翻訳者は語る 金原瑞人
第28回
世界的に著名な英国の児童文学作家ジェラルディン・マコックラン。もう使われていない劇場に住みついた幽霊たちと少女の交流を描いたファンタジー小説『ロイヤルシアターの幽霊たち』を吉原菜穂さんと共訳したのは、児童・YA文学翻訳の第一人者・金原瑞人さんです。これまでも多数手がけているマコックラン作品の魅力、さらに翻訳の道に入るまでの意外過ぎる経歴も伺いました。
〈連作短編集としての巧さに感心〉
マコックラン作品を最初に翻訳したのは九八年、カーネギー賞を受賞した『不思議を売る男』でした。母娘が営む古道具屋にふらりとやって来た青年が、客を相手に店の商品にまつわる不思議な話をし、聞き終えた客がそれを買っていく……という連作短編集でありながら、短編が繋がってひとつの長編になっている作品。その後翻訳した『ペッパー・ルーと死の天使』『空からおちてきた男』なども連作短編としてよく出来ていて、常々マコックランは短編の巧い作家だなと思っていました。
『ロイヤルシアターの幽霊たち』も、原文を読んで「あ、これも連作短編集だ」と。独立した短編が巧く繋がって最後にひとひねり、それがまた巧い。劇場に住みついた幽霊たちが、闖入者の少女にせがまれて自分の死に際の話をするわけですが、二百年前の、本を好きになってしまった女の子が嵐から本を守ろうとする「図書館ごと」から始まるのもいい。「今度はどんな風に終わるんだろうか」とワクワクしました。
すぐに翻訳すると決意したのですが、児童書としては少しレベルが高いという意見もあって出版社が決まらず、刊行まで七年もかかってしまいました。
〈英国作品は校正の段階が楽しい〉
翻訳の世界では、米国ものの文体は読みやすく訳しやすい、英国ものは読みにくく訳しにくいという共通認識があります。十九世紀の児童文学を比べても、素直で読みやすい米国の『オズの魔法使い』に対し、英国の『不思議の国のアリス』『ピーター・パン』は読みにくく、学生が原書に挑戦しても大抵挫折します。ちなみに、大学で今年『ロイヤルシアターの幽霊たち』の一部の翻訳を課題として出しましたが、ほとんどの学生が苦戦していました。
米国ものは訳すのは楽しいけれど、たまに陰影や深みに乏しいものもあり、校正のとき退屈だったりします。英国ものは凝ったクセのある文体のものが多く、だからこそ深みがあって面白く、訳出中に気づかなかった発見が校正の段階であり、それが楽しいんです。
本作でも、モッズ族の少年のキャラクターが最初の印象よりバカだったり(笑)、印象的な機械仕掛けのゾウも、思っていたよりもずっと小さかったりと、たくさんの気づきがありました。
取り壊される寸前の劇場や、劇場のある田舎の避暑地の描写も素晴らしいし、観光客を乗せるロバが思わぬところでいい働きをするのも楽しく、読み直して改めて魅力に気づきました。
〈カレー屋志望から大学院生へ?〉
僕は小学生まで典型的な田舎の男の子でした。マンガとテレビばかりで、小説はほとんど読まなかった。横山光輝、手塚治虫、楳図かずお作品に夢中になり、テレビはディズニー作品やプロレスも大好きでした。きっかけは憶えていませんが、中学生になって突然翻訳小説に目覚め、大学までSF、ミステリ、古典とほぼ翻訳小説一辺倒に。
衛生兵だった父と、北杜夫作品の影響で大学は国立の医学部を受けたのですが、一年目は落ち、岡山から上京し東京の予備校に通いました。そこで麻雀とパチンコ、酒を覚えてしまい、二年目も医学部は全滅。
ある日、下宿に帰ると母がいて、「予備校から模試も受けていないと連絡があった。どういうことか」と。その場しのぎで「実は文系に移りたいと思って図書館で勉強をしている」と言ってしまった。言ったからにはと受験し、唯一受かったのが法政大学の英文科でした。四年で卒業したものの、就職はまたも全滅。檀一雄の本に触発されて下宿でよく作っていたカレーには自信があったので、カレー屋をやろうと思っていた矢先に卒論の指導教授に大学院に誘われたのですが、恥ずかしながら僕は大学院とは何かを知らなかった(笑)。「君は本が好きだろ? 大学院は週に二、三回授業に出てあとは本を読んでいれば奨学金がもらえる」と言われ進学を決めました。児童書翻訳をしていた教授が、友人の出版社を手伝っていた縁で、僕が翻訳を始めたのは八〇年代後半です。
九〇年代になって、日本にも佐藤多佳子、森絵都、あさのあつこなどYA作家が世に出てきたのと同時に、僕が関わっていた海外のYA小説も浸透しはじめ、今に至っているという訳です。
金原瑞人(かねはら・みずひと)
法政大学教授・翻訳家。訳書は『月と六ペンス』『不思議を売る男』など550冊以上、著書に『サリンジャーに、マティーニを教わった』など。
(構成/皆川裕子)
〈「STORY BOX」2020年12月号掲載〉