なにも悔やむことのない人生なんて
時間を巻き戻したい、と思う事がある。5分、いや1分でいい。スカートにべったりとついたシミ。口からポロリと零れ落ちた言葉。一時停止と再生を繰り返せば必ず幸せな人生を送れるわけではないだろうが、それでも誰しもがやり直したい瞬間があるだろう。例えば、もし、あなたが交通事故を起こしたとしたら。
『一瞬の雲の切れ間に』(砂田麻美)は、ひとつの交通事故を起点として、それにまつわる人々の視点で物語が綴られる連作短編だ。
事故によって失われたのは小さな命だけではない。関わった人々の日常も、またそうとは気が付かないうちに失われてゆく。当たり前の毎日、というのは手中にあるうちはその大切さには気が付けないものだ。けれど、何かを手放したからこそ新しい物を掴める、ということもある。これは事故の痛ましさを伝える物語では決してない。私たちが日々営む生活こそが、物語たりえるのだと映画監督ならではのこまやかな描写で紡ぐ、「日常の物語」である。
『明日の食卓』(椰月美智子)は子供がいない私でもこんなに辛かったのだから、現役のお母さんにはちょっと読み進めるのが辛いかもしれない。
物語は「ユウくん」への虐待と思われるシーンから始まる。日本のどこかで、同じ名前の男の子を育てる三人の母親たち。どの家庭でも起こりうる些細な苛立ちとボタンのかけちがい。冒頭のユウくんは一体どの家庭のユウくんなのか。実際に男の子の母親である椰月さんだからこそ書ける「子育てのリアル」がぐいぐいとページをめくらせる。
後悔とは、後から悔やむ、と書く。人は事が起きてしまった後でしか、悔やむことはできないのだ。悲劇を事前に止める方法はない。『オブリヴィオン』(遠田潤子)は罪を犯し、それを抱えながら生きている男たちの物語だ。
皮肉にも「奇跡」と呼ばれる森二の特異な力が家族の崩壊を招いてしまう。後からいくら悔やんでも、零れてしまった水をグラスへ戻すことはできない。そもそも、罪とは一体なんなのか。誰がそれを罪だと決めるのか。人は誰かを赦すことができるのか。運命に翻弄される男たちをバンドネオンが奏でる「オブリヴィオン」の旋律が呑み込んでいった時、私たち読者はその答えの一端を物語から知ることになるだろう。
〈「きらら」2018年7月号掲載〉