犬丸幸平さん『最後の皇帝と謎解きを』*PickUPインタビュー*

犬丸幸平さん『最後の皇帝と謎解きを』*PickUPインタビュー*
 2025年、第24回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞したのは、清朝の廃帝と一人の日本人青年が謎に遭遇する連作集。犬丸幸平さんの『最後の皇帝と謎解きを』は、混乱する社会情勢を背景に、紫禁城だからこその事件と、この時代だからこその人間模様と人生模様とを丁寧に描き出す。もともと中国近代史に詳しいわけではなかったというが、では執筆のきっかけは何だったのか。
取材・文=瀧井朝世 撮影=浅野剛

「何も知識がないところから調べ始めたのが『このミス』大賞の応募締切2か月前だったので、無謀なことをしている自覚はありました。あまりに難しくて何度か諦めかけたんですけれど、そのたびに『蒼穹の昴』を思い出して、すごく勇気をもらって……。本当に、春児(『蒼穹の昴』の主人公の一人。清朝の宦官)に助けられたという感じです」

 と話す犬丸幸平さん。昨年、第24回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞した『最後の皇帝と謎解きを』(応募時のタイトル「龍犬城の絶対者」を改題)は1920年の北京を舞台に、紫禁城に暮らす少年廃皇帝、愛新覚羅溥儀と、彼の水墨画の家庭教師となった日本人青年の一条剛が城内で謎に遭遇していく連作ミステリ集だ。

「もともと幕末以降の近代史に興味があって、満洲国を舞台にしたミステリを書こうとしていたんです。それで満洲国について勉強していたんですが、直前の歴史も知るために清朝のことも調べ始めて。その際に浅田次郎先生の『蒼穹の昴』と映画の『ラストエンペラー』に大きな影響を受け、清朝が舞台の小説に挑戦したくなったんです。プロットを考えるうちに清朝が崩壊した後の1920年を舞台に選ぶことになりました」

 1906年に生まれ3歳弱で清朝の皇帝に即位したものの1911年の辛亥革命での清朝滅亡により退位した溥儀。その後12日間だけ皇帝に返り咲いた張勲の復辟があったものの、1920年、数え年で15歳となった彼は紫禁城に暮らし、複数の帝師(家庭教師)による授業を受けていた。水墨画が習いたいという本人の希望があり帝師として白羽の矢が立ったのが、北京に住む日本人の青年絵師、一条剛。本作の視点人物である。

「『ラストエンペラー』で溥儀と英語帝師のジョンストンの間に友情が育まれる様子を見て、これなら帝師を日本人にしたものが書けるのではないか、と思ったのがきっかけです」

 また、この時点でミステリー連作集の形式を考えていたという。

「最近の『このミス』大賞・大賞作品を見ると、『謎の香りはパン屋から』や『名探偵のままでいて』など連作形式の作品が評価を得ていたので。それで、溥儀と日本人が出会い、謎に遭遇して解決していくたびに少しずつ関係性が縮まっていく構成を考えました。それと、『謎の香りは~』は章ごとに1種類のパンを絡めて話が終わっていく作りがきれいだったので、自分も取り入れようと思って。今回の小説なら一章ごとに四字熟語や故事成語を扱うのがいいかな、と。辞書を調べて使えそうなものをピックアップし、それに物語を絡めていくように意識しました」

犬丸幸平さん

 ちなみに、『このミス』大賞の選考会において、連作だというだけで高く評価されることはないのだが(※本記事のインタビュアーは『このミス』大賞の最終選考委員)、結果的によい方向へと進んだわけだ。

 さて、紫禁城で溥儀とまみえた一条は、自分が招かれた真の理由を知る。それは、城内に保管されている水墨画の贋作の作成だ。溥儀はそれを売却して儲ける算段なのだ。

「溥儀が皇帝に戻りたがっていることや、民国政府から宮廷を維持する必要歳費が満額支払われたことがない事実、実際に宦官が美術品を売っていたという史実から、溥儀もお金をほしがっていると考えました。それに、この設定にすれば、水墨画を描く人が必要になるため、日本人絵師を紫禁城に招く必然性ができてリアリティが補強されると思いました」

 だが、一条が城に通い始めてすぐに事件が起きる。重要な水墨画が収容されている宮殿で、腹部から血を流した宦官・李宝徳の死体が発見されたのだ。しかも、状況的にそこは密室状態だった。病床に臥した者に人肉を食べさせると回復するという言い伝えがあることから、宝徳も誰かのために自分の肉をそぎ落とそうとして失敗したと思われたが……。この事件を解決したことで一条は溥儀に気に入られ、〝孫犬〟というあざなを与えられる。

 その後も彼らは城内でさまざまな謎に遭遇していくが、どれも溥儀や宦官たちの思いが浮かび上がるものとなっている。謎のバリエーションで意識したことは何か。

「密室ものは入れようと決めていました。暗号ものはその場の思いつきです(笑)。ただ、どの謎であっても、この時代ならではのものを取り入れるようにしました。なので資料を読みながら、使えそうなアイテムがあればピックアップしていました」

 実在の人物である溥儀のキャラクターはどのように形成したのか。

「自叙伝から人となりが分かってきたので、そこから起こり得たエピソードを創作していきました。たとえば、親戚の貴人が亡くなって父親に故人の諡名(おくりな)を決めるように言われた時、溥儀は犬を表す字をつけようとして父親を困らせたエピソードがあります。それで、一条にあざなをつけるなら〝犬〟という字をつけたがるんじゃないか、などと考えていきました」

 探偵役でもある一条は、穏やかな青年という印象。だが、時折西洋に対する嫌悪感を見せるなど、彼が西洋や中国、あるいは日本に対しどのような感情を持っているかが少しずつ伝わってくる。

