週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.25 丸善お茶の水店 沢田史郎さん
『求めよ、さらば』
奥田亜希子
KADOKAWA
結婚して7年になる辻原誠太、志織の夫婦は、子供がないまま気付けば既に34歳。二人の不妊治療の様子から、物語の幕は上がる。
《私もそっちに入りたかったな》
およそ8割の夫婦は医学に頼ることなく自然に赤ちゃんを授かる、というデータを目にして、志織は思わずそうこぼす。そんな彼女に共感して目頭を熱くする読者は少なくないだろう。
だから始めは、不妊治療が主題なのかと思ったのだが、この作家がそんな工夫の無い棒球を投げて寄こす訳がない。
例えば『青春のジョーカー』は、目覚め始めた〝性〟に振り回される描写がリアルなだけに、そこがテーマだと勘違いしがちだがそうではない。中学校で、スクールカーストの上位者たちに怯えながらも、その強さを羨む主人公が、「本物の強さとは、弱者を踏み台にしたりはしない」ということを学んで、大人への階段を一歩登る。その後ろ姿の清々しさこそが、あの作品の一番の読みどころだろう。
また、『白野真澄はしょうがない』の場合、男性名でも女性名でも通る〈真澄〉という名を使って同姓同名の老若男女を登場させた、その趣向自体がウリだと捉えられがちだが、それぞれの短編を地下茎のようにつなぐ主題は別にある。即ち、同じ名前を持ちながらも全く別の個性を持つ5人を描くことで、〝自分らしさ〟とは何か? という問いを、読者に穏やかに投げかけたのがこの作品だった。
ならば、今回採り上げる『求めよ、さらば』はどうか。
志織たち夫婦の仲は、不妊治療が上手くいかないことぐらいではビクとも揺らがない。《誠太は優しい。交際を始めた社会人一年目の四月から、十二年間ずっと。私は彼に傷つけられたことがない》といった具合で、オシドリ夫婦度は、歳月と共にむしろ増している、ように見えるのだが。
俗にツーカーの仲、と言う。以心伝心なんて言葉もある。或いは、阿吽の呼吸と言ったりもする。仲が良ければ意思の疎通に言葉はいらない……らしい。
本当にそうか?
物語の中盤以降、誠太・志織の夫婦は、《誠太が分かってることを、私は分かってる》といった一体感が実は幻だったと思い知らされ、悄然とする。自分が、志織の足枷になっていると勝手に思い込み、あさっての方向に人生の舵を切る誠太。《十二年間、誠太の一番近くにいたのに、私はなにを見ていたのだろう》と、俯く志織。
そうなのだ。本作のテーマは決して不妊治療そのものではなく、それは誠太・志織夫婦がお互いのズレを認識する一つのきっかけであるに過ぎない。
分かってくれるのを待つのではなく、言葉にすること。推し量ることではなく、分かるまで問い続けること。誰かと本当に気持ちを重ねようと思うなら、大切なのはそこではないか? そんなメッセージをこそ、僕たちはこの小説から読み取るべきなのだ。
それが証拠に、物語の終盤、偶然立ち寄った縁結びの神社で、志織が挑むように決意を固める場面がある。
《信仰をよすがにしたり、神さま以外のなにかに寄りかかったりして救われることも必ずあって、でも、今、私の胸にある願いごとは、神さまに叶えてもらうようなことではない。少なくとも、願掛けや神頼みの前に、私にはやるべきことがある》
その意気や、よし!
興を削ぐのでこれ以上の詳述は控えるが、最後に一言だけ添えておく。
ラストの数ページ、一気に「ぶわっっっ!」ってなるよ。
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(2022年1月14日)