新刊エッセイ

相場英雄『覇王の轍』
素朴な疑問が出発点 〈こんなビジネスモデルで、どうやって経営を続けていくんだ?〉拙著『覇王の轍』は、こんな素朴な疑問が出発点となった。先に触れたビジネスモデルとは、〈ガラガラに空いた列車〉を指す。素人目にみても、将来的に破綻するのが目に見えていると映ったのだ。私事で恐縮だが、日頃の取材活動では自ら自動車やバイクを駆り、
黒田小暑『ぼくはなにいろ』
「私」が生まれる前のこと 私が15歳のときに、私は生まれた。それまでの私は、体はすでにこの世にありながら、心はいまだ形すら出来ていなかった。当時から本だけはよく読んでいたものの、どこか陰気で、友達の輪に飛び込んでいけず、体もまだ貧弱だった。いまでも覚えているのは、小学3年の、クラスのレクレーションの時間にキックベースを
前川仁之『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』
アース・シェアリングに向けて スペイン南部アンダルシア州の州都セビーリャから十五キロあまり下ったところにコリア・デル・リオという町がある。スペイン語で日本を意味する「ハポン」姓を持つ者が大勢いることで有名な町だ。ハポン姓の起源はかれこれ四百年も前に伊達政宗がスペインに派遣した慶長遣欧使節団にある。その細かい任務は略すと
麻宮 好『恩送り 泥濘の十手』
走る子ども 塾講師として働いていると、子どもの発言に度々驚かされる。今年の夏頃のことだ。「先生、〝かけっこ〟ってなあに?」え? と思わず訊き返していた。相手は小学四年生。「かけっこ」を知らないなんてことがあるだろうか。からかわれているのだろうか。だが、こちらを見つめる目に揶揄するような色はない。あくまでも真剣なのだ。授
穂村弘『短歌のガチャポン』
それはもう限界超えたマイケル踊り 朝、ハイヒールの会社員らしい女性が、駅の通路にしゃがみ込んでいた。体調が悪いのかと思って、どきっとする。でも、違った。彼女はガチャポンを見つめていたのだ。硬貨を入れてハンドルを回すとカプセルがポンと出てくる、あれである。急に親近感が湧く。大人なのに、通勤の途中だろうに、そんなに本気のエ
額賀 澪『タスキメシ 五輪』
東京オリンピックの落とし前をつける、最初の一歩 2021年の夏、東京でオリンピックが行われている最中、会う人会う人から「あんた、目がギンギンで顔がバッキバキだよ?」と言われた。連日開催される競技の数々はもちろん、オリンピックに関連するありとあらゆる事象をこの目に焼き付けてやろうと、メディアというメディアに囓りついた。大
荒木 源『PD 検察の犬たち』
内側から見た新聞の栄光と滅び 四半世紀以上の昔だけれど、私は新聞記者だった。東京地検特捜部を担当していたころ、初めてで最後にもなってしまった一面トップの特ダネを書いた。自民党が下野するきっかけを作った大型疑獄の真っ最中だった。夜討ち朝駆けを繰り返した検事から、国会議員への違法献金が見つかったと耳打ちされた時は震えた。原
真山 仁『タングル』
三つのお題がもつれて生まれた光の物語 シンガポール、量子コンピューター、ウルトラマン──。この三つのキーワードで物語をつくれ!いわゆる三題噺は落語の形態で、客に自由に三つの「お題」を決めてもらい、それを落語家が一つの噺にまとめる趣向だ。最近では、就職試験の小論文で出される場合もあるようで、確か私が就活をしていた頃には、
稲田俊輔『キッチンが呼んでる!』
料理という名の物語 「小説を書いてみませんか?」と、小学館の加古さんにお誘いを受けた時、僕は反射的にかぶりを振っていました。「無理ですよ。書き方もわかんないし」しかし加古さんは、「本、お好きですよね。小説も読んでらっしゃるでしょう? きっと書けますよ」と、事も無げにおっしゃいます。「いや、エッセイならともかく、小説はま