 一方、個性派ぞろいなのが、一条を城に呼んだ御前太監の翁徳や、若い小祥や白祥といった、宦官たちである。

「『蒼穹の昴』を読んで宦官という存在が気になり始めました。貧しさ故に男性器を切り落として宦官になる選択しかない、というのは言葉で表せないような痛みを感じます。そうした痛みを持つ彼らを深掘りしていきたいと思いました」

 他の登場人物も、それぞれの個性がしっかりと作られ、存在感がある。「書いているうちに〝この人はこういう人じゃないか〟と理解が深まっていく感じがありました」というから、物語の都合に合わせてキャラクターを強引に作っているわけではない。

「作者の都合で、登場人物を駒のように動かすのはよくないと思っています。第18回『このミス』大賞の最終選考の選評で、吉野仁さんがある候補作について、登場人物の設定が〝ご都合主義〟だということを、丁寧な説明とともに書かれていらしゃって。それが本当に勉強になりました。だから今回も、ただ日本人の帝師が紫禁城に招かれましたというのではなく、なぜ日本人が招かれなくてはならない状況だったのかを考えたんです」

犬丸幸平さん

 視点人物が読者と同じように紫禁城内部の知識がない日本人であるために、細かな習慣や風習、また場所や道具の説明がさりげなくなされていて親切でもある。

「漢字が多いので、たとえば人名は、宦官の翁徳は〝翁〟という字を使っておじいさんだと分かるようにしたり、小祥は小柄で大人しいと分かるように〝小〟の字を使うなど気を付けました。同時期に城に入った宦官は一文字だけ同じ字を使うといった事実は取り入れつつ、創作と読みやすさのバランスはかなり意識しました」

 書籍化にあたって、応募原稿からさらに手を加えた。細かな表現だけでなく、途中で溥儀の日記を挿入したのは大きな変更。これにより、廃皇帝側の心の変化がよく伝わってくる。はたして彼らの友情はどうなるのか。謎解き以外のドラマも深い余韻を残す作品だ。

 犬丸さんがミステリー好きになったのは、子供の頃読んでいた『名探偵コナン』の影響。コミックスでは作者の青山剛昌氏のお薦めの探偵小説が紹介されていたため、それらを読んでいたという。自分で執筆するのはまだまだ先で、学生時代はバックパックで中東や南米、アフリカなど約40か国をめぐっていた。小説を書きたいと思い始めたのは、大学を卒業する直前のタイミングだった。

「ようやく書き始めたのは社会人になって1年目の夏でした。でも、どうしても仕事で疲れて、読書や執筆に重点を置けなくなってしまって。仕事を辞めたら書けるかなと思い、会社を辞めました。でも辞めたら自由すぎてまったく書かなくなってしまって。貯金はあったのでのらりくらりやりながら、たまに仕事をしたり、海外に行ったりしているうちに、2年くらい経ってしまって……」

 ずいぶん豪胆な人だという印象だ。ご本人は「本当に昔から深く考えずに行動する癖がありまして……」と苦笑い。

「そろそろちゃんと書こうと思ったのが、2023年の正月でした。最初のうちはオーソドックスな館ミステリーや鉄道ミステリーを書いていたんですけれど、たぶん、自分にはそういうセンスがなくて。それに社会派ミステリーを書いている時のほうが自分の気持ちが乗る感覚があったので、だんだんそちらを書くことが増えていきました」

 好きな作家を聞いてみると、

「本格だと青崎有吾先生が大好きです。あとはエラリー・クイーン。四部作では『Zの悲劇』が消去法で犯人を特定していく過程が楽しくて、いちばん好きです。社会派では呉勝浩先生。あとは村上龍先生の『半島を出よ』や神家正成先生の『赤い白球』も好きです」

『半島を出よ』や『赤い白球』は、それぞれ北朝鮮、韓国が関わる小説だ。

「大学の頃は南米に興味がありましたが、社会人になってから徐々に日本とも深く関わってきた東アジアへの関心が高まってきたんです」

犬丸幸平さん

 自身が書く際も、日本以外を舞台にすることが多かった。北朝鮮の軍人が調査のために日本に来るミステリーや、アフリカを舞台に人種差別をテーマにしたミステリーを書いていた。そうした後で、先述のように満洲国の話を書こうとした。

「人種間の交流や人種差別といったものに関心があります。満洲国は五族協和でいろんな人たちが日本の繁栄のために犠牲になったという知識はあったので、そこを深掘りしたいと思ったのが出発点でした」

 そこから清朝や清朝崩壊後に関心が移り、書き上げたのがデビュー作となった『最後の皇帝と謎解きを』なのだ。話を聞いていると、時代の変化や、国家間の争いや軋轢に翻弄される人々をよく書いている印象だ。

「確かに、時代のせいで理不尽な目に遭ったりとか、苦しい思いをしているような人に焦点を当てたいような気持ちがあります」

 では、今後はどんな作品に取り組みたいのか。

「改変歴史小説に興味がありまして。北海道の函館を舞台にしたミステリーの案が2つあって……」

 と、具体的な内容を語ってくれて非常に興味深かったのだが、残念ながらここでは明かせない。書き上げてくれる日を待つのみだ。

最後の皇帝と謎解きを

『最後の皇帝と謎解きを』
犬丸幸平=著
宝島社

犬丸幸平(いぬまる・こうへい)
1994年、大阪府箕面市出身。神奈川県川崎市在住。京都産業大学英米語学科卒業。『最後の皇帝と謎解きを』で第24回『このミステリーがすごい!』大賞・大賞を受賞し、デビュー。在学中からバックパッカーに夢中になり、中東、南米、アフリカなどを中心に約40か国を訪問。現在はパキスタンで絨毯の買い付けなどをしている。


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