【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の13回目。「友愛」の精神で日ソ国交を回復した、自由民主党総裁「鳩山一郎」について解説します。

第13回

第52~54代内閣総理大臣
鳩山一郎はとやまいちろう
1883年(明治16)~1959年(昭和34)

鳩山一郎肖像キリヌキ_01

Data 鳩山一郎

生没年 1883年(明治16)1月1日~1959年(昭和34)3月7日
総理任期 1954年(昭和29)12月10日~56年(昭和31)12月23日
通算日数 745日
所属政党 日本民主党・自由民主党
出身地  東京都新宿区東五軒ひがしごけん町(旧東京市牛込うしごめ区東五軒町)
出身校  東京帝国大学
初当選 1915年(大正4) 32歳
選挙区  衆議院東京1区
歴任大臣 内閣書記官長・文部大臣
ニックネーム お坊ちゃん政治家・悲劇の政治家
墓  所 東京都台東区の谷中やなか霊園

自由と平和を掲げた友愛宰相!

「人間の本性は自由を欲するものである。自由を欲しない人間はいない」。自らが好んで用いたこの言葉が象徴するように、鳩山一郎はリベラリスト(自由主義者)であった人です。父和夫かずおの地盤を受け継いで東京市会議員そして衆議院議員になって以来、政治家としての活動はおよそ半世紀に及びました。戦後、公職追放、病気、吉田茂よしだしげるとの確執などを経て、念願の総理に就任します。鳩山内閣の最大の功績は、戦後日本の懸案事項であった日ソ国交回復を実現させたことです。

鳩山一郎はどんな政治家か 池上流3つのポイント

1 華麗なる政治家一家

明治期の衆議院議員だった父和夫かずおのめざした立憲政治の進歩発展の意志を受け継ぎ、一郎は全体主義に反対し、議会制度を重視する政党政治家への道を進みました。一郎の長男威一郎いいちろうは、大蔵官僚をて政界入りし、福田赳夫ふくだたけお内閣で外務大臣を務めています。威一郎の長男が元総理の由紀夫ゆきお、次男が元文部、労働大臣などを歴任した邦夫くにおで、鳩山家は政治家一族です。

2 初代自由民主党総裁

第1次鳩山内閣の1955年(昭和30)2月の解散総選挙で、鳩山の日本民主党が第1党となりましたが、過半数の獲得はできませんでした。一方、左右両社会党は躍進し、統一へ向かいました。こうしたなか、保守政権を安定させるために同年11月に行なわれたのが、自由党との合同による自由民主党の結党です。自民党と社会党の二大政党による、いわゆる〝55年体制〟の始まりでした。結党当初は総裁は置かれませんでしたが、5か月後に鳩山は初代総裁に就任しています。

3 日ソの国交を回復

鳩山内閣の政策目標は、憲法改正・再軍備・対共産圏外交の推進。いずれも吉田茂よしだしげる内閣期は課題としなかった問題でしたが、鳩山一郎は吉田への対抗心もあって積極的に取り組みました。特に対共産圏外交は緊急の課題でした。ソ連には何十万人もの日本人抑留者がおり、一刻も早く救い出す必要があったのです。鳩山は日ソ国交回復を実現し、ついで国際連合加盟も果たしています。

鳩山一郎の名言

ただ自分の真理を信じ、善と思う事を
最愛の友に第一に語っては進む。
― 1904年(明治37)8月16日の妻・薫宛かおるあての手紙で友人のことに触れて

自由を求めるための革命が、人間の不自由を
結果した例は、ドイツ、イタリア、ソビエトに
おいて苦もなく発見できる。
― 1936年(昭和11)、二・二六事件直前に『中央公論』に発表した「自由主義者の手帳」より

健全な若い人に譲った方が
日本のためにもなると思う。
― 1956年(昭和31)11月2日、日ソ国交回復を成し遂げ帰国した翌朝の記者会見についての朝日新聞記事より

鳩山一郎の揮毫

鳩山一郎揮毫_01

鳩山一郎筆「友愛」
鳩山会館蔵
人間性を尊重した鳩山は、「相互尊重」「相互理解」「相互扶助」の3つを「友愛主義」と呼び、政治理念の原則とした。

鳩山一郎の人間力

◆友を信ずる

鳩山は友を信じる生き方を生涯貫いた。戦前は、翼賛よくさん政治にともに反対した同志三木武吉みきぶきち中野正剛なかのせいごうとの固い友情。戦後は、裏切られたにせよ、吉田茂よしだしげるとの約束を最後まで信じた。鳩山の人柄は愚直なほどに誠実なものだった。その言行一致のクリーンな政治家としての生き方が、「将に将たるうつわ」と三木に言わしめたのである。

◆ 民主主義を堅持

「民主主義とは、主権が国民にあって、国民が政治をすることである」(『私の信条』)とも述べているように、戦争へ突入していった時代にあっても、鳩山は民主主義にこだわった。「坊ちゃん政治家」と言われながらも、約半世紀におよぶ政治家としての人生を全うできたのは、まさにこの信条あってのことである。

◆政権に恋々れんれんとしない潔さ

日ソ国交回復を成し遂げて帰国した73歳の鳩山は、記者会見の席上、退陣の意志を表明し、翌月、内閣総理大臣を辞職した。国民の人気は相変わらず高かったのに、政権に居座(いすわ)ることなく、若い世代に譲ることを決断したのだ。国民のための政治を常に念頭に置く数少ない政治家であった。

(「池上彰と学ぶ日本の総理6」より)

初出:P+D MAGAZINE(2017/10/06)

渡辺裕『感性文化論〈終わり〉と〈はじまり〉の戦後昭和史』斬新な視座で見つめ直す戦後昭和史
本と私 現代美術家 小松美羽さん