女性の一代記を描いた小説が好き
矢部……『日本一の女』は大分を舞台にされていますが、東京育ちの私からすると、まず主人公たちが使う方言に魅力を感じました。大分弁には標準語にない迫力がありますね。大分出身の斉木さんだからこそ、地元の方言を自由自在に操って物語を描かれたように感じました。もうバイリンガルの方と会った時のように尊敬してしまいました(笑)。
斉木……ありがとうございます。大分から横浜に出てきた時は、大分弁で考えたことを標準語に直して話していましたが、今では地元に帰ると、標準語で考えて大分弁を話す感じです(笑)。やはり地方出身というのは、田舎を自然と書けるのが強みになりますね。大分弁は敬語がほとんどなく、そのまま文章にすると読みにくいので、これでもずいぶん標準語に近づけて書いています。大分の方がどう感じ取られるのか心配でしたが、地元の方からきちんと大分弁になっていると言っていただけてほっとしました。
佐伯……サダの亡くなった翌日に生まれた曾孫の菜穂子が、サダの三十三回忌のために実家へ帰ってくるところから物語がスタートします。サダに似ていると言われている菜穂子が、サダを知る和尚から話を聞くという設定がよかったです。近縁ではない第三者がサダを語ることで、余計な私情を挟まずテンポよく話が進んでいきますね。
斉木……女性の一代記を描いた小説が好きなんです。でもそういう本は上下巻だったりしてとにかく長い(笑)。女の一生を駆け抜けるように、一気に読めるくらい短くまとめられたらと思いました。 昨年、私が生まれた時にとても喜んでくれた母方の祖母の五十回忌があったのですが、自分の祖母や曾祖母のことって、法事で親族が集まる時くらいにしか知る機会がないですよね。自分と血の繋がりがある人たちの人柄をなにも知らずにいるのも不思議なこと。年配の方にはなにかきっかけがあれば自分の半生を話したい気持ちがあるようにも思います。もしかしたらみなさんにも、サダのようなご先祖がいたなんてこともあるかもしれません(笑)。
九州の人の強さは、耐える強さとは違う
矢部……サダは容姿に恵まれず、サル顔の女と形容されています。戦前戦後を生き抜いた人という意味でも、サダは私の曾祖母とイメージが重なりました。サダの顔のインパクトが強くて、どんな人だったのか想像をかき立てられながら読み進めました。
斉木……今までの作品では、見た目の美しい人の話を書いてきたので、今度は全く違ったキャラクターを書いてみたかったんです。今の時代では、面と向かってブスと言われることも少ないですが、少し前の時代だと容姿について露骨に表現したりします。美醜のことを誰もがはっきりと口にしていた時代の話を読むと、どこかすっきりするものがありますよね。
佐伯……器量も悪く口も悪いサダは、農家の長男・正一と結婚させられてしまいます。お坊ちゃまの兄や美人の妹への対抗心から、サダは村で初めての精米所を作るほど自立していく女性ですが、九州女は今も昔もこんなに強いんでしょうか?(笑)
斉木……父方の祖母が言葉のきつい人でしたし、確かに九州育ちの女性は強いと思います。九州は温暖で過酷な自然と闘うような環境ではないので、九州の人の強さは東北の農家の方が持つ「耐える強さ」とは違います。その差異は意識しましたね。
佐伯……自分には金剛様がついているというサダは、自分からは男しか生まれないという自信があります。言葉どおり九人も男の子を産みますが、登場人物が多いので、子どもたちの名前をメモしながら読みました。長男の名前を正一の親の名前から一字もらってつけたり、昔ながらの名づけ方も面白かったです。
斉木……登場人物が多いので、人物相関図をつけたらよかったですね。サダが男ばかり産んだことに他意はなくて、私の父が男九人兄弟、母が女五人姉妹だからなんです(笑)。
矢部……サダの個性が強烈すぎるからといって、ほかの人たちの存在感が薄いというわけではないのがよかったです。あまり主張しないように見えた正一がサダを叱責するシーンもあって、実はみんなそれぞれが主張している。サダの言動にばかり目がいきがちですが、サダを取り巻く人たちのホームドラマになっていました。
斉木……ありがとうございます。「この人にはこういう生き方しかできない」という人物像の細部まで、どのキャラクターも描く時にしっかりと作り込んでいます。私はサダの精米所で働く富松を気に入っているのですが、「富松」というのは苗字か名前かおわかりになりますか?ありがとうございます。「この人にはこういう生き方しかできない」という人物像の細部まで、どのキャラクターも描く時にしっかりと作り込んでいます。私はサダの精米所で働く富松を気に入っているのですが、「富松」というのは苗字か名前かおわかりになりますか?
佐伯……下の名前だと思っていました。
矢部……え、あれ苗字じゃないんですか?
