又吉直樹さん『人間』

挫折した「その後」の生き様を書いてみようと考えました。

 デビューからの2作で、たちまち国民的作家となった又吉直樹さん。新作『人間』は、多くのファンが待ち望んでいた本格的長編。シェアハウスに暮らす芸術家志望者たちの混沌とした青春と、その後の人生の交錯を描いた、鮮烈な群像劇です。「小説家は3作目が肝心」の説を証明するように、本好きの間では早くも、又吉さんの最高傑作との評価が高まっています。今秋最大の注目の文学作品について、又吉さんに構想のきっかけや、作品にこめた思いを、じっくり聞きました。

又吉直樹さん『人間』

青春の挫折のその後を見てみたい

きらら……待ち望まれていた初の長編『人間』を、読ませていただきました。非常に濃密な物語でした。以前から構想されていた作品だったのですか?

又吉……特に構想していたわけではありません。ですが、小説を2作発表して終わりではなく、引き続き書いてみたいという気持ちは、ずっと持っていました。 どんな話にしようか、ぼんやりと考えているなかで、「その後」を描きたいと思いました。

きらら……その後、とは?

又吉……世に流布する物語は大体、人生の一時期の劇的な出来事とか、青春のドラマチックな物語になる場合が多いです。ハッピーエンドかバッドエンド、どっちにしてもまとまりのあるラストで、締め括られます。だけど人生は、「その後」の方が長いんです。
『火花』『劇場』は20代の表現者の主人公を軸にして、青春期の挫折を描きました。それはそれでひとつの決着はついていますが、彼らはあの後、どうなっているんだろう? と、ふと思いました。『火花』のなかに「生きている限り、バッドエンドはない。僕たちはまだ途中だ。」という文章が出てきます。その言葉に、なるほどと思う部分もあって、挫折した後、「その後」の人間の生き様を書いてみようと考えました。

きらら……書き出すにあたって、具体的な結末は考えてらっしゃったのですか?

又吉……まったく考えていませんでした。今回は境遇も年齢も、自分に近い人物を主人公に据えました。最終的な出口を設けない、手探りの作業でしたが、各々の出来事があったとき何を考えていたのか、自分の感覚を参考にしながら書き進めていきました。

自意識の溜まり場だった養成所時代の再現

きらら……主人公の永山は絵や文章で仕事を続けてきた、38歳の青年です。芸術家志望の若者たちの共同住居〝ハウス〟に住み始めた、19歳を回顧する場面から物語は始まります。

又吉……ハウスのモデルは特にないんですが、何かを志している若者たちが共同で住んでいる建物は、実際に存在しています。
僕が20歳ぐらいのときの話です。井の頭公園をブラブラ歩いていたら、ウッドベースを弾いている若者と知り合いました。彼は近所で共同生活しているらしく、来る? と誘ってもらいました。行ってみると、一軒家に同じような若い人が6人ぐらい住んでいて、スプレーで描いた絵や油絵など、それぞれ自分の部屋に置いていました。なんとなく仲良くなり、リビングで喋り合って、ご飯をおごってもらったりしました。
また執筆中、仕事で大分を訪れたときも、芸術家志望の若者たちがシェアして住んでいるアパートを見つけました。表現者を志している若者たちが、家賃負担を軽くするために共同生活している文化は、いつの時代でもあるんだなと。ハウスの設定に嘘はないと思います。

きらら……ハウスの住人たちの自意識のぶつかり合いは青くさい一方、何も成し遂げていない人間に渦巻く不安を、鋭く表現していました。

又吉……何なんでしょうね、表現に関わる人たちの、あの渇きは……。僕が若い頃に通っていた吉本の養成所は、若いヤツらの自意識の溜まり場だったんです。自ら面白い人間だと宣言した人が400人ぐらい集まり、ネタ見せをして、ほぼ全員すべりまくります。で、それぞれ勝手にウケなかった言い訳をしたり、大きな発言で虚勢を張っています。未熟なところを省みず、あふれでる自意識で弱い自分を守ろうとする。そんな哀しい若者たちが、溜まりまくっていました。ハウスのような場所でリアルに過ごした経験が、普通の人よりは多いと思うので、養成所時代に体験した苦い思いを、本作では自然にちりばめられたと思います。

