新刊エッセイ

乗代雄介『パパイヤ・ママイヤ』
もっと光を! 小説の舞台である小櫃川河口干潟は、木更津駅から十分ほどバスに乗り、そこから徒歩で三十分という場所にある。足を運びやすい場所ではないが気に入って、手帳によると二十回行ったらしい。潮の満ち引きが見たくて朝から出向き、風景を書きとめ、蟹と戯れ、ゴミを漁り、飲み食いし、浜で遊び、昼寝して、夕焼けを見て帰る。一日い
新庄 耕『夏が破れる』
詮ない抵抗の末に あとがきでも少し触れたようにこの「夏が破れる」は、当初の構想では、清涼飲料水のコマーシャルフィルムのごとき爽やかな青春群像劇をイメージしていた。にもかかわらず、終わってみれば、青春とは真逆のサスペンススリラーに様変わりしていたのはどういうわけだろう。連載中は、物語の風呂敷をたたむのに精一杯で作品を俯瞰
村崎なぎこ『百年厨房』
約百年前の「冷やし珈琲」が人生の鍵だった 2006年。漫画原作者志望の私は、大正時代に実在した珍しい「職業婦人」がヒロインのシナリオを書き、青年漫画誌Aに持ち込みをしました。連載会議まで上がったものの、結果はボツ。しかし、担当編集者のご厚意で青年漫画誌Bを紹介していただき、持ち込みを経てコンペに出品。結果は努力賞(一位
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
各々の幸せ 最近、美容整形のアカウントにあがっていたとあるおじいちゃんの整形画像を見てすごく元気が出た。よくあるBefore・Afterの並んでいる画像なのだが、Afterがとにかく嬉しそうなのである。その溌剌とした笑顔にわたしは想像力を掻き立てられ、その想像の先にはすごく幸せな気持ちがあった。明日いよいよ小説が発売になるカウントダウンエッセイの最終回が
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
言葉に触って生きる 「根本さんは言葉に触ることができるんだね」これはわたしが最近言われて一番嬉しかった言葉だ。自分ではこんなこと考えたこともなかった。言われてみて、自分が扱う「言葉」について一度深く考えてみた。そう思ってもらえていることは嬉しかったけれど、果たしてわたしは本当に言葉に触ることができているだろうか。
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
想像力の原点 「お友達の気持ちになって考えてみましょう」幼稚園や小学校で、このようなことを先生がよく言う。これは大人になって、生きていく上でとても大切なことだと思う。わたしはあまり学校という場所に良い思い出もなければ、今を生きる上で大切なことを習った記憶も正直ない。大切な友人と出会う場所ではあったが、学んだことは少なく、
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
嘘との相性 嘘つきについて考えるのが子供の頃から好きだ。嘘が好きなわけではない。嘘が嫌いだからこそ、嘘つきの思考回路について考えるのが好きなんだと思う。小学校の時、とにかく嘘つきな子がいた。一人ではない、数人いた。中でも群を抜いて変な嘘つきだった女の子がいた。わたしは小中高と女子校に通っていたので、共学の雰囲気がわからないのだが…
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
小説との距離感 今回、小説というものを初めてきちんと書いた。過去何度か「小説を書きませんか?」という依頼はいただいていたものの、どうしても「新作を書くなら舞台で」という気持ちが強くお断りしてきてしまっていた。2019年の年末、わたしは新国立劇場で「今、出来る、精一杯。」を清竜人さんを音楽監督に招き音楽劇として上演する試みをしていた。
中山七里『人面島』
赤面『人面島』 前作『人面瘡探偵』を上梓した際、ありがたいことに早速続編のオファーをいただいた。で、早速困った。眼高手低なれど前作は横溝作品のオマージュだった。そこで大好きな『犬神家の一族』や『悪魔の手毬唄』、そしてもちろん『人面瘡』のテイストをぶっこんだ。何と言うか横溝成分全部載せで、読者の胃にもたれるくらいでちょう
高殿 円『コスメの王様』
故郷・神戸を舞台にした、華やかな物語を書きたかった 故郷の神戸をがっつり舞台にした、華やかな物語を書きたいとずっと思っていた。前作『グランドシャトー』では、おかげさまで大阪のいいところをぎゅぎゅっと濃縮して書き切れたことにとても満足したし、夜の街というデリケートな題材ではあったので地名や地域をそのまま書くことに難しさは
直島 翔『恋する検事はわきまえない
龍之介を心の支えにしたのだが 芥川龍之介は「或る」に特別な思いを持っていたのではないか。わが家の本棚にある全集を開くたびに思う。物語をどう書き始めるかである。〈或日の事でございます〉「蜘蛛の糸」、〈或春の日暮です〉「杜子春」、〈或曇った冬の日暮である〉「蜜柑」……と、短編小説の歴史を築いた作家は「或る」を多用している。
藤谷 治『ニコデモ』
足跡をたどる ──『ニコデモ』について── どんな家にも、遠い親戚にまつわる奇談のようなものが、ひとつやふたつはある。僕の母方の曽祖父の最初の結婚で生まれた長男、というのだから、遠いどころか親戚と言えるかどうかも判らないほどの人の話だ。この人は20世紀のはじめにフランス人と結婚して、子どももいたにもかかわらず、
錦見映理子『恋愛の発酵と腐敗について』
恋愛というレッテル 三十代まで、「恋」とは男女の性愛のことだと思っていた。異性と恋をして結婚し、子どもを産み育てるという「正しい道」を歩まねば、幸せになれないと思い込んでいた。みんなが迷わずにまっすぐその道を進んでいるように見えて、ひとり取り残されたように苦しかった三十代を終え、四十代半ばで小説を書くようになってから、「いつか恋愛小説を書いてみたいな」とちょうど一回り若い友達に話すと、彼女は言った。
窪 美澄『朱より赤く 高岡智照尼の生涯』
鮮烈な人生を生きた彼女のその先にあるもの 智照尼の人生を描いてみませんか。担当編集者さんからそう言われたのは、もう何年前になるのだろう。小指を切り落とした芸妓さん、といった程度の知識しかなかったが、資料一式を受け取ったその日の夜(資料を深く読み込んだわけではないのに)、自分の小指を切り落とす夢を見て、あぁ、これは逃げられない、と思ってしまった。
風 カオル『名前だけでもおぼえてください』
あわよくば読んでください 今回執筆した『名前だけでもおぼえてください』は、漫才師が主人公です。デビュー作も笑いに関する物語だったので、よほど好きなんだなと自分にあきれるばかりです。
河﨑秋子『絞め殺しの樹』
子鹿の死に方と死なない白猫 よくある話で恐縮だが、動物が死ぬ話に弱い。嫌いではなく、涙腺の耐久値が低く、気を抜くとすぐに泣いてしまう。その最初は、忘れもしない、子どもの頃に見たアニメ『子鹿物語』だ。
吉野弘人『ゴルファーズ・キャロル』
講釈師見てきたような嘘をつく 除夜の鐘と同じ数を叩く典型的な煩悩ゴルファーだった私でも、ボビー・ジョーンズのニッカーボッカー姿の写真には見覚えがあるし、ベン・ホーガンの『モダン・ゴルフ』も実は持っていた。アーノルド・パーマーやゴールデン・ベアもファッションブランドとして有名だ。
小野寺史宜『ミニシアターの六人』
雨の銀座でミニシアター 大きなことは何も起こらないが。僕の小説を説明するときによくつかわれる言葉です。かなりの高頻度でつかわれます。ほとんど枕詞。たらちねの、みたいなものです。確かに、僕の小説で大きなことは何も起こりません。ただし、小さなことなら無数に起こっています。