里見 蘭

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◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第191回
10 江副と南郷は退廷し、二人が座っていた傍聴席は空席になっている。今日三人目の証人は今井克人(いまいかつひと)。増山が勤めていた新聞販売店の店長で、検察側証人だ。皺が目立つスーツを着た痩せた中年男性で、顔は土気色がかっており、髪の毛には寝ぐせが残っているようだった。主尋問には青葉が立った。まず青葉は、増山が日頃からジ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第190回
「写真測量とご遺体の死体検案の関係について教えてください」世良が続ける。「はい」江副が穏やかな顔を裁判員に向ける。「日本では、ご遺体の数値を計測するのに、二次元の写真を用いるということは一般的に行われておりません」「終わります」世良が席に戻った。「弁護人、再々反対尋問は?」能城が訊ねる。「川村が」志鶴が立った。「先生は
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第189回
 浅見の遺体写真を元に3Dプリンタで作成したシリコン製の首のモデルを、志鶴たちと南郷は東京拘置所で刑務官を通して接見室の増山に渡し、実際の扼痕に近いよう扼殺をシミュレートさせ爪痕の位置のデータを取った。この場面はアクリル板ごしに動画と静止画で撮影もしている。過去に、東京拘置所の接見室で、被告人の健康状態の異常に気づいた
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第188回
 当初、志鶴と都築が江副を弾劾するために専門家証人を召喚しようと思わなかった理由は二つある。江副の証言を完全に弾劾できずとも他の証拠を潰すことで検察側の立証の弱さを示すことができるだろうと判断したのが一つ。もう一つは、すでにその時点で二人の専門家証人に鑑定の依頼を出しており、その費用だけでもばかにならない金額になってい
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第187回
9 「開廷します」休憩のあと、能城が告げた。「次の証人を」傍聴席の最前列で弁護側証人が立ち上がり、証言台に進んだ。長身の男性だった。体にぴったりした鮮やかなロイヤルブルーのダブルのジャケットの下にノーネクタイで白いシャツを着て、白いパンツを穿(は)いている。髪の毛先を遊ばせ、髭を短く刈り込んでいた。四十代の後半。身のこ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第186回
「髙取健彦(たかとりたけひこ)監修『NEWエッセンシャル法医学(第5版)』百七十頁を示します」付箋をつけていたページを開いて書画カメラの下に置いた。蟇目が立ち上がって近づき、本を確認した。異議はなかった。「先生はこの本をご存じですね?」「はい」江副がうなずく。「代表的な法医学の教科書の一つ、そうですね?」「ええ」「法医
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第185回
「弁護人の田口からうかがいます。先生はこれまでに、法医学の専門家として法廷で証言されたことが六十回ほどおありだというお話でしたね?」「はい」「その六十回の中で、弁護側の依頼を受けて証人になったことは何回ありますか」「ありません」「六十回すべてが検察側の依頼を受けてのものだったということでしょうか」「さようです」「今回の
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第184回
8 五月二十七日。増山淳彦の第三回公判期日。先日に続き、今日も抽選に外れたので傍聴席に増山の母・文子の姿はない。傍聴席には被害者遺族とマスメディアのための席が確保されているが、今日はその他に最前列の二つの席に証人用と書かれたコピー紙をパウチ加工したものがあらかじめ貼られ、一般の傍聴人が座れないようになっていた。左右に離
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第183回
「検察官、再々主尋問は?」能城が訊ねた。「世良が」世良が立ち上がり、法壇の前に向かった。表情や態度に、主尋問や再主尋問をした頃の余裕は感じられない。それでも芝垣を励ますように微笑みかけた。「芝垣さん。先ほどの再反対尋問で、弁護人は、令和△年九月十四日午後八時五十分台にあなたが目撃したことについて、事実とは異なる余地があ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第182回
「検察官?」「異議があります──!」世良に必死さが見えた。「やむを得ない事由には当たりません」「やむを得ない事由はあります」志鶴は答えた。「手紙と調書の署名について鑑定機関に鑑定を依頼したのは、審理計画が策定されたあとでした」志鶴が田巻から借りた手紙を見て、都築が以前に目を通した増山文子へのいやがらせの手紙のことを思い
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第181回
 志鶴は芝垣に向き直った。芝垣は緊張しているように見えた。芝垣からと思われる手紙を受け取ってしばらく経った四月、田巻夫妻は児童相談所の職員らの訪問を受けている。幼児への虐待があるかもしれない、と児相が対応に当たる一八九番通報を受け、事実を確認すべく臨場したのだ。調査の結果、虐待の事実は確認できないとして職員らは引き上げ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第180回
「質問を変えます。あなたはご自身が住むマンションの隣の部屋に住む、田巻(たまき)さんというご家族をご存じですか」芝垣の顔色がまた変わった。動揺を隠そうとするが、目は忙しく動いた。「異議があります──」世良だ。「反対尋問の範囲外の尋問です。刑訴規則199条の4第1項で禁じられています」「弁護人?」「証人の証言の信用性を弾
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第179回
「検察官、再主尋問を」能城が促した。世良が立ち上がり、法壇の斜め前へ進んだ。芝垣に向き直る。「あなたは令和△年九月十四日の夜、浅見萌愛さんと被告人と思われる男性を目撃された。ですが、足立南署でその話をされるまで、半年以上経っている。その理由は何でしょうか」反対尋問での志鶴の攻撃で受けたダメージから回復させるための質問だ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第178回
「この調書の末尾に『芝垣悦子』と署名があります」尋問を再開した。「これはあなたが書いたものですね?」芝垣悦子は「そうだと思います」と答えた。「その横には『芝垣』と押印されています。これもあなたが押印しましたね」「はい」「先ほどあなたは、令和△年九月十四日の夜、女子と不審な男性を見たという時刻について『午後八時五十分台』
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第177回
 裁判員に、志鶴が証人をいじめているように思われるのは得策ではない。裁判員が証人に同情的になり、信用性についての判断が甘くなるからだ。だがこの証人に容赦は無用だ。「あなたはまず警察でそのことを話しましたね。それはいつですか」「たしか──三月二十九日でした」「令和×年三月二十九日ですね。つまり、あなたは浅見萌愛さんのご遺
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第176回
「九月十四日午後八時五十分台に、あなたは自宅近くで女子中学生くらいに見える女子と、その三メートルほど後ろを同じ方向へ歩いている男性を見た。そのあと何が起こりましたか」「はい──まず私は、オーランドが用を足したあとに持ち歩いていたペットボトルの水をかけ、道路を渡りました」「そのときのあなたの動きを矢印で書き込んでください
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第175回
7 昼の休憩の後、公判が再開された。証言台に向いて座ったのは高齢の女性だった。世良が尋問に立つ。「お名前を述べてください」「芝垣悦子(しばがきえつこ)です」「年齢は?」「七十四歳です」「職業を教えてください」「三年前に主人が亡くなるまでは主婦でした。今も仕事はしておりませんので、無職ということになりますかしら」黒いワン
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第174回
「増山さんと浅見さんの間の接点について、あなたはつい先ほど検察官にこう説明しました──『被告人が住んでいた家とファミリーセブン綾瀬店は近距離に位置しています。二階にある被告人の部屋の窓からファミリーセブン綾瀬店の入り口が見える距離です。被告人はこの窓からコンビニ店を見張り、被害者を物色していたのではないかと判断されたの