斉木……どちらでもないんですよ。本当は本名じゃなくて職業上の名なんです。富松は子どもの頃に家を出され、丁稚奉公先の店の屋号から一字とって富松と名乗っているんですが、職業上の名を名乗ることで彼は自分のアイデンティティを保っている。作中ではそこまで触れていませんが、そういったことまでイメージして書きました。
男性から見ると好きになる要素がない
矢部……サダは精米所の経営がうまくいき、子どもたちになに不自由のない生活を送らせていましたが、時代は戦争へと向かっていきます。米軍の戦闘機が撃ち損じた爆弾を畑に捨てるシーンには驚きました。当時のことはやはり資料などで調べられたのでしょうか?
斉木……昭和初期を舞台にしたデビュー作『踏んでもいい女』は、資料を調べて書き上げるまでに数年かかりました。デビュー作が本になってから、母や親戚が当時の話を詳しく話してくれたので、戦時中のエピソードなどに取り入れています。
佐伯……この作品はどれくらいの時間をかけて書かれたのでしょうか?
斉木……初稿を一カ月ほどで書き上げ、改稿を何度かしてこの形になりました。物語が暴走してしまわないように、最初に全体のストーリーは考えておきました。
佐伯……いま『嫌われる勇気』という本がとても売れています。やっぱりみんな、人に嫌われたくないと思って、ついいい顔ばかりしてしまう。だからこそサダが「寂しゅうてん、自分を曲げて生きようとは思わんけんな」という姿に憧れるところがありますね。
斉木……『踏んでもいい女』にも、何があっても一切自分を変えない虎吉というおじいさんが出てくるのですが、私自身がそういう生き方が好きなんです。
矢部……それでいてサダは、誰かと言い争った時に、意外と相手の様子を見て引っ込むんですよね。なにか思うことがあってもあえてそれを言わない。周りの人たちは、子どもの生き方にまで口を出す頑固な小うるさい女だとサダのことを思っていますが、実は強さ一辺倒じゃない奥行きのある人柄だと感じました。
斉木……サダは何度もくじけていますし、自分が間違っていたんじゃないかと思うこともある。何が何でも押し通して真っ直ぐ進んでいるわけではないんですよね。自分より相手を優先した時と、自分を押し通した時と、最終的にどちらが正しかったのかなんて実際にはいくら考えてもわかりません。
サダのキャラクターは、「こういう人、いるよなー」という感覚で無理して作り上げたわけではなかったのですが、読者の方の感想を読むと、今の時代にはあまり見られない強い人間だと思われているようです。
矢部……ある種の開き直りというわけではないですが、なにかトラブルがあってもサダはリカバリーが速いので強く見えます。いつまでもぐずぐずしていないのが、彼女の強さの秘訣かもしれません。
サダの一生を語る和尚が、菜穂子に「昔の女性があなたと同じような悩みを抱かなかったと決めつけていいのでしょうか」と諭すシーンが印象的でした。強くあろうと必死で生きていても、気持ちが揺れていることは多々ありますよね。
佐伯……迷いながらも自分を貫くサダの力強さは、現代にも必要なもの。ある書店員さんが「読後、サダの熱に焼かれて、ちっぽけな悩みなど消えてしまう」という感想コメントを寄せられていましたが、私も『日本一の女』は生きる力をもらえる小説だと思います。
斉木……きっとサダは現代に生まれても、周りと衝突してばかりいるかもしれませんが(笑)。女性に限らず、男性にも読んでいただきたいですね。男性から見るとサダを好きになれる要素がひとつもないんですけど、それはそれでしてやったりという感じです。
イヤミス小説は好みに合うものが多い
矢部……文庫化された『凍花』が評判になり、斉木さんのことをイヤミス作家だと認知している方も多いです。『踏んでもいい女』や本書はイヤミスではないですが、斉木さんご自身で書き分けをされているのでしょうか?
斉木……『凍花』はイヤミスとして書いていたわけではなくて、文庫になった頃にちょうど「イヤミス」という言葉が出てきました。イヤミス作家と呼んでいただけるようになってから、ほかのイヤミス作家の方の小説を拝読しましたが、自分の好みに合うものが多くて、イヤミス作家の一人に入れていただけたことは嬉しいですね。
佐伯……ミステリ小説のジャンルは、「ミステリ」というひと言では網羅できないくらい多方面に広がっているんですよね。なにか指針があったほうが、お客様には好きなテイストの小説を見つけていただきやすい。私はイヤミスが大好きなので、『凍花』で斉木さんの作品を初めて知りましたが、『凍花』もこの『日本一の女』も女性を多角的に描くという点で通じるものがありました。
矢部……斉木さんの作品はイヤミスでもそれ以外でも、極端な人の鮮やかな生き方を見せてくれます。すかっと突き抜ける感じがして、読んでいて元気が出ます。
斉木……この小説はイヤミスから少し外れてしまったので、申し訳ない気持ちがあったのですが、そういっていただけてよかったです。
本は自分を映す鏡のようなもの。『日本一の女』を読んでいただいて、なにかを考えるきっかけにしてもらえたらいいです。
(構成/清水志保) |