本と私 現代美術家 小松美羽さん
美しすぎる銅版画家。小松美羽さんをそんな形容詞で語ったドキュメンタリー番組もあった。〝神獣〟〝異形のものたち〟という、とてつもなくインパクトのあるものばかりで、独自の死生観を表現し続けている。
その原点には、生まれ育った長野県坂城町がある。多くの自然や動物に囲まれて育ち、生命と死を間近に見てきたことも画家となるきっかけとなった。
女子美術大学短期大学部の卒業作品『四十九日』で注目され、有田焼の狛犬作品が大英博物館に所蔵展示されるなど、アーティストとして存在感を示し続けるその根源に、本を通して迫る。
祖父の死と動物の死 表現の原点がそこに
──小松美羽さんが一躍脚光を浴びたのは、大学生の時に制作した銅版画『四十九日』だった。
20歳の作品です。その頃に実家に住む祖父が亡くなり、人の死とは何かを見せてくれました。不謹慎かもしれませんが、お葬式の時も消えてゆく祖父の魂を早く絵に落とし込みたいと、そればかり考えていました。
モチーフは火葬場で、そこに襲いかかるのは牛の形をした森の地獄です。この森は地元の自在山という山からインスピレーションを得たもの。その地獄に飲み込まれないように、ラクダに乗った祖父の魂が成仏するため一直線に進むさまを表現しました。
──自然豊かな長野県坂城町。そこで生まれ育ったことが、人格形成に大きな影響を与えたという。
私の家はムツゴロウ王国と呼ばれたほど、多くの動物を飼っていたんです(笑)。兎やハムスター、コザクラインコやセキセイインコ、熱帯魚や淡水魚、それに蚕。蚕が蛾になる瞬間を夢中で見たりしました。動物を飼うというより一緒に暮らしていたと表現するほうが近かったですね。そんな動物たちを物心ついた時から描いていました。
その頃、本といえば図鑑ばかりで。動物図鑑や鉱物図鑑、それに蛇図鑑などを買ってもらって、絵を模写していたんです。当時から、将来は画家になると決めていました。
──作品で描かれる死生観は、そんな環境下で育まれた。
動物たちが自分の死に際を見せてくれるのは本当に有難いことで、生死とは何かを考える契機になりました。ただ、動物も人間もその魂は一緒で平等だと私は思っていたんです。後年になって読んだユダヤの聖典『ミシュナ』や『旧約聖書』には死後の世界はみな平等と書かれていて、自分の死生観と一緒だったと感じました。
星新一が教えてくれた悪魔より深い人間の業
──中学、高校時代も絵を描き続ける一方で、短編小説もよく読んだ。
中学生の時に星新一に目覚めて、ショートショートはほとんど読破しています。最初に手にした本が『かぼちゃの馬車』。近未来を舞台に、バーで働く女性型アンドロイドに恋した男性を描く「ボッコちゃん」も好きでした。それ以外にも人間のほうが悪魔より業が勝っていて悪魔が疲弊していく話とか、整形して強欲になって最後は堕ちていく話とか。よくこんなストーリーを作れるなと、夢中で読みました。あと印象深かったのは宮部みゆきの短編集『我らが隣人の犯罪』。それに山田詠美の『ぼくは勉強ができない』ですね。そこで描かれるのは生きづらい、世の中に存在しづらい人たちだけれど、実はまっとうな人たちなんです。悩んでいる友達に誕生日プレゼントであげたりもしました。
──生きづらさは、思春期の小松さん自身が抱えた感情でもあった。
高校の時は、美大に入るために受験予備校に通っていました。でもその予備校では、友達がひとりもできなかったんです。千曲川沿いでひとりお昼を食べていたら先生に心配されて、初めて〝これは駄目なことなんだな〟と気づきました。美術系の世界は個で生きられる、自分にとっては楽な環境かなと思っていたけれど、やはりそうではなくて。
常にそんな状態だったから、私は決して学生生活をエンジョイしてきたわけではないんです。恋をして酸いも甘いもという経験をしたわけでもないし。そのぶん、ライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を読んで、自分が叶えられなかった青春を追体験しているところがあって、全巻読破しました。主人公もねじ曲がった性格だけれど、根本的にはいい人なんです。もう生涯ナンバーワンの作品に出逢ってしまったな、と(笑)。いま11巻まで刊行されていますが、早く次の巻が出ないかと、本当に本当に心待ちにしています。
──大学は上京し、女子美術大学短期大学部に進学した。
大学では、寮に入っていたんですが、そこはまるで体育会で、四天王制度というものがありました。一年生は最下層という(笑)。夜中にビールを買ってこいと先輩に言われたりしてました。
そんな理不尽な生活の中で読んだのが茨木のり子の『自分の感受性くらい』という詩です。〈自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ〉。これを読んで、少しお金がかかっても寮を出ようと決意しました。以来、私の座右の銘です。当時、引っ越したのは埼玉県狭山市で、そこから大学までは通学に時間がかかるので、その間によく江戸川乱歩の本を手にしていました。サタンはキリスト教では悪魔と言われるけれど、ユダヤ教では「見定める者」とされています。それを知った頃に乱歩作品と出会い、その悪魔的な世界に魅了されていきました。
神獣を描くことで地球人を繋ぎたい
──大学卒業後は、着物や有田焼など日本の伝統工芸とコラボレーションをしたり、出雲大社に作品を奉納。そして2015年、有田焼で作られた狛犬「天地の守護獣」が高く評価され、大英博物館に永久所蔵となる。まだ30歳という異例の若さだった。
日本の狛犬の原点はユダヤの経典に出てくる「ケルビム」とも言われています。ユダヤ人は流浪の民だから、それがさまざまに形を変えて世界に広まった。エジプトではスフィンクスになり、ヨーロッパではグリフィンという鳥の形をした獅子になった。インドでは角の生えたユニコーンで、それが中国や高句麗を経て日本へ渡り、狛犬になったのです。だからあらゆる宗教に神獣はいて、土着の文化になっている。神獣は神やそれにまつわる物を守る存在です。でも、人間と会話できるレベルまで、降りてきている。その神獣を描くことで、魂の大切さを表現したいんです。私は輪廻転生を信じている。だから神獣を描くことは私の魂が成長し、離脱するために神から与えられた所業だとも感じています。
──彼女の作品群は圧倒的パワーを放ちながらも時にグロテスクにも感じられる。
あらゆる国のあらゆる宗教の人々が、私の神獣を見た時に自分のルーツだと感じたり、互いに繋がるためのひとつの媒体になれればと思っているんです。そのために今は作品をキメラ化というかモザイク化している最中なんですけれど、するとどうしても、どろどろしたものになってしまう。30~40代は、そのコンセプチュアルな部分をもう少しまとめていければ、と。私の夢は一万年後に、「古代人が描いた神獣」として、私の作品が教科書に載ること。つまり自分の作品が、地球の一部になることなんです。