新刊エッセイ

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酒井順子『女人京都』
私が京都に住まない理由 京都が好きでしばしば通っていると、「マンションでも借りて、向こうに住めばいいのに」と言われることがあります。確かにそのプランは、魅力的。京都好きが昂じて移住した人々の話を聞くと、羨ましさが募るものです。が、しかし。私はおそらくこの先も、京都に住むことはないのでしょう。京都に住むということは、京都
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最所篤子『小さなことばたちの辞書』
万人に与えられた復活の道具 はじまりはとても静かだった。幼いエズメの目に映った魔神のランプのような写字室/スクリプトリウムは、もう今はない祖父の書斎や長野の恩師の図書室を私に思い起こさせた。記憶と重なるその空間で、生き物のようなことばが救われたり捨てられたりしていた。ことばたちは儚く、すぐに失われてしまうのに、同時に世
大島真寿美『たとえば、葡萄』
どこからだって扉はひらく 小説とはふしぎなもので、うまれる時にはうまれてしまう。ここ数年、江戸時代の道頓堀界隈に脳内トリップしつづけ、あちらの世界に搦めとられ、あまりにも、あまりにも、どっぷりと浸りきっていたものだから、もう、江戸時代の小説しか書けなくなっちゃったかも? と危惧していたりもしたのですが、『結 妹背山婦女
畑野智美『若葉荘の暮らし』
コロナ禍で夢見た暮らし 一昨年の二月、私は世界が変わる音を聞いた気がした。知人との別れ際に「感染症がはやっているから気をつけて」と言い合ったものの、ことの大きさを理解していなかった。ただ、なぜか、そこを境目に元には戻れなくなることを感じていた。数日後、世の中の状況は急激に変わっていく。外出を控えるように言われ、楽しみに
夏川草介『レッドゾーン』
人は人を支えることができる 昨年、私はコロナ診療をとりあげた一冊の小説を上梓した。第三波を題材とした『臨床の砦』という名のそれは、圧倒的な不安や苛立ちの中で、ともすればコロナ診療から逃げ出したくなる自分を、なんとか踏みとどまらせ、精神の安定を保つための、いわば強壮剤であった。ゆえに完成した作品は、悲鳴のような様相を帯び
はらだみずき『太陽と月 サッカー・ドリーム』
『太陽と月』が自信作である理由 小説家は、自分にしか書けない作品を手がけたいと願うものです。そしてときに、「この話を書きなさい」と小説の神様に耳打ちされたような心持ちを抱くのです(あくまで僕の場合ですが)。自分の人生においてフックとなる体験は、ああ、このストーリーを書くためだったのか、と後になって思い至ります。新刊の『
手嶋龍一『武漢コンフィデンシャル』
秘色の物語を紡いで 『武漢コンフィデンシャル』の装丁も鈴木成一デザイン室が手がけてくださった。鈴木さんはいつも決まって「まずゲラを拝読してから――」と言い、作品を読み終わるまで引き受けてくれるのか分からない。著者にとって、この人が最初の関門なのである。本作は長江流域に広がる要衝、武漢が主な舞台である。近代中国の黎明を告
長月天音『ほどなく、お別れです 思い出の箱』
変わるものと、変わらないもの 東京の外れに暮らす私は、時々無性に東京スカイツリーが恋しくなる。いてもたってもいられなくなり、つい足を運んでしまう。展望デッキまで上ることもあれば、下から見上げて満足するだけのこともある。スカイツリー周辺が舞台の『ほどなく、お別れです』の執筆中は、近隣を歩き回って作中の人物の気持ちを想像す
青柳碧人『ナゾトキ・ジパング』
ジパング誕生秘話 元号が令和に変わる少し前のこと。仕事場の本棚に並ぶエラリー・クイーンの「国名シリーズ」の背表紙を眺めていて、「旧国名シリーズ」というアイディアが浮かんだ。旧国名というのは、伊勢とか備中とか、かつて日本で使われていた、歴史の教科書で見るような地名。『ローマ帽子の謎』『フランス白粉の謎』のように、『伊勢え
降田 天『さんず』
