思い出の味 ◈ 月村了衛

第1回
花の嵐を呼ぶ早弁
早弁

「思い出の味」というお題を頂戴して、即座に様々な記憶が呼び覚まされた。いずれも自分にとっては大切な記憶であり、味である。しかし、それらについて記した文章が読者にとって面白いものになるかどうか、今ひとつ確信が持てない。かの池波正太郎なら別であろうが、今さら我が身の非才を嘆いてもしょうがない。

 おそらく最も適切と思われる題材は所謂「おふくろの味」という奴であろう。

 小学校では給食だったが、中学、高校では弁当だった。厳密には高校では学食での食事やパンの購買もあった。弁当はずっと母が作ってくれていた。何しろ母親なので馬鹿息子の好き嫌いは知っている。苦手な食材は入っていないから箸が進む。特にトンカツや豚肉とキクラゲの卵炒め(どちらも夕食の残り物だ)なんかが入っていたりすると嬉しかった。そんなことの有り難さをこの歳になってしみじみと想ったりするわけだが、さて、高校生とはやたらと腹が減るものである。とても昼まで我慢できない。そこで二時間目と三時間目の間に早弁をする。休み時間はたちまち過ぎ、教師が入ってきて授業が始まってしまった。いつもはそこで弁当をしまうのだが、その日はなぜか、黙々と弁当を食べ続けていた。

 すると左隣に座っていた女子が眉をひそめ、「やめなさいよ」と小声で忠告してきた。「うん」と生返事をしつつも箸を動かしていたら、右隣の女子が「がんばれ、全部食べちゃえ」と逆に応援してきた。左隣がむきになって私に向かい「いいかげんにしなさいよ」と言うと、右隣はさらに「がんばれー、がんばれー」と煽る。

 両者の視線が小さくなって弁当を食べている私の頭上で激突し、バチバチと音を立てて火花を散らした。昔の漫画でよく見かけた表現だが、実際にまのあたりにしたのはそのときが最初で最後である。

 小心者の私はというと、そそくさと弁当を切り上げたことだけは覚えている。肝心の弁当の味は覚えていない。 「思い出の味」というお題に対して「思い出せない味」というオチになってしまい恐縮の極みではあるが、正直に申し上げて、左右二人の女子の顔も名前も思い出せないことの方が残念に思えたりするからよけいに感慨深かったりするのである。

月村了衛(つきむら・りょうえ)

1963年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒。著書に『コルトM1851残月』『土漠の花』など。最新刊は『機龍警察 狼眼殺手』。

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