こうあるべきという幻想に縛られている

きらら……永山は、ハウス時代に一緒に過ごした友人の仲野が、作家として成功した影島という男と、トラブルになっているのを目にします。永山は、仲野を激しく毛嫌いしていますね。

又吉……単純に嫌いとか、怒りだけではないですね。一歩間違えたら軽薄な仲野みたいな人間になったかもしれないと、永山は恐れているのかもしれません。
永山も影島も、仲野に対して悪く言うのは、表現者とはこうあるべきという幻想を持っているからです。その幻想に裏切られ、また、幻想に縛られている自分を肯定できない。そして幻想なんか持たずに、世間の側に賢く入りこんだ仲野のような人が、結構うまくやっている現実に、思うところがあるのでしょう。

又吉直樹さん

きらら……表現者としての又吉さんの本質が丸出しになる、書くには勇気が必要だった場面ではないでしょうか。

又吉……そんなことはありません。仲野に対しての感情は、憎しみではないんじゃないかと思っています。嫌いなのはたしかですし、僕自身も仲野みたいな人間はしょうもないと思ってますが、実際は関わらなくても問題ない。それでも関わらずにいられないのは、どこか受け入れざるをえないものを、仲野の生きる姿勢に投影しているからでしょう。それを書くことに、特に勇気は必要としませんでした。むしろ勇気が要ったのは、ラストの沖縄編です。

「その後」を迎えた後の景色とは

きらら……永山と影島の入り組んだ因縁が解かれた後、永山は父親側の原点である、沖縄へ飛びます。両親の人生を確かめつつ、永山自身の過去を振り返っていく展開となります。

又吉……劇的な物語を生きているわけではない人たちの時間を書き留めるのは、退屈になりがちなので、大丈夫かなと心配でした。
書き始めたときから、最後は沖縄に行きたいと思っていましたが、無理かもなと途中、諦めかけました。ですが38歳の永山の、ひと区切りついた「その後」を確かめるために、沖縄へは行かなければいけないと決めました。
じゃあ「その後」って何? という、自分に投げかけた問いに答えるつもりで、沖縄編の物語を書いていきました。

きらら……両親との原風景を通して、永山の魂が再生していくような、感動的な終章でした。

又吉……永山の人生を最後まで書くことは、できませんでした。でも「その後」を迎えた永山が、どんな景色を見ていて、「その後」からどこへ向かっていくのか、僕なりに書くことはできたかなと思います。
『人間』は、ある種の覚悟を持って臨んだ小説です。次回作に置いておこう、というものを残さず、すべて出し尽くしました。これと同じような小説は、もう書けないでしょう。

きらら……解放感はありますか?

又吉……そうですね。沖縄編までは書くのが正直しんどかったです。でも沖縄編は、楽しかった。解放感で終われました。永山は、いまいる世界しか、自分にはないと思いこんでいましたが、自らの源流をたどることで、世界の外側というか、もっと自由に生きてもいい別の世界があったんだと気づきました。永山には、すごい解放感だったと思うし、今後の人生の助けになるでしょう。彼が「その後」に獲得した救いを、読者の方にも共有してもらえたら嬉しいです。


人間

毎日新聞出版


又吉直樹(またよし・なおき)
1980年大阪府出身。お笑いコンビ・ピースとして活動。キングオブコント、M‐1グランプリなど賞レースで好成績を収める。2015年に発表した初の中篇小説『火花』で純文学デビュー。同作は三島由紀夫賞候補、芥川賞受賞。単行本が300万部を超える社会現象となる。2017年に第2作『劇場』を発表。『火花』に続き『劇場』も映画化が決まっている。

(構成/浅野智哉 撮影/浅野 剛)
〈「きらら」2019年11月号掲載〉
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