた理由のひとつかもしれません。たとえ仕事で外にいたとしても「私はあなたたちのことを考えているからね」と母はきちんと、そして意識的に愛情を示してくれていたと思います。ある時、「家族が幸せでなければ、自分が今までやってきたことの意味はない」と言ったことがあって。仕事で家族を犠牲にするというのだけは、絶対に嫌だったんじゃないでしょうか。

 そんな子供の頃の思い出の料理は、父の自家製コンビーフ。牛の塊肉をわざわざ遠方まで買いに行き、1週間ほど塩漬けしたあと10時間煮込んでと、手間をかけて作っていました。母の料理はたくさんあるけれど、やはり麻婆春雨ですかね。給食のない土曜日に家に帰った時、麻婆春雨が用意されているともうテンション上がって。作りたてではないから汁気をたっぷり吸っていて、それを熱々のご飯のうえにのせて一緒にかきこむのがもう最高に美味しいんです。

 僕も料理は、キッチンに立つ母の姿を見たり、手伝いをしたりするなかで自然に覚えていきました。小学生の頃は、毎週日曜、家族のためにブランチを作るのが僕の役割でした。キャベツとコンビーフの炒めものにハムエッグ、あとはパンを焼くくらいですが。中学生になると夕飯に父がよく食べていたミニステーキを焼いたり、友達が遊びに来ると食事を作ったりしていましたね。

確実に美味しくなる〝ひと手間〟の提案

 料理の楽しさは、常に気づきがある点です。その気づきが楽しいし、新鮮なんですね。たとえばアーリオ・オーリオのパスタ。オイル系のパスタは塩分量が難しいので、旨味調味料を入れたがる人が多いんです。そうすると確かに味はまとまる。けれど、オイルと塩、ニンニクだけでどうやって旨味を出すかがわかると、料理が俄然楽しくなります。そのコツに気づいたのは大学生の時でした。

 松茸の土瓶蒸しもそんな料理のひとつ。父が好きなのでよく作っていたんですが、いつももうひとつ納得いかなくて。出し汁に対してみりん、酒、塩、薄口醤油をどれくらい入れるかというバランスが難しいんです。香りを壊すことなく、旨味や深みを最大値まで引き出す塩加減がわかった時は、うれしかったですね。大学卒業した直後くらいのことでした。

 それでも、料理家になろうと思っていたわけではないんです。父が立ち上げた「ゆとりの空間」という会社を継いで、大学卒業後はそこで働き始めました。ただ23歳の頃に、初めて料理を作る仕事をいただいて。やるからにはきちんとしたものを提示しなければと考えていたので迷いましたが、お引き受けしました。

 料理家としてやっていこうと明確に決心したのは、テレビ番組『男子ごはん』に出演するようになって以降ですね。料理家のなかで自分なりのポジションを見つけたと感じることができたんです。

 僕の仕事は、普段の料理にひと手間かければ満足できる味わいになるレシピを提案することだと考えています。そのひと手間が大事だと、みなさんに気づいていただく。それはわざわざ何か作業を追加するのではなくて、たとえば野菜の下ごしらえの仕方ひとつだったりするんです。和え物を作る時、野菜の水分の拭きとり方が甘いと、30分後には味わいも水っぽくなってしまう。その点を押さえれば作り置きしても美味しいし、ホームパーティーにも出せる料理になります。

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 そうやって美味しいものができたと実感していただければ、「また栗原心平さんのレシピを」となるし、各家庭のメニューとして定着するわけです。再現性があって、かつ確実に美味しいと思ってもらえるレシピを提案していくことを大事にしています。奇抜な料理は一度は美味しくても、その家庭のいつもの味にはなりませんよね。

変わらない食文化と変わっていくレシピ

 そういう料理家としてのスタンスは、やはり母の影響が大きいと思います。最近、20代の方に会うと「心平さんのお母さんのレシピで育ちました」と言われることが多いんです。つまり、その方の親世代、場合によっては祖父母の世代から、僕の母のレシピが根付いている。それは料理家として本当に凄いことだと改めて感じます。母の料理があれだけ多くの人に支持されたのは、家にある食材だけでこんなに美味しく、バリエーション豊かに、見た目もきれいな料理ができるというのが衝撃だったからです。母は「ミートソースの食材をすごく細かく切ると量が増えるのよ」と表現します。量は増えないけれど(笑)、味の一体感は確実に増すんですね。普通にざくざく粗く切るのと比べて、それは手間をかけるということ。再現性がある美味しい料理のレシピには、そのひと手間が絶対的に欠かせないんです。そういった意識や料理哲学は、僕にも受け継がれていると感じます。

