はるな檸檬『ダルちゃん』
あの葛藤と、恐ろしさの果てに
資生堂「ウェブ花椿」から週刊連載しませんか、と依頼をもらったのは、それまでやっていたギャグの読み切りなんかを封印し、ストーリー漫画をやってみたい、と取り組み始めて半年ほど経った頃だった。そのあまりの難しさにのたうちまわっている最中に、それでも花椿ならぜひやりたい、とお受けして描いたのが「ダルちゃん」だった。
ストーリーを描くというのは、ひたすらに選び続ける作業だ。
まだ誰も読んだことのないものを描く、そこには無数の選択肢がある。主人公が誰かに会う、女性? 男性? その人とどこへ行く? 何が起きる?
無数に枝分かれした道の一つを恐る恐る選んで進んでみて、ええいもう知るかと何歩か歩き出す、しかしすぐ先にまた無数に道が枝分かれした場所に出る。今いる場所が正しいのかも全くわからない、だけど進むしかないから進んでみる、行きたい場所はおぼろげに見えるような気がするけれど、この道が果たしてそこへ繋がっているかはわからない。こんなにわけもわからないまま手探りでやるしかないのか。やっていていいのか。常に迷いの中にいて、同時にとても怖い。初めて描くストーリー漫画は不安と緊張の幕開けだった。
一番恐ろしかったのは連載の始まる直前で、私は描きながらこの漫画はすごく批判されるか、まったく無視されるかのどちらかじゃないかな、と思っていた。なんだかわけもわからないままに、キャラクターが勝手に動き始めて勝手に喋り始め、それがまたなんとも生々しい展開を呼んでいたからだった。これが誰かに読まれるのが怖い。観劇をご一緒した大先輩である漫画家先生に新連載の話をしかけて、「怖いんです」と泣いたこともあった。大先生は私に「何十年描いていても始まる前は怖いですよ」と仰った。それを聞いて半ば諦めをつけて、連載はスタートした。
しばらく描いてみてからの感触は、思っていたものと少し違っていた。あまり自分が描いているという感じがしない。いや、確かに私が描いているのだけれど、キャラは私の意思でどうこう出来るものではなく、自分とは別の、意思を持った生き物だという感じがした。
どこかにある世界をそのまま写しとるような感覚で、描きながらどこか他人事のように、キャラが語るセリフに感動したり泣いたりした。
そこに私はいない。だけど、物語の全体に私自身の気持ちが、「若い子に、どうか幸せでいて欲しい」という想いのようなものがぼんやりと溶けているのだった。
連載が終わり、単行本になり、そういった流れをどこか傍観者のような気持ちで眺めながら、じんわりと幸せな気持ちが続いている。
いろんな方に感想をいただいた。どの感想も、その人自身にライトが当たるような、その人の人生を窺い知るようなもので、そのことに心が動いてまたよく泣いた。
みんなが必死に生きていて、みんなが幸せになりたがっている、そう感じて胸がキュッと詰まるような愛しさに満たされている。あの葛藤と恐ろしさの果てにこういう幸福が待っているとは思わなかった。
単行本を、大先生にもお渡しした。先生は短い言葉で、最大の賛辞をくださった。「良かったよ。あなたはちゃんと計算が出来るんだわ。だからまぁこれからも何描いても大丈夫じゃない?」
計算、という言葉になんだか笑ってしまった。
そのあと盛大に泣いた。