早瀬 耕『十二月の辞書』
設定していなかった朱鞠内湖のほとり 短編小説『十二月の辞書』を長編にリメイクした草稿では、北海道の陸別町から物語が始まっていた。北見と帯広の中間地点にある小さな町で、とてつもなく寒い場所なのだという。内陸の町なのに「陸から別れる」という当て字も、物語の冒頭にふさわしいように思えたし、天文台とプラネタリウムもある。陸別に
吉野弘人『ステイト・オブ・テラー』
極上のフーダニット 「ヒラリー・クリントンとルイーズ・ペニーの国際政治スリラーを翻訳してほしい」という依頼を受けたときは大いに驚いた。第四十二代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン夫人にして、オバマ政権下で国務長官を務め、さらにドナルド・トランプと大統領選を争ったヒラリー自らをモデルにしたスリラー。話題にならないはずが
古屋美登里『わたしのペンは鳥の翼』
わたしたちの物語 『わたしのペンは鳥の翼』(英題 MY PEN IS THE WING OF A BIRD)は、アフガニスタンの十八人の女性作家が初めて世に問うた短篇集である。もっとも、彼女たちがどこで暮らし、どのような生活を営んでいるかは訳者にも知らされていない。わかっているのは、タリバン政権下のいま、小説を書いたこ
古矢永塔子『今夜、ぬか漬けスナックで』
『今夜、ぬか漬けスナックで』は、職と住居を失った主人公の女性が、祖母から受け継いだぬか床を抱えて瀬戸内海の離島に移住する物語だ。原稿を書きながら私は、迷っていた。物語の行方についてではなく、ぬか床を持つか、持たないか、について。何しろ私は小学生時代から、夏休みの宿題のミニトマトや、朝顔の鉢植を枯らしてきた人間だ。ぬか床
御木本あかり『やっかいな食卓』
家族って面倒……から全てが始まった コロナ禍に襲われて早二年半。マスク着用、飲食・外出を控え、人とは距離を置く、等々あれやこれや。私達は日常を制限され、なにげない普通の日々がいかに貴重だったかを思い知らされたのでした。当たり前過ぎて考えもしませんでしたが、人と語らい、楽しく食事をするって、人として生きる大事な要素だった
酒井順子『女人京都』
私が京都に住まない理由 京都が好きでしばしば通っていると、「マンションでも借りて、向こうに住めばいいのに」と言われることがあります。確かにそのプランは、魅力的。京都好きが昂じて移住した人々の話を聞くと、羨ましさが募るものです。が、しかし。私はおそらくこの先も、京都に住むことはないのでしょう。京都に住むということは、京都
最所篤子『小さなことばたちの辞書』
万人に与えられた復活の道具 はじまりはとても静かだった。幼いエズメの目に映った魔神のランプのような写字室/スクリプトリウムは、もう今はない祖父の書斎や長野の恩師の図書室を私に思い起こさせた。記憶と重なるその空間で、生き物のようなことばが救われたり捨てられたりしていた。ことばたちは儚く、すぐに失われてしまうのに、同時に世
大島真寿美『たとえば、葡萄』
どこからだって扉はひらく 小説とはふしぎなもので、うまれる時にはうまれてしまう。ここ数年、江戸時代の道頓堀界隈に脳内トリップしつづけ、あちらの世界に搦めとられ、あまりにも、あまりにも、どっぷりと浸りきっていたものだから、もう、江戸時代の小説しか書けなくなっちゃったかも? と危惧していたりもしたのですが、『結 妹背山婦女
畑野智美『若葉荘の暮らし』
コロナ禍で夢見た暮らし 一昨年の二月、私は世界が変わる音を聞いた気がした。知人との別れ際に「感染症がはやっているから気をつけて」と言い合ったものの、ことの大きさを理解していなかった。ただ、なぜか、そこを境目に元には戻れなくなることを感じていた。数日後、世の中の状況は急激に変わっていく。外出を控えるように言われ、楽しみに