まえがきのようなもの この作品を「どのように」PRするかについて、担当者と何度も話し合ってきました。本作は自殺幇助業者という架空の業者を扱ったフィクションであり、我々は根っからのフィクション作家です。不道徳なこと、不謹慎なことを含む非現実の出来事を頭の中で想像し、作品として出力する仕事をしています。とはいえ、作品ごとに
乗代雄介『パパイヤ・ママイヤ』
もっと光を! 小説の舞台である小櫃川河口干潟は、木更津駅から十分ほどバスに乗り、そこから徒歩で三十分という場所にある。足を運びやすい場所ではないが気に入って、手帳によると二十回行ったらしい。潮の満ち引きが見たくて朝から出向き、風景を書きとめ、蟹と戯れ、ゴミを漁り、飲み食いし、浜で遊び、昼寝して、夕焼けを見て帰る。一日い
新庄 耕『夏が破れる』
詮ない抵抗の末に あとがきでも少し触れたようにこの「夏が破れる」は、当初の構想では、清涼飲料水のコマーシャルフィルムのごとき爽やかな青春群像劇をイメージしていた。にもかかわらず、終わってみれば、青春とは真逆のサスペンススリラーに様変わりしていたのはどういうわけだろう。連載中は、物語の風呂敷をたたむのに精一杯で作品を俯瞰
村崎なぎこ『百年厨房』
約百年前の「冷やし珈琲」が人生の鍵だった 2006年。漫画原作者志望の私は、大正時代に実在した珍しい「職業婦人」がヒロインのシナリオを書き、青年漫画誌Aに持ち込みをしました。連載会議まで上がったものの、結果はボツ。しかし、担当編集者のご厚意で青年漫画誌Bを紹介していただき、持ち込みを経てコンペに出品。結果は努力賞(一位
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
各々の幸せ 最近、美容整形のアカウントにあがっていたとあるおじいちゃんの整形画像を見てすごく元気が出た。よくあるBefore・Afterの並んでいる画像なのだが、Afterがとにかく嬉しそうなのである。その溌剌とした笑顔にわたしは想像力を掻き立てられ、その想像の先にはすごく幸せな気持ちがあった。明日いよいよ小説が発売になるカウントダウンエッセイの最終回が
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
言葉に触って生きる 「根本さんは言葉に触ることができるんだね」これはわたしが最近言われて一番嬉しかった言葉だ。自分ではこんなこと考えたこともなかった。言われてみて、自分が扱う「言葉」について一度深く考えてみた。そう思ってもらえていることは嬉しかったけれど、果たしてわたしは本当に言葉に触ることができているだろうか。
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
想像力の原点 「お友達の気持ちになって考えてみましょう」幼稚園や小学校で、このようなことを先生がよく言う。これは大人になって、生きていく上でとても大切なことだと思う。わたしはあまり学校という場所に良い思い出もなければ、今を生きる上で大切なことを習った記憶も正直ない。大切な友人と出会う場所ではあったが、学んだことは少なく、
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
嘘との相性 嘘つきについて考えるのが子供の頃から好きだ。嘘が好きなわけではない。嘘が嫌いだからこそ、嘘つきの思考回路について考えるのが好きなんだと思う。小学校の時、とにかく嘘つきな子がいた。一人ではない、数人いた。中でも群を抜いて変な嘘つきだった女の子がいた。わたしは小中高と女子校に通っていたので、共学の雰囲気がわからないのだが…
『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ
小説との距離感 今回、小説というものを初めてきちんと書いた。過去何度か「小説を書きませんか?」という依頼はいただいていたものの、どうしても「新作を書くなら舞台で」という気持ちが強くお断りしてきてしまっていた。2019年の年末、わたしは新国立劇場で「今、出来る、精一杯。」を清竜人さんを音楽監督に招き音楽劇として上演する試みをしていた。