 今は時短レシピが流行していますが、美味しさのためには省いてはいけない部分まで省略してしまうようなものもあります。たとえば、僕のハンバーグにはコク出しのために飴色に炒めた玉ねぎを入れます。でも、いざハンバーグを作る段になって玉ねぎを炒めて冷ますことから始めると、すごく時間がかかってしまう。それなら前日の夕食を調理している横で玉ねぎも一緒に炒めておけばいい。美味しくするための手間を省かず、事前に考えて少しずつでもやると時間が圧縮できる。これが本当の時短だと思います。

 食文化は変わらないものと変わっていくものがあります。母のレシピで今も美味しいものは引き継ぎつつ、次第に変わっていく部分を提示する役割を担っていくのがこれからの僕の仕事だと思っています。それぞれの家庭で、僕のレシピをもとに日々美味しく料理を作ってくれて、その食が愛情とともに子供へと受け継がれていく。そうなったら料理家としては成功だし、意義があるといえるのではないでしょうか。

 今は新型コロナウイルスの緊急事態宣言でずっと家にいて、毎日料理をしています。僕は時代小説が大好きで、池波正太郎や藤沢周平、白石一郎、葉室麟作品などをよく読むんです。小説のなかに海老のすり身の椀物とか、昔の蕎麦切りはこうだった、などという表現が出てくると、イメージが湧いて実際に作ってみたりもします。でも、すごく難しい。やはり和食の味付けはシビアなんだなと思います。

 それから今は、夕飯は必ず担当していますね。日常の食だから、春野菜の和え物など派手な料理ではないけれど、適当に作るということだけはしたくない。忙しいお母さんや普段は仕事で家にいないお父さんも、この機会にお子さんと一緒に料理をして欲しいですね。料理をともに作ることは親子のいいコミュニケーションになるので、ぜひ実践してもらえれば嬉しいです。

(構成/鳥海美奈子)

栗原心平(くりはら しんぺい)
料理家 栗原はるみの長男。一児の父。幼い頃から得意だった料理の腕を活かし、自身も料理家としてテレビや雑誌などを中心に活躍。料理番組『男子ごはん』(テレビ東京系列)にレギュラー出演中。著書に、『栗原心平のたまごはん』(山と溪谷社)、『酒と料理と人情と。青森編』(主婦と生活社)、『栗原心平のこべんとう』(山と溪谷社)など。

栗原心平さんをもっと知る
Q&A

1. 犬派? 猫派?
猫派。小さい頃から猫を飼っていたので。以前はアメリカンショートヘア、今は知人のブリーダーからもらったロシアンブルーを飼っています。

2. 理系? 文系?
ド文系です(笑)。理系は大嫌いでした。

3. お酒は飲みますか?
お酒はたしなむ程度に……いや、そうとう飲みます(笑)。最近は、バーボンを水割りかソーダ割りで楽しんでいます。

4. 仕事の必需品は?
10年ほど愛用している包丁。ステンレスのなかに鋼を入れた割り込み包丁で、繊細に食材が切れます。あとは20年以上使っている革製の分厚い手帳。お店のクーポンとかも挟まってますね(笑)。これをなくしたら明日からの予定はまったくわかりません。

5. ストレス解消法は?
お風呂が世界で一番好き。朝晩40分ずつ必ず湯船に浸かります。そこで仕事をすることもあります。

6. 今欲しいものは?
千葉県に高滝湖という湖があって、そこに別荘を持ちたい。都心から高速で40分で行ける里山で、海にも山にも近い。そこで果物や野菜を育てたり、古漬けを作ったりして。

7. 好きな音楽は?
高校生の時にバンドをやっていたんです。僕はドラム担当で。ジャズ、プログレッシブロックからパンクまでなんでもやりました。

8. この仕事についていなかったら何をしていた?
歴史心理学に興味がありました。歴史上の人物が、なぜその選択をしたかを史実から繙く学問です。

9. 最後の晩餐は?
脂がたっぷりのって、まるまる太った鰯の丸干し。それを丁寧に炭火で焼いて食べたい。鰯は大好きで、毎食でもいいほど。自分で一夜干しを作ることも。


〈「STORY BOX」2020年7月号掲載〉
◇自著を語る◇ はらだみずき『海が見える家 それから』
安宅和人『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』/極めて具体的に日本の未来を描いたベストセラー